第5話:昼の孤独と、夜の予感
前半ロクサーナ視点、後半ノクス視点です。
三日目の逢瀬を終え、帝都のタウンハウスに帰った私は、ベッドに飛び込んで枕に顔を埋めた。
(……ルシウス様にお肉、食べてもらえちゃった)
思い出すだけで、胸元がカッと熱くなる。
私の差し出したお肉を、あの美しい唇が開いて受け止めてくれたのだ。美味しいと微笑んでくれたあの顔は、どんな絵画よりも、女神の像よりも綺麗だった。
「よし。次はもっと大きな、大猪のスペアリブなんてどうかしら。それとも……」
明日の夜食のメニューを考えていた時、ふと、昼間に夜会会場で聞いた令嬢たちの会話が脳裏をよぎった。
『シルヴェスタ帝国で、白や銀を宿す高貴な殿方は、大抵十代のうちに素晴らしい婚約者が決まるものですわ』
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。
私は、ルシウス様について何も知らない。名前がルシウスであること、おそらく宮廷に仕えていて、とても仕立ての良い漆黒の服を着ていることだけ。
ルシウス様は黒髪黒目だけれど、あの女神のように整ったお顔立ちだ。世界の美醜の基準からは外れていても、あの気品だもの。もしかしたら、もう、誰か決まった婚約者がいらっしゃるのではないかしら。
私みたいに、夜会を抜け出して肉を押し付けるような女ではなく、淡いドレスの似合う、お淑やかな帝国の令嬢が。
「……嫌。そんなの、絶対に嫌」
枕をぎゅっと抱きしめる。
もしそんな相手がいたら、私はどうすればいいのだろう。辺境伯の娘として、潔く身を引くべき?
「……いいえ、まだ決まったわけじゃないわ」
むくりと起き上がり、自分の両頬をパンと叩く。
明日、勇気を出して直接聞いてみればいいのだ。もし婚約者がいたとしても……その時は、その、奪い取るくらいの気概でいかなくてどうする、ヴァルハイトの女が!
不安と、それを打ち消すような闘志を燃やしながら、私は眠れぬ夜を過ごしていた。
ーーー
翌日。シルヴェスタ帝国の中心たる皇宮の執務室。
鳴り響く羽ペンの音と、重苦しい静寂の中、ノクス・ルシウス・シルヴェスタは、冷酷な黒の皇帝として机に向かっていた。
「陛下、こちらが隣国オルティシア国からの親書でございます。また、中央の公爵家より、先の夜会で体調を崩されたご令嬢方の、お見舞いに関する書状が届いております」
側近の言葉に、ノクスは視線すら上げずに淡々と書類に署名を走らせる。
「体調を崩した、か。おおかた2階のバルコニーから顔を見せた私を見て気絶した者たちのリストだろう。見舞い品は適当に国庫から送っておけ」
「畏まりました」
いつもの日常だった。25年間の人生、日中は皇帝として恐れられ、夜会に義務で顔を出せば、女たちに怪物を見る目で泣かれ、失神される。
ノクスにとって、自分の血筋を継ぐ結婚など、最初から諦めている呪いでしかなかった。
ーーだが。
(……黄色)
ふと、羽ペンを握るノクスの手が止まる。
頭の裏に焼き付いて離れないのは、昨夜の庭園。暗闇を引き裂くように現れた、あの鮮やかな黄色とゴールドのドレス。
『ルシウス様が良いのです。他の誰でもなく、あなたとお近づきになりたい』
肉を口元に突きつけ、満面のひまわりのように笑った、ロクサーナ・ヴァルハイト。
「陛下? いかがなされましたか」
「……何でもない」
ノクスは冷ややかに応じ、細められた漆黒の瞳を書類に戻した。だが、その胸の奥では、どろりとした執着と独占欲が狂おしいほどに脈打っていた。
彼女は私を、宮廷に仕えてる者だと思っている。もし自分が世界から忌み嫌われる黒の皇帝だと知ったら、やはり他の女たちのように、絶望して逃げ出すのだろうか。
(いや――逃がさない。絶対に)
もし彼女が自分を騙す間諜なら、その場で壊してしまえばいいだけだ。けれど、もしあの金の瞳が、今夜も自分を真っ直ぐに見つめてくれるなら……。
窓の外がゆっくりと夕暮れに染まっていく中、冷酷な皇帝の仮面の下でノクスは、ただ一人あの少女が待つ、四日目の夜の訪れを渇望していた。
補足:
ロクサーナがいる大広間からは、2階のバルコニーは遠すぎて顔がよく見えません。しかも、ノクスがバルコニーに現れた瞬間、会場の令嬢たちが悲鳴を上げたり、みんなが一斉に頭を下げて平伏したりするため、ロクサーナも周囲に流されてお辞儀をしており、皇帝の顔をまともに見る機会がありませんでした。




