第66話:叶わぬ恋と、悪あがき
レオン視点です。
ーーこれに懲りたら、二度とロクサーナに不埒な視線を向けるな。
脇腹の激痛に耐えながら地面に膝をつく俺の側で、あの漆黒の皇帝はそう冷たく囁いた。
完全に見透かされていたのだ。俺がロクサーナに向けていた、幼馴染の枠を超えた恋心を。
「……完敗、だな」
遠ざかっていく二人の背中を見つめながら、俺は小さく吐き捨てた。
俺を撥ね飛ばした皇帝の姿を熱っぽく見つめていたロクサーナの目は、完全に恋する女の目だった。
数ヶ月ぶりに再会した彼女は、見違えるほど綺麗になっていて、乗馬服に着替えて訓練場に現れた彼女を見た瞬間、心臓が脈を打った。
皇宮へ行って遠い存在になってしまった寂しさを隠すために、わざと昔のようにからかったけれど、本当はまともに目も合わせられないほど、その洗練された姿に見惚れていた。
ーー昔から、ロクサーナは俺にとって特別だった。
鮮やかな赤髪に、藍色の瞳。
平民で、しかもこの世界において『白』から遠い俺の色は『不吉だ』『醜い』と幼い頃から周囲に遠巻きにされてきた。誰もが俺を汚らしい者をみるような目で見る中で、ヴァルハイト辺境伯の令嬢だったロクサーナだけは違った。
『レオンの髪、燃える炎みたいで格好いいじゃない!瞳の色も、深い澄んだ海の色みたいで綺麗だわ。ねえ、私と剣の勝負をしない?』
そう言って屈託なく笑う少女に俺がどれほど救われたか、彼女は一生知らないだろう。
外見や色の偏見を一切持たず、ただの『レオン』として真っ直ぐに自分を見てくれた彼女に恋をするのに、時間はかからなかった。
だからこそ、彼女が皇帝の婚約者になったと聞いた時は目の前が真っ暗になった。
あの世界で最も忌み嫌われる『黒』を持つ男に、ロクサーナが無理やり従わされているのではないか、心配で仕方なかった。
けれど、それは傲慢な思い込みに過ぎなかったと、二人の纏う空気で痛いほど分かってしまった。
ロクサーナは、あの皇帝の『黒』すらも、俺を救ってくれたときと同じように、いや、それ以上に深い愛で受け入れているように見えた。
ーー貴族と平民。最初から、結ばれることなどないとわかっていた。だけど……。
「……最後に一回だけ、悪あがきさせてくれよ」
俺は痛む身体を気合いで動かし、訓練が終わった後、ロクサーナたちが向かうと言っていた高台へと続く道の手前、先に一人で皇帝との待ち合わせ場所へ向かう途中の彼女の前へ歩み出た。
「レオン?こんなところでどうしたの?怪我は大丈夫?」
向こうから歩いてきたロクサーナが、俺の姿を見つけて心配そうに駆け寄ってくる。相変わらず、こういうところはお転婆なままだ。
「ああ、平気だ。ちょっとお前に、言わなきゃいけないことがあってな」
「?改まって、なあに?」
首を傾げるロクサーナを真っ直ぐに見つめ、俺は腹の底から息を吸い込んだ。ここで言わなきゃ、俺は一生前に進めない。
「好きだ、ロクサーナ。幼馴染としてじゃなく、一人の男として、ずっと前からお前が好きだった」
「え……っ」
ロクサーナの美しい瞳が驚きに大きく見開かれる。予想だにしていなかった告白に、完全に戸惑っているようだった。
「……驚かせて悪いな。でも、最後にちゃんとお前の気持ちを聞かせてほしい」
俺の言葉に、ロクサーナは一瞬だけ躊躇うように視線を泳がせた。けれど、すぐにその瞳に強い光を宿し、俺を真っ直ぐに見つめ返した。
「……ごめんなさい、レオン。あなたの気持ちには応えられない。私はーーノクス様を、心から愛しているの。あの方以外の誰かと生きる未来は、考えられないわ」
きっぱりとした、揺らぎのない断りの言葉。
心臓に鋭い剣が突き刺さったような痛みが走る。
「……そっか。まあ、知ってたよ。お前が陛下を見る目、最高に幸せそうだったもんな」
俺はわざとらしく肩をすくめ、顔を上げて破顔した。
「幸せになれよ、ロクサーナ。もし陛下がお前を不幸にするようなことがあったら、不敬覚悟で俺があいつをぶん殴りにいってやるよ」
「ふふ、ありがとうレオン。ノクス様は絶対にそんなことしないけれど……その時は頼りにしてるわ」
ロクサーナはいつもの、俺が大好きだった太陽のような笑顔を咲かせ、皇帝との待ち合わせ場所の方へと歩いていった。
「ーーあーあ。振られちまった」
ぽつりと呟いた声は、寂しさと共にどこか清々しく夜の静けさに響いた。
これでいい。俺の初恋は、今日ここで綺麗に終わったんだ。
「振られたと言う割には、随分と未練のなさそうな顔をしているな」
不意に、木陰から低い声がした。
現れたのは、長い黒髪を夜風に揺らした皇帝だった。最初から、隠れて俺たちの会話を聞いていたらしい。
俺はフンと鼻を鳴らし、皇帝に向かって不敵に笑ってみせた。
「聞いていたんですか、悪趣味な陛下だ。……ですが、勘違いしないでくださいよ。俺はロクサーナの幸せを願って身を引いたんです。もしあなたが彼女を不幸にするようなことがあれば、俺はいつでも奪い取る覚悟があります」
たかが一領地の騎士が皇帝に向けて放つには、あまりにも生意気な言葉。
けれど、皇帝は怒る風でもなく、ただその漆黒の瞳に静かな覚悟を浮かべて言った。
「そんな機会は、万に一つも訪れない」
その声には、ロクサーナへの絶対の愛と、彼女を生涯離さないという決意が満ちていた。
皇帝はそのまま彼女の待つ場所へと歩き出す。
「……チッ、つくづく敵わないな」
遠ざかっていく皇帝の背中に向けて俺は、小さく、けれど確かな願いを込めて一礼を送ったのだった。
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