第61話:ただいま、愛しき我が家
ロクサーナ視点です。
ガタゴトと馬車の車輪が石畳を鳴らし、楽しかったルミエラの街並みがゆっくりと遠ざかっていく。
いよいよ私の生まれ育った領地へと向かう日の朝、出発の瞬間から、二人きりの馬車の中は甘い雰囲気で満たされていた。
「そんなに見つめられたら、落ち着きませんわ」
私が困ったように微笑むと、隣に座るノクス様は、形の良い唇を僅かに押し上げた。最初から隣り合って座っているというのに、ノクス様は窓の外で離れていくルミエラの景色ではなく、じっと焦がれるように私だけを見つめている。
「仕方がなかろう。景色よりも、私はそなたを見ていたいのだから」
私の腰へと回された逞しい腕にぐっと力が込められる。ぴったりと隙間なく密着した身体からは、彼の高い体温が伝わってきて、私の心臓の鼓動も自然と早くなっていく。もう何度も経験した状況なのに、今だにノクス様に触れられると身体が熱くなってしまう。
「もう、ノクス様ったら……。でも、ルミエラは素敵な街でしたわね。ノクス様と一緒にあの景色を見られて、本当に嬉しかったですわ」
「ああ、私もだ。そなたが楽しそうに笑っているだけで、あの街を訪れた意味があった」
会話の間も、ノクス様の大きな手は私の髪を愛おしそうに梳き、指先でそっと首筋をなぞっていく。そのまま耳元に柔らかな唇が落とされるたびに、私の背中を甘い震えが走った。
「ノクス様……、だめ、ですわ」
「……ロキシー、こちらを向け」
彼の手がするりと私の顎のラインをなぞり、そのまま上へと優しく押し上げられる。熱い視線に射抜かれると、抗うことなどできなくなってしまう。
「ん……っ、ノクス様、好き……」
「ああ、愛している、ロキシー……」
飽きることなく、夢中で何度も口づけを交わす。
他愛のない話の合間に、互いの存在を確かめ合うように過ごしているうちに、馬車はゆっくりと速度を落としていった。窓の外に広がるのは見慣れた、けれどどこか懐かしい緑豊かな景色。
ついに、ヴァルハイト辺境伯領へと入ったのだ。
馬車が屋敷に到着し、正面玄関に停まった。
扉が開けられ、ノクス様に手を引かれて外へ一歩踏み出した瞬間、懐かしい声が響き渡った。
「ヴァルハイト辺境伯領へようこそお越しくださいました、皇帝陛下!ーーそしてロキシー! おかえり、我が愛しの娘よ!」
「ようこそお越しくださいました、陛下。私ども一同、心よりお待ちしておりました。おかえりなさい、ロキシー。元気そうで安心したわ」
「お久しぶりでございます、陛下。おかえりロキシー!皇宮の生活で少しは淑女らしくなったか?」
真っ先に飛び出してきたのは、私の父で現当主であるハラルド・ヴァルハイトだった。その後ろで挨拶をしたのは母のソフィア、母の隣には兄ガレスが並んでいる。
相変わらず屈強な見た目と豪快な性格のお父様は、私の姿を見て満面の笑みを浮かべ、お母様はニコニコと優しく微笑んでいる。お兄様は相変わらず不敵な笑みを浮かべていた。
「歓迎感謝する」
「ただいまですわ、お父様、お母様、お兄様!」
前は当たり前だった懐かしい光景に、私は思わずクスクスと笑ってしまった。
「さあ、中へ!応接間へご案内いたします」
お父様に案内され、屋敷内へと足を踏み入れる。
懐かしい我が家と、変わっていない使用人たちの顔ぶれに、胸の奥がじわりと熱くなる。
エントランスにずらりと並んだメイドや執事たちは、ノクス様の纏う色への怯えや威圧感に身を強張らせながらも、私の姿を見つめる瞳には「おかえりなさいませ」という温かい光が満ちていた。
誰もが私を優しく見守り、無事の帰省を心から喜んでくれているのが伝わってきて、自然と口元が綻んでしまう。
応接室へと移動した私たちは、それぞれソファーへと腰を下ろした。
ノクス様は当然のように私の隣へ座り、その大きな手は、ごく自然に私の手を包み込む。
「ロキシー、皇宮での生活はどうだ、上手くやっているか?」
「はい、お父様。ノクス様が細やかに気遣ってくださっていますから、毎日とても楽しく過ごしておりますわ」
私が微笑みながらノクス様を見上げると、ノクス様も優しい眼差しを返してくれた。
その甘い雰囲気にお父様が小さく咳払いをし、お母様はふと、私たちのある部分に目を留めて、嬉しそうに微笑んだ。
「まあ……本当に仲が良いのね。そのお召し物、とても素敵だわ」
「そうなんですの!ノクス様とお揃いにしたのですわ!」
そう、今日の私たちの装いは、お互いの瞳や髪の色を取り入れた特別なものだった。ノクス様の漆黒の衣服には私の瞳の色を思わせる金の美しい刺繍が施され、私のドレスにはノクス様の瞳と同じ深い黒の刺繍があしらわれている。
一目で私たちは深く想い合っていると分かるその装いに、みんなは驚きつつも安堵したようだった。
ひとしきり和やかな空気でお互いの無事を喜び合った後、ノクス様がふっと表情を引き締め、お父様に向き直った。
「ヴァルハイト卿。正式な挨拶がまだだったが、改めて、ロキシーを私の唯一の婚約者、ひいては未来の皇妃として迎える」
「我がヴァルハイトの血を引く娘ですからな、多少じゃじゃ馬に育ってしまいましたが、何よりも大切な娘です。……どうか、よろしくお願いします」
「ああ、私の全てを賭けて生涯大切にすると誓おう」
お父様は深く頭を下げ、その表情には娘を想う父親としての想いが滲んでいた。
大好きなお父様からの愛と、ぎゅっと握られたままの私の手から、彼の覚悟と愛がダイレクトに伝わってきて、私は胸が一杯だった。
その後も近況報告や他愛のない話をしていると、やがて会話がひと区切りついたのを見計らったように、ノクス様が表情を皇帝のものへと切り替えた。
「さて、私的な挨拶はここまでとしよう。ヴァルハイト卿、この後の予定だが、ロキシーを休ませている間に、例の北部国境の視察と、今後の領地統治に関する話し合いを進めたい」
「承知いたしました。資料は書斎に用意させましょう」
どうやらここからは、重要な政治の時間になるようだ。
「ロキシー、そなたはゆっくり旅の疲れを癒やすといい」
「はい、ノクス様。お仕事、無理なさらないでくださいね」
ノクス様に優しく送り出され、私とお母様、お兄様はソファーから立ち上がった。
仕事の話に水を差さないよう、私たちは足早に応接間を後にする。
後ろで静かに扉が閉まる音を聞きながら、私はふう、と小さく息を吐いた。
これからお母様やお兄様と、積もる話を別室でゆっくりしよう。
(ノクス様とお父様、上手くやれるかしら……)
最愛の人と、大好きな父親。きっと彼らなら信頼関係を築いてくれるはずだと思いながら、私は懐かしい我が家の廊下を歩き出すのだった。
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