第59話:黄金色の余韻と、小さな予感
ロクサーナ視点です。
「ノクス様!」
石畳を早足で進み、私の元へと歩み寄ってきたノクス様を出迎える。
彼は深く被っていたフードを外すと、愛おしげに私を見つめ、その逞しい腕でしっかりと私を抱きしめてくれた。視察を終えたばかりの軍服から、彼の心地よい体温が伝わってくる。
「すまない、待たせたな」
「いいえ、全然。お土産も買いましたし、街の景色を眺めていたらあっという間でしたわ」
そう言って笑いかけると、ノクス様は私の頬を大きな手で優しく包み込み、流れるような動作で口付けをしてくれた。至近距離で見つめ合うと、さっきまでの妙な胸騒ぎは、気のせいだったのではと思えてくる。
(きっと、初めての土地で少し疲れて気持ちが過敏になっていただけですわ)
「ノクス様、見てください。街が本当に黄金色ですわ」
私がテラスの手すりへと誘導すると、ノクス様は私を隣から包み込むようにして寄り添い、一緒に街の景色を見下ろした。
白磁の建物がひしめくルミエラの街並みは、沈みゆく夕日の光を浴びて、街全体が眩しく輝いている。
「……美しいな」
ぽつりと、ノクス様が呟いた。
「景色をこんなに美しいと思ったのも、誰かとこんな風に景色を眺めるのも、初めてだ。そなたと出会うまでは、世界が何色であろうと興味もなかったのに」
「ノクス様……」
「私の世界が色付いたのは、そなたがこうして隣にいてくれるからだ」
私を見つめる彼の瞳には、黄金色の夕日よりもずっと温かで、深い愛の色が宿っていた。その言葉に胸が一杯になり、私は彼の手に自分の手をそっと重ねた。
ひとしきり美しい夕暮れ時を堪能したあと、私たちはノクス様が手配してくれていたレストランへと移動した。皇帝かつ黒を纏う彼は、どんな場所へ行こうとも周囲を怖がらせ、気絶させてしまうこともあるらしく、特別に個室が用意されていた。
個室の外の広々としたホールでは、楽師たちが奏でるハープとヴァイオリンの優しい旋律が扉越しに流れていて、とても落ち着いた雰囲気に包まれている。
「こうして、向かい合わせでお食事をいただくのは、なんだか新鮮ですわね」
皇宮では、いつも隣同士の席だった。だからこそ、テーブルを挟んで正面にノクス様を見ながら食事をするのは、少し照れくさく、けれど贅沢に感じてしまう。
「ああ。そなたの食べている時の愛らしい顔がよく見える。悪くない席だな」
「もう、ノクス様ったら……」
ふ、と悪戯っぽく笑う彼に頬を染めながら、私は今日あった出来事を次々と報告した。
街で見つけたハーブ専門店の気さくな店主に美味しいハーブティーを淹れてもらったこと。そこで街のジンクスや、時計塔の景色、妖精の隠れ家というお菓子屋について聞いたこと。そして、お土産に買ったハーブティーを、ノクス様にもお仕事の合間に飲んでほしいということ――。
ノクス様は、私が嬉々として話す他愛のない話題を、終始とても穏やかな表情で、一言も聞き漏らさないように深く頷きながら聞いてくれた。
「そなたの選んだハーブなら、どれほど激務であっても癒やされるだろう。今から飲むのが待ち遠しいな」
至高の料理と、心地よい音楽。そして何より、彼との穏やかなひととき。幸せな気分で夕食を終えた私たちは、今夜の宿泊先である、ルミエラ領主の邸宅へと戻ることにした。
領主館の扉が開かれると、そこには緊張で表情を強張らせたルミエラ領主とその夫人、そして使用人たちが一列に並んで控えていた。
「皇帝陛下、ならびにロクサーナ様。聖なる街ルミエラへ、心より歓迎いたします。当館をどうぞ我が家のようにお寛ぎいただき、ご用件があれば何なりとお申し付けください」
深々と頭を下げる領主に対し、ノクス様は短く応じる。
「出迎えご苦労。今宵はそなたたちの好意に甘えさせてもらおう。視察の際にも思ったが、この街は治安も良く、統治が行き届いている。そなたの手腕、見事だな」
「はっ!勿体なきお言葉……!」
ノクス様の厳格な佇まいに、領主は恐縮しながらも、どこか誇らしげな表情を見せた。
挨拶を終え、私達は案内された豪奢な客室へと足を進める。
素晴らしい一日だった。けれど、この時まだ私は知らなかったのだ。
ーー時計塔で感じた胸騒ぎは、気のせいなんかじゃなかったということを。




