第56話:出発の朝と、甘い再会
「ここにも行きたいし、あれも……あ、あそこも外せませんわ!」
私室のデスクでペンを握りしめ、私はヴァルハイト領で「行きたいところ&やりたいことリスト」を熱心に書き連ねていた。
お気に入りの洋菓子店に、前にノクス様へ話した星が見える高台や、薄紫色の花が広がる野原。いざリストを作り始めると、あれもこれもと欲張ってしまい、気づけば一枚の紙が文字でびっしり埋まっていた。
旅の衣装合わせや、家族へのお土産の準備、領民たちへの贈り物の手配、お留守番をする使用人たちへの指示など、準備することの多さもあり、私の毎日は忙しく過ぎていった。
そして――。
「あっという間に当日になってしまいましたわ……」
気がつけば、カレンダーは約束の出発の朝を指していた。
この一週間、ノクス様も皇宮を長く留守にするため、執務に忙殺されていた。何しろ、今回はただの視察ではなく「未来の皇妃の故郷への挨拶」という名目だ。
だから、彼と顔を合わせるのすら、あの病室でのやり取り以来久しぶりのことだった。
皇宮の正面玄関に、皇帝専用の豪華な馬車が停まっている。
ヴェラとニナに手伝われ、旅用のドレスに身を包んで馬車へ向かうと、そこにはすでに、視察用の軍服に身を包んだノクス様が立っていた。
(ノクス様……!)
思わず駆け寄りそうになった私を、ノクス様の漆黒の瞳が捉える。一週間ぶりの彼は、長時間の執務の疲れなど微塵も感じさせないほど、相変わらず息を呑むほどに美しかった。そして、私を見た瞬間、その凍てつくような瞳が和らいだのを私は見逃さなかった。
「……来たか、ロキシー」
ノクス様は私に歩み寄ると、ごく自然に私の手を取り、エスコートするように馬車のステップへと導いてくれた。
その指先が私の肌に触れた瞬間、ノクス様は一週間分の飢餓感を訴えるかのように、強く私の手を握りしめてきた。
馬車の扉が閉まり、二人きりの密室になった――その瞬間。
「ノクス様っ!」
私は我慢できずに、座席に腰掛けたノクス様の胸へと自ら勢いよく飛び込んだ。
「っ、ロキシー……?」
驚いたようなノクス様の声が頭上から聞こえる。私は彼の引き締まった背中にぎゅっと腕を回し、一週間分の寂しさを全て埋めるように、その胸にぴったりと顔を埋めた。
「ずっとお会いできなくて私、とても寂しかったですわ……。ノクス様は?寂しくはなかったですか?」
胸元から彼を見上げてそう問いかけると、彼の瞳が熱を帯びる。
「――寂しくなかったわけがないだろう」
低く掠れた声と共に、ノクス様の大きな腕が私を強引に抱きすくめた。
「この1週間、どれほど会いたかったか。気づけば、そなたのことばかり考えていた」
少し拗ねたような、けれど逃がす気などないように私を縛り付ける腕に、こんなにも求めてくれていることへの嬉しさと、愛おしさを抑えきれなくなる。
「ふふっ、嬉しい」
至近距離でじっと私を見つめてくるその瞳は、どこまでも熱い。
それを心地よく感じながら、私は彼の胸に身体を預けて声を弾ませた。
「私も、ノクス様のことばかり考えていましたわ。会えない間、ヴァルハイト領で一緒に行きたい場所や、やりたいことのリストを作っていましたの」
「リスト?」
「ええ、ありすぎて紙が一枚びっしり埋まってしまって、候補を絞るのが大変でしたわ!」
私の言葉に、ノクス様の口元が優しく綻ぶ。
「そなたがそこまで考えてくれていたのなら、叶えないわけにはいかないな。楽しみにしている」
「ええ! たくさん思い出を作りましょうね、ノクス様」
私が満面の笑みで見上げると、ノクス様の顔が近づき、私たちは自然と唇を重ね合っていた。
ゴトゴトと静かに馬車が進み、窓の外に広がる王都の景色を遠ざけながら、私たちの旅路が今、幕を開けたーー




