第54話:純真と、手繰り寄せる鎖
前半ノクス視点、後半ロクサーナ視点です。
しばらくして、私の胸の中で寝息を立て始めたロキシーの頭へ、そっと唇を落とす。
そのまま起こさないよう、静かに彼女の身体をベッドへ下ろした。
「……今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい」
本当は、このまま二人で過ごしていたいが、今日の出来事できっと疲弊しているはずだ。名残惜しさを押し殺して彼女を侍女に託すと、私は踵を返し執務室へと向かった。
執務室の重厚な扉が閉まると同時に、室内の空気は氷点下へと変わる。私はすぐに騎士団長ガヴェインを呼び出させた。
「今日の訓練場での事故だが、木刀の強度管理、および救護体制に明らかな不備があるな」
デスクの前に直立不動で控えるガヴェインを、私は正面から見据えた。
「今回の事故は予期せぬ不運だったかもしれないが、今後は木刀の扱い方について、若い騎士への指導と教育を徹底せよ。それと、現在の救護体制はどうなっている?」
詰問するような低い声に、ガヴェインは緊張した面持ちで口を開く。
「はっ。基本的には各部隊の衛生兵が応急処置を担当し、重傷の場合は宮廷医師へ救護を要請する手はずとなっております。昨日は訓練が重なり、衛生兵の配置が手薄になっておりました……」
「言語道断だな。救護班の医師が即座に駆けつけられぬ体制など、あってはならない。一から体制を見直せ」
私は淡々と、けれど拒絶を許さないトーンで細かい指示を告げた。
「今後は訓練場に救護班の医師を常駐させろ。必要であれば、宮廷医師団から人員を割き、必要な医療器具や予算も手配しよう。……これならば言い訳はできまい?」
「はっ……! 寛大なる御配慮、感謝いたします、陛下」
ガヴェインは額に冷や汗を流し、深く頭を下げた。
「未来の皇妃が自ら手を下さねばならないような状況は、万に一つも作ってはならない。……徹底せよ」
有無を言わせない眼差しで釘を刺し、ガヴェインを下がらせる。
私は己の指に嵌められた指輪へと視線を落とし、即座に席を立つと、指輪の魔力を辿り、彼女のいる場所へと向かった。
ーーー
目を覚ますと、そこにはノクス様はおらず、私は私室のベットの上に横たわっていた。一時間ほどの仮眠をとっていたらしい。火照っていた身体もすっかり落ち着き、頭の中が少しずつ冷静になっていく。
静まり返った室内で、私は自分の無茶な行動を振り返っていた。
(やってしまったわ……)
尋常ではないほど取り乱してしまったことを反省しながら、同時にノクス様から向けられた深い想いに、心が満たされていくのを感じた。
以前の私なら、彼の重すぎる愛に純粋に喜びながらも「仕方ないですわね」と、どこか一歩引いて彼を甘やかしていただろう。けれど今は、その歪な想いがないと安心出来なくなっている自分がいる。
その重すぎる愛に安らぎを感じてしまう私は、もう後戻り出来ないほどに、ノクス様に囚われているのだろう。
ーーまるで、互いを縛り合う鎖を、私自身も強く握りしめているかのように。
「……ですが、流石にこのまま何もしないわけにはいきませんわ」
自分が応急手当てをした青年のその後を確かめ、容態が安定しているのを見届けるところまでが、私の責任だ。私は身なりを整え、ヴェラとニナと一緒に宮殿の救護棟へと足を運んだ。
夕暮れの静かな病室の扉を開けると、そこには足に包帯を巻き、ベッドに横たわっている若き騎士の姿があった。彼は私の気配に気づくと、ハッと目を見開いた。
「ロ、ロクサーナ様……っ!?」
青年は驚き、傷を痛めながらも起き上がろうとする。私は慌ててそれを手で制した。
「動いては駄目ですわ、傷が開きます。……顔色は良さそうで、安心しましたわ」
「ロクサーナ様、昨日は不甲斐ない私をお救いいただき、本当にありがとうございました……! 医師からも、あなた様の迅速な手当てがなければ危なかったと聞きました。この命、あなた様に捧げる覚悟で、今後は――」
「――その忠誠は、彼女ではなく我が帝国に示せ」
青年の熱烈な言葉を切り裂くように、背後から地を這うような低い声が割り込んだ。
「っ……、陛下……!」
青年が息を呑むと同時に、完璧なタイミングで現れたノクス様が、拒絶を許さない強い力で、私の細い腰をぐっと引き寄せた。私が誰のものなのかを誇示するかのように。
「ロクサーナが救ったのは、未来ある『帝国の騎士』であって、お前個人ではない。命を捧げるというのなら、訓練に励み、戦場でその忠誠を示せ」
「はっ……! 心得ました……!」
皇帝の纏う圧倒的な威圧感と、射殺さんばかりの冷たい視線に射すくめられ、若い騎士は真っ青になって頭を下げた。
ノクス様の腕の強さに、湧き上がる感情を自覚した私は、彼にぴったりと身を委ね、小さく微笑むのだった。
ーーきっと、来てくれると分かっていたから
補足:
ノクスは、指輪(魔導リング)を通してロクサーナが部屋を出たことや、居場所がわかります。




