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「黒」が醜悪とされる世界で、怪物と恐れられた皇帝の孤独な夜を、押し強めな辺境伯令嬢が丸ごと愛して夜明けに変えるまで  作者: みこち


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第53話:昏い愛の檻の中で

ノクス視点です。

 どれほどの時間が流れただろうか。

 私の胸にすがりつき、泣きじゃくっていたロキシーの肩が、ようやく小さく上下するだけのものへと変わっていく。

 大粒の涙に濡れた長い睫毛が、気まずそうに震えていた。


「……落ち着いたか、ロキシー」


 そっと声をかけると、彼女は私の胸に顔を埋めたまま、コクと小さく頷いた。私の衣服には、彼女の涙と共に血が滲んでいたが、そんなことは少しも気にならなかった。


「お前たち」

「「はい、陛下」」


 部屋で息を潜めていた侍女たちを呼ぶ。二人が神妙な面持ちで頭を下げた。


「湯浴みの準備はできているな。ロキシーを連れていく。着替えの手配を進めておけ」

「「かしこまりました」」


 私はそっとロキシーを抱き上げ、浴場へと足を進めた。

 腕の中の彼女は、まだどこか放心した様子で私に身を委ねている。いつも堂々としていた彼女がか弱い姿を見せ、私の愛が離れることを恐れ縋る姿に、その脆さを自分だけが独占しているという歓喜で、胸が満たされていくのを感じていた。


 浴場の脱衣所で彼女をそっと椅子に座らせ、侍女たちに後を託す。

 扉が閉まり、一人になった瞬間、私は己の手の平を見つめた。


 ーーロキシーの涙。そして、彼女にこびりついていた、青年(他の男)の血。


「……不愉快だな」


 ぽつりと溢れた声は、自分でも驚くほど冷たく響いた。

 彼女が人助けをしたことに対して、否を唱えるつもりはない。むしろ彼女のその気高く優しい心や行動を誇らしいと思っているし、未来ある騎士を助けてくれたことも感謝している。


 だが……。ロキシーの美しい肌が、他の男の血で染まっていたという事実は、私を少なからず不快にさせた。


 彼女を不安にさせる要素は、全て排除しなければならない。まずは、訓練場の木刀の強度を見直す必要があるだろう。そして、事故を起こさないよう、若い騎士たちへの指導と教育の徹底をガヴェインへ命じなければ。救護班の医師がすぐに駆けつけられる体制も、再度一から整備する必要がある。


「陛下、ロクサーナ様の湯浴みが終わりました!」


 着替えを済ませて思考を巡らせていると、侍女の声に意識を引き戻される。

 湯上がりでほんのりと肌を桜色に染め、寝衣に身を包んだロキシーが、どこか落ち着かない様子で立っていた。髪からは瑞々しい香りが漂い、先ほどの血の気配は完全に消え去っている。


「ロキシー」

「あ……ノクス様……」


 手を引いて私の横に座らせると、彼女の頬に指を這わせる。ロキシーはビクッと身体を強張らせたが、逃げようとはしなかった。


「目が腫れているな……。痛むか?」

「ええ、少し……」

「何か冷やすものを持って来させよう」


 もう片方の侍女に命じて冷やした布を受け取ると、彼女の目にそっと当てた。


 目の腫れが引いてきた頃、彼女の細い腰を引き寄せ、私の膝の上へと抱き上げる。ロキシーは小さく息を呑んだが、私の首にきつく腕を回してきた。その体温を感じながら、彼女の耳元に口を寄せる。


「ロキシー、これからは二度と、私の愛がそなたから離れてしまうなど、愚かなことは考えないでくれ」


 ーー彼女はわかっていない。どれほど私が彼女を求めてやまないかを。


 布越しに伝わる彼女の鼓動さえも愛おしく思いながら、抱きしめる力を強めた。


「愛してるという言葉では足りないほどに、私の世界では、そなたが救いであり、唯一の光なのだ。そなたのいない世界では、私は息の仕方さえも忘れてしまうだろう」


 それは、王としての言葉ではない。一人の男としての、紛れもない本音だった。


「血に濡れたそなたも美しいが、それが他の男の血だと思うと、私はどうしようもなく醜く嫉妬してしまう。自由に羽ばたくそなたを守りたいと思うが、私だけの空間に一生閉じ込めてしまいたいと願っている自分がいる。誰よりも幸福に生きてほしいと願う反面、私なしでは息もできないほど、溺れさせてしまいたいーー」


 胸の奥に渦巻いていた昏い熱を言葉にして吐き出し、私はそっと彼女の顎を指先で押し上げた。私を見上げるその瞳を、捕らえて離さないようにじっと見つめる。


「……私の愛は、伝わっただろうか?」


 彼女はこれ以上ないくらいに顔を真っ赤にして「……伝わりましたわ」と恥ずかしそうに、それでいて安心したように微笑んだ。


 その瞳には、もっと深く私に囚われたいと願うような、私の執着をそのまま映し出した甘やかな色が浮かんでいた。


「顔が真っ赤だぞ、ロキシー。……そんな愛らしい反応をすると、甘やかさずにはいられなくなる」


 ふっと柔らかく微笑み、彼女の額にそっと唇を落とす。彼女はくすぐったそうに、私の胸に小さく頭を預けてきた。安心しきった彼女の頭を優しく撫でる。


 ……私の愛は、ロキシーが思うよりも綺麗なものではない。

 彼女の全てが私を狂わせる。そのつま先から髪の先、一滴の血や涙にいたるまで、他の誰にも触れさせたくはない。


 一度は手放そうとした私を、彼女が叱ってくれたあの夜に決めたのだ。何があっても、もう二度と離さないと。


 ーーこの檻は、もう開くことはない。


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