第51話:辺境の知恵と、繋いだ命
怪我に伴う流血表現があります。苦手な方はご注意ください。
平穏だった訓練場の空気が、一瞬にして凍りついた。
団長様と殿下の表情が険しくなり、周囲にいた騎士たちも一斉にどよめきながら一角へ駆け寄っていく。私も木刀をニナに預け、迷わずその人だかりへと足を向けた。
「退け! 何があった!?」
団長様が人だかりを割ると、そこには一人の若い騎士が崩れ落ち、右の太ももを両手で押さえて激しく悶絶していた。彼の指の隙間から、ドクドクと鮮血が溢れ出し、地面を赤く染めていく。
演習用の木刀が激しい衝撃で縦に裂け、その鋭利な先端が、運悪く彼の太ももの深い位置――太い血管が通る場所を貫いてしまったようだった。
「まずい、大腿動脈をやられている……! 救護班の到着まで持たんぞ、布で縛って圧迫しろ!」
「だ、駄目です、布を当てても血が止まりません!」
騎士たちがパニックに陥る中、私は躊躇うことなく負傷した騎士の真横に膝をついた。
「ロクサーナ様!? 何を――」
「静かにして、ガヴェイン様」
団長様の制止を冷徹な一言で遮る。私は頭をフル回転し、この青年を助ける方法を考えていた。
王都の一般的な救急処置は、傷口の少し上を布で縛り、上から綺麗に洗浄した布を当てる。だが、それではこの激しい出血の勢いには追いつかない。何より、救護班が来るのを待っていては、この青年は数分で失血死してしまうかもしれない。
(魔物の牙で深手を負った戦士を、お父様たちはどうやって救っていたっけ――)
答えはすぐに脳裏に浮かんだ。過酷な戦場では、洗練された医療器具がタイミングよく近くにあるとは限らない。常にあるのは、泥臭くとも確実に命を繋ぎ止めるための「戦士の知恵」だけだ。
「ニナ! あそこにある木刀の折れた破片を持ってきて!ヴェラは私の髪飾りを外して!」
「はい!」
「ただいま!」
二人がすぐに動く。私は流血の根源を見据え、自らの両手の親指を、青年の太ももの付け根の骨に向かって、体重をかけて力任せに深く押し込んだ。
「ぐ、あぁぁぁっ!?」
「我慢なさい! 死にたくないでしょう!」
青年の悲鳴が響くが、私の親指が血管を骨に押し付けたことで、溢れ出ていた鮮血の勢いがピタリと弱まった。
王都の医師が知る圧迫止血は傷口の上を抑えるだけだが、それで血が止まらない場合は、血管のルートそのものを骨に対して直接押して、血流を完全に遮断する。魔物との戦いで深手を負いやすいヴァルハイト領では必要不可欠な知恵だった。
「ロクサーナ様、持ってまいりました!」
ニナは木刀の破片を差し出し、ヴェラは私の長い髪を留めていた頑丈な革紐のついた飾りを差し出した。
「エルヴィス殿下!私の指が押さえている位置のすぐ上を、この木刀の破片を当て木にして、革紐で限界まで締め上げてください」
「っ!わかりました!」
殿下が私の意図を察し、素早く動く。
ただ布で縛るだけでは肉の弾力で隙間ができる。だが、硬い木刀の破片を血管の真上に当て、それを支点にして強靭な革紐でギリギリと巻き上げることで、人の力以上の強固な『万力』となり、完全に血流を止めることができるのだ。
「……よし、固定できたわね。手を離しますわよ」
私がそっと親指の力を抜く。
青年の太ももからの出血は、完全に止まっていた。
「血が……止まった……?」
周囲の騎士たちが、呆気にとられたようにその光景を見つめている。
「ええ、ですがあくまでも救護班が来るまでの応急処置ですわ」
そこへ、息を切らせた宮廷の救護班の医師たちが、医療鞄を抱えて血相を変えて飛び込んできた。
「怪我人はどこだ!? 」
倒れる青年と、その太ももに強固に巻き付けられた木刀の破片を見た医師たちが、驚愕で目を丸くした。
「血は止まっているようですね……良かった、なんとか間に合いそうです。すぐに傷口の処置を行います!」
医師たちは青年を担架へと乗せて大急ぎで運んでいった。
一命は取り留めた、その確信があった。
立ち上がり、血で汚れた自分の両手を見つめる。
隣では、団長様と殿下が、圧倒されたように私を見つめていた。
「ロクサーナ様……。貴女様は剣技だけでなく、これほどの実践的な医術まで……。我々の知識では、応急処置もままならず、彼を救うことができませんでした。仲間を救っていただき、本当に、ありがとうございました」
団長様は私に頭を下げると、騎士団長として胸に拳を当て、最上級の敬礼を捧げてくれた。
彼の言葉に、周囲の騎士たちも一斉に胸に拳を当て、同じように私に最上級の敬礼を捧げた。
「お役に立ててよかったわ……本当に」
そう応えた私の声は、自分でも驚くほど少しだけ震えていた。
団長様や騎士たちに微笑みかけながらも、私はそっと、血の付いた自分の掌を握りしめる。いくら戦場で慣れているとはいえ、目の前で失われかけた命を繋ぎ止める瞬間は、いつだって張り詰めた恐怖と隣り合わせだ。あの青年が助かって、本当に良かった――。
張り詰めていた緊張が解け、胸の奥から押し寄せた深い安堵感に、私はそっと小さく息を吐き出した。
「ニナ、ヴェラ。部屋に戻りましょう」
私がそう言うと、ヴェラとニナはすべてを察したように優しく微笑んで「お見事でした、ロクサーナ様」と頷いた。




