第41話:罪の天秤と、好物のディナー
38話でエルヴィスとロクサーナが会っていた頃のノクス視点です。
昼下がりの皇宮は、穏やかな静寂に包まれていた。
今頃ロキシーは、サロンでエルヴィスと会っている頃だろう。
「――それで、例の件はどうなった」
私は執務室のイスに肘をつき、片手に頬を乗せて尋ねた。
先ほどまでロキシーの顔を思い浮かべて緩んでいた表情を消し去り、声を冷たく研ぎ澄ます。
机の前に控えていた影が、音もなく頭を垂れた。
「はっ。前々から注視していたカロルス侯爵の身辺ですが、この数日で直近の金の流れもすべて洗い出させました。これまで掴んでいた過去の記録と合わせ、東方国境領における脱税、および禁輸品の密輸に関わっていた確たる証拠の補強は完了しております。いつでも動かせます、陛下」
差し出された書状を、私は感情の失せた目でめくっていく。
カロルス侯爵――先の晩餐会にて、身の程知らずにもロキシーに突っかかり、彼女を侮辱した愚か者だ。
あの夜、ロキシーは見事に奴を撥ね退けてみせた。その姿も最高に美しかったが、だからといって、私がその不敬を許す理由にはならない。
私にとって、ロキシーは唯一無二の存在だ。その肌に触れる空気さえ選別したいほどに愛おしい彼女の心を、一瞬でも不快にさせた罪は重い。
生かして表舞台に置いておくなど、到底容認できるはずがなかった。
「よくやった。……では、連れてこい」
私が短く命じると、執務室の扉が開いた。
そこから現れたのは、現カロルス侯爵の父であり、先代の当主である前侯爵だ。突然の私の影による連行であったにもかかわらず、隠居の身である前侯爵の佇まいは、驚くほどに落ち着いていた。
「急な呼び出しですまないな、カロルス侯」
「滅相もございません、陛下」
前侯爵は静かに私に一礼し、取り乱すこともなく淡々と立っている。だが、その瞳には我が子の愚行をすでに予期しているかのような、深い諦念と覚悟が滲んでいる。
やはり、この男は知っている。息子が裏で手を染めていた悪行の数々を。
「知らぬとは言わせまい。お前が手塩にかけて育てた現当主の、度重なる国家反逆にも等しい悪行の数々をな。だが、お前自身は関わっていないことも、自らその証拠を集めていたことも、私はすべて把握している」
私は机の上に、脱税と密輸の決定的な証拠書類を静かに滑らせた。
前侯爵はそれを手に取り、老いた目を細めて目を通していく。やがて、彼はふっと深く息を吐き出した。
「さすがは陛下、完璧な証拠でございますな。私は数年かけても、これほどの決定打は掴めずにおりました。……しかし陛下。不躾ながら一つ、お訊ねしてもよろしいでしょうか」
「言ってみろ」
「これほどの証拠、数年前からすでに握られていたはず。……なぜ、今になって私を動かされたのですか」
前侯爵の、鋭い問い。
これだけの証拠があるのだ。いつでも、いくらでもカロルス家を断罪する機会はあったはずなのに、なぜ泳がせ、このタイミングで突きつけたのか。有能な貴族だからこそ、その『違和感』に気づいたのだろう。
私は椅子の背もたれに深く寄りかかり、クツリと低く笑った。
「お前の息子が、先の晩餐会で私のロキシーを――未来の皇妃を侮辱した。理由はそれだけだ」
「――ッ」
前侯爵が、この日初めて息を呑み、絶句した。
(大人しく鼠のように影でコソコソと金を貪っている分には、都合の良い間引き用の駒として、いくらでも泳がせておいてやったものを)
しばらくして、前侯爵は全てを悟ったように静かに目を閉じた。
「……我がカロルス家は、陛下の御裁きを謹んで受け入れる所存にございます」
命乞いをするわけでもなく、ただ帝国の臣下として、私の裁きを受け入れると決めたらしい。忠誠心の厚い男だーーあの愚か者のせいで失うには惜しい。
「お前の長年の忠誠と、あの愚か者以外の親族が皆、真っ当であることに免じて、カロルス侯爵家の『家名』だけは残してやっても良い」
私の慈悲の形をした脅迫に、前侯爵はわずかに肩を震わせた。
「現当主を即座に廃嫡しろ。そして、お前の優秀な次男に今すぐ当主の座を譲らせ、あの男を『病死』として表舞台から消せ。……二つに一つだ。侯爵家ごと取り潰されるか、息子一人をその手で間引くか、選べ」
これは、私からの最大級の恩赦であり、絶対の命令だ。
家門を守るためには、長男を自らの手で闇に葬るしかない。
「……陛下のご温情、深く感謝いたします。我がカロルス家、現当主の不敬の落とし前、確かに付けさせていただきます」
前侯爵は微塵の揺らぎもない動作で、深く頭を下げた。
そこには既に我が子を失う悲痛さなど微塵もなく、あるのは、家門の汚点をようやく合法的に排除できるという安堵と、その機会をくれた皇帝への絶対の忠誠だけだ。
話し合いを終え、前侯爵は静かに執務室を去っていく。
室内に再び静寂が戻り、私は窓の外に目を向ける。
彼女の歩く道に、羽虫一匹、石ころ一つすら残してはおけない。彼女を害そうとする鼠どもは、彼女の目に入らぬ闇の中で、一匹残らず片付ける。
彼女は何も知らなくていい。自分の預かり知らぬ闇の中で取引が行われたことも、あの男が静かに消し去られることも。
ただ真っ直ぐに、私だけを見て笑っていてくれればそれでいい。
「――今日は、夕食にロキシーの好物を用意させよう」
ポツリと独りごちた声は、先ほどまで前侯爵を凍り付かせていたものとはまるで別人だった。
お茶会を終えて戻ってくるであろう、最愛の彼女との甘やかなひと時を思い浮かべ、どこまでも甘く、深く蕩けた微笑みを浮かべるのだった。
・補足:『家名だけだけ残す』とは
長年、脱税や密輸を繰り返し私腹を肥やしていた場合、国家反逆罪が適用され、最悪「お家潰し(家門取り潰し)」になります。
これは、以下の3つがすべて剥奪・処刑される連座制(一族全員が罪に問われること)を意味します。
1. 爵位の剥奪・消滅
2. すべての領地、財産、邸宅の没収
3. 血族全員の処刑、または平民への強制降格(炭鉱送りなど)
つまり、本来なら「カロルス」という貴族はこの世から完全に消滅するはずでした。
それを、ノクスが以下のように取引を持ちかけた(脅した)ということです。
「カロルス侯爵家という『組織・看板』は傷つけずにそのまま残し、次男に引き継がせてやる。その代わり、罪のすべてを現侯爵ひとりに背負わせ、そいつだけを闇に葬れ(殺せ)」




