第38話:氷解の茶会と、弟の本音
ロクサーナ視点です。
翌朝、カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日で目を覚ました。
ベッドから起き上がると、昨夜ノクス様が貸してくれた上着が目に入る。
(まだ、ノクス様の香りが残っているみたい……)
幸せな余韻に浸りながら身支度を整えお茶を淹れてもらおうとした時、ニナがトレイに乗った一通の手紙を運んできた。
上質な紙に押された、見覚えのある皇家の紋章。差出人は皇子殿下だった。
『昨夜は騒がせてしまい申し訳ありませんでした。一度、改めて話をさせてください』
丁寧な筆跡で書かれたその内容を見つめ、私は小さく息を吐いた。
大広間での彼の挙動を思い出す。巷で噂される「完璧な皇子」という人物像に昨夜の彼を当てはめてみると、ただの軽薄な女たらしにはどうしても思えなかった。あの時感じた違和感――あれはやはり、私を『試す』ための演技だったのだろう。
けれど、ノクス様と殿下は仲が良くないと聞いていたのに、なぜ彼はそんな回りくどい真似をしたのだろう。
「……まずは、ノクス様に相談ね」
昨夜の反省を踏まえ、私は手紙を持ってすぐにノクス様の執務室へと向かった。
ノクス様は私を見るなり、優しい眼差しを向けてくれた。手紙を見せると、彼はふっと苦笑を漏らす。
「エルヴィスからか……。わざわざ手紙を寄こすとはな。ロキシー、そなたはどうしたい?」
「私は、お会いして真意を確かめたいと思っていますわ。昨夜の殿下の態度は、どこか不自然でしたもの。もちろん二人きりにはなりませんし、ノクス様が嫌だとおっしゃるなら断りますけれど……」
ノクス様は少しだけ考え込むように視線を落としたが、すぐに顔を上げ、私の手をそっと握った。
「いや、行ってくるといい。そなたの愛を信じると決めたからな。それに……あいつがそなたに危害を加えるような男ではないことは、私が一番よく知っている」
その言葉に、今度は私の方が深く頷いた。ノクス様から正式に許可をもらい、私はエルヴィス殿下との話し合いに臨むことにした。
―――
指定された皇宮の奥にある静かなサロン。
対面した殿下は、昨夜の華やかな服とは違い、落ち着いた装いだった。私を迎えるその顔には、いつもの完璧な営業スマイルではなく、どこか気まずそうな色が浮かんでいる。
「急な誘いに応じてくれて感謝します、ロクサーナ様」
「いいえ。少し驚きましたけれど」
私がストレートに返すと、殿下は形良く整った眉を下げ、驚くほど素直に、椅子の背に預けていた上体をこちらへ傾けた。
「……すみませんでした。昨夜の私の非礼をどうか許してください。あのダンスの後、一人になって反省しました。流石にやりすぎた、と」
「やはり、あれは私を『試して』いらしたのですね?」
「はい……。あなたが、兄上を裏切るような浅はかな女かどうか、見極めようとしました」
殿下の口から出た「兄上」という響きに、私は内心で驚いた。仲が悪いと聞いていたのに、彼の声には確かな親愛の情が混ざっていたからだ。
「なぜ、そのようなことをなさったのですか?」
「……過去に、兄上の婚約者候補だった者たちは皆、権力欲しさに眈々と皇妃の座を狙いながら、平然と私に色目を使い、簡単に兄上を裏切ろうとしました。……だから私は、女性という生き物に対して酷く警戒心が強くなってしまい……兄上の側に突然現れたあなたが、兄上を利用してのし上がろうとする悪女ではないかと疑ってしまったのです」
殿下は自嘲気味に微笑み、それから真剣な眼差しで私を見つめた。
「けれど、あなたは違った。私の誘惑など一寸の価値もないと言わんばかりに、手厳しく咎めたでしょう? 真っ直ぐに兄上だけを見つめているあなたの瞳を見て、私は自分の愚かさを恥じました」
「……殿下は、ノクス様のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
私の問いに、殿下は迷いなく答えた。
「尊敬しています。誰よりも。兄上は呪われた怪物だの何だのと周囲に言われていますが、あの聡明さと決断力は、皇帝に相応しいと思っています。それに、兄上は誰よりも努力されているんです。周囲はあれこれ噂していますが、私は、自分が皇位に就くことなど一切興味がありません。ただ、兄上が正当に評価され、幸せになってほしい……そのために、兄上を支えたいのです」
「……それなら、なぜ普段は仲が悪そうにされているのですか?」
「過去の婚約者候補たちの一件や、周囲が何かと私たちを比較してくることで……私が不用意に近づけば、それだけで兄上を余計な派閥争いや邪推で煩わせてしまうでしょう。だから、私がそばにいないことが、兄上が平穏に過ごせる最善の方法だと思っていたのですが……今回の件できっと、完全に嫌われてしまったでしょうね」
殿下は、そう語ると悲しそうな表情で笑った。
ーーなるほどね。殿下は殿下なりに、ノクス様を守ろうとしていたのか。
「理由は分かりましたわ。……けれど殿下、相手を思う気持ちは、言葉にしないと伝わりませんのよ?」
「……!」
殿下はハッとしたように目を見開き、私を見つめた。
「ノクス様はとても繊細で、大切な人のことになると途端に臆病になってしまうのですわ。殿下が陰ながら守ろうとしてくださっていたとしても、いつまでも避け続けていては、ノクス様は殿下に嫌われているのだと思ったままです。不器用なのはお互い様なのですから、少しずつでも、その温かい本心をノクス様に伝えて差し上げてくださいな……きっとノクス様も、殿下を気にかけていらっしゃいますわ」
私がふんわりと微笑みながら語りかけると、殿下はふっと憑き物が落ちたような、子供のような笑みを浮かべた。
「……痛いところを突かれてしまいましたね。けれど、本当にその通りです。私は兄上を守っているつもりで、ただ自分が傷つくのを恐れて、言葉を惜しんでいただけかもしれない。そんな単純なことにさえ、気づかなかったのだから」
殿下は、自らの胸にそっと手を当て、心からの親愛と敬意を込めて私に小さく頭を垂れた。
「これからも兄上をよろしく頼みます、義姉上」
「ふふ、もちろんですわ、エルヴィス殿下」
こうして、私たちは完全に和解した。
ノクス様を愛する者が、ここにもう一人いたのだと知り、私は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
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