第31話:漆黒と朱赤のロンド
無数のシャンデリアが眩い光を放つ、ダンスフロアの中心。
ノクス様が静かに片手を挙げると、それまでざわついていたオーケストラが一瞬で静まり返り、指揮者が深々と一礼した。
――始まる。私たちのための時間が。
ノクス様が私の腰に手を回し、もう片方の手で私の右手を優しく、けれど強く包み込む。
音楽の始まりを告げる美しい旋律がフロアに響き渡ると同時に、私たちは滑り出すようにステップを踏み出した。
(ああ、なんて幸せなのかしら……!)
鼓動がトクトクと心地よく跳ねる。
私は、至近距離で見つめ合うノクス様の姿に、すっかり心を奪われていた。
流れるような漆黒の髪。私だけを映している美しい瞳。贅沢な仕立ての夜会服が、彼の逞しい体躯のラインをこれ以上なく美しく引き立てている。
「ノクス様、世界で一番格好いいですわ。この世界の誰よりもノクス様が一番素敵」
ステップの合間に彼を見上げ、内心の浮き立ちをそのままに囁く。
いつもなら、彼は愛おしそうに眉を下げて微笑んでくれるはずだった。
けれど、漆黒の瞳はどこか昏い光を帯びてじっと私を見つめている。
彼の手が私の腰を壊れ物のように、同時に、絶対に逃がさないとでも言うようにぐっと強く引き寄せた。二人の身体が、ドレスの生地越しにぴったりと密着する。
「……本当か、ロキシー」
耳元で響いたノクス様の声は、驚くほど低く、そして重かった。
「……先ほど、エルヴィスを見ていただろう。あいつは私と違って帝都の誰もが憧れる美貌の男だ。令嬢たちもみな、あいつに見惚れていた」
「え? ええ、確かに綺麗な御方でしたけれど……」
「そなたも、あいつに見惚れていたな?」
ノクス様の瞳の奥に、どす黒い嫉妬の炎がゆらりと揺れた。
「……なぜ、エルヴィスの誘いを受けた」
「それは……」
私たちは曲の盛り上がりに合わせて、激しく、美しくターンを決める。
朱赤の裾が、ノクス様の漆黒の衣を巻き込むようにしてフロアに大輪の華を咲かせた。
けれど、繋がれた手から伝わる彼の熱は、恐ろしいほどに冷ややかだった。
「エルヴィスは完璧だ。貴族の女の誰もがあいつを望む」
ノクス様の低い声が、私の耳元に重く張り付く。
「……そなたも、あいつが欲しくなったのか? あいつの美貌に、心を奪われてしまったのか、ロキシー」
「ち、違いますわ、ノクス様! 私はただ、っ」
(あなたのために、殿下の意図を測ろうとしただけーー)
そう弁明しようとしたのに、ステップの激しさと、ノクス様から放たれる圧倒的な皇帝としての威圧感に気圧され、言葉が上手く繋がらない。
やましいことなど、天地神明に誓って何一つない。
なのに、彼のあまりの気迫に、私の心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
私が一瞬視線を泳がせ、言葉を詰まらせたこと。
それが、ノクス様に『肯定』と受け取られてしまった。
ノクス様の漆黒の瞳が、凍りつくような絶望で深く、深く濁る。
「……そうか」
「ノクス様、違う、聞いて――」
誤解を解こうとすればするほど、その先を聞きたくないというかように、ノクス様のステップは容赦なく私を翻弄し、弁明の隙を与えてくれない。彼の腕は、私を壊さんばかりに強く、けれど拒絶するように引き寄せていた。
お互いの視線が交錯する。けれど、そこにいつもの甘い通じ合いはなかった。
かつてないほどに互いの心がすれ違ったまま――オーケストラの音が、劇的なフィナーレに向けて最高潮に達する。
最後の大きなターンを経て、私たちはフロアの中央でピタリと動きを止めた。
割れんばかりの喝采が会場を包む。
けれど、ノクス様は私の手の甲に、いつもより冷たく、跡が残るほどに深い口づけを落とすと、そのまま一度も目を合わせることなく、すっと私から手を離した。
「……行ってくるがいい。エルヴィスが待っている」
突き放すような、けれど縋るような声音を残し、ノクス様は背を向けて下がっていく。
「あ、ノクス様――」
冷え切った指先を見つめ、私が立ち尽くしていると、背後からあの鈴の鳴るような、美しい声が降ってきた。
「素晴らしいファーストダンスでした、ロクサーナ様。……さあ、次はお約束通り、私の番ですね?」
振り返れば、完璧な皇子様の笑みを浮かべた皇子殿下が、こちらに手を差し伸べていた。




