第29話:社交界の動揺と、二大公爵家
ロクサーナ視点です。
公衆の面前で言い負かされ立ち去る、その哀れな後ろ姿を見送りながら、周囲の貴族たちは興味と畏怖の混じった視線を私に送り、ひそひそと囁き合っている。
私への、周囲の値踏みするような視線は完全に消え失せていたが、代わりに広がったのはどう触れるべきか測りかねるような、張り詰めた沈黙。
その静寂を破るように、ゆっくりと優雅な拍手が響いた。
「――お見事。ヴァルハイトの剣とは、言葉の刃のことも指すのですな」
人混みが割れ、進み出てきたのは一人の老紳士だった。薄灰色の髪を綺麗に整え、格式高い礼服を完璧に着こなしている。
シルヴェスタ帝国に三つしか存在しない公爵家の一つ、エセルガルド公爵家の当主であるヴァルター・エセルガルド様だ。
中立派の重鎮であり、ノクス様も一目置く大貴族である。
「これは、エセルガルド公爵様」
私がドレスの裾をそっと持ち上げ、深く優雅にカーテシーをすると、公爵は好意的な、けれど鋭い光を孕んだ瞳で私を見据えた。
「帝都の軟弱な有象無象に、誇り高き血族の一端を見せつけたその見事な一太刀。そして陛下と共に立つ半身としてのその覚悟、感服いたしましたぞ」
「恐れ入ります、公爵様。我が領の誇りを、帝都の皆様にもお裾分けできたようで光栄ですわ」
私が微笑み返すと、エセルガルド公爵は満足そうに豪快に笑った。
「ガハハ! 実にいい! 我が家系の若い騎士どもに、その瑞々しい胆力を少しでも分けてやりたいくらいですぞ。ロクサーナ様、今度はぜひ、戦術や魔獣討伐のお話をじっくりと語り合いたいですな」
「ええ、喜んで。私でよければ、いつでもお相手させていただきますわ」
私が深く頷くと、公爵は「うむ!」と上機嫌に目を細めた。政治の重鎮でもある武官のトップが、こうして公衆の面前で私を絶賛し、個人的な交流を求めてみせたのだ。周囲の貴族たちが、驚愕と焦燥の混じった視線をせわしなく交わし合うのが見える。
公爵が満足したように去っていくと、入れ替わるようにして、静かに一人の令嬢が歩み寄ってきた。
淑女のお手本のような凛とした佇まい。纏っているのは、淡いブルーの美しいドレス。
彼女は、エセルガルド家と並ぶもう一つの公爵家、文官の頂点に立つローゼンベルク公爵家の令嬢、エレオノーラ様だった。
「初めまして、ロクサーナ様。ローゼンベルク公爵が娘、エレオノーラにございます」
完璧な角度のカーテシー。その瞳は、カロルス侯爵のような下卑た蔑みなど微塵もなく、どこまでも聡明だった。
「お召し物、大変素晴らしいセンスですわ。鮮烈な朱赤に、あえて漆黒のレースを重ねることで、これ以上なく高貴に引き締まっております。……世界が忌み嫌う色をこれほど美しく昇華されるとは、審美眼の格が違いますのね」
彼女の言葉には、惜しみない賛美が含まれていた。
けれど同時に、私という人間が「利用価値のある人間」なのかを見極め、陛下から破格の寵愛を一身に受ける未来の皇妃の懐に入っておこうという、大貴族の令嬢らしい洗練された打算の光がその瞳の奥に宿っているのを、私は見逃さなかった。
(なるほど。こういう、頭のいいお狐様は大歓迎ですわ)
「お褒めに預かり光栄ですわ、エレオノーラ様。帝都の流行に疎い私ですが、そうおっしゃっていただけると安心いたします」
「ふふ、疎いだなんて。帝都の令嬢たちは明日からこぞって、ドレスに黒いレースをあしらう方法を模索し始めますわよ。……ロクサーナ様、もしよろしければ、近いうちに我が家のお茶会にご招待してもよろしいでしょうか? 常識に囚われない、その素晴らしいお考えを、もっとお聞きしたいのです」
「ええ、喜んで。お招き、楽しみにしておりますわ」
私たちは、お互いの腹の底を隠したまま、社交の微笑みを交わした。
社交界の頂点に君臨する二大公爵家が、私に興味を示したのだ。大収穫といってもいいだろう。
エレオノーラ様が優雅に去っていくのを見送り、手元に残ったシャンパングラスを傾けていると、にわかに会場の空気が大きく揺れた。
それまでずっと、誰も寄せ付けない雰囲気をもって玉座に君臨していたノクス様が、ゆっくりと腰を上げたのだ。
まっすぐにこちらへと歩み寄ってくる彼に、貴族たちが息を呑む。
「ーーロキシー。心配は無用だったな」
至近距離で響くその声は甘く、私だけに向けられたものだった。
「ノクス様。ふふ、当然でしょう?」
私が微笑み返すと、ノクス様は愛おしそうにさらに目を細めた。その冷たい手のひらが私の指先に優しく触れた、その時。
「ーー兄上」
低く、けれどどこか鈴の鳴るような透明感を持った声が響いた。




