第28話:牙を剥くタヌキと、初陣
27話の後書きで『朱赤』について補足しました。
ノクス様の手を離れ、私はゆっくりと一段低い歓談の場へと足を進めた。
朱赤のドレスが翻るたび、周囲の貴族たちが波が引くように道を開けていく。その視線は、いまだに私のドレスにあしらわれた漆黒のレースや黒ダイヤモンドのアクセサリーに対する嫌悪や、信じられないものを見るような驚愕で満ちていた。
(さあ、誰から来ますの?)
シャンパングラスを手に、私が不敵な笑みを隠そうともせず立ちふさがると、すぐに数人の貴族を従えた一人の貴族が、歪んだ笑みを浮かべて近づいてきた。
帝都の社交界で幅を利かせていることで有名な、カロルス侯爵だ。皇弟派の狸である。
「これはこれは、ロクサーナ様。未来の皇妃へのご指名、心よりお祝い申し上げます」
侯爵は恭しく一礼してみせたが、その瞳は完全に私を見下していた。
「しかし……いやはや、ヴァルハイトの『じゃじゃ馬姫』と噂には聞いておりましたが、これほどとは。建国記念の、それも公式な婚約発表の場に、シルヴェスタ帝国の高貴なる伝統を侮辱するかのような赤いドレスに黒の装飾をお選びになるとは。辺境の地では、帝国の常識や最低限の礼儀作法すら教わらないと見えますな」
クスクスと、侯爵の後ろに控える貴族たちが嘲笑の声を漏らす。
一瞬で周囲の視線が突き刺さる。誰もがロクサーナという未来の皇妃が、自分たちが仕えるにたり得る人物か見定めているのだ。
ノクス様がこちらに気づき、不穏な空気に黒い瞳を鋭く細めたのが見えた。
けれど、私は視線だけで「大丈夫」とノクス様を制し、カロルス侯爵に向かって、これ以上なく艶やかに微笑んでみせた。
「あら、カロルス侯爵様。お口が過ぎますわよ? ――無知を晒していらっしゃるのは、他ならぬあなたの方ですわ」
「なっ……何だと!?」
侯爵の顔が怒りで引き攣る。
私はグラスを揺らし、大広間中の貴族たちに聞こえるような、凛とした美しい声を響かせた。
「この世界の常識では、白や銀、淡い色こそが至高とされているのは存じておりますわ。ですが、我がヴァルハイトの剣が何のためにあるか、侯爵はご存知ないのかしら? 押し寄せる魔獣の血を浴び、泥に塗れ、それでも民を守るために戦う――その『生きるための覚悟』こそが、我が領地の誇りです」
一歩、私は侯爵に歩み寄り、その顔を真っ直ぐに見据えた。
「万人に愛想を振りまくためだけの色など、私には必要ありません。この情熱の朱赤は、ノクス様とともにこの帝国を守っていくという、私の覚悟の証明。そして、この漆黒のレースは――」
私は自身のドレスの胸元を愛おしそうに撫でた。
「世界中で誰が蔑もうとも、私はノクス様を最も近くで愛し、肯定し、支える妻になるという誓いの色でございますわ。これを理解できず、形だけの礼儀とやらで切り捨てるあなたの目は、ずいぶんと節穴のようですわね?」
「貴様……っ、なんという不遜な……!」
顔を真っ赤にして震える侯爵。
その様子を見つめる周囲の貴族たちの目が、明らかに変わり始めていた。
私はふっと目を細め、さらに言葉を続けた。
「それに、カロルス侯爵様。あなたが先ほどおっしゃった『帝国の伝統を侮辱するかのような』というお言葉……。非常に興味深いですわ。――では、他でもない陛下ご自身が、その圧倒的な『黒』を纏っていらっしゃることは、あなたにとって帝国の伝統への侮辱なのかしら?」
「……っ!? そ、そのようなことは――」
「陛下がその身に宿していらっしゃるお色を、一貴族に過ぎないあなたが侮辱と切り捨てる。それこそ、このシルヴェスタ帝国を治める陛下に対する、最大の不敬であり侮辱ではないかしら?――それとも、カロルス家は陛下のお召し物にまで口を出せるほど、偉くなられたのかしら?」
「……!!」
侯爵は、自分がとんでもない言葉の罠にかかったことに気づき、口を金魚のようにパクパクと開閉させ、顔面蒼白になりながら悔しそうに取り巻きの貴族たちと去っていった。
ーー完璧な、私の勝利だった。
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