第26話:一ヶ月の準備と、戦闘服
ロクサーナ視点です。
「ロクサーナ様。建国記念晩餐会、ならびに公式な婚約発表まで残り一ヶ月となりました。本日より、当日身に纏うドレスの選定に入りたく存じます」
私の自室。そう言って一礼したのは、あの対峙の日以来、完璧な私の味方となってくれた総侍従長のバルトロメウスだ。
彼の後ろには、帝都でも超一流とされるお抱えの仕立て屋たちと、信じられないほどの数のドレスの生地や見本帳がずらりと並んでいる。
「まぁ、凄いわね……。でもバルトロメウス、準備に一ヶ月もかけるの?」
「当然にございます。帝国中の高位貴族や他国の使節が一堂に会する場。ロクサーナ様がシルヴェスタ帝国の未来の皇妃にふさわしいということを、そのお姿でも証明せねばなりませぬ。
幸い、宮廷厨房の料理人たちを味方につけたあなた様の噂を聞きつけ、他の使用人たちも『一体どんなお方なのだ』とそわそわしております。表舞台での初陣、完璧に整えさせていただきます」
バルトロメウスは、かつての仮面の笑顔ではなく、下の者たちから絶大に慕われている彼本来の、細やかで温和な微笑みを浮かべた。本当に頼りになる皇宮の頭脳だ。
しかし、仕立て屋たちが自信満々に提案してきた生地を見た瞬間、私は小さく眉をひそめた。
「ロクサーナ様、こちらはいかがでしょう? 最高級の純白のシルクに、銀糸の刺繍を施したドレスにございます。薄い色のレースを重ねれば、この上なく尊く、美しい仕上がりになりますよ」
仕立て屋から差し出されたのは、目の眩むような白や、淡いピンク、儚げな水色。
この世界の常識では、これら白に近い色こそが高価値で美しいとされている。他の貴族や他国の使節に受け入れられやすいのは、そういった色だろう。けれど……。
周囲から『怪物』と恐れられ、圧倒的な『黒』を纏うノクス様。世界に合わせるために、万人に受け入れられるために、他でもない婚約発表の場で、淡い色のドレスを着て隣に並ぶ私を見て、ノクス様は何を思うだろう……。
彼の綺麗な漆黒の瞳が、寂しげに曇るのが容易に想像できた。
(何のためにここに来たの、ロクサーナ。ただ他人に愛想を振りまくだけの、万人受けする『皇妃』になりたいの?)
――いいえ。
私は、彼の隣に立つのにふさわしい、愛する彼の『妻』になりたいのだ。彼の隣で、もっとも近くで、孤独だった彼の支えになりたい。
だから――。
「申し訳ないけれど、白や淡い色のドレスはすべて下げてちょうだい」
私の言葉に、仕立て屋たちが「えっ……!?」と驚きと困惑が入り混じった声をあげた。
しかし、その長い経験からバルトロメウスは私の意図に気づいた。
「――なるほど」
バルトロメウスは一歩前に出ると、困惑している仕立て屋たちを見据えた。
「奥に控えている『濃色』の見本帳をこちらへ持ってきて下さい」
「は、はいっ! ただいま!」
総侍従長の一言に仕立て屋たちが慌てて奥から重厚な見本帳を運んできた。バルトロメウスはそれを恭しく開き、私に差し出してくれる。
「ロクサーナ様、こちらよりドレスの色をお選びください。……ただし、このような鮮烈な色を纏うとなれば、周囲の反発は必至。茨の道となりますよ」
周囲の貴族たちが仕掛けてくるであろう嫌がらせや陰口。それをすべて見越した上での、彼なりの親愛が籠もった警告だった。
「ふふ、ありがとうバルトロメウス。覚悟の上よ」
迷いなく微笑むと、バルトロメウスは嬉しそうに目を細めた。
私は改めて差し出された見本帳をパラパラとめくり、一枚の生地を指差した。
「……これにするわ。鮮やかで情熱的な『朱赤』。ノクス様の色に決して呑まれず、お互いを高め合えるのはこの色だけよ。この色を使って、最高に気品あるドレスを作ってくれる?」
仕立て屋たちは「朱赤!?」「そんな濃い色を晩餐会に……?」と震え出したが、バルトロメウスは私が指差した朱赤の生地と、私の瞳の輝きをじっと見比べ……穏やか笑みを浮かべた。
「……流石、ご自身の魅せ方をよく分かってらっしゃる。世界の常識に反し、陛下の隣に立つお覚悟……感服いたしました」
バルトロメウスは少しだけ視線をずらして仕立て屋たちを振り返った。
「仕立て屋の皆さん、そういうわけです。ロクサーナ様の仰る通り、その朱赤のシルクを、あなた方の持つ最高級の技術で仕立ててください。陛下と並び立つのにふさわしい、最高の美しさでね」
「は、はいっ! 畏まりました、総侍従長様!」
バルトロメウスの丁寧ながらも有無を言わせぬ促しに、仕立て屋たちが背筋を伸ばし、大急ぎ採寸の準備を始めた。
私は差し出された見本帳を撫でながら、改めて目の覚めるような朱赤の生地を見つめた。
それからの、あっという間の一ヶ月。
ドレスのフィッティングの合間にも、私はバルトロメウスから社交界の力関係(特にノクス様を敵視している不穏な貴族たちの情報)や帝都でのマナーを徹底的に叩き込まれた。
厨房からは「ロクサーナ様、新作の試作です!」と美味しい差し入れが届き、気づけば使用人たちの間で、私を歓迎する空気が満たされつつあった。
ヴェラとニナも、私を全力で労い、支えてくれた。三人でのお茶会は、厳しいお勉強の合間の何よりの癒やしだった。
そして、一ヶ月後――。
姿見の前に立った私は、完成した朱赤のドレスを身に纏い、自身の髪を高く結い上げている。鏡に映るのは、どこからどう見ても、お飾りではない「不敵な未来の皇妃」の姿だ。
「完璧に仕上がりましたな、ロクサーナ様」
「本当によくお似合いです、ロクサーナ様。さあ、胸を張っていってらっしゃいませ」
「素敵です、ロクサーナ様! みんなに見せつけてやってください!」
背後でバルトロメウス、ヴェラ、ニナが、満足そうにしている。
「ええ、最高のドレスだわ。……さあ、待たせているノクス様の元へ行きましょう。社交界の狸どもを、ひっくり返しにね!」
私はドレスの裾を翻し、一ヶ月間磨き上げた覚悟を胸に、ついに晩餐会の大広間へと向かうのだった。
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