第25話:皇帝の帰還と、二日ぶりの充電
ノクス視点です。
「――以上が、周辺貴族への根回しと、一カ月に執り行う『婚約発表』のタイムスケジュールにございます」
深夜の執務室。側近の報告を聞きながら、私は押し寄せる疲労を飲み込み、小さく息を吐き出した。
愛しいロキシーを皇宮に迎え入れて以来、私の生活は一変していた。彼女をこの帝国の誰もが逆らえない完璧な未来の皇妃として正式に発表するため、この丸二日間、寝る間も惜しんで政務と根回しに奔走していた。
(丸二日、ロキシーに会えていない……)
胸の奥に広がるのは、ひどい寂しさと飢餓感だった。あの夜、彼女の温もりに触れてから、私の心は完全に彼女一色に染まっている。早く仕事を終わらせて彼女の部屋へ向かいたい。
そんな私の胸中を察したのか、側近が手元の書類を整えながら、恭しく口を開いた。
「陛下、私どもの耳に興味深い噂が届いております。ロクサーナ様はこの二日間、皇宮の各所へ足を運ばれていたようです」
「……噂?」
「ええ。一昨日は宮廷厨房へ突撃して料理長ゲオルグ様と熱い握手を交わし、昨日はあの厳粛な総侍従長バルトロメウス様の部屋に乗り込み、彼を完璧に心服させたとか。今や厨房の料理人たちは、ロクサーナ様を『救世主』と仰いで崇拝しているようでございます」
耳を疑うような報告に、私は思わず動きを止めた。
ゲオルグとバルトロメウスといえば、先代や先々代の時代から皇宮を支える、一筋縄ではいかない頑固の塊だ。私に対しても、恐れを隠して事務的に接することしかしない彼らを、ロキシーは、たった二日で懐に引き込んだというのか。
(……一体、彼女は何をしているんだ……?)
指輪の魔力探知を通して、彼女が厨房や総侍従長の執務室にしばらく滞在していたことは把握していた。だが、てっきり皇宮内の見学にでも行っているのだとばかり思っていたのだ。
まさか、あの気難しい老人たちの元へ自ら乗り込み、何をどうやったのか、完璧に味方に変えて戻ってくるとは想像すらしていなかった。なぜ皇宮の料理長と総侍従長をまたたく間に掌握しているのか、私の頭では全く状況が追いつかない。
(ロキシーの行動力は、私の常識を遥かに超えている……。本当に、一瞬も目が離せないな)
あまりの型破りさに激しい困惑を覚えつつも、それ以上に、なぜか無性に彼女に会いたくなった。
残りの実務を側近に命じて翌日に回させると、私は夜の廊下を早足に駆け抜け、理由を確かめるべく彼女の部屋の扉を開けた。
「ロキシー……!」
「あ、ノクス様! お帰りなさ――きゃっ!?」
部屋に入った瞬間、出迎えてくれたロキシーの華奢な体を、我慢できずにそのまま両腕で強く抱きしめた。二日ぶりの、ロキシーの温もり。どこか爽やかで甘い香りが鼻腔をくすぐり、乾いていた心がみるみるうちに満たされていく。
「ノ、ノクス様……? どうなさいましたの?」
「すまない、少しだけこのままでいさせてくれ。丸二日、そなたに触れられなくて……限界だった」
抱きしめる腕に、自然と力がこもる。ロキシーは一瞬驚いたように固まったけれど、やがてふふ、と優しく笑うと、小さな手で背中をポンポンと叩いてくれた。
「お疲れ様ですわ、ノクス様」
「……ゲオルグとバルトロメウスを味方につけたらしいな」
「なんのことかしら?」
悪戯っぽく笑う彼女に、これは完全に秘密にする気だなと察する。皇宮の重鎮たちを相手に、一体どんな力技を披露してきたのか――。
問い詰めたいことは山ほどあったが、私の腕の中で確信犯的に微笑む彼女も、たまらなく愛おしかった。
「……まぁいい。そなたが無事で、楽しそうにしてくれているなら、それで十分だ」
降伏を宣言するように私が苦笑すると、ロキシーは「ふふん」と満足そうに鼻を鳴らした。
愛しさが胸を突き上げ、私は彼女の額、鼻先、そして少し開いた唇に、吸い付くように何度も甘い接吻を落とした。
「ん、ぅ……ノクス様、くすぐったいですわ……っ」
顔を真っ赤にして身をよじるロキシーを、私は抱き上げたままソファへと運び、自分の膝の上にすっぽりと座らせる。彼女の細い指を私の手で包み込み、耳元で愛を囁きながら、本題を切り出した。
「ロキシー。そなたとの婚約発表の準備が整った」
「婚約発表? 」
首を傾げる彼女の髪を指で弄びながら、説明を続ける。
「この国における婚約発表とは、単なる書類の提出ではない。帝国中の貴族、そして他国の使節までを集めた『建国記念晩餐会』の席で、私の隣にそなたを立たせ、未来の皇妃として正式に宣言する」
つまり、名実ともに「この国を私と共に統べる唯一の女性」だと、世界に見せつける公式の場だ。
私はロキシーの手にそっと口づけを落とし、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「社交界の魑魅魍魎たちが、そなたを値踏みしようと一斉に群がってくるだろう。だが、私がすべてを懸けて守る。……私の隣に、立ってくれるか?」
私の問いかけに、ロキシーは怯えるどころか、最高に美しい笑みを浮かべてみせた。
「当然ですわ! 社交界のタヌキやキツネが何よ。ノクス様の隣は、私の特等席ですもの。誰にも譲る気はないですわ!」
その力強い言葉に、私の胸は安心で震えた。
二日間の疲れなんて、もうどこにも残っていない。私は愛しい婚約者を再び強く抱きしめ、夜が更けるまで、二日分の充電を貪るように求め続けるのだった。
・魑魅魍魎:
さまざまな妖怪を指す言葉。
私利私欲のために悪だくみをする者や、正体が掴めない怪しげな人物たちの比喩としても使われます。




