第22話:胃袋の総本山と、ヴァルハイトの流儀
案内された宮廷の厨房は、皇宮に相応しく広大だった。
無数の料理人たちが忙しなく動き回る中、その中心で腕組みをして周囲を睨みつけている小柄な老人がいた。彼こそが、先代の時代からこの皇宮の胃袋を支え続けてきた料理長・ゲオルグだ。
「……どこの迷子のお姫様かと思えば、噂の未来の皇妃殿下じゃねえか。ここは高貴なご令嬢がドレスを汚しにくる場所じゃねえんだ、お引き取りなされ」
突撃した私をひと睨みし、彼はあからさまに面倒くさそうな声を鼻から鳴らした。周囲の料理人たちが「ひえっ」と息を呑んで震えている。流石は頑固一徹で鳴らした老人、未来の皇妃相手でも態度を変えない度胸は一級品だ。
(ふふん、いいわ。これくらい手強い方が、ヴァルハイトの女として燃えるってものよ!)
「初めまして、料理長。私はロクサーナ・ヴァルハイト。昨夜、ノクス様が用意してくださったステーキがあまりにも美味しかったから、どうしてもお礼を言いたくて足を運んだの。……でも、少しだけ気になったところがあってね」
「ああん? ワシの焼き方にケチをつけるってのかい?」
彼の片眉が跳ね上がる。厨房の温度が一気に五度くらい下がった気がしたけれど、私は一歩も引かずにニヤリと笑ってみせた。
「ケチではなく、提案ですわ。あの最高級のブランド牛、お肉そのものの質も、火入れの技術も完璧だったわ。……だからこそ、あのお肉の脂なら、ソースにほんの少し『酸味』のある果実の果汁を隠し味に加えるか、焼く前に『叩き』の工程を挟めば、さらに柔らかく、ノクス様のように毎日忙しく働く方の胃にも優しく、何枚でも食べられる極上の味になるはずよ」
「……なんだと?」
料理長の目が、ただの頑固老人から『職人』の鋭いものへと変わった。
ヴァルハイトは過酷な土地だ。だからこそ、手に入った獲物(肉)をいかに柔らかく、効率よく栄養に変えるかという『肉料理の知恵』に関しては、世界中のどこの宮廷料理人よりも進んでいる自信がある。
「口だけなら何とでも言えるわい。ご令嬢のハッタリに付き合ってる暇は――」
「なら、今ここで私が作ってみせるわ。そこのお肉とフライパン、借りるわよ!」
私がドレス(厨房に入るため装飾の少ないシンプルなドレスにした)の袖を豪快に腕まくりすると、厨房全体に衝撃が走った。
料理長や料理人たちが呆気に取られている間に、私は手際よく肉の塊を選び、肉叩きをリズミカルに叩き込む。そして魔導コンロに火をつけ、昨夜のソースのベースに、厨房の棚に見つけた甘酸っぱい果実の果汁をブレンドしていった。
ジュワァァァッ……!
厨房中に、暴力的とも言えるほどに香ばしく、食欲をそそる最高の香りが立ち込める。完璧なタイミングで肉を皿に盛り付け、特製ソースを回しかけて彼の前に突き出した。
「さあ、ヴァルハイト流のステーキですわ。召し上がれ」
料理長は黙ってナイフを入れ、一切れを口に運んだ。
……その瞬間、料理長の目が見開かれた。咀嚼するたびに、その顔が驚愕へと染まっていく。
「……な、なんだこれは……! 柔らかいだけじゃない。肉の旨味が完全に閉じ込められているわい。それにこのソース……肉の脂の重さを完全に消し去って、いくらでも食える……っ!」
驚愕に染まる料理長に向かって、私はここぞとばかり今回の突撃の本題を叩き込んだ。
「でしょう? でもね、料理長。私がこの隠し味を思いついたのは、他でもないノクス様のおかげなのよ」
「何だと……? 陛下のおかげ、だと?」
料理長が目を丸くする。私は厨房の料理人たち全員に聞こえるように、愛おしい婚約者の素晴らしさを堂々と言い放った。
「ええ。ノクス様は昨夜、私にこう仰っていたわ。『我が最高の宮廷料理人たちが、最高の技術で焼いてくれた極上のディナーだ』って。あなたたちが作った料理を、誰よりも誇らしく、私に自慢してくださったのよ」
私は一度言葉を区切ると、驚きに固まる料理長と料理人たちを見渡し、さらに言葉を重ねた。
「それだけじゃないわ。ノクス様は『食材の繊維の断ち方から、炭の細かな温度調整まで、職人たちのこだわりがこの一皿に宿っている』と、あなたたちが言葉にしない隠れた工夫まで、すべて見抜いて感謝していらっしゃったの……あなたたちが必死に厨房で守ってきた誇りを、主は誰よりも正しく認めて愛しているわ。それなのに、あなたたちはそんな主を『怪物』だなんて恐れて遠巻きにしている。それって、料理人としてあまりにも寂しいと思わない?」
私の言葉に、厨房の料理人たちがハッと息を呑んだ。
自分たちが裏でどれだけ血の滲むような努力をしているか、自分たちの主である皇帝が「すべて知っていてくれた」のだ。職人として、これほど報われる瞬間はない。
「ノクス様がどれだけあなたたちの腕を信頼しているか、私はよく知っているわ。だからこそ、今度は私もノクス様の健康と笑顔を支えるために、あなたたち一流の料理人たちの力を借りたいんですわ!」
私が胸を張ってそう告げると、料理長は皿を見つめたまま、しばらく呆然としていた。
やがて、ふっと肩の力を抜くと、気恥ずかしさと悔しさをその顔に滲ませ、これまでの険しさが嘘のような、豪快で温かい笑みをこぼした。
「……ハハッ、ハハハハハ! 参ったね、こりゃあ一本取られたわい。ただのじゃじゃ馬姫かと思えば、とんでもねえ大物だ」
彼は深く頭を下げ、料理人としての敬意を私に示した。
「無礼を働きました。ワシはこの厨房を預かる料理長、ゲオルグと申します。……いやはや、あの陛下がねぇ……。裏でワシらの料理をそんな風に言ってくださっていたとはのう。ふん、いい婚約者を持ったもんだ。……貴方様が皇妃なら、この先も楽しそうだな。ロクサーナ様、これからの陛下の飯は、あんたの知恵も借りて最高のもんを作らせてもらうわい!」
「ええ、期待しているわ、ゲオルグ!」
がしっとゲオルグと熱い握手を交わす。周囲の料理人たちからは、恐怖ではなく、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こっていた。
(よし! まずは胃袋の総本山、厨房を攻略ね!)
料理人たちをすっかり味方に引き込んだ私は、次なるターゲットである『総侍従長』の攻略に向けて、笑みを深くするのだった。




