第17 話:カバン一つと、衣装部屋
ロクサーナ視点です。
「ひとまず、今ある荷物はこれだけなの」
私がベッドの上にぽつんと置いたのは、革製の旅行カバンがたったの一つ。
何しろ、あの嵐のようなお迎え(拉致とも言う)だったのだ。応接室で会話を交わしている間に、我が家の使用人たちが涙目で「最低限のものだけ!」と必死に詰め込んでくれたものしか手元にない。
「辺境伯家からの本格的なお荷物は、後日、魔導輸送で届く手筈になっておりますのでご安心ください。ロクサーナ様、お召し替えの前に、まずはこの部屋の構造をご説明いたしますね」
ヴェラが、流れるような美しい動作で部屋を案内してくれた。
「こちらが広間で、奥が寝室になります。そのさらに奥には、最新の魔導具で常に最適な湯温が保たれる大浴場がございますわ」
「まあ、お部屋の中にお風呂が? 辺境だとお湯を沸かすのも一苦労ですのに、帝都の技術は凄いですわね……!」
感心しながらヴェラへ歩み寄った私は、先ほど目についた彼女の手元に、改めて視線を落とした。
「ねえヴェラ、先ほどから気になっていたのだけれど……あなた、手のひらに剣ダコがありますわね?」
「……お恥ずかしい限りです。我がコンラート家は代々、陛下の影の護衛を任されておりまして……淑女の嗜みよりも、剣の柄を握る時間の方が長かったのでございます」
てっきり「侍女の癖に汚い手をして」と叱責されるかと思ったのだろう、ヴェラがほんの少しだけ身構えたのが分かった。けれど、私がそんなことで引くはずがなく、むしろ私の目は同志を見つけたかのように輝いていた。
「わぁ、かっこいいですわ! ニナは?」
「私は孤児だったんですけど、ヴェラ様のお父様に拾われて、レンツの姓をもらってからはナイフ投げの毎日です!」
ニナが、待ってましたとばかりにスカートを少し捲り上げ、太もものホルダーに仕込まれた銀色のナイフを無邪気に見せてくれる。
「素敵! 私の領地にも、あなたたちのように強い女性がたくさんいましたわ。上流階級のお淑やかさは苦手ですけれど、あなたたちとなら、この部屋での生活もより一層楽しくなりそうですわね」
私が心から笑いかけると、ヴェラは驚いたように目を見開いた後、柔らかい笑みを浮かべ、ニナは「はいっ!」と嬉しそうに胸を張った。身分の差を超えて、私たちの間に信頼の種が芽生えた瞬間だった。
「ではロクサーナ様。最低限の荷物しかお持ちでないとのことですので……続いて、こちらのクローゼットをご案内いたします」
ヴェラが寝室の隣にある、大きな両開きの扉を開け放った。
その瞬間、私はあまりの光景に絶句した。
「……な、何ですの、これは……!?」
そこは、クローゼットというより、ドレスのための衣装部屋だった。
壁一面にズラリと並んでいるのは、帝都の最新の流行を取り入れたものから、深い夜空のようなネイビーの最高級のドレスの数々。さらに、私が夜会で着ていたような鮮やかな黄色や緑のドレス、仕立ての良い普段着まで、何十着と完璧なグラデーションで並んでいる。
宝石箱には、ドレスに合わせた最高級のアクセサリーが、目が眩むほど敷き詰められていた。
「陛下からの贈り物にございます。『ロクサーナがカバン一つで来ても困らないよう、あらゆるサイズと好みに対応できるように、帝都の一流品をすべて買い占めて揃えよ』との絶対命令でございました」
「……」
絶句する私に、ニナが呆れ半分、羨ましさ半分の声を上げる。
「徹夜でこれを用意させられた仕立屋たちは泣いていましたけど、愛が伝わりますね! 陛下、本当にロクサーナ様にベタ惚れなんですから!」
カバン一つで嫁いできた私を、彼は最初から、何不自由なく甘やかすつもりだったのだ。
ただ守られるだけの小鳥にはなりたくない。けれど――この衣装部屋に詰め込まれた、彼の「喜ばせたい」という必死さの結晶を見てしまうと、胸の奥がじんわりと熱くなって、どうしても嫌な気持ちにはなれなかった。
「もう……本当に、極端な方。……ニナ、ヴェラ。今日の夕食は、ノクス様と一緒にいただくのでしょう?」
「はい。陛下は執務を終え次第、こちらの部屋へお見えになります」
「なら、最高のドレスを選びましょう。ノクス様がびっくりして、お仕事の疲れなんて吹き飛んでしまうような、とびきり可愛い私を見せて差し上げたいわ!」
「「お任せくださいませ!」」
二人の最強の味方と共に、私はドレスの海へと飛び込んだ。
彼が今、どんな顔で仕事をこなしているのかを想像しながら――。
ニナは18歳、ヴェラは21歳




