第15話:揺れる馬車と、不器用な愛
ロクサーナ視点です。
ガタゴトと心地よい振動を立てて走る馬車の中。
私は、ふかふかの座席のすぐ隣に座る漆黒の男――この国の絶対権力者であるノクス・ルシウス・シルヴェスタ陛下を、じっと睨みつけていた。
……いえ、睨みつけようと努力してはいるのだけれど、私の肩が触れ合うほどの至近距離にいる陛下があまりにも絵画のように美しく、しかもどこか叱られた仔犬のようにしゅんとして私の機嫌を伺っているせいで、いまいち迫力が出ない。
「……ロクサーナ。やはり、まだ怒っているのか?」
「怒っているというより、拗ねてますの。陛下、どうして今まで、自分が皇帝陛下だと黙っていらっしゃいましたの? 私はてっきり、宮廷使いなんだとばかり……」
私が「陛下」と他人行儀に呼ぶと、彼はあからさまに傷ついたように眉を下げた。形の良い唇からふっと自嘲気味な笑みを漏らし、大きな手で私の手をキュッと握りしめてくる。
「嘘を言うつもりはなかったのだ。だが、最初にそなたが私の『黒』を、綺麗だと言ってくれた時……もし自分が、この国の誰もが怪物と恐れる黒の皇帝だと明かせば、そなたも他の者たちと同じように、怯えて私の元から逃げ出してしまうのではないかと、それが恐ろしかった」
「陛下……」
「それに、そなたがただの『ルシウス』という一人の男として私に笑いかけてくれるあの時間が、どうしようもなく愛おしかったのだ。気づけば正体を明かすタイミングを完全に失ってしまっていた。……すまない」
大帝国の若き皇帝が、私のすぐ隣で、これほどまでに脆く、切実な本音を吐露している。
その事実だけで、私の胸の奥は甘酸っぱい熱で一杯になってしまった。本当に、この人はずるい。
「もう……。逃げるわけがないと、昨夜あれほど言いましたでしょう? 私は、私を真っ直ぐ求めてくれたあなたが良かったのです。皇帝だろうと何だろうと、ヴァルハイトの女が一度決めた恋は、誰にも止められませんわ」
私がふん、と顔を背けながらそう言うと、そんな私を愛おしそうに見つめ、彼は私の耳元へと顔を寄せた。
「ロキシー……」
熱を帯びた声で耳元で囁かれ、私の心臓が不意にトクン、と高鳴る。家族にしか呼ばれたことのない私の愛称を、こんなにも甘く、独占欲を孕んだ響きで呼ばれるなんて。
私が小さく「……ノクス様」と呟いた瞬間。
隣の大きな影が、さらに強引に私の細い腰を抱きすくめてきた。
「ん……っ!?」
深く、深く、吸い上げられるような口づけ。
昨夜の庭園でのキスよりも、さらに独占欲を剥き出しにしたような、熱くて強引な唇の動きに、私の頭は一瞬で真っ白に染まっていく。馬車の揺れに合わせて角度を変え、息が吸えなくなるほど深く貪られる。
「はぁ、あ……っ、ノクス、様……」
「……ああ、やはりそなたを北へ帰さなくて本当に良かった。そなたは皇宮の一番奥で、私だけに愛されていればいい」
ノクス様は私の潤んだ唇を指先でなぞりながら、掠れた声で囁いた。
「そ、それで、皇宮での生活というのは、一体どういうことですの? 私、帝都のマナーなんて本当に何も知らなくて……」
私はこれ以上流されないよう、慌てて話題を切り替えた。ノクス様は名残惜しそうにしながらも、私の頭を優しく自分の胸に抱き寄せ、その長い指で私の髪を弄りながら、当然のように説明を始める。
「何も心配はいらない。そなたのために、皇宮の本宮にある私の部屋の、同じフロアに部屋を用意した。本来は誰も立ち入れない私のプライベートフロアだが、どうしてもそなたを近くに置きたかったのでな」
「同じフロア……ですか?」
「ああ、同じ部屋だとそなたの淑女としての体裁に関わるからな、結婚までは廊下を挟んだ向かいの部屋で我慢する。……だが、私の許可なく他の奴らが私たちのフロアへ近づくことは一切禁じてある。そなたはただ、安全な部屋の中で、好きなことをして、好きなだけ私に甘えればいい」
「……」
……普通の婚約者の待遇よりも過剰なそれは、きっと。
説明を聞けば聞くほど、私にはそれが、彼の不器用な愛にしか思えなかった。
それ以外の愛し方を知らないのかのように、私を傷つけるすべての外敵から守るため、そして私が逃げられないようにと、自分だけの場所に閉じ込めようとするノクス様。
――けれど私は、分かってしまった。その過剰なまでの独占欲は、みんなに怪物と恐れられ、ずっと深い孤独の中にいた彼が、初めて見つけた私という存在を失いたくなくて、不安でたまらないことの裏返しなのだと。
(もう……本当に、しょうがないんだから……っ)
だったら、私が彼を全力で愛して、安心させてあげるしかないじゃない。
私はヴァルハイトの女だ。誰かに守られるだけの、大人しいお飾りの妻で終わるつもりなんて毛頭ない。彼の隣に立つのにふさわしい、なんなら彼のことすら私が守ってあげられるくらいの強い女になってみせる。
私が絶対に彼の側から離れないという自信を、彼が持てるようになるまで、いくらでもその重すぎる愛を受け止めてあげよう。
そして、ノクス様がみんなに受け入れてもらえるように、皇宮の中にたくさん味方を増やしていってあげるんだから!
ガタリ、と大きな音を立てて、馬車が皇宮の巨大な正門をくぐる。
視界に飛び込んできた白亜の皇宮は、まるで巨大な鳥籠のようだったけれど――私の心は、これからの新生活へ向けて燃え上がっているのだった。
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