第14話:正体と、混乱
前半ノクス視点、後半ロクサーナ視点です。
私が一階の応接室に入った瞬間、そこは息が詰まるほどの圧倒的な『黒』の威圧感に支配されていた。
部屋の隅では、帝都で雇ったばかりの若い使用人たちが、陛下の放つ色の恐怖に白目を剥いて卒倒している。だが北の修羅場をくぐり抜けてきたヴァルハイトの古参たちは、「ここで倒れては辺境伯家の恥!」と言わんばかりの凄まじい気概で、膝をガタガタと震わせながらも直立不動で耐え抜いていた。
(流石は辺境の猛者たちの家系だな)
私は心の中で彼らの忠誠心を認めつつ、視線を最愛の令嬢へと戻した。
ーーー
「ル…シウス様……?」
応接室の真ん中で、私は完全に魂が抜けたような声を漏らしていた。
目の前にいるのは、間違いなく昨晩私を壊れ物のように抱きしめてくれたルシウス様だ。けれど、その身に纏う空気は、誰もが恐れおののく『皇帝』その人のもので。
私が混乱でパニックになっていると、皇帝陛下はふっと形の良い唇を優しく、どこか妖艶に歪めた。
「ルシウス、で合っている、ロクサーナ。私の本名はノクス・ルシウス・シルヴェスタだからな。嘘は言っていないだろう?」
「!そういう問題では……っ!」
あまりのスケールの大きさに眩暈がしそうだ。
私が恋に落ちた孤独な黒の宮廷仕えは、この国の頂点に立つ男だった。
私が真っ赤になって震えていると、陛下はすっと視線を私の隣へと移した。その瞬間、2人きりの時の蕩けるような甘さは消え失せ、絶対権力者の瞳がお兄様を射抜く。
「ガレス。昨日の約束通り、私の『正妃』となるロクサーナを迎えにきた。手続きはすべて済ませてある。文句はないな?」
「も、もちろんでございます、陛下……」
昨日の今日で、本当に夜明けと同時に近衛兵を率いて乗り込んできた陛下の、あまりの本気度に、ガレスの背中は冷や汗でびっしょりだ。
(北の領地にいる親父殿には念のため昨日のうちに魔導通信で「ロキシーが皇帝陛下にロックオンされました。拒否権はありません、諦めてください」って連絡して、許可(事後承諾)をもぎ取っておいて良かった。すべてはヴァルハイト家が生き残るためだ……!すまん、ロキシー!)
お兄様が心の中でサイレント絶叫を繰り広げている中、陛下は再び私へと向き直り、その大きな手で私の冷たくなった手を包み込んだ。
その温かさは、毎晩庭園で触れていたものと全く同じで、私の心臓が不意にトクン、と跳ね上がる。
「ロクサーナ。昨夜、そなたは私に言ってくれたな。……『もしあなたが怪物なら、私は喜んでその檻に囚われるお姫様になります』と」
「っ、それは……っ!」
思い切りお兄様に聞かれている前で、昨夜の甘い愛の囁きを暴露され、私の顔から火が出そうになる。
「私はその言葉を一生忘れない。……さあ、行こう。そなたのために用意した、新しい住処へ」
陛下は楽しげに微笑むと、私の腰をぐっと引き寄せ、そのまま私の手を引いて歩き出した。
タウンハウスの前に並ぶ、見たこともないほど豪華な馬車。
「お待ちになって、陛下! 私、まだ心の準備が……っ!」
思わずそう言って見上げると、陛下の完璧な美貌が、一瞬凍りついた。
「……心の準備、か。やはり、私が騙していたのが許せないのか? 忌まわしい『黒の皇帝』だと知って……私と行くのが、嫌になったのか?」
さっきまでの皇帝の威圧感はどこへやら、彼は酷く悲しげに眉を下げ、私の手を握る力に縋るような弱さを滲ませてきたのだ。
その捨てられた仔犬のような、あるいは絶望に狂いそうな瞳で見つめられ、私の心臓が激しく脈打つ。
「ち、違います! 嫌になったわけではありませんわ!」
彼の急な落ち込みぶりに、私は慌ててブンブンと首を振った。
「ただ、あなたが皇帝陛下だなんて驚いてしまって……! それに、皇城での暮らしなんて、辺境育ちの私に務まるのかしらとか、色々と考えてしまって……っ」
私が眉を下げて、いじいじと胸の内を吐露すると、陛下の瞳に一気に熱が戻った。
「そんな心配は一切不要だ。帝都の連中がそなたに無許可で指一本でも触れようものなら、その一族ごと私が地の果てまで駆逐する。そなたはただ、私の隣で笑っていればいい」
「そ、それはそれで規模が大きすぎて怖いのですけれど……」
「それに、昨夜、あれほど深く私と口づけを交わして婚約を誓ったのだ。今更私を焦らすなど、生殺しも同等だと思わないか?」
「なっ、う、うう……」
至近距離で、そんな妖艶な瞳でおねだりされては、言葉が詰まってしまう。ヴァルハイトの女は押しに強いけれど、愛する男のこういう弱武器(?)には滅っぽう弱いのだ。ルシウス様、自分の顔の良さを絶対に分かって使っているわ……!
「……分かりましたわ。もう、本当に強引なのですから」
観念したように私が小さくため息をつくと、陛下は満足そうに微笑んで私を優しく抱き寄せ、そのまま外に待たせてある豪華な馬車へと私をエスコートした。
タウンハウスの門が閉まる間際、私は馬車の窓から、お兄様が遠い目で「ロキシー、強く生きろよ……」と手を振っているのを視界の端に捉えた。
こうして、私は自ら進んで、美しくも甘い皇帝の檻へと囚われにいくのだった――。




