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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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六十一話 思い上がり

「しかしながら、なにも最初に(から)んできたのは私共ではなく其方(そちら)様ではありませんでしたでしょうか?

 後ろ盾の持たぬ、頼る相手の限られるような旅の者が無策に見知らぬ土地で下手に騒ぎを起こすような真似を、(みずか)ら進んで(おこな)うその理由が、生憎(あいにく)(わたくし)には検討も付きません。

 身の程を(わきま)えねば、場合によっては空腹を(まぎ)らわすことさえも難しくなってしまう。飯処()の主人の機嫌を(そこ)ねでもしてしまえば最悪の場合はありつけなくなってしまう、旅をする上では切り離せぬ考えであるか、と。

 ですので、余所者とは先住(せんじゅう)の者に敬意を払わねばならぬものであると私はこれまで考えて(まい)りましたが、其方様が今しがた(おっしゃ)られたような振る舞いを、仮に私がしていたのだとして。もしや私のこれまでの考えそのものが何かしら間違っている可能性すらも考えられてしまうのではないかと思う次第です。

 いえ、なにも話を()()えようなどという魂胆(つもり)はなく。

 ただ、もし仮に。本当にそうであるというのなら御教示いただきたいものである、と。(ごう)にいっては郷に(したが)え、という有名な、広く知れ渡ります先人(せんじん)の言葉があります(よう)に、余所者の“かくあるべき振る舞い”といったものがどういったものであるのかを是非御教えいただきたい、と。

 私が申し上げたいのは、その一点についてのみ、なのです。」


 昨日(きのう)の今日で一体なにがあったというのだろうか。

 弥代は(たま)らずそんな事を考えるのだが、しかしなんだか随分と久しぶりに目の当たりにする、自分の非を認めているのか、相手を責め立てているのかの判別が難しそうな相良の饒舌さに、フフッと、声を漏らしてしまった。

 一部始終を見ていたからこそ、自分がそれを直接受けているわけでないものだから(いく)らか心に余裕を持って見れる限りだと後者に違いないのは言うまでもなく分かる。

 都合が悪い、昨日見てしまった。昨日、運悪く見てしまったものにはしっかりと(ふた)をして、()えて空っぽにした内側に、まだ冷め切らない(どんぶり)の温かい(つゆ)を流し込む。

 食べ終えていない(うち)に他所見だったり、他に関心が()れてしまうなんていうのは行儀の悪い事だというぐらい分かっているのだが、これが俗に言うどうにもならないモノというヤツだ、と。自分に言い聞かせて目を()れる。

 調子が良さそうなのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)

 昨日、までの。声を分かりやすく(あら)げ張ったり、引き腰気味の様子がまるで嘘のよう。

 (いや)、いっそ調子が良すぎて違和感を覚えそうになるぐらいだ。

 朝っぱらだというのに、胸ぐらを強引に掴まれた上で堂々と、引き下がる姿勢を一切見せることなくつらつらと(まく)し立ててみせる様子を見せられては、弥代の手札からは感服(かんぷく)という言葉しか出てこない。

 自分が相良みたいに多くを例えば知っていたとしても、似た様な振る舞いというものは到底出来そうな気がして来ない。アレは相良だからこそ出来る芸当(げいとう)というヤツなのだ。

 し、(かたわ)らに彼――春原がいる事も大きい。

 それは、大抵の相手であれば春原の手に掛かれば退(しりぞ)くことが叶ってしまう、という事だ。

 二、三人がやや相良を囲むような動きを見せた辺りで箸と丼を卓上に戻し、弥代にそのまま食べているように、と釘を差した春原が席を立ってほんの少し。

 しかし既に相良の胸ぐらに手を掛ける、言い掛かりを付けてきた中心人物はその腕を春原によって掴まれている。弥代の出る幕はやはりなさそうだ。



 最近世話になった宿の中じゃ一等(いっとう)立派な造りをしていた、個々の部屋も六畳未満四畳だったり、ジメジメと湿った藺草(いぐさ)の、鼻に残るような(にお)いがしたりといった事のない、隅々まで手入れの行き届いている様子であった。

 飯に関しても満足の一言に()きる、大変満たされた。

 舌鼓(したづつみ)を打つ、よりも上の言い表し方を生憎と弥代は知らないわけだが、十日ぐらい前の奇妙な出会いの際に聞いた、(つつみ)()(たき)であったりに“鼓”というものは叩くものと教えられたので、「いっぱい打てちまったよ!」なんて口にしてみたところ、昨夜は相良から(ひや)ややかな目線を向けられたりなんて事もあった。

『恥を掻く前に()しなさい。』

『他にあんなら教えてくれよ?』

 会話はそこで途絶えた。

 二、三も(ろく)に続かないやりとりを会話、というのも変な話だろうが、少々それに対し弥代が不服を感じずにはいられなかったのは秘密だ。

 昨晩は結局、無礼を働いた主人に変わり、だとかなんとか。

 重真(かざね)という男の付き人と思しき九条なる男に宿だ飯だと、気がついた時には全て用意が(ととの)い、外であまり騒ぐのは良くない、とか。

 弥代が事態を飲み込むよりもずっと早く、トントン拍子に事は進んだ。

 案内された部屋では最近じゃやはりあまりお目に掛かれなかった、西条家で一時世話になっていた以来はありつけていなかった豪勢な夕餉(ゆうげ)をいただく事が出来た。

 飯を平らげ終えてからの湯浴(ゆあ)みに関しては、どういうわけか最近はずっと、髪に纏わせている練り()にも数に限りがあるとかで、元の髪“色”が目立ってしまわぬように、と隠し続けていたというのに、相良から許しが出た。

 どうして相良がそれを許したのか、今の今まで目立たぬようにと隠してきたというのに、と漏れそうになった言葉は呑んだ。それで折角の、久しぶりの湯を堪能出来なくなるのは嫌だった。

 そんなこんながあったものだから、今の弥代の視界の天辺(てっぺん)付近にチラつく毛先は見慣れた青だ。

 しっかり粉を洗い流すのに時間を掛けて、指の腹に力を込めてゴシゴシと洗ったものだからいつもよりも髪の毛が(ごわ)()いている。その(せい)か今日は寝癖の跳ね上がり方がどうにも強情であった。

 これでもか、というぐらいに髪の毛に水気(みずけ)を含ませて、手櫛(てぐし)を十数回通してやっと、それでやっと落ち着かせる事が出来た程、で。

 ただそれも、やはり一回しっかりと温かい湯なりで全体を濡らした(あと)(ととの)え直せばならないのか、時間が経つにつれて次第に、寝起きの勢いを取り戻しつつある。

 跳ねた髪を片手で押さえながら、弥代は二、三歩ほど先を行く、相良の背中を見つめる。

 だらしないだとかの言葉が投げかけられる事は、どうやら今日はなさそうだ。






「何故、貴方が此処に居るのですか?」

 止まった(あゆ)みだけでない。

 その後ろ姿と声色に、弥代は嫌でも(さっ)さずにはいられなかった。

 二、三歩の距離なんてものは蹈鞴(たたら)をその場で踏まずしてぶつからずに済みっこはない。ギリギリの処で踏み(とど)まることに成功してみせたはいいものの、自分の予測が本当に正しいものであるかを判断する材料は不足している。少し待てば答えなんてものは直ぐに分かるだろうが、それよりも早く、(おそ)る恐る。

 そろり相良の背から前方を覗けば、案の定の相手が今日もいた。

「えへへぇ、昨日ぶりじゃない?

 こうまで連日顔を合わせる事になるっていうのはアレだねぇ、神様の(おぼ)(しめ)しという言葉が(まさ)しく当て嵌まるんじゃないかなぁ。」

 まぁ、居るか居ないかは別としてね、(など)と言葉を口にするのは五日程前に出雲郷(あだかえ)と呼ばれる地で出会った。弥代から言わせてしまえば相良以上に何を考えているのか腹の内の全く読めぬ、重真(かざね)という男だ。

 播磨国(はりまのくに)の姫路を起点とする出雲街道の終着地点である出雲(いずも)大社(おおやしろ)。その地で翌月に(おこな)われるという祭事に(まね)かれているとかで、出雲郷で用事を終えた弥代達と再び顔を合わせる事はきっとないだろう、などと言っていたのは重真の付き(びと)をしていた九条(くじょう)嗣定(つぐさだ)という、あの緑髪の“色持(いろも)ち”の男であった筈だ。

 が、それがどういう訳かあれから五日が経つというのに、その内の既に三日程。なんなら昨日今日に関しては連日、二日連続で弥代らは重真と顔を合わせていた。

 偶々(たまたま)の巡り合わせなどと、(うそぶ)くにしてももっとマシな嘘はなかったものか、と思わずにはいられないのは何も弥代だけではないだろう。

 何故なら出雲郷が一時的な目的地であり、出雲街道沿いに進む必要がなくなった弥代らは一つ先の宿場町である松江(まつえ)、その先にあるという宍道(しんじ)()を起点に(みなみ)へ。出雲大社が終着地点である出雲街道ではなく、宍戸(ししど)尾道(おのみち)街道へ合流を果たした(のち)(さら)石見(いわみ)銀山(ぎんやま)街道に、雲石(うんせき)街道、と。いくつかの街道を複雑に経由する形で、山城国(やましろのくに)より伸びるという山陽道の終着地・旧国(きゅうこく)へ船が出ているという長門国(ながとのくに)を目指す算段(さんだん)であると弥代は相良から聞かされていた。

 その為、出雲大社を目指さねばならない重真()とは殆んど真逆と言ってもいい道であった(出雲街道は宍道湖の北へと道が続いている為)のだが。宍道湖の湖沿いの道、それこそ宍道尾道街道という場所までは一緒になるのは仕方がない。相手の気まぐれでちょっと空気が悪くなったぐらいにしか、四日前にその顔を見たとき弥代は思わなかったのだが、事態はそれで済んでくれやしなかった。

 宍道尾道街道に合流し、相良自身も初めて使う道であるという事もあり地図であったり、道すがらの宿場町に関する話を掻き集めている最中(さなか)、どういう訳かその宍戸宿の旅籠屋で(くつろ)いでいる彼と鉢合わせる羽目(はめ)になったのだ。

『ッハハ、奇遇だねぇ。なんだか随分と顔色が悪いけどお疲れだったりするぅ?

 お茶の一杯ぐらい奢ってやれなくもないし、何なら甘味も付けてあげちゃうけどどうかなぁ?』

 それが(わざ)とであることがこうまで明白な事もきっと珍しいのではないか、等と弥代は頭を悩ました程、つまりはそういう事だ。

(だから……まぁ、つまりはそういう事、なんだろうな。)

 それが三度(みたび)も続けば、といった具合の反応を示す、こうまでハッキリと嫌悪(けんお)をこうまで()()し――(あら)わにするのもまた珍しいものだと思わず腕組みを弥代は一つ。

 これでもかというぐらい分かりやすく相良の怒りだけでなく、春原の眉間にさえも、弥代はあまり見慣れていない深い皺が刻まれてしまうのだから余程だ。

 ここまで来るとちょっとやそっとの因縁であるようにはもう見えない。絶対に根深い、弥代の知らぬ何かが二人と重真という男の間にはあって。それは間違いなく、弥代が教えてほしいと頼んでも教えてもらえそうにない事だ。

 (げん)に既に一度、弥代はそれを問うたことで相良の機嫌を(そこ)ねてしまっている。いつかの様に、相良の兄弟子に当たるという旭堂(きょくどう)南亭(なんてい)と会った晩の様、な。掛川宿での満月の晩に近い。あの手の反応をされると分かった上で(たず)ねようという気は到底、沸きっこない。

 だから後方で、首を突っ込んでしまわないように(つと)める。この時、この旅路では慣れた、相良と春原に挟まれでもするような並びは崩れ、弥代は一番後ろになる。

 人の好き嫌いなんて相良よりもずっと無縁そうな、そういうモノにそもそも興味があるとも思えない春原が野山で時折目にした事のある、毛を逆立てて威嚇をする獣に近いそれを見せる。実に妙な感覚、だ。

 触れてはならぬ話、知る機会は得られないだろうと見切りを付けた話である為に、いっそ見なかった事にでもした方がいいのではないかとまで弥代は気に掛けていたがそれも難しい。

(もう少し、せめて隠すぐらいの努力はしてほしいもんだわ。)

 正直な話、まさか自分が二人にそんな気を遣うような日が訪れようなどとは考えてもなかった。

 話す意思がない事を妙実(みょうじつ)なまでに、顔に出されてしまっては気なんてモノは勝手に()がれてしまうものだ。(さわ)らぬ神になんとやら、だ。

 相良と春原の二人と一緒の、三人での旅路もそこそこ時間が経っているように思えもするが、言うてまだ半月程しか経っていない。

 いつも何かと二人が自分の心配なり、気を遣ったりという事が多かったものだから、だから前後を挟まれるように歩くことが多かったし、道中で風が強い時なんかは弥代よりもずっと頭巾(ずきん)が飛んでしまわないかを心配してくれていた。だからその逆を一人でせねばならないというのはどうにも違和感が強い。

 とはいえ、何も世話を焼かれっぱなしで居たいというわけではない。ただ弥代は、弥代はただ相良にとってはその方が良いのだろうと考える(ふし)があるからその様に振る舞っている処がいくらかあるだけ、で。

 先日の金勘定と相場に関してだって、確かに細々としたものを多く弥代はこれまで(ろく)に知りもせず、な事が多かったものの、知らないなりに上手くやり過ごしたり、下手な揉め事であったりを逃れられるように(つと)めていたのだ。

 だから、なにも―――

 とはいえ、この場においてはやはり下手(へた)に口を挟むのは得策じゃない。

 変に相良と春原が何かを為出(しで)かすとは考え(がた)い一方で、相手は比較的温厚である筈の二人となにやら過去に因縁があるであろう相手だ。

 ここ数日の流れであればそろそろ(まず)そうだと弥代が()めに入ろうと、場の空気が悪化しそうになるギリギリの処で付人(つきびと)を名乗っていた彼が、主人である男を探しに走ってやって来るなんて事があったもので、弥代はそれを願うばかり、だ。



 最悪、だ。

 肩に回された腕を取っ払うことが出来ればそれが一番最良なのだが、なんというか、見た目の割にそこそこ力がある。

 ずっしりとした重みを左肩に乗せられたことで、利き腕でどうにか(さば)くことが出来ないのもそうだが、折り曲げられた(ひじ)の間に上手い具合に首が嵌まってしまい、ちょっとやそっとの抵抗じゃ退()けることが難しい状況だ。

「あれれぇ、甘いもの好きって言ってなかったけぇ?

 人様からの(ほどこ)しっていうものはねぇ、嫌でも受け取っておいた方が良いことがあるんだよぉ?」

 その言葉が出てくるという事は、腕の中の相手が嫌がっているというのを分かった上でやっているのではないか、と疑問を弥代は(いだ)かずにはいられなかった。そしてそれが出てくるという事は文句の一つ二つ、自分が言っても流石にこの状況は許されるのではないか、という意気込みで胡座を掻く男の股座(またぐら)の中、男を睨み付けるのだがそれも一瞬の事。

 睨み付けるのに顔を其方(そちら)へと向けたその瞬間、強引に(あご)を掴まれた。そして、思わず漏れかけた小さな悲鳴はそっくりそのまま喉奥へと無理やり戻されでもするかのように、口に指を突っ込まれた事で咳込むのみに終わった。

「やっぱりさぁ、こういう遊びが出来るぐらいの子って一人二人ぐらい傍に置いておきたいんだよねぇ。反応が新鮮っていうかさ、見ていて飽きない存在っていうの? 刺激がなくっちゃやってらんない事って多いじゃん。どっかの現人神(あらひとがみ)様なんて噂じゃ何をしても退屈だってんで祭事があっても姿を見せなくなっちゃったとか、なんとかぁ。

 いいなぁ相良くん。今からでも俺に(ゆず)ってくんないかなぁ? あぁ、勿論弥代くん一人じゃなくって、一緒にいた水戸(みと)のお坊ちゃんも一緒にね。

 フハッ、()れてお役御免ってヤツさぁ! 君が居てお坊ちゃんが来ない理由はないだろうぉ? ね、どうだろう?」

 二、三(どころ)じゃない。

 随分と、なにやら不穏な話が弥代が咳き込み(うつむ)いているのをお構いなしに投げ掛けてきている。

 何故こんな事に、またしても二人きりになんかならねばならなかったのかを思い出したいというのに、今自分が置かれている状況は正当なものであるかを弥代は何よりも詰め寄りたいというのにあまりにも(かんば)しくない。

 (ひら)たく言えば捕まった。

 緑髪の“色持(いろも)ち”の彼が姿を見せてホッと一息を()いた、緊張の系が解けたその合間に上手く距離を詰められ、弥代はその場から引き摺られる要領(ようりょう)で、先の場から連れ()られたのだ。

 ご丁寧にそう、叫び声をあげたくても叫べないように口を(ふさ)がれる形、で。

「ッアハハ、見てみてぇ弥代くん!

 上から見ただけでも分かるぐらいのすっごい形相だよぉ!

 ハハ、いや本当に、必死になりすぎだろうよアレはいくら何でもさぁ。あーぁ、可笑(おか)し。さっき二人って言ったけど飽きさせてくれないからさぁ、いっそ三人とも戻って来たりしない、僕の退屈(しの)ぎにさぁ?」

 首に腕を回されたまま、強引に窓際から外を覗かされたと思った矢先、今度は鼻先があと少しでぶつかりそうになるぐらいにまで顔を近付けられる。

 いくらなんでもこっちの都合なんてお構いなしにも程がある。しかし自由が効く状況ではないものだから弥代は大人しく、相良と春原の様子を見て触れぬようにと心掛けていた話題に執拗なまでに触れてくる相手に、せめてもの抵抗に無言を(つらぬ)いてみせた。

「無視は酷くないかなぁ?」

「だって、俺は知らねぇもんよ。」

 えぇ、なんて子どもの駄々みたいな声が漏れる。

「何それ、相良くんにでも口止めされてんの?」

「そういうんじゃねぇよ……、そういうんじゃ、ねぇもんよ」

 同じ手、だ。顎を掴むのも、先ほど連れ去られる時に口に突っ込まれた指、も。

 べっとりと纏わりついた蜜はなんであったか、先ほど喉奥に勢いよく突っ込まれた時の感覚が抜けきらず、甘いと言われたその味も(ろく)に弥代は分かっちゃいやしない。

 身勝手に振り回されている。彼の言葉を借りるのならそれこそ、弥代はただ退屈凌ぎに付き合わされているだけ、で。

「昔の君はもっと素直だったじゃないか?」



『昔の君はもっと素直だったじゃないか?』

 気に掛けないようにしていた、事だ。

 (いや)(うす)ら。まぁ、これぽっちも関係がない、なんて風には考えていなかった。

 先の「戻って来たり」という発言も含めて、接点が何もないなんて風に捉えるのは、自分が外野であるという考えは後々(のちのち)、時間を見つけて(ただ)した方がいいのだろうな、とは頭の隅で考え始めて居はしたのだ。

 正す、(あら)める前にいきなり、一気に答えを差し出されるとは思っていなかった。ただそれだけ、だ。

「あぁ、それそれ。

 その目付き、そっちの方がずっと君らしいよ。」

 果たしてそれはどんな目付きだというの……か。けれどもこの頃よりずっと狭まった視界の中で、弥代は眼前の男を、重真という男を捉える。

「俺にまで嫌な顔されて、今まで以上に相手されなくなったらそれで退屈凌ぎ終わっちゃわねぇの?」

「不思議な口振りをするねぇ、君は何がしたいわけ?」

 出会ってから五日が経つというのに、やっと今になって弥代は気付く事があった。何処(どこ)の直ぐに手を上げてくる暴力下女(げじょ)ほど分かり(やす)くはないものの、目の前の男も“色”を持っている様だ。

 ()(ぞろ)いな大きさの交差がとても不恰好な、男にしては随分と長さのある、まるで女のように(ゆわ)われた髪を肩口から前に()らす。黒一緒くたであると思っていた髪に、(わず)かな“白”を見る。

 しかし本当に僅か、だ。伸ばさねば気付けないぐらいの“色”の存在感に、なんとなくだが男のくせしてそこまで髪を伸ばす理由が窺えたような気が、憶測だが弥代は出来てしまった。



「弥代さんッ!」

 それは直ぐの事。再会(がしら)に強く、肩を掴まれた。

 強引に向き合わされる視線に、間違いなく自分へと注がれている情がある事が分かって、ほんの少し、あまりにも正直に吊り上がりそうになる口角を抑え込もうとするのに弥代は焦って、それでも必死に相良の名前を口にした。おかげで声がどうしても震えてしまった。

 が、眼前で腰を(かが)めて弥代の肩を掴む相良は、それに気付くような素振りを一切見せることはなく――

「何もされませんでしたかッ?」

 (せっ)()詰まった顔で、弥代の身を(あん)じる態度を見せた。

 普段あまり乱れることのない、強風が吹いて形が崩れても小忠実(こまめ)に直すことが多い髪がひどく、乱れている。

 それだけじゃない、キチンと着こなしている、日に少なくとも二、三度は正す格好が随分、と。息だってずっとずっと荒々しいものになって居、て。

 こんな状態の相良を見るのはこれが初めてなものだが、彼を少しでも安心させる為の言葉を、弥代は勿論知っているのだ、が。それを直ぐに口にしてしまうのは(いささ)、か。ちょっとだ、け勿体無いような気がしなくは無、く。

 あぁ、良くないことだろうな、と。息を(ととの)えれば、調子が落ち着きさえすればそれで、弥代がそんなどうしようもない事を考えているのはきっと、弥代の考えていることなんていつも大抵お見通しなんだからバレてしまえば怒られてしまう気がしなくもないのだ、が。

 せめてもう少しだ、け。

 自分へと向けられる情を堪能したいものだ、とそんな事を弥代は考えてしまったのだ。今だけで構わないから、と。そう思うのがせめてもの、(せき)の山だ。






 菊花開、霽月の徒路 三十六話







 ()()を使うことなく、髪色を誤魔化す必要もなくなった、その(ぶん)どうしても強くなってしまう寝癖を直すのに気を(つか)う。どうしたらいいだろうを考えた時に、そういえば西条家で世話になっていた頃、絹と一緒に湯浴みをした(さい)に、ただ髪を(かわ)かすだけでなくこうゆ(、、、)なるものを(たま)に髪に揉み込むようにすると髪がすんなりと扱いやすくなるとか、そんな事を言っていたのを、湯船で手足をギリギリまで伸ばしながら弥代は思い出していた。

 しかし実の(ところ)はそんなのはどうでも良い二の次だ。

 いま弥代の頭の中を()めているのは日中にあった出来事――相良に対し申し訳ないという気持ちが(ぬぐ)いきれないわけではないが、弥代は少しだけ味を()めてしまったのだ。

 そうか、そういう情の向けられ方があるのか――と。

 あの場はどうにか、相良が落ち着くまでに時間がそれなりに掛かったものだから弥代も上手く取り繕うことが出来、事なきを得られた。(うち)に芽生えてしまったものはバレることはなかった。

 (いや)、上手くなんて本当は取り繕えていた自信はない。ただ、弥代の考えなんてお見通しな事が多い相良も、あの様に切羽詰まった、焦った時であれば全く読めなくなってしまうのだなぁ、というのが弥代は分かってしまっただけ、で。

 なんだか急に、悪いことをいっぱい知ってしまったような気持ちになってしまう。正しい使い方ではないかもしれないがどうにも(せわ)しない。

 でも、今日で知った多くというのはきっと。いや、間違いなく誰にも明かしてはならない事なのだろう事ぐらいは弥代は理解出来た。

 そう、だ。

 だって相良は、弥代が重真と過去に何かあったのか?と訊ねたのに対し、またアレに似た反応を(しめ)した。

 弥代の事を常に気に掛けてくれる、気遣う春原に、自分から少し面倒な事に巻き込まれてそれで相良が心配してくれるのが、なんて言った日には、今後は率先して彼は弥代に協力してくれなくなるかもしれない(どうしても、と弥代が(すが)れば手を貸してくれなくなる、という事はないだろうが)。

 なにより、弥代は覚えていないだけで自分たちに――相良や春原と自分の(あいだ)には今の繋がりだけでなく昔から面識があったという点、だ。

 今の今まで、弥代は春原が一方的に覚えているであろう態度を示す、弥代自身が覚えていない過去の事に触れられるのがやはりあまり得意ではなかった。

 せめて自分が思い出すことが出来たのなら話は別だろう、と思ってはいたが。

 それが此処にきて大きく(くつがえ)った。相良と春原(二人)と、過去に面識があったというのなら話は別だ。

 付き合いは浅いものだと思っていた、相良と春原が(とも)に旅をしていたという、二人きりで方々を渡り歩いていたのだという過ごした時間になんか、自分は絶対に(および)っこない、(まさ)るような繋がりは今後とも生まれることはないだろうな、と(なか)ば諦めていたというのにとても良い(しら)せだ。

 重真という男が言うには、春原だけではなく相良もまた、間接的にではあるが弥代と接点があったそうなのだ。

そう、相良と春原が二人で方々を旅するようになるよりも以前の話、だ。

(昔のこと、思い出せるようになったらもっと(ちぢ)まってくれたりすんの……かな。)

 ゆっくりで良い。多分時間が経てば勝手に、その内いつか思い出せる事もあるだろうぐらいに構えていた。確かに未だに弥代は自分が何処から来たのか、どうやってあの集落の近くに辿り着いたのか。それらを知らぬ儘だ。

 でもそれも先、の。花火の晩の彼女の一件以降思い出さずとも、と薄々考え出すようになっていた部分だった。だからそれが此処で覆るというのはやはり、酷い手のひら(がえ)しにも程がある。

 現金、というか。単純と、いうか。

(分かりやす過ぎんだろいくら何でも……さ、)

 宿場町の湯屋に男湯だ女湯だと分かれているのは本来珍しいことだ。旅籠(はたご)屋に湯浴みが出来る場所の方がもっと珍しいのだが、大きい宿であると店の者が一斉に身を清めるのに使ったりという事もあり巡り合える事がある。

 昨晩(さくばん)一昨日(おととい)はこの先の旅路にどれぐらい路銀が必要となるだとか、そこらへんの段取りが不明瞭だとかで安宿で湯に満足に()かることは出来なかった。

 子どもではあるが女児一人をなんとか……と相良が店の者に無理を言って、客足が(とお)のききる頃合いを待って湯に浸からせてもらったのだ。

 気遣われている、常に気に掛けてもらっているというのはとても分かる。が、今日の出来事を踏まえると、やはり少し、だけ。

『アハ、幼稚な悪巧みだぁ?

でもねぇ、俺そういうの大好き。』

 他意はないといえば嘘だ。

でも、なんとなしにこの男は多分、これからも度々、何かにつけて弥代達の前に姿を見せる、執拗に関わって来ようとするのではないか、なんて事を弥代は考えてしまったのだ。

 その度に弥代は、相良と春原という普段あまり怒りを露わにする事のない二人が揃いも揃って、この男に対しそういった姿勢を示し続けるのを、関われぬ、何一つ教えてもらえない儘、後ろから眺めておかねばならない、というのは、それはあまりに、も――――

『ッアハハ、見てみてぇ弥代くん!

 上から見ただけでも分かるぐらいのすっごい形相だよぉ!

 ハハ、いや本当に、必死になりすぎだろうよアレはいくら何でもさぁ。あーぁ、可笑(おか)し。さっき二人って言ったけど飽きさせてくれないからさぁ、いっそ三人とも戻って来たりしない、僕の退屈(しの)ぎにさぁ?』

『昔の君はもっと素直だったじゃないか?』

『不思議な口振りをするねぇ、君は何がしたいわけ?』

 いい相手だとは思わない。

 何かしら絶対に良からぬ事を考えている男だという事ぐらい、それぐらい弥代にだってハッキリと分かる。

 でも、そうだと分かっていても今は、この旅が続く限りはせめて、なんてそんな事を考えてしまうのだ。

 それ……に、

『やっぱりさぁ、こういう遊びが出来るぐらいの子って一人二人ぐらい傍に置いておきたいんだよねぇ。反応が新鮮っていうかさ、見ていて飽きない存在っていうの? 刺激がなくっちゃやってらんない事って多いじゃん。どっかの現人神(あらひとがみ)様なんて噂じゃ何をしても退屈だってんで祭事があっても姿を見せなくなっちゃったとか、なんとかぁ。

 いいなぁ相良くん。今からでも俺に(ゆず)ってくんないかなぁ? あぁ、勿論弥代くん一人じゃなくって、一緒にいた水戸(みと)のお坊ちゃんも一緒にね。

 フハッ、()れてお役御免ってヤツさぁ! 君が居てお坊ちゃんが来ない理由はないだろうぉ? ね、どうだろう?』

千方(ちかた)よりも俺の名前が先に出てた。)

 そうだ、やっぱり今は相良が望む、そういった振る舞いを密かに心掛けているつもりであるが、先の駄賃の時だって、今日の重真とのやり取りにおいてだって弥代の頭はある程度を見極めることは出来ていた。

 だから何も、なにも考えがなく、なんて事はない。今まで当たり前にやって来た事を、一人でどうにか生きねばならなかった、過ごさねばならなかった時のように頭を働かせることは決して苦などではなく。なんならその先に、その先で自分が望んでいる反応を、今はまだ遠い距離をほんのちょっとでも縮める事が、相良が望んでいるという方へと無事に辿り着けて、その先もずっと続くものがあってくれるの、なら。

(俺、頑張れるや。)

 肩を大きく回して(ほぐ)す。

 春原の協力は大変ありがたいのだが、いくらか今後は一人で考えて動く機会があってもいいのではないか、を頭の隅に置く。

 そうだ。

相良からこの頃はもうずっと、三人旅を始めるよりも前だから、かれこれ一ヶ月程。これまで知らなかった多くを学べる貴重な機会を得た自分は今までの自分とは違うのだ、と。

 弥代がそれが自惚れでしかなかった――(まさ)しく過信であったと知ったのは、それから日はそれほど()たぬ、二日後の事であった。










 ぶるり、身震いをきっかけに弥代は目を覚ました。

 寝た記憶が全くないというのに目だけが覚めるという感覚は中々に妙なものだ。し、寝入る時などは最近じゃ執拗に、風邪でも引いたらどうするんですか、適当に布団に潜るだけの弥代を相良が許してくれることはなく、しっかりと布団を直される事が多い。

 だから、もし寝入ったのだとすれば目を瞑る前に、弥代はちゃんと二人に向かって「おやすみなさい」と、声を掛けているのだが、その覚えが今の弥代にはなかった。

 それに、弥代が覚えている限り、まだお天道様は随分と東の空に見えていた筈……で、

 (まぶた)を持ち上げるよりも早く、徐々にはっきりとしてくる感覚の節々に感じる違和感に弥代は気付いてしまった。

 あぁ、これはどうにも拙いことになっている、と。

 触れたことのない見知らぬ熱が、今まさに自分に触れているだろう事実に、目を(つむ)ったままぐるぐる。急に眩暈(めまい)にでも襲われたような感覚と味わう。

 どうして、どうして今になってこんな目に()わねばならないのかを弥代は深く、深く考……え、

「いやいや、寝たフリなんて興醒めする真似は止めとけよ坊ちゃんよぉ?

 …………あぁ、違ぇか。坊ちゃんじゃねぇな、東国の嬢ちゃんか。」

次話より、性的暴力描写が含まれる為、全文の掲載ではなく冒頭部分のみの掲載となります。

全文公開は現状pixiv上のみとなり、公開範囲も全体ではなくマイピクに限っております。

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