表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
PR
60/71

六十話 俯瞰視

「ンあれぇ、相良(さがら)くんじゃ〜ん?

 すっごい久しぶりじゃない……フフフッ、相変わらず歳の割にひっろいデコしてんねぇ? 気苦労が()えることはなさそうで何よりだよぉ。本当ぉ、思ったよりもずっとピンピンしてるじゃないかぁ。

 ……元気そうでなによりだねぇ。」

 (ささ)える、肩に添えた指先に力が(こも)りそうになるのを春原(すのはら)(りっ)した。

 自分へと向けられている言葉ではないと分かっていながらも、節々において、ふとした時にその不気味な、(くら)い目が此方(こちら)へと向けららる。

 特別長いというわけでもない首をぐるりぐるりと大きく(ねじ)り、あれこれと言葉を(つむ)ぐ男のその真意、視線の意味、など。感情を表に出すことのそれなりに多い弥代を相手にしていても、(いま)だに()みきれぬ事の多い春原がそれを理解出来る可能性などどこにもありはしない。

 (ゆえ)に、この場において口を開く真似そのものに必要があるとは到底思えぬのだが、しかし、それでも染みついたモノというものを完全に(ぬぐ)いきることは不可能に近い。

 (しず)めていた、()うの昔にもう二度と浮かび上がることはないだろうと、思い出す必要もないと忘れようと心掛け続けていたものが大きく()れ、広く伝わり()く。その重さは(はか)り知れぬものだ。

 この男、この男だけは駄目なのだ――と。

 喉の奥が微かに引き()る。(しか)らば、それが意味する(ところ)は、春原にとっての眼前の男は言うなれば、天敵と呼ぶに(あたい)する存在にきっと、違いない。



水戸(みと)からお越しになられたっていう、あの血筋のお坊ちゃんで間違いないよねぇ?』

 返す気力すら湧かない。

 誰とも口を()く気さえも湧いてこない、というのが正しいやもしれぬ。(あた)えられた食事にさえ手を付けることのないまま既に数日。

 数年越しの再会であったというのに、遊び相手として紹介を受けた筈の相手にまさか無理やり腕を引かれ、誰一人知らない見知らぬ場所に置き去りにされるなど。

 彼からすればそれは一時(いっとき)、心を閉ざしたとしても許されるものであると(とら)えていた。

『……あれれ、子どもって皆んなおんなじぐらい重いものだと思ってたんだけど、家の割になんだい、碌に食べさせてもらえてなかったのぉ? ずっと軽いんだねぇ?』

 骨がない、という事はないそうだ。

 けれども(やわ)い箇所を強く(つね)られ、強引に、体を持ち上げられる。

 それならずっと、腕を引かれた先の方が痛くなかったと、そこに幾らかの優しさがあったのではないか、と。比べるのすら可笑しな話だというのに、それがマシであったと思わず思い出してしまう程、には。

 鈍い反応(芝居)が染みついているもの、だから。か(ぼそ)い、自分で拾うことすら難しい声をほんの少し漏らすことしか出来ぬ(まま)、耐え忍ぶ他に逃れる(すべ)は、なく。

 なの、に―――

『あの鬼の子と仲良くしてたんでしょうぉ? ね、どんな子だった?

 俺ね、まだマトモに一度も会えた事がないんだよねぇ?』

 だからそれらは全て、全て幼心に植え付けられた抵抗、だ。

 軟い、大切に(はぐく)んできた、幼いながらにもそれが愛であったと自身に言い聞かせてきた場所を無作法に荒らす、不届者(ふとどきもの)を許すわけにはいかない、と。

 あってはならない、それだけは許しては駄目なのだ、と歯を立てる。途端、抓るのとは逆の手によって強く沈められるも、そんなものに構っていられる筈がなく。

 いくら馬乗りになられて、幼い体を上から押さえつけてるように、容赦(ようしゃ)なく拳を振るわれ続けようとも、一度剥き出しになった歯を(しず)めるだけの理由にはならなかった。

 だか、ら――。

 だからソレ……は、その一線を踏み越えた挙句、踏み(にじ)るような(おこな)いをしてきたその男を、春原が許すことは一生ない。






 重真(かざね)、と名乗った男が、どうやら本来は関わってはならなかった相手であるのだという事は、今の状況を前に至らぬ方がおかしいだろう。自然と、自分が仕出(しで)かしてしまった事の重大さを弥代は(うす)ら理解、自覚しつつ。

 口を、(つぐ)まずにはいられなかった。

 (いや)、しかし。

 相良と重真の(あいだ)()わされる言葉に耳を傾ける限り、重真という男は元よりこの地に居着いている人物、というわけではなさそうなのだ。

「ンふへへッ、怒りっぽいところもまんまだねぇ。固そうな頭も健在な様でどうもどうも。」

「触れないでいただけますか。」

 端的、な。相良の極めて短い言葉と、声色一つだけでもはっきりと分かってしまう、明確な拒絶、は。なんというか、自分へと直接向けられているというわけでもないのに、妙に胸がざわつく様な感覚に襲われる。

 出来うるのなら耳を閉じるだけでじゃなく、目も閉じて、聞こえぬ、見えぬフリをしたくなってしまう程には。決して気持ちのいいものではない。

 が、そんな状態に弥代はなっている一方で、相良と直接言葉を交わしている(くだん)の男は一切、自身のそれまでの調子を崩してみせる様子を見せず。

 それどころか、弥代の見間違いでなけばこれまでよりも一層、上機嫌そうに口角を吊り上げてみせるのだ。

「ッハハ、相良くんって本当ぉに俺のこと嫌いだよねぇ。でも残念でした、俺は相良くんのそういうところとっても好きだからさぁ――」

 この胸のざわめきはなにも相良が(しめ)す態度にのみではないのではないだろうか、と弥代の考えが僅かにそれを見出し掛けたその時、彼が動いた。

 目の前の、数歩先の出来事だ。

 だというのに、袖を強引に引かれた相良の、耳元で何やら重真()が紡がれたであろう音を、弥代は拾うことが(かな)わず、次の瞬間にはどういう訳か弥代の後ろにいた筈の春原が前に飛び出し、拳を振るいそうになっている相良を羽交い()めにして抑えていた。

「…………ぇ、」

 目を、(うたが)う。

 否、目に映るものを否定することは難しい。では何を疑うのかといえば、それはどちらかといえば、相良の振る舞いそのものに対して、であり。

 その手がしっかり、と。

 白昼(はくちゅう)堂々(どうどう)、という言葉を使うには若干遅すぎる、夏の長い日照時間は過ぎ去り、冬へと着実に近付きつつある、(あいだ)()うような短い時節だ。

 結局のところ、どうして季節(ごと)に感じる一刻の長さが(こと)なるのかを弥代はよく分かっていないままだが、()(どき)(しら)せるぐらいであったろう(おと)が聞こえてから、つい先程二度目になる鐘の()が鳴り響いたもの、で。

 夕陽に照らされる、脳裏へと焼き付く赤に(まぎ)れてしまうなんて事はなく。ありあり、と。いっそ、見せつけられでもしているかのような、そんな勢いにさえ見えなくもない。

「相良……さん?」

 上擦る声の直し方なんて、弥代が知る筈もない。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 三十五話






「主人が皆々様に多大なご迷惑をお掛けしたようでして。誠に申し訳ございませんでした。」

 深々、と。長ったらし髪をした“色持(いろも)ち”の、緑色の髪をした男が目の前で頭を下げるのに対し、弥代はどう言葉を掛けたものかと当たり前のように頭を悩ましたがそれは杞憂に終わった。

 こういった場において弥代が言葉に詰まらせる時は、相良が前に出て変わりに口を開くのが常であるのだが、()(たび)は意外に、も。

 なにか裏でそういった段取りが行われてでもいたかのかと思わずにはいられない流れで春原が口を開いた。

 まぁ、開いたといっても出てきた言葉は常日頃と然程変わらない、「構わない」や「分かった」といった短いモノでしかなかったもので。慣れていない、春原を知らぬ相手からすればそれらは逆に相手を困らせてしまうなんて事も起こり得て不思議ではない話、なのだが。

 しかし、相良に変わり春原が口を開いたのは紛れもない事実で。

 それなり、に。まだ日の浅い、寝食を共にする生活だって結局は丸一ヶ月は経ったぐらいの時間ではあるが四六時中ほぼほぼ一緒に過ごす様になった、これまで以上の深い信頼であったりを築けるぐらいの時間を過ごせてはいる筈だと弥代は心の底で考えていたのに。

 (うぬ)()れ、と呼ぶにきっと(あたい)する。。

 まだまだ自分の知らぬ二人というのは多くありそうだ。

 噛み締めたいわけじゃないのに、そんなのばかりがやはり積み重なっている状況に嫌気が差すのは必然だろう。

 ――とは、いえ。

 先の飯屋において結局一度も手を付けぬまま、目の前の不審な男が平らげるのを卓越しに見届けるのみに終わったものだから多少は腹が()いている。

 “九条(くじょう)”と名乗った男が、主人(重真(かざね)、の事で間違いないだろう)が迷惑を掛けたものだからと用意してくれた席に(まね)かれている今、湯気がしっかりと立ち(のぼ)っているのが見て分かる、飯にありつかないというのは勿体無い気がしてくる。

 自分のそういったところに“現金な奴”という言葉は使うのだろうな、とそんな事を頭の隅で考えながらも、手元の箸に意識が(かたむ)かずには()られない。

「……相良、弥代が食べたそうだ。手を付けても問題はないか?」

「……えぇ、九条(この方)が仕込んだりという事は()ずまず起こり()ぬ事でしょう。

 先のアレ(、、)()から(はず)れておりますが。」

 乾いた笑いが室内に響く。

 聞き取り間違いでないのなら、やはり、今この席にはいない先の彼と、九条と名乗った男や相良はある程度、互いに顔を知った仲であると解釈が出来る。

 触れていいものだろうか……、を悩みながらも、春原が相良に()わりに()いてくれたものだから飯にありつける事に弥代の気持ちはあっという間に上書きされてしまった。

 実のところ、この出雲郷(あだかえ)に着いて間もなく、暖簾が片付けられる時間ギリギリに滑り込んだ飯屋で平らげた蕎麦の量が残り物で大変少なく、弥代の腹はこれぽっちも満たされてなんかいなかったのだ。

 そこに運悪く、四文銭で団子一串(ひとくし)ぐらい食えれば、よくよく噛めばそれでいくらか誤魔化しが()くのでないか、ぐらいの気持ちでいたところ、に。

『ッハハ、勘定ねぇ?

 それなら後で俺の足取りでも探しに来る人が現れるからさぁ、その人から貰っておいてよ。

 ……いやいや、食い逃げとかじゃないってばぁ? 見ず知らずの人をそんな簡単に疑うとか()くないよぉ?

 まぁ、探しに来てくれる人がいなかったとしても、柳多(やなぎだ)(じじい)にでも木札(コレ)を見せてやってよ。それで(はら)ってくれないって事はないからさぁ。』

 卓上の飯を一人(たい)らげてみせた(のち)、そのまま雑魚寝でもしそうな寛ぎ具合を見せた彼が、店を者を相手にそんな言葉を溢した。

 冗談などではなく本当に金を持ち合わせていなかった事を弥代は理解し、しかしその上で好き勝手に彼は注文をしていたものだから、しても良いと言われたとしても同じような真似は自分には絶対に出来ないだろうな、と弥代はそんな事を考えずには()られず。

 ただ、腹が減っている時にあんなに美味そうなものを一度も手を付けることなく、指を咥えて見ていただけというのがとても良くなかった。



 相良の許しが出て箸を取るや(いな)や、久しぶりの蕎麦以外の飯に弥代は勢いよく食い付いた。

 店の者が部屋に置いて去っていった飯櫃(めしびつ)の上蓋を持ち上げれば中から覗くのは真っ白な白米ではなく、ほんのりと色付いているのが春原には分かった。

 今しがた、米を盛るよりもまえに湯気の立つおかずへと伸びた筈の目線が、匂いに釣られでもしたのかぐるりと此方に向くのをありありと感じる。

 心なしか甘い匂いは、恐らくはだし(じる)で最初から()かれたのだろう米だ。菓子に目がない、甘いものを(この)む弥代にとってそれは、一度(ひとたび)嗅げば釘付けになってしまう程だったのだろう。

 行儀が悪いと分かっていつつも、といった様子で、部屋の中に()はするものの、九条家の者と向き合い何やら話し込んでいる相良をチラチラと気に掛けながらも、箸を口に咥えたまま器用に腰を下ろした体制のままズイズイと距離を詰めてくる。

(よそ)うか?」

「うん、よそって。」

 飯櫃の中をジッと覗く目はいつにも()し、とても幼く(うつ)る。たとえば此処で、この飯は米だけではなく、ぐつぐつと火鉢の上で煮え立つ、細かい切られた具材と一緒にして食べるものだと(店の者が支度をする際にそのように簡単な説明をしていたのを春原は覚えていた)教えたとして、今以上の反応を弥代は示すのだろうか?を、珍しく春原は想像せずにはいられなかった。

 ただそれをするにしたとしても、今は少しでも早く米を装ってやらねばならない。

 じゃないと味の()ゆいおかずには、満足に箸を伸ばせられない筈だ。

「鍋ってさ、寒い時期に食べるもんだと思ってたんだけど秋にも食べるもんなんだな。」

 半刻程の出来事が、荒々しく揺さぶられた心が嘘のように落ち着く。穏やかな心持ちで接することが出来るのに、弥代が弥代である以外の理由など春原は持ち合わせていない。

 相良をもっと知りたいと口にする、いつか春原の様に相良の(ふところ)に、信頼を寄せてもらえるようになりたいと話す際の、不釣り合いに大人びたような柔らかい表情を浮かべるよりも、食事一つに頬を(ほころ)ばせる、興奮気味に前のめりになる方が断然、弥代らしく(、、、、、)()――え。

「…………。」

 小さく、(かぶり)を振る。

 チラつく、此方へと向けられる眼差しの眩しさに目を細めずには居られない。

 それが自身の中で何と重なったのか、を春原は薄ら理解しつつあった。

 (ひとえ)にこれ迄とは違い、共に過ごす時間が増えつつある内に、ごくごく当たり前のように重なる姿に、しかし似て()なることを受け入れられないというわけではない春原は一人。

 (いま)だ、答えに辿り着ける事はないまま一人。目を、逸らした。



「お久しぶりにございます、相良殿。」

 その顔を最後に見てから彼此(かれこれ)七、八年は()とうとしている。子の七、八年よりも比較的(ゆる)やかに感じる事は出来ても、それでも明確に老いを感じずにはいられない眼前の彼は、相良の記憶が正しくば五十を迎えている。

 表面上の態度に落ち着きを見せはするものの、“色”を持ち生まれたというにも関わらず、歳の割に鮮やかさが際立つ、今なお損なわれている様子が見えぬのは答えに近い。

 目の色よりもやはり目立つ髪色で、と言えば直近だと扇の女主人が正しく当て嵌まるが、あの女傑(じょけつ)は歳相応の落ち着きを見せてはいたが、()せた色に(はん)(おとろ)えることを知らぬ、鋭い眼光を持ち合わせていた。

 となれば、やはり一概にそうである、と決めつけるのは褒められたことではない。たとえそれが自身の中においてのみだとしても、だ。


 例外、などというものは多く存在する。

 生きた時間の長さに、多くを望む、願った回数によって褪せていくものであるというのなら、鬼と呼ばれる存在が持つ“色”が数十年、恐らくは数百などと途方もない時間を生きていようとも。

 人の腹を(かい)し生まれ(いず)る。変わらず、産道を(くだ)るというのに褪せぬその理由がなんであるかを相良は知らない。

 通ずる、相良の知らぬ点があるのだろうかと、其方へと考えを思わず()きたくなるのを(こら)え、相良は眼前の彼――九条(くじょう)嗣定(つぐさだ)へと意識を(かたむ)けた。

「えぇ、大変長らくぶりとなります。ご息災(そくさい)のようで何よりです。」

 (ふた)回り近く歳が離れた相手であるというのに態度を崩すことなく、長年身に染み付いているからだろうが、それに(のっと)った立ち居振る舞いを見せる。習慣と云うよりは癖と呼ぶ方が正しいやもしれぬ。

 それをされて、見ていて悪い気になることは()ずないだろう。

 一人の大人(おとな)として見ていてくれるのだと(とら)えることとし、対等に此方も接するよう心掛けねばという気概が(おの)ずと芽生えるというもの。

 勝手に身についたわけではない、使い道の他になかった寄せ集めで(かたど)っただけの張りぼてが、果たしてどこまで(つう)ずるかの懸念が相良にあることなど。

 相手がそれを知る(よし)など、ありはしないだろう。

「まさかこの様に遠き地で九条殿と御会いする日が来ようとは思ってもみませんでした。」

 それは私も同じです、と言葉が返ってくる。そこに嘘、偽りはない。

 藤原(ふじわら)(ぞく)する、深い関わりがある血筋の生まれであるというのに九条嗣定という男は欲の薄い、必要以上を他者に求めることを知らぬ人間だ。

 人の裏を掻くような、他者を踏み台にしようという意志とは無縁な。自身が何よりも大切にする存在(モノ)を蔑ろにされる、それを踏み荒らすような真似をしない限りは落ち着きを崩すこともない、どちらかといえば感情をあまり(あら)わにすることのない、物静かさが印象強い。

 初めて相良が顔を合わせたのが十五年程前。最後にその顔を見てから七、八年という歳月が経とうとしているのに、歳を重ねて尚もその軸が変わっているようには見えぬ様子が若干(うらや)むのだが、それもまた、今は触れずとも良い話だ。

遠路(えんろ)遥々(はるばる)西方(さいほう)の地に(おもむ)かれるのは大変骨が折れましたでしょう。」

「えぇ、これほどの長き旅をまさかこの歳になって経験することになるとは思ってもみませんでした。しかし、旅とは名ばかりの。あまり自分の足で歩いてきたばかりではありませんでした為、それほど……といった具合でしょう。」

「この時期ですと、神迎祭(かみむかえさい)にしては少々早過ぎはしませんでしょうか?」

「はい、神在月(かみありづき)の神事には(いささ)か早いかと。

 しかし、二月(ふたつき)程前に少々(こと)があり。それに(さい)し、藤原の一部が動かねばならなった次第です。」

「二月程前、ですか。」

 なるほど、と相良は(うち)で頷いてみせた。

 あの地は今も尚、(あおい)威光(いこう)が色濃く残る地だ。時代が移り変わろうとも色褪せることなく極彩色で(いろど)られた社殿が残された地である。

 国の舵を切る者が変わり時間は経つが、いつ何時(なんとき)残党が、と目を光らせていても不思議ではない。であるのならば、今になってやはり石段に足を掛けず良かったものだ、と考えるのだが。

武蔵国(むさしのくに)より行方を(くら)ましてからそれほど時間が経っているわけでもないという中、あの様な事を起こされるのはあまり賢しいとは言えません。」

「狙ってあの様になったわけではないのですが、そうですね……善処は致しましょう。」

 それほど地位があるわけではない。あくまでも本家の者に(つか)えているという、長い付き合いが九条にはあるというだけだ。

 しかしながら彼の耳には多くが辿り着くのだろう。自己主張がやはり薄い、場に馴染むのに()けている為か、多くを把握している事が多い。

 それを目的に、相良が(かつ)て距離を詰めたことを、彼が知らぬわけがない。

 その上、で。そうだと分かった上で、数年ぶりの再会であるというにも関わらず、変わらずこのように向き合い、昔のように相手が知り得たいと思っているであろう件に目星を立てて、それを()かしてくるというのは、ただの頭の悪いお人()しに他ならない。

 なにも、彼との関係が深いことはない。ただ一番に目を付けた。この者からなら都合よく自分の欲する話を難なく引き出せるだろう、と。藤原の血が流れる、中枢の人間に付き従う立場のこの男から引き出せるものは多くある筈だ、と見立てて近付いたに過ぎない。

 だというの、に。

「やはり、普段と違う相手とこの様に話す機会に巡り合えるというのは貴重です。

 この処はよりにもよって四六時中、好きでもない(かた)のお世話がありましたので。」

近衛(このえ)殿は一緒ではないのですね。」

「えぇ、此度(こたび)私のみ(、、、)となっております。」

 わざわざ()るまでもないというのに、なるべく視ぬようにと心掛けていたというのに、それを上回る勢いに思わず気圧(けお)されそうになる。

 触れるべき名ではなかった事を相良は思い出し、理解し。なるべく不自然でないように(つと)め、彼に(まつ)わる他の話へと切り替えることとした。

 彼の在り方に影響を受けたであろう、今は榊扇の里にて暮らしている白髪(はくはつ)の青年について、だ。



「――そうでした、か。」

 衝立(ついたて)越しに()わされる小声でのやりとりは、一部に耳を傾けただけでは全容を理解するのは至難(しなん)(わざ)だろう。

 それをいいことに、どうせ分かりはしないだろうと交わした話の中に、まさか白髪の彼に関する話があったなど、弥代が知ることはない。

 常陸国(ひたちのくに)にて家が焼き払われ、行く宛を失ったまだ幼かった春原の手を引き、藤原に連れ帰った日より。

 歳が同じという理由と、厄介払いを兼ねて本家の、藤原秋滿(あきみつ)の元へと。まだ“色”をその身に受け入れる前の彼と同等の扱いを受けるようになった、春原が藤原に逆らう事となったあの日まで、義兄弟として接してきた。

 そんな両者のそれなりに近くにいたのが九条と相良だ。まるっきり面識がない訳がないのだ。しかしそれは、九条嗣定という男と白髪の彼との関わりを知っておかねば難しい話、だ。

 春原家の焼失以降、いくら藤原の手により囚われていた身であろうとも、外と関わる術を持たずにいた当時の弥代が、それを知る訳がないのだ。

(なにより彼女は六年よりも前の事は覚えていないと言っていましたからね……。)

 今になってその様な言葉を思い出すのは、やはり通ずる部分の多い相手と接する機会に巡り合えたからであろう。なにも思い出話に花を咲かせるなどというわけではない。

 紐づく、過ぎるものが多いという。

 ただ、それだけの話でしかなく。

(あらた)めてみれば帳尻が合ってしまうのですから、否定のしようがない。)

 そんなものだ、と自分に言い聞かせることは容易い。が、それをすんなりと受け入れてしまうのはどうにも歯痒い。弥代のことをまだまだ幼い【子ども】として見る、相良からすればそれ、は―――余程の事、だ。

 一部、それに纏わる事のみではなく、それまでの自分の歩みそのものを全て忘れてしまうなど、そうまで弥代は。今、その表情を直接拝むのは難しいが、衝立の向こう側で楽しげな声を漏らすあの子どもは追い詰められたのか、を考えてしまえば(おの)ず、と。

 ふ、と。

 眼前の彼より意識が若干()れていた事を。相良は自身に向けられる視線によって気付かされた。

 (ほそ)い眼差しの奥に、嫌悪は感じられない。

「奇妙なモノ……ですね。」

「えぇ、私もその様に感じております。」

 駿河の一件を()て、春原の口から語られた。

 春原が藤原の元より離れるに至った、逆らう道を選ぶ結果を(もたら)した、その元凶は。大元を辿るのなら矢張り、(まぎ)れもなく、相良が春原の持つ“色”に、かの鬼の血を取り込んだ血筋に“色”を持つ子に気付いてしまった、それに(ちが)いない。

 祖父という後ろ盾を失い、(すが)る先を求めていたあの頃の相良にとって、強大な権力を持つ藤原に取り()る為ならば差し出せるものは命以外なら何だって差し出してやった。幼少の頃より祖父によって嫌というほど()()まれた、“色持(いろも)ち”が()いられる迫害というものがどの様なものであったかを理解していたから、だ。

 だから、“色”も持ちながらも、才覚を見出せすれば()られる居場所が欲しかった。祖父以外を知らずに育ってしまった自分でも、居ていいのだと思える場所を求めていた。

 相良が春原を見つけてしまわねば。

 相良が祖父を失うことがなければ。

 相良が祖父以外に頼れる相手を真の意味で得られていたのなら。

 相良が藤原に取り入る為に自分の知り得るものを話しさえしなければ。

 それによって、弥代が藤原に囚われるような事が起きさえしなけれ、ば。

「奇妙なものです。」

 考えすぎである、と。それはあまりにも飛躍し過ぎであるという自覚が相良には勿論あるのだが、数年越しとなる再会を、相良が過去に(おか)した(あやま)ちについてを知っている相手である為に、それをいい事に、九条が自分よりも目上の人間であるものだから、と。どうせ気にはしないだろうと分かった上で、今の今まで触れずにいた部分に少しずつ、触れていく。

 誰一人、きっとそのようなものを知りたいなど、と。そんな事を望む者は居はしないと分かっていながら、も。

 そう、だ。だから相良は、相良はずっと。もうずっと、あの日、弥代の手を取ったその瞬間からずっと心の奥底でそれを抱え続けていた。弥代がその様になるきっかけを、その原因を生み出してしまったのが他でもない自分である可能性に辿り着いてしま、い。

『ありがとう、相良さん。』

 無知である事、を。忘れてしまったどころか、初めからそうであったと知らぬからこそ出てきたのだろう、というその言葉に。

 事情を知らない、過去に何があったをそもそも理解出来ていないのだから仕方がないという事ぐらい分かっていたとして、も。

『相良さん!』

 男児の様な振る舞いに(はん)して、伸ばしている後ろ髪がふわり揺れたと思えば、すっかりと(はず)みきった声色(こわいろ)が響く。

 今の今まで、どれほど望んでも得られることが出来なかった、拠り所になる相手を得られた事で翳りを見せなくなった表情があまりにも無邪気、に。

 それら全てがよりによって……、()りに選って、どうして自分であるのか――、と。

 極力、目を合わさぬように相良は(つと)めた。努めてみせたの、だ。

 なの、に――

『帰ろうって言ったら、相良さんどうする?』

『やっぱスゲェや相良さんは!』

『ねぇねぇ、相良さん。アレ……、アレはなんて言うのか教えてよ?』

『俺だってやれば出来るんだってば!』

(まぶ)しくって、目開けてらんないの……と、やっぱり赤、そんな好きじゃねぇの。』

『俺らに、ちょっと任せてよ?』

『……ごめん、なさい。』

 相良が弥代と目を合わさぬように、と努める――(こころ)みれば試みるほどに弥代はその距離を、自分から歩み寄るように駆け寄り、詰めてきた。

 (かさ)なる。

 “色”が目立ってしまわぬように、と。彼女が持たせてくれた練り()(もち)いることで黒くなった髪色、が。

 どちらかといえばあまり(あざ)やかではない瞳の“色”、が。

 どういった経緯(けいい)で得たのかまでは分からないが、嘗て祖父が自分の為に、と見繕ってくれたの形とよく似た服装に身を包む。

 拠り所、を。縋れる相手を得て、好かれようとする立ち居振る舞いが、親から愛されることを当たり前に望む子どものような態度が、どうして……も。

「ですが、しかし――――」

 弥代が過去の事を忘れてしまう程の、それまでの道のりを手放してぐらいの深い傷を負った、その原因を、その状況を生み出したのは紛れもない相良自身、だ。

 それによって春原は藤原に逆らった。都合よく飼い殺されるばかりでなく、反対の平凡な日々を得られたかもしれない可能性を(みずか)ら放棄し、どこへと逃げたかも分からない弥代を探す為に命を危険に晒す道を選んだ。

 そうしてゆっくり、と。時間は掛かったものの信頼のおける存在を、味方と呼べる存在をいくらか得て、兼ねてよりの自身の悲願が、かの鬼と再び相見(あいまみ)える事の叶う機会が相良は得られそうなの、だ。

 この旅路がどの様な結末を迎えるかなど、相良だけでない、誰一人として分かる筈がない。

 しかし現状、どう転んだとしても自分の願いは叶うだろうという確信が相良にはあった。

 誰がなんと言おうとも、ここまで来てそれが、この願いが(つい)えるような事は起こりえない、今更ここまで来てそれが(くつがえ)るようなことはないのだ、と。

 相良はそう、信じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ