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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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五十六話 図に乗る

 分かった、事がある。

 腿裏に回した一本腕で体を支える。

 もう片方の腕は膝頭と顎の間に持ってきて、机などないのに器用に頬杖でもつくような格好をしてみせながら、軽く体を前後に揺らしつつ、弥代(やしろ)はそんなことを得意げに考えていた。

『…………相良(さがら)か?』

『あぇ、……口に()てた俺?』

『違う。』

 一瞬、ギュッと(すぼ)められる口元は()ねたヘソを曲げた子どものように映った。けれども少し早足気味に後を追う、「相良を見ていた。」という言葉にすぐさま気を取られ、弥代は口角だけでなくハッキリと、自分の頬が(ゆる)むのを感じながら、それを深く噛み締めた。

『相良さんって本当に(うるさ)いよな!』

 聞こえだけならとんだ悪口になってしまうがそんなつもりなど全くない。

 証拠というのは目に見える形がなくては説得力に()ける、などと言うのは(まさ)しく、今しがた弥代と彼・春原(すのはら)の間で二、三度その名が挙がった相良の言葉だ。

 残念ながら、当人の耳にこの会話が届いていた場合、そんなつもりはなかったのだと、どれだけ弥代が(つくろ)う言葉を並べ立てようとも、それが通じないことは目に見えている。

 だから出来るだけ、()らぬ会話まで聞こえる自信があるだなんて胸を張っていた相良に決して届かぬよう、限界ギリギリまで絞ってみせた声量で、弥代は左手で同じように大きな体を縮こまらせている春原にだけ聞こえるぐらいの大きさで言ってやった。

『そう……だな。時折、俺でも煩いと感じる、事はある。』

()いてもねぇこといっぱい喋ってさぁ、一度じゃ覚えきれねぇ事ばっか一気に話してくるもんだから困っちまうよなぁ?』

『覚えきれなかったと言えば、機嫌を悪くする。』

『そうそう、それそれ。広いデコしてっからさぁ、分かりやすいんだよなぁ、あの寄った瞬間とか特に。』

()(のが)したことはない。』

『やっぱ千方(ちかた)スゲェのな、俺なんか数えられるぐらいだよ。』

 分かりやすいってのに見逃しちまうなんて惜しくて嫌ンなるぜ、とでも、(にぶ)い春原でも分かりやすい愚痴を弥代が(こぼ)そうものなら、彼は自分を(なぐさ)めるような言葉を絶対に(つむ)いでくれるという確信が今の弥代にはあった。

 だからそうだろうと分かった上で続けることはせず、弥代は彼から視線を逸らし、

『静かな相良さんってやっぱ慣れねぇよなぁ。』

 目を()れるのは、体の正面の、その先。

 右手には細々とした、自分にしか勝手の分からない、それ専用の道具になる為に人に立っていられるのは困ると言った前置きがあったからこそ、人が寄り付かぬようになっている。

 茶屋に入る入り口の邪魔にはならぬ位置、格子(こうし)(まど)と壁を背にし、いつぞやの様に目の前の包丁に意識を集中させて、刃先(はさき)を丁寧に(とと)えてみせる、その姿を視界に(おさ)めた。

『それが悪いとか、そういうんじゃねぇんだけど、さ――』

 口数が、やはり多い。

 でもその実、本心から言いたい事はずっと少ないんじゃないか、と弥代はそんな事を思う。

 普段から言葉の多い相良は多分、言いたい事を言う為に、ずっと長い長い準備をしているよう、な。

『相良さんって、他人だとかそんなに好きじゃないんじゃないのかな?』

 誰かと接している、口を開いている時の相良はとても活き活きとしている。相手が圧倒させるぐらいの勢いで喋り倒し、話す隙を相手に(ろく)(あた)えてやることなく詰め寄り、それで首を縦に振らせるような事だってしてしまう男だ。

 そんな男を捕まえて、他人が嫌いだとか、本心は言葉が少ないだとか、そんな、勘違いも(はなはだ)だしいと一蹴(いっしゅう)されてしまいそうな言葉を並べてみせるのは、相良とは(まった)く真逆、の

『どう思う、千方?』

 表に出てくる言葉が最小限なのに、引き出そうと思えばいくらでも出てきそうな彼を横に据えているからこそ、で。

「弥代は凄いな」と、優しく(つむ)がれる。今は引き出そうという気分にはならないというのに、紡がれた言葉の奥に込められてそうな思いであったりを、弥代は好き勝手思い浮かべながら、やっぱりそうなんだ、と結論付けてみた。

 弥代は、この頃が楽しくて仕方がない。







 山城国(やましろのくに)を、西条(さいじょう)()を出立して半月。

 旅路(たびじ)に関しては相良に一任(いちにん)しているものの、道中で文句の一つ二つなんてのは我慢が出来るものではない。思い返しても日に二、三は漏らしていたものだから、それが半月((いや)、なにも毎日毎日(かなら)ずしも漏らしていた、というわけでは(けっ)してないの、だが)ともなると思い返すだけでキリがない。

『では、山陰街道(さんいんかいどう)出雲国(いずものくに)へは出られるのでしょうか?』

 西条家を出立するその日の朝、朝の(うち)に旅支度を()ませ、出発が夜になるものだから日中に寝ておこうとした弥代に問い掛けてきたのは、当然のように弥代に(なつ)っこかった稲葉(いなば)隆棋(たかよし)だ。

 五街道である、東海道(とうかいどう)中山道(なかせんどう)甲州(こうしゅう)街道(かいどう)日光街道(にっこうかいどう)奥州(おうしゅう)街道(かいどう)はどれも江戸(えど)日本橋(にほんばし)起点(きてん)としているが、何もこの世に街道と呼ばれるものはそれらだけではなく、それ以外にも多くあるのだと彼は優しく教えてくれた。(そういえば桑名(くわな)宿(じゅく)(みや)宿(じゅく)を繋ぐ、七里(しちり)(わた)しで船に乗るか陸路(りくろ)で進むかの時にも、相良と(きぬ)の会話の中に、さやろ(、、、)だか、さや(、、)道なる言葉がチラホラと出てきていた気がしなくもないが、弥代はあまり深く覚えていない)

『いえ、山陰街道の方が確かに出雲国へ出られるのであれば比較的平坦ではありますが、(わたくし)はお(すす)めは出来ませぬ。』

『はぇ、何で?』

 それは(たし)、か―――

「ねぇねぇ相良さん、“すがたなきかみがみ”って、なんなの?」

 道沿いの所々に半分以上が埋まっていて退()かすにしても手間が掛かってしまうのだろう、荷馬車が速度を出して進むには不便しそうだな、と先の東海道を馬を使っての旅路を思い返しながら。

 それの上に乗っては降りてを繰り返し前に進みながら、なんとなしに弥代は気になったものだから、ふとそんな事を相良に(たず)ねてみた。

「……どこでそれをお聞きになられましたか?」

「んっとねぇ、隆棋が言ってたんだけど――」

『弥代様のように強い“色”をお持ちですと、因幡国(いなばのくに)(かい)します山陰街道はごく(まれ)に、姿なき神々に見初(みそめ)められた“色持(いろも)ち”が神隠しに()い、二度と帰って()れぬという言い伝えが存在しておりまして……、』

 ――みたい、な?とあまり自信はなくウロ覚え混じりに弥代は気になるに至ったきっかけを、相良に(たず)(かえ)されたものだから素直に()べてみせた。

「……えぇ、そうですか。また稲葉家の嫡男()なのですね? そうですか、そう……でしたかッ!」

 とても、複雑そうな反応だ。

 弥代は思わず今登ったばかりの石の上から降りて、眉間の皺を(ほぐ)そうとしているのか寄せようとしているのかすら分からない手付きでいる相良から慌てて逃げるように、春原の後ろへ隠れた。

「なんか最近の相良さん怒ってばっかじゃね? ンなに短くなかったじゃんかよ、どうしちまったんだよ?」

「自覚がお有りでないッ‼︎」

 人目を気にしなくてはならない、目立つような事はしてはいけないとそれはそれはしつこいぐらい道中言われたというのに、日が()つにつれて誰よりも目立つようになっているのは間違いなく相良だ。

 怒ってばかり、というのも間違っていない筈だ、と弥代は思う。

 だって弥代が知っている相良は、確かに声は大きいし誰よりも張り上げてみせるが、進んで怒りを露わにするような大人ではなかった。

 余裕を持って、自分の主張を押し切るのに淡々と言葉を並べて、相手が根負けするまでしつこく(ねば)る。自分が決めたことに対し、譲歩(じょうほ)すること考えを(はな)から持ち合わせちゃいない、どちらかといえば弥代があまり、得意としない大人の、信用ならず何を考えているのかが分からない、そういう大人であった。

 しかし、いつの頃からか。そんな相良が感情を露わにするようになってきた。日の目を見るのは(おも)に怒っている時ばかりではあるが、怒っているのかも分からない状態で無理をしてほしいわけではないので、弥代としてはとても助かっているのが現状だ。

 でもこうして、間違っても自分に怒りの鉾先(ほこさき)が向きそうになると弥代は決まって春原の後ろへと隠れるように逃げてみせ。

「別に隆棋、悪い奴じゃねぇのにな。」

 ね、千方。と、顔を覗き見ながら弥代は春原に語り掛ける、も。

「…………。」

「……。」

「……誰だ?」

「あ、覚えてねぇのね?」

 弥代はそこで一旦、話を区切った。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 三十一話






 国境(くにざかい)の警備を目的として建てられる事が関所(せきしょ)というものは多いそうなのだが、山城国(やましろのくに)に立ち入る際に世話になった逢坂関(おうさかのせき)から一変(いっぺん)

 国境に建てられるというのなら大和国(やまとのくに)播磨国(はりまのくに)だけじゃない、弥代達が半月ほど時間をかけて歩いた出雲街道(いずもかいどう)の道中にあった備前国(びぜんのくに)やら美作国(みまさかのくに)の、その(さかい)にあっても不思議じゃない筈なのに、それらしいものは全くなかった。

 挙げ句、久しぶりに相良の口から「そろそろ関所ですよ。」と声を掛けられ、随分お目に掛かるのも久しぶりだな!という気持ちで指し示された方へと弥代が目を向ければ

「ボロボロ……だね。」

 一目見れば弥代に限らず誰がどう見たっておんぼろだ。

 関所というのは名ばかりで、山城国の逢坂関のように駐在している門番がいる、というわけでもない。

「なんですか、縁遠い(おこな)いばかりであった筈でしょう貴女?」

 意味が分かりません、と鋭い言葉を()びせられては出かかった言葉も一気に出てき(づら)くなってしまうというもの。別に、大して期待をしていたとか、そんなわけじゃない。そんなわけではないんだ。

 ただ、出雲街道の始点(してん)姫路(ひめじ)からではなく、三日月(みかづき)宿(じゅく)から始まった道中。宿場町はそれなりに多くあった気がするのだが、やはり弥代の髪色が目立ってしまうという、最早聞き慣れすぎた理由で旅籠(はたご)()を使えない日が多かった。

 此処に至るまで半月程時間が掛かった旅路の中、薄っぺらく硬い(ゆか)でも雨風の心配をする事なく満足するぐらいまで眠れた日は、三日(みっか)もなく。

(別に……ちょっとぐらい(くつろ)げたりするかな?とか、期待してたわけじゃねぇし。)

 どこも同じ待遇を受けられると思っているわけじゃない。でも、逢坂関の時のように、自分に()があるわけでもないのに何らかの理由で、それで関所越えが出来なくって。道中、(ふところ)を心配することなく出されたものを享受するだけの、気持ち少し優しくしてもらえたり、なんて事が、

(……だから違ぇし。)

 なにも寛げる機会が一度もなかったとか、そんな事はない。宿場町を、旅籠屋を使えない反面、日中は大人しく振る舞うように(つと)めた上で、目立ちすぎないのを条件に街道沿いの茶屋なりに立ち寄り、飯だけでなく茶にあり付く事が出来た。(毎度ではないが相良の機嫌がいい時は甘味(かんみ)を注文してくれる事だってあった)

 でも、長居はやはり禁物(きんもつ)で。

(ゆっくり出来るんじゃねぇかって、俺がしたかったのはそっちの方だもん。)

 始点の姫路から、終点(しゅうてん)松江(まつえ)までその距離は(おおよ)そ五十里程度。

 十を越えると一気に指だけでは手が回らずに難しくなるものだから、どれぐらいの感覚であるか、というのも実のところ弥代はあまり(つか)めてすらいないのだが、東海道(とうかいどう)のそれが最初から最後までで百二十うん()

 東海道の全長(全部)の半分にも()たない距離を、先の道中以上に時間を掛けて進んだというのは(けっ)して急ぎ足ではなかったのだが、まぁ、自分なんかでは到底理解しきれない、きっと大人にしか分からない事情というものがあるのだろうな、と。そこまで(いた)り、考えるのを弥代は止めた。

 そうし、て。

 先刻(せんこく)、わざわざ手まで叩いてみせ相良が言った通りまでは結局のところ難しかったが、因幡国(いなばのくに)と隣接している伯耆国(ほうきのくに)の、出雲国(いずものくに)の目前に位置する宿場町・米子(よなご)宿(じゅく)を通過に成功した。



「そういえば、さ――」

 やはり山城国ほどしっかりとしているわけではない。

 国境(くにざかい)にそれらしい(さく)だったり、やたらめったら高い建物があるわけでもない。ちょっとだけ身なりの(ととの)った人が二、三人道の端の方に立って、(みち)()く人を見守っているだけであった。

 そんな光景を尻目(しりめ)に、あんな(ふう)なことを言ってはいたものの、出雲街道の終点である松江までは目指(めざ)しはしないのだろう?という(むね)を弥代は相良に確認しつつ、ついでと言わんばかりに今日の朝の内に(たず)ねていた、結局答えを聞きそびれてしまった疑問を改めて振ってみることした。

「あのさ、“すがたなきかみがみ”って結局なんなの?」

「……今、聞きますか?」

「んぇ、だって気になるもん。」

「せめて道中でもう一度(たず)ねてほしかったものです。」

「今の言い方だと俺が悪いみたいに聞こえんだけどさぁ!」

 だよなぁ千方!と、すっかり慣れた調子で味方を()ようと、弥代は後ろを振り返り、春原に話しかけようとした。

 が、

「いい加減に()しなさい弥代さん。」

 顔の前に手が差し出される。

 それ以上前のめりに出ることが出来ない、少し喉を逸らすような体勢で弥代は動きを()め、それをしてきた相手の方を見遣った。

「……な、に?」

「目を(つむ)るにも限度がある、と。それだけの事です。」

 言うて、相良は引き下がる姿勢を見せなかった。



「ぇ……えっと」

 それなりに人の通りもある場所だ。此処から国の外に出立するもの、偶々道中の者も勿論いれば、逆に外から帰ってきたであろう格好をした者もいる。

 各々が自身に纏わることで手一杯。これより暫しの別れになるからか、わざわざ見送りに足を此処まで運んでいるような様子を見せる者もいるのだから、ある意味、下手に声を荒げたりすることなく淡々と、馴染めるぐらいの声量で話す程度であれば目立つことはない。

 次に同じような事をしようものならしっかり注意をせねばならない算段(腹積もり)でいた相良にとっては、この場でその機会が巡ってきたのは言ってしまえば好都合である。

 上半身を前に突き出して、張り上げた声のまま後ろにいた春原相手に距離を詰めようとしていた、それを(てのひら)一つ挟みこむことで(せい)してみせ、相良は弥代と目を合わせたまま口を開いた。

「なにかにつけて春原さんを巻き込むのは()しなさい。」

「ま、巻き込んでなんかっ、」

(はた)から見れば随分ですよ。」

 目を瞑り続けるのが難しくなるぐらいには、と続ければ途端に分かりやすく、弥代は口をひん()がらせた。

 なにも相良は怒っている、わけではない。

 弥代のこれまでの、直近の癖になりつつある行動が目に(あま)る、とそれを注意しているだけだ。

「するな、と言っているのではありません。限度があると、そう、私は言っているのです。」

 正直、慣れた流れではある。

 本来なら榊扇(さかきおうぎ)の里を出立したその時から、三人での旅路が当たり前になる筈ではあったのだ。

 それがなんの巡り合わせか、弥代と面識がある商人見習いの三ツ江(みつえ)(きぬ)の手を借りる形となり、東海道の道中の大半は四人と馬二頭の旅路となり。大津(おおつ)宿(しゅく)からの道のりは短いものであったが、稲葉(いなば)()嫡男(ちゃくなん)・稲葉隆棋とも一時(いっとき)を共に過ごすことになった。

 里を()ってから早いもので一月(ひとつき)以上が経過しようとしているのに、当初から想定されていた三人で過ごした時間は半分にも満たない。

 そんなものだから山城国を、西条(さいじょう)()を出立した直後から度々見られた、弥代の春原に対するそれらはあまりにも、これまでの二人の距離を知っている、それなりに長く見てきた相良からすれば混乱を招くものであったから、慣れるまで当分時間が掛かるかもしれないと考えていたわけだが。

「たかだか半月(はんつき)

 たったそれだけで見慣れてしまう、それが当たり前になりつつある貴女の春原さんに対するその振る舞いは、あまりにも度を越していると言えるでしょう。

 それそのものを“()めろ”と言っているわけでは(けっ)してありません。多少なりとも(あらた)めていただきたく、こうして私は言葉にしているのです。」

 (あいだ)に割り込むように差し出した手を、その内側を弥代の前へと向ける。

如何(いかが)でしょう?」

「……分かったよ。」

 若干の()はあったものの、返ってきた言葉は素直なものであった。



「――それで、なにを()きたいと(おっしゃ)っていましたでしょうか。“姿なき神々”について……で間違いありませんね。」

 国境(くにざかい)が近い店というものはいくらか大きい造りをしている事が多いような気がする。

 暖簾(のれん)(くぐ)敷居(しきい)(また)いだその先、随分と奥行きもある店内は、草履を脱げば簡単に腰を落ち着かせることが出来る小上がりの座敷が右手にあるだけではなく、脚の長い椅子が十個ほど。

 他にも手頃に腰掛けることが出来そうな脚が短く、机を(かこ)うよう。しかし全く窮屈(きゅうくつ)そうには見えないように用意されており、ザッと見渡しただけでも脚長の椅子と同じ数だけ客が居合わせていた。

 長物の荷を持ち合わせている(むね)を、弥代や春原に変わり普段通り茶屋の店主に相良が話すことで、倒すことが出来る小上がりの座敷に上がって(しばら)く。

 注文を終えて、湯気がくっきり見える茶を前に腹を(くく)り、恐る恐る弥代が舌を伸ばした時にはもう、店の者が抱える盆の上には大ぶりの丼が三つ鎮座していた。

 (あらかじ)め客足が増えてもすぐに出せるようにでもしているのだろうか。作り置きの汁なんてものは冷えてしまって、油が浮いているだけのやたらと(しょ)っぱくてあまり弥代は得意ではないというのに、冷たいなんて事なく、出来立てとして出されたのを疑うことなく平らげることが出来そうな、そんな仕上がりだったもの、で。

「そ…………、そう、それッ!」

 返しにほんの少しだけ手こずってしまった。

 思わず(はし)を盆の上に戻すことなく、握りしめたまま相良を弥代は指差してしまったものだから、「箸を置きなさい。」の言葉をすんなりと受け入れる。

 ついでに、気付いている上で絶対に見逃(みのが)されたであろう、ついつい癖でやってしまう(だってその方が楽なのだ)立膝(たてひざ)を慌てて弥代は寝かせ(たたず)まいを(あらた)めてみせた。

「うん、それ。それだよ相良さん俺がずっと気になってたの。

すがたなきはみばみ(、、、、、、、、、)”……だっけ?」

「以前から思っていたのですが、貴女あまりにも適当に音で物を覚えすぎではありませんか? “はみばみ”などというものはありません。“姿(すがた)なき神々(かみがみ)”です。」

 そういう時ばかり自信に満ち溢れるのはもう抜けきらない癖なのでしょうね、と(あき)れ混じりの声が届く。

「そうですね、先ほどはあまりにも突然、なんの心の準備をする()もなくいきなり稲葉家の彼の名前に動揺を隠しきれず、ひどく取り乱してしまいましたが……。

 遅かれ早かれ、この地・出雲国(いずものくに)では”姿なき神々(ソレ)”を耳にされる機会も決して少なくはない事でしょうし、弥代さんに限った話ではなく春原さんもまたこの地は初めてとなるわけですから一度簡単にお教えするのも悪くはな」

「なんでぇお客さん(がた)ぁ、出雲国(ウチ)()らーだん初めてな御人(おひと)()らんかぇ?

 えぇ、おとっちゃんやぁ。神様のことぉ知りたい(ちゅ)う坊ちゃんらが(ウチ)に寄らしゃったよぉ! 手止めたってこっち来てなぁげてやぁ!」

 目元に皺を寄る瞬間を、弥代はハッキリと目にした。






 ――ドンドン、ドンドンドンドン、ドン、と太鼓(たいこ)を打つ音が広い店内に響き渡る。

 弥代の目の前にはいつの間にやら、本当に最初は茶屋の給仕の年若い娘と、店の店主と(おぼ)しき少しばかし老いた男の二人だけだったというのに、店に偶々(たまたま)居合わせていたのだろう、出雲国で生まれ育ったのだろう数人がが太鼓の(ほか)にも、大きいものから小さいものまで様々な道具を手に取り、それで思うがままに音を(かな)で始める事態だ。

 さっきやっと教えてくれそうな前置きを並べていた相良なんて、それはそれはもう……なんと、いうか。渋い顔をしている。

 分厚めの硝子板越しに、どこを見ているのか分からない目をしている。

 話に割り込んで()られた時は一瞬にして一気に寄ったはずの皺が、全くこれぽっちも寄りそうな気配すらなく、遠いなにかにただ目を遣るだけの、そんな目をしている。

 それだけ見ればいくらか面白そうに弥代は見えなくもないのだが、前後(ぜんご)というか今に(いた)るまでの一部始終を見ていたのでそうも言ってられない。

(あ、アレだよ。……ほら、(さわ)らぬ神に(たた)りなし、って結構有名な言葉がさぁ。)

 目の前で“姿なき神々”というものは――なる説明がされる一方、神でもなんでもない一端(いっぱし)の人間を、たとえそういう(ことわざ)だとしても相良に当て嵌めるのは(いささ)か。拭いきれない、なんとも言えないなにかが確かにあるのだが、弥代は(いさぎよ)く目を(つむ)ることとした。多分、これが一番(ただ)しい。

 そうして、弥代は相良の目が自分へと向いていないのをいいことに、ずっと同じ姿勢でいるのは面倒だと立膝をし、挙句右隣にいる春原にほんの少しだけ(もた)れかかるような格好を取り、目の前で行われるソレに集中することにした。






(ふる)く、この地・出雲(いずも)(かた)()がれて来た神々の偉業(いぎょう)逸話(いつわ)というものは―――」

 耳を、意識を(かたむ)けていないとわけではないが、それでも時折すっぽ抜けてしまう、関心を(しめせ)ないとすり抜けてしまうものが多い。

 左隣に座る相良が全くといっていい程に興味を示さない話など尚更だ。でもわざわざ、なんで本当にそうなったのか、その意図(いと)だとかを弥代程度では、全てを(さっ)すことは難しいだろうが余所(よそ)(もの)をもてなそう、自分たちの知るものを知らないという相手に知ってもらおうとする真っ直ぐな姿勢は、嫌いにはなれない。

 だから拾える範囲で弥代は努力をすることにした。

 そんな中、弥代でも知る神の話などというのはやはり限られてはしまうが、そこそこ有名な、大半の者が知っているのではないかと思える“神無月(かんなづき)”と言葉が出てきた。



 “神無月”は十月の呼び方の一つだ。

 一から順番に十二の月が並んだ方が明らかに分かりやすいはずなのに、どういうわけか全部の月には、十月のことを神無月と呼ぶのと同じに、似たような全く違う呼ばれ方が存在している。

「あー、アレでしょ? 神様がなんかどっか行っちゃう、留守にしちゃう月だからってんで、神の居ない月でその、神無月(かみなきつき)、だっけ。」

「おうおう坊ちゃんは賢いねぇ!

 そうそう、この島国に御座(おわ)八百万(やおよろず)の神々が出雲大社(いずものおおやしろ)に一同に(かい)すのが他所(よそ)(さま)()われちよる神無月で、出雲(ウチ)じゃぁ神様が居られる月なもんだから、神在月(かみありづき)っちゅー呼ばれ方をしとるんやでぇ。」

(……やでぇ)

 なんだかそれはアレだ。

 白髪(しらが)(あたま)の彼や、討伐屋で一番上背(うわぜい)のある彼の言葉尻なんかを弥代は思い出す。絶対に()らぬ事なのだろうが。

「ンッ、…………えっと。

 それで、そのやおよろず(、、、、、)の神々ってのは?」

(はち)(ひゃく)八百(やお)、それに(まん)と書いて(よろず)と読む。それで八百万(やおよろず)。書いて字の(ごと)く、八百万の神々ってのは神様の総称(そうしょう)だぁ。」

「神様ってのはなぁ、お天道様から足元に生えてやがる野草の一本一本まで。はたまた家の中の隅々まで、ありと(あら)ゆるもんに宿(やど)るもんだからよ。

 それを全部数えるってのも途方もねぇし、神様を数え忘れなんてしちまうような(ばち)()たりな(こた)ぁしちゃあなんねぇかんな、八百万の神々って俺らは()ばせてもらってる(ふし)があんな。」

「ふーん?」

 コロコロと人が変わる。

 今の今まで道具を手に、変わった音を奏でていた者が()わるがわる口を開き、各々(おのおの)が言いたい事を言い()えたらそれでまた元の動作に戻っていく。

 一番最初、店の中に入った時から一緒に居合わせていた、話し込んでいたというわけでもない者同士でも、似たような、根っこはきっと同じなのだろうというのが何となくでも分かる、そんな話し方が続くものだから、この土地()の人の大半の中にしっかりと根付いている考えなのやもしれない。

榊扇の里(あっち)でいう(ところ)の、神仏(しんぶつ)水虎(すいこ)はすげぇ、ってのと(よう)するに同じことか?)

 だが、弥代の知る神仏・水虎や、はたまた下野国(しもつけのくに)古峯(ふるみね)に暮らし土地神として(あが)められる神鳴(かみなり)はどちらも見ようと思えば見える存在だ。

 (もと)辿(たど)れば、隆棋(たかよし)が話していた事が今になって気になり、いい機会だからとちょっとだけしつこく弥代は相良相手に(たず)ねただけであり。こんなにも長く引き摺る事になろうとは思ってなかった。

 し、良かれと色々と出雲国における神がなんちゃらと話を店に居合わせていた彼らは、あれよこれよと話をしてくれるのだが正直、

(なに言ってんのかさっぱりだわ)

 弥代が長年、喋り方に随分と抑揚(よくよう)があるんだなぁ、と感じていたのは、正しくは抑揚などではなく“(なま)り”、あるいは方言(ほうげん)というそうだ。

 長く馴染んだ喋り方なのにどういうわけか一人だけ特別変わった話し方をするとかではなく、生まれ育って土地によってそれらは大きく(こと)なるようで、西条家で世話になっている(かん)(きぬ)や隆棋が色々と教えてくれた。

 なんなら山城国では、京訛りなる言葉遣いがあるそうなのだが、商家の生まれであったりすると(あきな)いで方々に足を運ぶこともあり、変に訛りがあると相手によっては通じないこともあるらしく、耳馴染みがあっても普段から出てしまわないように気を付ける者もいるのだとか。

 教えてもらった時はイマイチ、それがどういう意味なのかが弥代には理解出来なかったが、今置かれている状況が状況なだけに、やっとその意味を理解する。

(わっかんねぇんだよなぁ、申し訳ねぇ事にさぁ……)

 伝えようという優しさ、だろうか。そういったものは少なからずしっかりと伝わってくるのだが、残念ながら話の合間合間に聞き馴染みのない言葉だったりが挟まる(たび)にそっちが気になって、なんだか重要そうな部分を聞き逃しまくっているような状況がずっと続いている。

 自分だけではないはずだ、と信じてちらり右隣の春原に小声で弥代は話し掛けた。

「分かる、千方?」

「…………分からない。」「そっかぁ、やっぱ分かんねぇよなぁ?」

 相変わらず言葉が出てくるまでに()があるものの、それでもちゃんと返事をくれるものだから弥代はとても助かった気持ちになる。

 話が長引きそうだと思った頃にはすっかり足も崩し終えているから、ずっと同じ体勢で足が痺れてしまったり、運悪く()ってしまったり、なんてことはない。普段ならそれをありがたいと思うのだが、そうならない日が訪れようとは思ってもみなかった。

「……ねぇ、相良さん。」

 コソリ、春原に話し掛けたよりも気持ち大きめの声を出して、しかし目の前の彼らが話すのに夢中になってる頃合いを()(はか)らいつつ、

俺らに(、、、)、ちょっと任せてよ?」

 そんな言葉を口にした。


 

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