五十二話 一興
率直、に。
どうし、て。どうしてこんな事になったんだろう?と、弥代は首を傾げずにはいられなかった。
相良に言われた通り、大人しく一歩引いた位置に座り込む。
傍ら、の。近くで繰り広げられている、二と三の数字に進むの字でちょっと変わった読み方をすると相良が教えてくれたアレが丁度当て嵌まりそうだな、というやりとりの声量は中々のものだというのに。小さな寝息を立てるだけで一向に目を覚まさない春原を凄いと感じずには居られ、ず。――というのは、まぁ間違いなく問題を挿げ替えている、目を逸らしているだけだというぐらいの自覚が弥代には勿論あるの……だが。
(俺、割り込める気がしねぇよ。)
腿裏に回した腕についつい力を込めてしまう。
もう十分、半分に折り曲げるどころか山と谷を作って、折り畳んでいる体を更に小さく、弥代は体をぐぐっと縮こめ、て。
(助けろよぉ、千方ぁ……)
心の内で情けない声を漏らす、涙ぐむしかなかった。
「――いえ、私共家族はただ暇を持て余し、時々この様に歌を詠むのが好きと、それだけに御座いまする。
ですが古く、良いと感じた歌も時の流れに合わせ変革というものは合ってもいいのではないか、といつの日か考えさせられる機会を得たものですからこうして、歌に明るくない方の発想であったりというのも取り入れた上でより良い……、新しい歌を生み出せぬものか、と。
そういった遊びをしているだけなのです。」
その言葉に揺らぎは一切見えぬものだから嘘ではないのは能能分かった。
視えるそれを基準に対峙する相手の悪意の有無や発する言葉の真偽であったりがある程度理解出来てしまう、見慣れれば揺らぎ一つで心内さえも読めてしまう為に、どちらかといえば自分以外のそれが視えぬ相手に、根拠であったりを提示する方が難しい事が度々あった。(否、視えるというのを共有している、数少ない相手であればそれも省けはするのだが)
その為、それを一々説明せねばならぬ相手が居ぬ今、相良は眼前の三神に注力をする事が叶っていた。
「いえいえ、既に完成されている、嘗てあの歌人・西行を唸らせ改心させた程の出来栄えの歌を、今更直しなどする必要がどこにありますでしょう?
何より、時間さえあれば歌を嗜まれておられる、長く触れて来られました御三方を前に、多少心得がある程度の私のような者から出せるものなど大変乏し、く……」
「いえいえいえいえ、それはなりません、それは大変勿体無い。」「勿体無いですわぁ」「ご謙遜もし過ぎは損をされてしまいます御客人。」
「ハハッ……、ハハッ」
せめて口を開くのは一人であれ。
否、御三方と触れた手前、三者三様の言い分があったのならそんな事を思うことはなかったことだろう。相良がそう思った、という事は、別に個々に口を開く必要はどこにもなかった、とそれだけの事であり。
勿論、口には出すまい。内に、グッと留める。言ったところで大して意味はない。今一度目の前の三神それぞれが話す機会を与えてしまうだけだ。
「確かに、御客人が仰られますように、かの歌は既に完成されたものでございます。
ですがそれが詠まれたとされるのも疾うの昔。時の移り変わりに合わせて歌にも、多少手が加えられて、手直しがあってもよろしくはありませぬか?」
「よりよい歌の為に知恵をお貸しいただけないでしょうか御客人?」
「試しに一つ、下の句の“白百合の花”に代わる別の花を浮かべるのなど如何でしょう。」
膝の上に置いた両の拳に力が籠る。
否、“西行鼓ヶ滝”の噺の中で、歌人・西行が和歌の三人と出逢う前に詠んだとされている歌の中でも、下の句の言葉選びはなんとも歌そのもの馴染んでいない、違和感を覚えずにはいられない、既に歌人としても名を馳せていた当時の西行という男が果たしてそのような歌を本当に詠んだのだろうか、とそんな事を思ったものだからとてもよく、覚えている。
そうし、て――
“伝え聞く 鼓ヶ滝へ 来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花”
“音に聞く 鼓ヶ滝を うちみれば 川辺に咲きし 白百合の花”
形そのものはそれほど変わってはいないというのに、言葉一つ一つがその場の空気であったりを、良さをとても引き立てる仕上がりとなっている。
鼓ヶ滝という名前そのものが、滝の音が宛ら鼓を打つかのように聞こえた事からそういった風に呼ばれるようになったものであり。
伝え聞くという上の句の歌い出しからして、事実人伝いでその様に広まった呼ばれ方ではあるものの、“伝え”を“音”に変えただけで人の意思よりもより自然に近しさが窺えるように相良には思え。
既に口にもした通り、完成されたものを素人の中途半端な知識で手直しなどという行為はあまりに、も……
「大変……、恐れ多……く、」
時間の経過と共に歯切れが徐々に悪くなっていくのは当たり前だ。教養など縁なく今まで過ごしてきた弥代に矛先が向かぬよう、変わりを差し出すのに自分以外がいなかったものだから当たり前のようにそれをしはしたものの、述べたまま、本当に多少の心得があるというだけで、進んで歌を嗜んだりといった事はした事がなく。
和歌の三神と思しき存在を前に、酷い有様を披露してしまったとして、今の所は大変温厚そうな態度を見せる神だが、それらが豹変するなどというのは考えられなくもなくもない話にも、思えなくもな、く。
(下の句……、花、なにか白百合に代わる、七音……、いえ、四音あればそれでどうに、か……ッ、)
白百合の花が示す季節は相良の記憶が正しくば、夏――仲夏であった筈、だ。
百合の花は種類がとても豊富で、花そのもの形が特徴的ではあるのだがその名前の由来となっているのは、アレは確か、花そのものよりも中々に類を見ない球根部にも花弁が折り重なったかのような形をしており。“百、合わさる”の字が当てら、れ……
「…………桔梗の花、は如何でしょう……か?」
「ほぉ、それは何故でしょうか?」
頭の隅で散々熟考した回答を、恐る恐るながらも相良はやっとの思いで口にした。
「“桔梗の花”――は、元の“白百合の花”と時節そのものは多少ズレてしまう、白百合が夏の花であるのに対し、桔梗は秋の七草の一つとされています。
宛ら鼓を叩いた際に聞こえる音のよう、と。鼓という楽器そのものの歴史が長いと耳にしたことが御座います。そんな歴史の中でも、江戸の頃の鼓というものは武家武楽――能楽において親しまれた背景があった為、庶民が簡単に手を伸ばせる代物ではあまりなく。
そういった格式高さに、古くより高貴な色とされる紫色を。桔梗の花で締め括ることによって、易々と踏み入ってはならない――」
「御客人、大変言い難いのですが……」「歌に季語は必ずしもということはなく……」「歌と俳句は別物に御座います。」
「…………。」
堪えきれず、相良は顔を覆った。
「ではいっその事、鼓子花でよくはありませんでしょうか?」
「おやおやあまり耳にする事のなくなった呼び方をよぉご存知でございますな御客人。先ほどは歌と俳句を間違われて覚えておられましたがさては大変博識な方でおらっしゃれる。」
「しかし“鼓子花”、ですと音があと四音も足りておりませぬ。
それに、“川辺に咲きし 鼓子花”ではそれほど調べが良いとも言えませぬ。下の句を締め括るのにそれではあまりにも……。」
「でしたら鼓子花ではなく、“昼顔”にしてしまうのはどうでしょう? “音に聞く”に続く、鼓ヶ滝を“うちみれば”と来るのですから、そうと言葉が出てくるのは見えていねば、こそ。人の手が加えらぬ山の奥地、滝一帯を一望した上で、川辺に咲し花に……足元にも目が行くわけでございます。
百合の花というものはどうしても咲く際に下を向いてしまう花にございます。それに比べ昼顔でしたら咲いている日中は常に上を向いております。その一時を目にした、とそういった具合に“昼顔の花”で終わらせるのはどうでしょうか。
また昼顔――あの花は確か一度その場に生えてしまうとどうにも取り除くことが難しい、大変厄介な代物であると窺った事があります。根強く、先同様に人の加えられぬ地にて長く咲き誇る“昼顔の花”、如何でしょう?」
「川辺ですので確かに人の目に見るのでしたら昼時、陽が高い内が是非によろしいでしょう。それほどまでに強く言われてしまいますと“昼顔”でもよろしいのではないかと思えてきてしまいますね?」
――等、と。
ぽんぽん、ぽんぽんと立て続けに休む間もなく飛び交うやりとりを前に、弥代の頭はなんのこっちゃ、といった状態だ。
ヒルガオ……というと、なんだか確か夏になると咲いているヤツで、朝の内にしか咲かない似たような名前の花があった気がする。“ヒル”が弥代の思う“昼”であるのなら、朝の内にしか咲かない似たような花とはちょっと違う、名前から察するに朝ではなく昼で、じゃぁ昼の内にしか咲くことがない寝坊やみたいな花なのだろうな、というぐらいしか分からず。
草花の根っこの生え方、だとか。やれ上を向いている、下を向いているから縁起がどうのこうの……なんて言葉が幾ら出てきて、も――
(よく、知ってんなぁ……?)
感心は示せても関心は出来そうにない。
興味があまりにもなさすぎて、先の寝入った春原に対し抱いた助けを求める気持ちもすっかり薄れきってしまった。腿裏を抱えていた手も離れて、今じゃ結局楽でやっぱり慣れているからという理由で胡座を掻いて、内側に折り畳んでいる足のその裏側を、土踏まずに指を這わす。
尻目に見てもどこか白熱しつつある、躍起になりつつあるやりとりに、一体いつぐらいからそんなにのめり込むように相良は口を開くようになっただろうか、と思い馳せてみると、確か“うた”と“はいく”なるものが違うと指摘を受けてからだった気がする。
そこから何かが吹っ切れたように、あれよこれよ、と少なくとも“ヒルガオ”の他にも紫陽花だとか(紫陽花は弥代でも知っている、扇堂家の屋敷で綺麗に咲いた株があるから、と小さな桶に水を張ったのを白髪頭の彼にわざわざ持たせて、それを見せる為だけにやって来た友人に嫌というほど聞かされた思い出がある)、“サザンカ”なる花の名前も出てきていた。
なんのこっちゃにも程がある。
興味が一向に湧かない話がずっと続くのはよくない。全くこれぽっちも理解出来ない、知らない話なんて余計、だ。
相良が自分に代わって前に出てくれ、この家に暮らす老夫婦と孫娘の花を相手に、弥代が全く知らない“うた”なるものの話し相手をしてくれているものだからその手前、耳だけはちゃんと傾けておこうという姿勢を暫くは続けていたのだが、それももういい加減飽きが来ている。
終わりがあんまりにも見えなさすぎてとっくの昔に涙なんて引っ込んでしまい、なんなら今じゃ噛み殺すことも満足に出来なくなった大きな欠伸が出てきてしまう始末だ。
(とっとと終わってくんねぇかなぁ……)
そろそろ限界が近い。なんなら布団がなくたって腕枕で体を横たえることが出来さえすればそれだけで弥代は寝入ることなんて朝飯前だが、やはりここ一年以上の生活のせいで何事においても、なくても出来はするがあった方がいい、という我儘を覚えてしまったように思えた。
そう、だ。この家を見つける前の外での相良とのやりとりでも再三そんなことをずっと言われていた。困ったものだ。
我慢をしようと思えば出来る。でもその我慢をする理由が今はあまり見つからない。否、からっきし理由がないというわけではない、浮かばないというわけでは断じてない。あっても必要性がそれほどない、というか。絶対に我慢しなくちゃならないだけの理由がただない、というだけで。
だ、って……
『全く、貴女という人は本当に……っ、』
溜め息、を。吐かれはする。
でも心底怒っている、譲れないものがある時の相良の声であったり表情であったり、相良の見せる反応を、多分弥代は知っている、既に目にしたことがある、向けらえた事があるものだから分かる、分かってしまう。
結局普段の相良は口で言うほど怒ってなんかないし、最後の最後には弥代の我儘であったりを半分か時と場合によっては全部折れて受け入れ、許してくれる。
今はどうにもそれが、まだ味わい始めたばかりのそれがこそばゆく感じつつ、も。
とても……とても居心地がよく感じれ、て。
もうちょっとだけ、をずっと続けていたい気持ちについついなってしまうのが一番我慢のしようがない処なのだ。良くないんだろう、いつまでもというのは無理な話なんだろうという事ぐらいは勿論分かってはいるの、だが――
「ええい、弥代さんッ‼︎ 貴女も何か出しなさい‼︎」
「だ、だしなさい? ……あっ、ゴメン何? なんか俺出さなきゃいけないのあった? えっと、飯食わせてもらったお礼……とか?」
「そんなのは二の次で構いません‼︎ 花です、なにかありませんか思い浮かぶ花の名前はっ‼︎」
「は……花ぁ?」
怒っているというのとはちょっと違う、単に頭に血が昇っているとか、視野が狭くなっているとか、目先のことにしか目が向けられなくなっている、とか。相良がそんなになるのを初めて目にした弥代は大きく、肩だけでなく体ごと揺らしたが、しかし驚きはしたものの今はそれを噛み締める余裕はない。
なんなら危ないところだった。
意識を傾ければ傾けるほど不思議なことに段々と眠気が強くなって来つつあったのだ。危うく、あとほんのちょっとでも声を掛けられるのが遅かったらきっと、間違いなく弥代は誰の目が自分に今向いていないのを良いことに、人肌でもう十分に温くなった布団の心地よさを知ってしまっているものだから、バレさえしなければ良いんじゃないか?と春原が寝ている布団の中に、足先だけでも潜り込ませていたところだった。本当に危ないところだった。
「花……、花っていうとあの、菜の花……とか?」
「そんなのは蒲公英と然程変わりませんでしょうっ‼︎」
「まぁまぁ素敵ではありませんか菜の花。花と既に付いていますからあと三音をなにで埋めるか楽しくなってきてしまいますねぇ。」
「はぇ?」「んぇ?」
「三音……ですと。
“音に聞く 鼓ヶ滝を うちみれば 川辺に咲きし ほの黄菜の花”
などというのは如何でしょう? 滝の力強さを感じつつ、ほのかに近しい響きは対照的になっておりとてもよろしくはありませぬか?」
「あらあら“ほの黄菜の花”なんて大変愛らしいではありませんか。」
「菜の花のほんのりとした可愛らしさがどこか伝わってきそうですわ。」
「歌の心得のない方の提案というのは真新しく大変良いもので御座いますね。」「今宵はよい夢が見せそうですねぇ。」「えぇ、とても!」
肌をなにやら柔く撫で上げる感触がし相良は目を覚ますも、すぐさま勢いよくその体を起こしてみせた。
寝起きの頭ではあるが今はそんな事を言っていられる場合ではない筈、だ。
体を起こし慌てて辺りをぐるりと見渡してみると、そこは山か森の何処か奥深くであろう。草木が大変生い茂っており、人が足を運んだとしてもそれはきっとごく稀程度の、人気をまるで感じさせない処……で、
「……んぅふふぅ、さがらさんおれねぇ……ちまったんだよぉ?」
「…………。」
相良は、酷く頭を抱えた。
菊花開、霽月の徒路 二十七話
「ねぇ、だから悪かったって俺何度も言ってんじゃーん! 怒んないで、聞こえないフリしないで話聞いてってばさぁ相良さーん!」
「ですから人気がないからと大きな声を出すのを止しなさいと貴女っ、私はもう今日だけで五、六回は申し、てッ‼︎」
「違う相良、数えていたがそれはまだ四度目だ。次があってやっと五度目になる。」
「相良さんでもそういう間違えとかする事あんのなぁー! 良かったな相良さん、千方が代わりに数えてくれてて!」
「頼んだ覚えなどこれぽっちもありませんがっ⁉︎」
ゲホッ、と軽く咳が飛び出てくる。まさかこんな事になろうとは、と思わずには居られない日々が既に数日続いている事実に相良は薄ら心が折れそうになったのは何もこれが初めてではない。
否、こんな些細なやりとり一つで毎度苦汁を我慢し飲み干しているのではない。こんな些細なやりとりであっても既に嫌気が差すほどの数えていたら本当にキリがないやりとりを五万と繰り返しているのだ。
また、一昨日の晩の奇妙な出来事が拍車を掛けていた。
一昨日――そう、一昨日の事、だ。
山城国や大和国を始めとする畿内一帯の国々の間には今の時代、逢坂関のような立派な関所は設けられていないという。
弥代の持つ“色”(特に髪色が)がどうしても人目を集めてしまう事を、山城国における“色持ち”に対する考えがある程度浸透しつつある近隣であるからこそしっかりと意識しておかねばならない事を理解した相良は、なるべく人目を避けるように山沿いの道を。時には獣が通る為だけだろう、人が到底進むことを考えていない道であったりを選ぶなりをして大和国を経由し播磨国を目指そうと移動を行なっていたのだが、その道中で大変奇妙な体験をした。
今でもそれは偶々であったのだろう、とそう思うことにしている。
講談の演目の一つにある、“西行鼓ヶ滝”における内容が空想上の噺ではなく、実際に過去に遭ったのだろうとそのように思わざるをえない、そういった出来事。
人ならざる存在の中でもあまりにも稀有な、それは【神】との遭遇だった。
否、【神】といってもあの手の存在は時代の奔流に取り残され、次第に薄れゆく信仰にのみ縋り生き永らえているのみの存在であった。
故に、直接人に対し危害を加えるということはなく、あくまでも信仰が消えるその日まで、どれほど続くかも分からぬ生をどう生きるかという選択の中で、偶々近くを通り掛かったであろう相良達にちょっかいを掛けてきた、というだけ、で。
(いえ、目が覚めたら家すらもなかったなど、それこそ筋書きのまんまではありませんか、なんとも捻りのない。)
そんな言葉が出るなど、まるで捻りや面白ささえあれば許せたかのように思われかねないのではないかと考えが至るなり、短くなった気が原因で小さくとも舌を打ってしまう。
あの手の存在というものはやはり、擦り合わせが行えぬ限りは苦手なままだ。自分の道理、価値観任せに勝手に全てを取り決め、聞く耳を持つことなく口を開く。
人の生を何よりもこよなく愛す、その枠組みに加わり、寄り添った時間を過ごす物好きとしか思えないかの蛇神でさえ、人の世でそれなりに過ごした時間はあると口にしていたものの、結局のところは染みついた言動が薄れるまでそれなりに時間を有したものだ。(否、全くそれが覗かなくなったということはない。数年を共に過ごした昨今においても、その片鱗というものは度々見受けられていた。)
溜め息、を。
零さずにやり過ごす術があるのならば是非とも教えてほしいものだ、と思わずには居られず。そう、して。
(貴女もなのですよ、弥代さん。)
すっかり見慣れたやりとりを見せる。
距離を詰めては子供っぽい言動を何度も繰り返し、彼の言葉を引き出そうと試みる。その姿勢そのものに止めるようにという言葉は出ては来ぬものの、彼のこれまでの振る舞い方を塗り替えでもするかのような行いにはどうにも、強引さが垣間見えるものだから良い顔は出来ない。
よい変化、と思えないわけではない。
彼にそうして接することで、彼自身の口数がここ数日で増えているのは事実だ。必要に応じて此方が話を振り、それに対する回答も一言、二言で済んでいたものがそうではなくなっている。
人と関わること、自ら踏み入ってくることの、関心を一切示さなかった彼、が。弥代がそれを強いてくるのに合わせ、弥代に振られたからというわけでもないのに口を開き、会話に割り込んでくる姿勢を見せるのはなに、も――
「いえ、それとこれとでは全く話が別です。
ですから弥代さん、貴女はそこに直りなさい。足が痺れたからで解放などもうしてやるものですか? いいですか、貴女がそれらの言動を控えるまで私はいくらでも貴女に時間を割きますからどうぞお忘れのないよう……」
山城国を出立し大和国を介し、播磨国へ到着を果たした。
否、果たしたとはいってもこれといった目印があるわけでもない。結局は人目を避ける形で山沿いに進んだだけに過ぎず、頃合いからしてそろそろ播磨国には入ったことでしょう、と。そんな言葉が相良からあったから弥代は頷いただけだ。
榊扇の里から、扇堂家の屋敷を出たのが、八月十日。
山城国に入って、西条家の世話になり始めたのが、同じ月の二十二日のこと。
西条家を出たのが月が見えない新月の晩で、それから一、二、三、四……。
(今日が、九月五日……になるのか?)
左手の指を一本一本折りながらを数えつつ、弥代は右手の指についた粉を余すことなく弥代は舐めとり、相良の名前を呼んだ。
「今日、今日さ! 体洗ってもいい日で、髪も洗ってもいい日だよね!」
「えぇ、まぁ結局一昨日のアレは湯に浸かることも、体を洗えたとも言えませんでしたのでね。」
構いませんよ、という返事が返ってきたことで弥代はその場で大きく体を動かした。
それまで軽く腰掛けていた岩場から、勢いなんてつけても意味がないのに降りてみせれば、近くを数歩、軽い足取りで跳ねるように駆けてみせる。
「湯! あっつい湯どっかにねぇかなぁ?」
「ですからそれは贅沢ですとあれほど……。
長居はなりませんよ。手っ取り早く川浴びは済ませなさい。下帯はこちらで洗っておきますので。
……春原さん、貴方もですよ?」
西条家を出る前、絹から差し入れにと渡された干し芋の、今日の分を食べ終えたばかりだ。
一切れ一切れが懐紙と呼ばれる、薄っぺらい紙に包まれており、包みの中でくっつき合ってベタベタになってしまうという事はないのはありがたいが数が限られていて、それも残り三切れ。
欲をいうのなら熱い湯に浸かるがてら、山沿いではなく人が多い場所まで出て、団子の一本二本も弥代は味わいたいところだ。
『団子ってさ、三玉ぐらい刺さってんじゃん。あれをさ、一日一玉だけで俺ちゃんと食うの我慢すっから、そしたら一本で三玉、三日は食えるじゃん?
だからえっと、二本で三が二だと、四、五……六、玉。六玉になっからさぁ! だから六日、……六日も食えちまう!』
『数日経った団子はどうなるかご存知でない?』
そんなやりとりがあったものだから干し芋のように日持ちする、日が経っても美味しく食べれるものは偉大だ。
もっと言ってしまえば同じものがあればいいのに、と。こんなに美味しいと分かっていたのならもっと貰っておけば良かったと思わずにはいられない程だ。
「ね、ねぇねぇ相良さん、やっぱりそろそろ人里に降りたりしねぇ? 食えるもんもそろそろ少なくなってきたんじゃねぇの?
千方だっていつまでもさ、木の実だなんだ食いごたえのねぇもんばっかじゃ嫌になっちまうよなぁ?」
相良の傍らで黙々と、葛籠の中から出したであろう包みを広げて、爪と同じぐらいの大きさ程度しかない実なりを口へと運ぶのを繰り返す春原に、すっかり慣れた様子で弥代は話を吹っ掛けた。
摘んだばかりであったろうそれを、持ち手とは反対の手と、口元の間でウロウロ。
戻したものか、口に入れたものかを二、三ほどいったりきたりを感じさせる間を挟んだ後、春原は手を膝の上へと置き口を開いた。
「…………我慢、出来る。」
「我慢は、だから本当ならもっと食いてぇってことだよな?」
「……腹を満たせていないわけではない。」
「でも食えるならもっと食いてぇんだろ?」
「…………。」
「ほら相良さん、千方もこう言ってるからさ?」
「肝心な部分は口にしていないように見受けられましたが?」
そん、な――
そんなやりとりを、もう数えられないぐらいずっと繰り返して、その居心地の良さ、に。気楽さに弥代は味を占めずはいられない、そんな日々が続いてはいたの、だが―――、
(…………アレ?)
どこか見覚えのある、知った風景が偶々、むかし目にしたそれとよく似た光景が広がっていることに、弥代は気付いてしま、い。
弥代の足は一時、その場に縫い留められでもするかのように止まった。




