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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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五十一話 和歌

 人ならざる存在(モノ)と呼称をしている時点で、(そう)じてそういった存在というものは人以外を()しているのは明白(めいはく)――分かりきっている事ではある、のだが。

 ()して脅威(きょうい)とは呼べそうにない状況を前に、(たい)して緊張感もない、比較的には(おだ)やかと呼べよう場において。まさかその表現を当て()めざるをえない日が訪れようとは、相良(さがら)は思ってもみなかった。

 (いや)人ならざる存在(ソレ)というのは必ずしも、その在り方に由来(ゆらい)するとは限らず。であるのなら、やはり。

 総じて(、、、)などと当て嵌めるぐらいなのだからそういった見方……と、いうものは少なくとも存在していたとしても何ら可笑しなことではないのだろう、が。

 しか、し――

『いっ……今一度御聞かせ願いますでしょうか、伽々里(かがり)……様。』

『あら、理解が(およ)んだ上でそのような反応(態度)(しめ)されるのですね貴方という方は。』

 同じ事を二度も口にするのは好きではありません、(など)と小さく息を()いてみせる。人の一生を(ゆう)に越えた時間を生きる、畏怖(いふ)せし信仰の存在を眼前に()え、相良は息を呑まざるを()なかった。

 とはいえ、たとえ一度や二度理解が及んだ程度で、そう易々(やすやす)とは自分の溜飲(りゅういん)というモノは飲み(くだ)しきれぬものでは自覚が相良にはあった。

 対峙する相手が相手なだけに怖気(おじけ)づき引き下がるような真似は(もっ)ての(ほか)。そんなもので身を引くような人間であったのなら、私は彼に着いていく覚悟を決めたりなどしなかったろう、と腹を(くく)る。簡単には引き下がってやるものかと、(さなが)ら最低限のみ(やぶ)をつついてみせるかのように言葉を多少選びつつ、相良は順序(じゅんじょ)()てて言葉を()べてみせた。

『あくまで(わたくし)春原(すのはら)さんが今この時、この武蔵国(むさしのくに)に居るのは何も彼等に喧嘩など……、そのような何も得られるモノのない争いをする為ではありません。

 わざわざ目の敵にしております彼等の(ふところ)に居座る理由がどこに御座(ござい)いましょうか?

 貴女に呼び止められた為に一時(いっとき)、こうして話の場を(もう)けざるを()なかった、と。ただそれだけなのです。長居をするつもりなど毛頭ありはしません。

 だというのに貴女様は――』



 ――そんな事もあったなぁ、と中途半端に思い返した過去のやり取りを(しば)し相良は反復させながらも、いま自分が置かれている状況を、どうにか再度改めて見つめ直そうと(いど)んでみせようとした、が。

「えぇ、そういったものですから息子夫婦は人の多い地で(あきな)いに(いそ)しんでおり、(わたくし)老耄(おいぼれ)夫婦がこうして変わりに可愛い孫娘の世話をしてやっている、といった次第なのであります。」

「なのであります!」

「まぁまぁ、皆様はお疲れなのですよ。二人ともいつまでそんな長話をされるおつもりですか。」

 (とし)相応(そうおう)の落ち着きを払った話し声に続く、これまた見合った声が二つ。()が挟まることなくトントンと続くものだからどうにも口を挟むのが難しく(うつ)るのは今この時だからなだけだろう。

 気力が疲弊しきっている、思っていたよりもそんなに()たず、長続きしなかった調子を、不調を認めつつ、相良は諦め混じりの息を()く。

「……分かったよ相良さん、これがどうぞお構いなくってヤツの使い所だな!」

「ない胸を張ってまで頭の悪い発言は()しなさい、見るに()えません。」

 言葉尻がどうにも(あら)くなりがちだ。

 自覚がない事はない為に、この状況においては些細なそれにさえも頭が痛くなる。

 ただ、原因を作ったのは脈絡なくいきなり口火(くちび)を切ってみせた張本人であり。

「相良、俺はもう寝てもいいか?」

 既に捌ききれていないこの状況に、くいくいと控えめに羽織の(すそ)を摘んでくる、自分よりも少し目線が高くなった彼が加わるとなると、そう称してしまうのはいくらか気が引けはするが厄介(やっかい)千万(せんばん)

 他意(たい)なく、心が折れそうだと相良は痛感した。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 二十六話






 そもそもの発端(ほったん)はやはり、弥代(やしろ)が風呂に入りたいと言い出したからだった筈、だ。

 それが何がどうして、どういう紆余曲折(うよきょくせつ)()て今この状況になったのだろうか、までを事細かに振り返るだけの余力というものがもう相良には残されてはいない。

 が、こんな状況になろうとも頭というものは休むことなく(せわ)しなくぐるぐると動くもの。

 弥代の悪癖(あくへき)のように、なんでとどうしてを(とう)(にぶ)りだしている頭の中で()ねくり始めてどれぐらい時間は()つだろう。

 粗末な一軒(いっけん)()を森の奥深くで見付けてから悠に半刻以上――は、

(神の(まにま)に……という言葉がありましたねぇ?)

 嫌気が()し、分かりやすく頭を切り替える。

 (かみ)()が読み上げられ、(つい)となる(しも)の句が(えが)かれた札を探し、百枚の(ふだ)を取り合う。

 そんな百の歌の中に、神へと(ささ)げる(ぬさ)()わりに、山の紅葉(もみじ)を捧げる、そんな歌があった事をふと、思い出す。

 下の句に“神の隨に”という言葉が出てきていたな、と分かり(やす)く切り替えてみせた頭でそんな事をこれ見よがしに、まるでこれを考えるのに今は忙しく手が離せないのだと言わんばかりに、自身の(うち)のみならず実際に腕を組んでみせた。

 否、分かっているのだ。そんなものはただ現実から目を逸らしているだけである、と。それに意味なんてありっこない事ぐらい相良は分かっている、分かっているんだ。

 でも――、

(……というか、もうどうとでもなって下さい、いえ、本当に。)

 (なか)自棄(やけ)だ。(いや)、なったとしても許されるべきだ、そうだこれは致し方のない、避けようのない、仕方がない事であり、

「私は悪くありません。」

「んぇ、なんか言った相良さん?」

「いいえ、何も。」



 余所者に対し食事を振る舞える程の余裕があるようにはどうにも見えない。

 だというのに、それが一人であったとしても余裕があるようには(うかが)えないというのに、自分ら三人に当たり前のように振る舞われる食事を前に、相良は頭を抱えたく仕方がなかったがそれは(こら)えた。

 (うたぐ)(ぶか)く、どうにもついついそういった目で見てしまう。しかしそれらは根拠(こんきょ)がなくては成立しない見方だ。

 相良が何かしら反応を堪えきれず表に出してしまう(たび)、相良の右隣をすっかり占領(せんりょう)しつつある弥代が目敏(めざと)く気付き、小忠実(こまめ)に「大丈夫?」と小さく声を掛けてくるのを面倒に感じつつあったからなのもそうだが、自分だけに()えているものを視えぬ相手()に伝えるのが至極手間にしか感じなかったからだ。

 そうで、ある。それが自分以外に視えぬものだから相良は度々(たびたび)それに掻き乱され、考えなくともいい事柄に対し思考を()かねばならなくなる事が(けっ)して少なくはなく。

 それが視えることで得られたモノと、味わった()がどれほどであったかを見比べてしまえば圧倒的に後者の方が多いのは、比べずとも分かりきっていた事の様に思え。だから、つまり――

「では、御言葉に甘えいただきましょう。」

 詰めの甘さに呆れを通り越して言葉を失う。

 食事に対して、だけではない。

 相良は自身の知る限り、自分以外に視える者がいない、【気】を踏まえ、老夫婦と孫娘を名乗る三者が人ならざる存在である事が分かった上で、()此方(相良達)に対し害意がない事を理解し好きに振舞わされていた、面倒を起こされるのは望むところではない(ため)に、避けるように長く心掛けていたのだが、(あら)のありすぎる現状にいい加減痺れを切らしてしまいそうだった。

(これだからこの手の存在――というものは。)

 不可解なもの、としか言い表しようがない。

 人ならざる存在の中でも、【神】などという存在は特に人の理解を、その範疇(はんちゅう)を越えた芸当を当たり前のようにやってみせる事がある。

 (ちから)を持たぬ人がそれを驚くことを(いた)く気に入り、害を与えぬ範囲でちょっかいを掛けてくる存在も少なくはなく。例に()れず今しも相良達が(こころよ)く上げてくれたこの粗末な家丸ごと、それらは眼前の彼等()一時(いっとき)見せる幻覚のようなもの。

 そしてそれは何も家に限った話ではなく、食事も同じだ。恐らくはなんの味もしない、ただの川水かなにかなのではないだろう、と思いながらも汁物(しるもの)へと口を付ける。

 その見た目から相変わらず余裕(ゆとり)があるようには見えないというのに、目の前に並べられた少々豪勢な食事は人の世をあまり知らぬから来るのだろう。

 やるなら徹底して騙し通してほしいものだ、と相良は呆れを既に通り越した頭で思うのだが、しかし、ふと今になってそれも、こんな粗末な家に上がったというのに出された食事がどういうわけか豪勢である、というのは人によっては心底驚くことになったり、というのもあるのではないかと考えが(およ)んだ。全く()に落ちない。

「…………。」

 と、箸先で軽く掻き回した汁物の椀の中に、フッと浮かび上がる()に目がゆく。

 いや、誰もそんな駄洒落(だじゃれ)は求めていない。

 相良の落としたい腑は浮かぶものではないし、なんなら今は落とせずにいる状態だ。そうではない。



 老夫婦と孫娘があれよこれよと用意した食事を(たい)らげ()えて暫く()った(のち)、事前に春原自身の口からも休みたい(むね)を聞き入れていた相良は、大変不服ではあるのがたとえそれが幻覚の(たぐい)であったとしても、頭がそう錯覚をすることが出来さえすれば何も()られないことはないという事を知った上で、春原を休ませる為に布団を借りることは出来ないだろうか、と口を開いた。

(かたな)のお兄さんはもう寝てしまうのですか?」

「コイツはな一日(いちんち)二日(ふつか)ぐらいだったら寝ねぇでどうにか出来るけど、三日目はしっかり寝なきゃなんねぇ奴だからしっかり今日は休ませてやんねぇとなんだよ。」

「ふーん、そうなのですねぇ?」

 いっぱい起きてられるなんて凄いねぇ、などと(こぼ)す存在を前に、その正体を知る(よし)もない弥代が暢気(のんき)に、「そうだよなぁ!」などと言葉を返すのに今度こそ頭を抱える。

 否、相良に寄りかかることなく、自分が面倒を見ずとも過ごせているのならそれを一々気に掛ける必要はどこにもない。で、あるからやっと。やっと一息が()けた(ところ)で相良は彼等の正体に目星を付けようと()たりを(さぐ)るのに心を落ち着かせることにした。

 そうして、自分達が今いる場所が摂津国(せっつのくに)であり、山城国(やましろのくに)を抜けて二日程経っている、人里(ひとざと)をなるべく避けるよう山沿いの移動を(なが)らく続けていたのも踏まえ。また、相手が一人ではなく複数人であることも視野に入れた上で早々に、思ったよりもずっと早く当たりを付けることに成功した。

和歌(わか)三神(さんしん)が濃厚か……、と。)

 講談(こうだん)に“鼓ヶ滝(つつみがたき)”という演目(読物)が存在する。

 元は能楽(のうがく)の“鼓滝(つづみのたき)”であり、あれは確か木こりに姿を変えた神がなんだったか舞を見せる、そういった謡曲(ようきょく)であった筈だ。

 それが講談だけに(とど)まらず、(てん)じて落語でも掛けられる(はなし)の一つとなっていると、その昔、講釈師・旭堂(きょくどう)南燕(なんえん)から聞かさ(教えら)れた覚えがある。

 その噺の舞台が、恐らくいま相良達が居合わせている場所がまさしく、摂津国の山奥にあるとされるその場所の近くではないのか、と。

(神というものはやはり人ならざる存在の中でも特に扱いに困るものです。)

 講談における“鼓ヶ滝”とは、(ただ)しくは“西行(さいぎょう)鼓ヶ滝(つつみがたき)”と()う。

 江戸の頃よりも昔、武士でありながら僧侶としても歌人(かじん)としても後世にその名を知られている人物が実際に訪れたとされる、摂津の鼓ヶ滝での珍妙(ちんみょう)出来事(経験)が伝えられているのが“西行鼓ヶ滝”だ。

(まさか実在する(たぐい)であったとは……)

 というのも、講談の演目というものはその数が兎に角多い。十や二十では済まない、中には矢鱈(やたら)と長い連続ものである軍記(ぐんき)(もの)政談(せいだん)も存在しており、他にも武勇伝に御家(おいえ)騒動(そうどう)。歌舞伎から転じた世話(せわ)(もの)の他にも、侠客伝(きょうかくでん)まで、と幅が広い。

 天保(てんぽう)の頃であれば江戸()を中心に講釈師だけで八百(はっぴゃく)という人数がいたとされ、足繁(あししげ)く通う客を少なくとも飽きさせる事はないぐらいの数は、講談の演目そのものは多く存在していたというわけだ。

 しかしそんなに多くの演目があった上で、必ずしも全てそれらが過去に実際に起きた出来事であるというわけでもない。

 ただ淡々と、軍記物や政談を語るにしても聞き手となる客ありきの、客が金を落とすことで食い扶持(ぶち)を繋ぐ商売だ。「講釈師見てきたような嘘を言う」という講釈師を()す言葉があるぐらいに、あたかも自分がそれを見てきたかのような臨場(りんじょう)(あふ)れる語りを見せる事もあり。

 つまるところ、客を楽しませる為に多少なりとも脚色(きゃくしょく)(くわ)えられたりする演目もあれば、中には(はな)から実在さえしないものもあったりするのわけで、そういったモノがあるというのは同時に、無から生み出された創作上の噺が存在していたとしても何らおかしくはないという事も意味しており。

 演目の中に神であったり(あやかし)登場する(出てくる)演目などは大抵無駄に大きい尾鰭(おひれ)がついて広まったりというのも少なくはない。

 が、やはり人の理解の範疇を越える、人の道理に反した奇天烈(きてれつ)な現象を時に引き起こしてみせる、それらが出てくる演目というものはある一定の人気を(はく)しており。

 実際の土地が近いという事もあり“西行鼓ヶ滝”そのものは、摂津国と隣接している大和国(やまとのくに)でもそれなりに親しまれていた演目ではある筈なのだが――、

(和歌など縁遠い我々が目を付けられたのは、本当に偶々(たまたま)なの……でしょうか?)

 “西行鼓ヶ滝”は、後世において武士でありながら僧侶や歌人としても広く親しまれた西行自身が、若かりし頃に歌の修行とし島国の方々(ほうぼう)へと足を運び、歌の名所として(うた)われていた鼓ヶ滝にも(おとず)れ、そうして人に化けた和歌の三神を相手に上の句から下の句まで添削(手直し)を受けるといった内容(筋書き)となっており。

 噺の中では当時既に西行自身が自身の歌は最上(さいじょう)のものであると自惚(うぬぼ)れていたものだから、和歌の三神である住吉明神(すみよしみょうじん)人丸明神(ひとまのみょうじん)玉津島明神(たまつしまみょうじん)仮初(かりそめ)(かたち)に姿を変え、そうして自身の目の前に戒めの為に現れたとし、慢心することなく益々(ますます)歌の修行で腕を付け、日本一の歌名人にまで(のぼ)り詰めてその名を()せたとされている。

 和歌の三神と称される存在だ。歌に纏わるなにかしらがあった上でこの様に自分たちの前に姿を見せるのなら納得は出来るが、あまりにも縁遠きものすぎる為に相良自身の中でも大変珍しい、偶々などという理由を当てはめようとしたの、だが

「時に、お客人。

 歌はお好きでございましょうか?」

 聞かなかった芝居(ふり)は難しいことだろう。



「…………うた?」

 子どもを相手にするのは正直なところあまり苦手ではない。やんちゃで手の付けようがない、動き(ざか)りの(せわ)しなくない大人しめの幼子(おさなご)の相手などはどちらかといえば好きだ。

し、中には弥代の知らない簡単な手遊びを、どうやって遊ぶのを教えてくれる事もあるからやはり嫌いではない。

 此処から少し離れた、人の多い町だかに出稼ぎに出ており、滅多に両親が帰ってくる事がないという、立って並べば弥代の胸元ぐらいまで背丈のない年端(としは)もいかない孫娘の花は年寄りの祖父母と共に過ごしているからか中々に口が達者に弥代には感じられた。

 更に、祖父母と同じ屋根の下、これからの時期は急に冷え込んでしまうから夜は身を寄せ合い、布団に(くる)まって仲良く三人並んで寝るだとか。そんな話を聞けばもう随分と昔のことになるが、自分もあの、名も知らずに別れることとなってしまった老夫婦に同じようにしてもらった事があったもので。

寒いのに不思議と暖かく感じるその良さというものが分かってしまい、「花はそれが一等好きなのです!」などと言われればついつい表情を(やわ)らげて、分かるわぁ、と気の抜けた返事を返してしまった程。

 出会って間もない、今日会ったばかりの相手にこんなにも心を許せるのは多分初めての事、で。

 そういった心境の変化であったりが多分、弥代は弥代自身でも感じれるぐらいには此処の処は分かりやすく顕著になり始めている。自覚も徐々に芽生え始めていた。

 まぁ、そんな目の前の幼子に向ける情も、時折左手に腰を落ち着かせている相良の調子が変だな?と感じずにはいられない(たび)に途切れ、当たり前のように傾いてはしまうの、だが。

 しかし、それは違った。

 相変わらず指先の空いている手袋は、手の(こう)は毎度毎度布越しとはなってしまうのだが、それでも子ども特有の矢鱈と暖かく感じる温もりがしっかりと感じられ。

手を取り合い、弥代の知らぬ声掛けと共に小さな手遊びに付き合わされながらやり方を少しずつ教わっていた矢先、花が全く脈絡のない言葉を口にしたのだ。



「……うた、って何?」

五音(ごおん)七音(しちおん)を繰り返し、限られた音で(つむ)ぐのです。」

「ご、おん……と、しちお?」

「えぇ、たとえばこの辺りで有名な歌ですと、

 “(おと)()く 鼓ヶ滝(つつみがたき)を うちみれば 川辺(かわべ)()きし 白百合(しらゆり)(はな)

 ――と、いった歌が御座います。」

 聞かされて、弥代は暫く口をモゴモゴとさせたものの割と直ぐに、手元の指を一本一本折り曲げてみせをその場で繰り返し、一本折り曲げる(たび)に視線をウロウロさせつつ、首まで小さく上下させ。同じような動作を五回ほど繰り返し終えてからやっと花が教えてくれた、「五音と七音を繰り返し」の意味を理解出来たのだろう反応を(しめ)すのを相良は見た。

「本当だっ! 五と(なな)がこっ、……交互!」

「うふふっ、交互なのは最初の方だけですねぇ?」

(弥代さん――ッ‼︎)

 相良は(たま)らず、顔を覆った。

 一瞬の内に言いたい事は山程浮かんだ。それらを全て弥代に分かるように言葉に起こすというのは、する前から手間しか掛からぬのが分かった。

既に気まぐれな神に偶然ちょっかいを掛けられているかもしれないという憶測だけで十分すぎるぐらい、実際に動いているというわけではないのだが相良は気疲れをしており。弥代のそんな反応にまで割いてやる余力はもう残っていやしない。

 なんなら此処まで来て、春原の体力気力が共に限界を迎えて先に寝てしまった事に対し、自分もいっそ先に寝入ってしまえばこんな思いをしなくても良かったのではないか、等といった、普段時であれば絶対に考えないような思考にさえ(おちい)りかけてお……り。

「もっ、申し訳ございません。弥代さんはあまり、そういったモノを知らぬ、(うと)い方ですの……でっ、」

 最早自分が今どのような顔をしているのかすら相良は分からない。よりによって本当になんで弥代にそれを振ったのだ、という思いが今この瞬間はただただ強く。その波が引くのにはまだ幾らか時間が掛かりそうなのは明白であるものだか、ら。

「歌……、えぇ歌でしたら弥代さんではなく、(わたくし)の方が好き……まではいかずとも多少の心得であったり、といったものの(そな)えはあるか……とっ、」

 相良は小さく肩を震わせながらどう、にか。様々な感情に内心掻き乱されきっている中やっとの思いで、右隣の小さな肩を掴み、それを気持ち後ろへと、自分の方へと引き寄せた。

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