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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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五十話 扱いづらさ

 何事においても、限りというものは付きものだ。

 便利であるもの程、その作り方や工程というものは厄介なものが多く。手間暇を経た(のち)に人の手に渡り、どうこうとなる。

 薬師(くすし)である伽々里(かがり)が用意した、髪を黒く染め上げる練り()(まさ)しくそれにあたる。

 榊扇(さかきおうぎ)(さと)を出る際に一回。

 山城国(やましろのくに)西条(さいじょう)百合(ゆり)からの提案で御遣(おつか)いを頼まれた際に一回。

 毎日(ぬく)い湯で髪を洗ったりというのがなければ、一度使用するだけで長ければ半月(はんつき)そこいらは色は落ちることはない、とそんな話を聞かされたことのある春原(すのはら)は、先ほどまで自分が背負っていた葛籠(つづら)の蓋を開けて、練り粉(その)残数を確認した。

 二つ折りの、更に(はし)の方が(かど)だけ小さく折り込まれている懐紙(かいし)()()()()……、全部で(むっ)つ。

相良(さがら)、残りは六つだ。」

「変わりに見てくださりありがとうございます春原さん。

 さて、それでは(わたくし)は聞き分けのないこの子をどうにかせねばなりませんね。」

 数え終えたそれを、元あった小さな包みでしっかりと包み直し、葛籠に仕舞(しま)い入れる。それからやっと。

 ……やっと、春原は葛籠を軽く背負い直し、少し離れた位置にいた相良の元に歩み寄り、そうし、て。

「……弥代(やしろ)は、なぜ正座をこの様な場所でさせられているんだ?」

「私はどうやら弥代さんの事を甘やかしすぎてしまったようでして、これからどう叩き込んだものかを頭を悩ましている処です。」

「……それ、は。……それは、弥代が正座をする理由か?」

「えぇ、全てです。」

「そう……か、」といつもの返事をした手前、そこから更に触れる行為、はきっと(あやま)り――間違っている、のだろうが、そう、と分かっていても珍しく春原はそこで踏ん切りをつける事が出来ず。だか、ら――

「相良、やはり今からでも宿を」

「なりませんよ春原さん。」

 春原が全てを言い終えるよりも早く、あっさりと相良は言葉を(さえぎ)り、(あまつさ)え、切り捨てるような言葉を口にした。

 春原自身、自分がそのように引き下がらなかった事は珍しい部類に思えたばかりだというのに、それ以上に珍しい、底がそれほどあるわけでもない分かりやすい怒りを(あら)わにして腕組みまでして仁王立ちをする相良はとて、も。

「千方ぁ〜」

 声を、拾う。

 相良より目を(はな)し、自分の名前を今にも泣き出しそうな声で呼ぶ主へと春原は目を向ける……も、

「春原さん。」

「すまない弥代、俺には無理だ。」

 春原は早々に白旗を掲げた。






 思い返してみれば本当に、ずっと自分は恵まれた生活をこの一年ちょっとの(あいだ)は送っていたのだな、という気持ちに弥代はなった。

 根無草(ねなしぐさ)同然に方々をただ転々(てんてん)と、碌な金の稼ぎ方にも縁がなく、生きる為には仕方がないこと、と簡単な盗みなんかを繰り返して空腹を(しの)いだり、体を洗うのは河原(あた)りで適当に過ごすのが当たり前で、それ以外を知らない生活を送っていた。

 雨が降ってたって都合よく雨風(あめかぜ)を凌げるものが運よく転がってるなんて事もないから、濡れながら眠れないよりはマシだと腹を(くく)って、上の板一枚(へだ)てれば暮らしている者がいる床下に潜り込んで夜を()かしたりなんてこともザラにあったのだ。

 その場その場で適当に、ぶらぶらと(ほつ)れかけのボロボロの服を(まと)って、寒くたって身を(ちぢ)めることでいつか温かくなるのを我慢して待つしかなくって。

 だったという、のに。

「――だから、俺が悪いんじゃねぇと思うんだよ相良さん。」

「そういった発言は大概(たいがい)になさい弥代さん。貴女、本当にいつからそんなに……いえ、自分は悪くないというのを何やら遠回りで貴女は度々言い訳を長々と述べる、その片鱗は確かに以前からありましたね……ですがここまで堂々と、堂々と言いはしなかった筈では?」

「ンなこと()ぇってば! 堂々ってのもさ、俺そんなにまだ立派に出来ねぇよ!」

「これ以上堂があると? 冗談はその頭の出来の悪さだけにどうか(とど)めてくださいまし。」

「言い方に(とげ)しかねぇよ相良さんっ⁉︎」

 聞き入れてはもらえるというのに受け入れてはもらえないなんて事があってたまるか。そんな気持ちでいっぱいいっぱいになり、弥代は我慢ならず(いきお)いよく立ち上がってみせようとしたが、かれこれ暫くずっと正座をさせられていたものだから足が痺れてしまい、思い通りに立ち上がれず。

 挙句、(たけ)が長い羽織の裾を右膝で踏んでしまっていたものだから、勢いだけをそのままに、つんのめってその場に顔から倒れ込んでしまう。

(イタ)ーーーッ⁉︎」

 地面に派手に顔をぶつける。一番出っ張っている鼻頭(はながしら)が若干熱を持ったのが直接(さわ)らずとも分かる。腕の力を使って倒れた上半身を起こせば、そこから姿勢を直しなさいという叱責(しっせき)が飛んで来なかったのをいいことに、弥代は胡座(あぐら)()いて両手を使って鼻を抑えた。

「は……鼻っ、お……折れてない? 折れてねぇかな?」

 泣き言を漏らしながら、弥代は左隣に座ってくれていた春原の羽織の(すそ)を掴んだ。あまりに近く、いっそこのまま彼の裾で鼻を擤むぐらいなら出来そうだな、とそんな事を弥代は考えるのだが、それは考えるだけに留めて行動に移すことはなかった。

 これ以上、相良に怒られる理由は求めていない。今でも十分すぎるぐらい、もうゴメンだ。

「折れるほど高い鼻なんてしてないでしょう貴女?」

「頭は打ってないでしょうに。」なんて言葉が続いて投げ掛けられる。弥代は今度こそ立ち上がった。

「顔の中で一番高かったのが鼻なだけだもん⁉︎」

「皆、そうでしょうね。」

 返しが早いこと。言ってやったぞ、と弥代がなるよりももう次の手が返ってきてしまうもの、で。

 いい加減、(つい)に弥代は、

「風呂に入りてぇだけなのにあんまりだぁあああッ‼︎」

 本格的に弥代は泣き出してしまった。






「……相良、弱い者いじめは」

「春原さんの目には弥代さんよりも私の方が強く映っておられるのですか?」

「それは…………、違う。」

「では今(しば)し口は閉じていて下さいまし。」

「……分かった。」

 大人しく引き下がるも、やはりそれはこれまでの彼を思えば珍しい、今迄はあまり目にする事のなかった反応であった為、どういった心境の変化を()た上でその様な結果に(いた)ったのか、やはり原因は彼女にあるのだろうか、と。深く踏み込みすぎない程度、掻い摘んででも聞く機会を得たいと相良は考えたのだが、それは今ではない。

 今この場で優先すべき事項は春原に関する事ではなく、彼がそういった変化を見せる原因となったかもしれない側の彼女――弥代に相良は向き合い、溜めたところで何の意味も()さない息を深く深く。それはそれは深く吐き出し、そうして向かい合った。

「えぇ、えぇ十分すぎるぐらい、嫌になるほど貴女の言い分は聞かせていただきましたとも弥代さん。

 ですから、聞き終えた上で敢えて(わたくし)は言わせていただきます。貴女のそれはただの甘えで我儘です。

 これまで触れなかったものに触れて、そのありがたみであったりが今の貴女にはどうにも足りていません。いいですか、湯に浸かりたい、風呂に入りたいという気持ちは貴女だけではなく、私や春原さんも同じです。ですがそういったモノはどこにでもある、()ることが当たり前ではないのです。」

 いくら言ったとしても相良の言葉が響きそうな気配は残念ながら無い。が、無いからといって見てみぬふり、を――看過するような事は許されない。

 ここで弥代の我儘を叶えてやるような行動は、今後の弥代の為を思えばしてはならない事、だ。

 言葉を溜め、再度相良は口を開いた。

「よろしいですか弥代さん。

 榊扇(さかきおうぎ)(さと)の文化は(ほか)の土地とは大きく(こと)なります。それが何故だか分かりますか?」

「……アレでしょ、神仏(しんぶつ)なんて言われてる水虎(すいこ)さんがいるからでしょ。」

 それぐらい俺だって知ってるよ、なんてこれ見よがしにヘソを曲げた反応を見せる弥代を前に、相良は折れることなく話の続きを始めた。

「えぇ、そうです。

 二里(にり)四方(しほう)程の広大(こうだい)な土地を(おさ)め、一万にも(およ)ぶ民からの信仰によってその存在を認知される神仏・水虎様。

 その名に【水】の字が含まれいる事から(さっ)しがつきますでしょう、水神(すいじん)であられる水虎様の加護下(かごか)にある榊扇の里はとても水が(ゆた)かなのです。

 また里を統治(とうち)する扇堂(せんどう)()の屋敷の背後に聳え立つ御山(みやま)大山(おおやま)開山(かいざん)そのものは遥か昔、二千年以上前とされる、別名を雨降(あめふ)り山。

 東の馬入(ばにゅう)(がわ)に、西の酒匂(さかわ)(がわ)を見ても水に困ることのない土地です。(ゆえ)に榊扇の里では里の各所に扇堂家が管轄をしている公衆(こうしゅう)浴場(よくじょう)が多く点在(てんざい)しており、湯を()かす為の薪に関しましても――、」

 榊扇の里における公衆浴場は里の税収の一環として(もう)けられている。

 今の世ではあまり耳にする機会は減ったものの、かつては租税(そぜい)年貢(ねんぐ)(ちな)んだ、「年貢(ねんぐ)(おさ)(どき)」となる慣用句(かんようく)が存在するぐらいには、税というものはかつては身近な存在であったのだが、今の統制(とうせい)が取れきれているとは決して言えない世、では……。

「――と、そういった背景があった上で、榊扇の里では皆が毎日湯に()かるという習慣が身についているだけに過ぎません。他所は他所、ウチはウチ、という言葉がありますでしょう、(まさ)しくそれです。」

「でもっ、銀嶺さんの屋敷()にもあったじゃんか!」

「それは銀嶺殿が山城国(やましろのくに)だけでなく畿内一帯に顔がきく、青物(あおもの)問屋(とんや)の店主であるから家にそういった用意があるだけ、で」

「じゃぁ討伐屋にあんのはおかしいんじゃねぇかな⁉︎ だって討伐屋なんて別になんも偉くも凄くも金があるわけでもねぇじゃん! 味噌汁が薄過ぎっから生水を直接飲んだ方がマシだって前に黒が愚痴ってたの俺知ってるもん!」

 思わず、手が出た。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 二十五話






 弥代が街を出歩くのに髪色を誤魔化すのに()()を使用してから今日で八日(ようか)

 前もって弥代に持たせている練り粉は、三日四日ほど髪を黒く見せることは出来るが、どうしても髪を洗う頻度が多ければ多いほど、その落ちる具合は早いと聞かされていたが、その説明はどうやら榊扇の里で使用をした場合のみ、の説明であったようだ。

 春原が伽々里から聞かされた話だと、使い方によっては最長で半月ほど効果があるという。その効果というのが、まぁ(よう)するに、髪を洗う頻度が多ければ多いほど落ちるのが早い、という事はその頻度が少なければ少ないほど色が落ちるのは避けられる、という事で。

 相良が西条家の別邸から戻った日から、弥代には湯浴みの際に髪をあまり強く洗わないように注意しておいたものだから、まだ青い髪の主張は激しくはないが、春原の青みがかった黒髪と並べ交互に見てみると鮮やかになりつつある。

 (いや)、弥代の気持ちが、これまで毎日湯に浸かっていた生活が恋しいというその気持ちが分からないというわけえでは(だん)じてない。

 なんなら榊扇の里に武蔵国(むさしのくに)より移り住んで来るよりも前から、討伐屋の面々は薬師である伽々里に言われて、どれだけ金銭的余裕がなくとも日に一回は浴場で体を必ず清めるように、その日一日の汗をしっかりと流す約束をさせられており。

 弥代の言う、六年の(うち)の一年ちょっとと比べれば、かれこれ三年以上はそんな生活を当たり前に送ってきていたもの、だから……

(私だって湯には浸かりたいですよッ‼︎)

 (かたく)な、に。弥代が何を言おうとも、同乗するつもりはないし、間違っても同意に聞こえるような言葉は絶対に()べたりなどしたりはしない。

 ここまで来れば意地でどうにかやり過ごせる事も出来てくるというもの。絶対に折れぬ意志をこれでもかというぐらいに(しめ)し、そうして相良は弥代に向き合うのだった。

 ――と、そんなやりとりが(しばら)く続いた。



 昼夜が逆転した生活はあまり褒められたものではない。そうは分かっていながらも、分かった上で敢えて相良がその選択をしたのは(ひとえ)に、人目を()ける為であった。

 それが何故かと問われると、先述(せんじゅつ)で上げた弥代の髪、“色”が目立つからが大きい。

 山城国(やましろのくに)における“色持(いろも)ち”の(あつか)いが他の地と大きく異なることを知った今、違う意味で弥代の髪は目立ってしまう。

 迫害ではなく、厚意の目に晒される、とでもいうか。

 時に善意というものは悪意よりも(たち)が悪くなる事がある。相手の為を思い()かれと思った行為そのものが相手を深く傷付けることなんてザラだ。

 厄介の度合いで見ても、押し付けがましい善意というものが相良はあまり得意ではない。

 その為、好奇の目に“色持(いろも)ち”である弥代が、隠し用のない、どうしても目立ってしまう“色”がバレてしまわぬように活動する時間を夜に絞った。

 ()つ、人気(ひとけ)の多い場所を避けるように、摂津国(せっつのくに)を通過する西国街道(さいごくかいどう)沿いに人里に近付きすぎずに進み、播磨国(はりまのくに)より北上を目指す手筈となっているの、だが。

「ねぇねぇ、本当の本当に今日も野宿なの? 地べたに寝っ転がって寝なくちゃなんねぇのそろそろ俺もうヤダよ相良さん。今日……だけ、今夜だけどこでも良いからさ、布団で寝れるだけでいいんだよ俺。あの、きせんやど(、、、、、)ってヤツでもいいからさぁ、どうしても駄目かなぁ?」

「我慢を覚えなさい貴女はっ!」

 全く懲りてない発言だ。相良は散々既に言えることは言い尽くしたような状態だというのに、まだ言うか⁉︎と突っ込んでしまいかねない発言に呆れを通り越して次の()はもう何も言えたものじゃない。

「ねぇ、どうしても駄目? 俺ちゃんと頭巾被っとくからさ、今日ならまだそんなに目立たないんでしょ? 俺あれやっぱりちょっと(にお)うからさ、自分でするのそんなに得意じゃねぇけど、それでどっか宿で休めんなら我慢するからさぁ。」

「よくもまぁ自分が我慢をすればそれで、などという発想に至れましたね貴女は⁉︎ どうすればその(よう)な考えに至れるのでしょうか(はなは)だ疑問ですねッ⁉︎」

「んへへ、俺もしかして今褒められちまった? なんか照れるなぁ?」

「何故そうなるのかッ‼︎」

 (いや)、いっその事、今日だけ。一度だけでも耳を(かたむ)けてやり、それで今後聞き分けがよくなるのならいい事づくめになれるのではないか、という考えがないわけでは……、(いや)、無い。

「ほら、自分の足でしっかり歩きなさい。

 貴女と違って荷がある春原さんを見てみない、弱音を一度でも吐かれましたか? 吐いていないでしょう、見習って少しはいつまでも引っ付いてな」

「千方も布団で寝たいよな、今日は寝れる日なんだろう?」

「は?」

 西条家で世話になっていた(かん)は厚意で用意された軽い装いが多かったもので、実際に袖を通し始めてからそれほど経っていない、扇堂家が用意してくれた秋物は相良はまだ慣れない。

 が、慣れないは慣れないなりに最低限の着付け(着替え)ぐらいは(こな)すことが出来るので全く問題はないのだが、厚手の羽織の上に、腰位置よりも高い場所で固めている太帯を掴まれて体重を掛けられるのは本当に邪魔でしかなく。

 指を引っ掛けられるだけでも面倒だ。

 掴むその手をやや乱暴に取っ払おうと意気込む。最早(もはや)ここまで面倒事を重ねられてしまうと手は出すまいと思っていた決意も揺らぐもの。やっとの思いで手袋越しの弥代の指を外し終えた時には、弥代の標的は相良ではなく春原へと注がれて、おり。

「布団……か。」

「そうそ、布団。やっぱり野宿って疲れちまうよな、雨風とか(しの)げなくってさ、寝るのに集中出来ねぇっていうかさ。」

「それはそう……、だ。」

「じゃぁやっぱ布団で横になって寝てぇよな?」

「…………。」

 この流れを相良は知っている。つい先日も西条家で起きたものだ。

 相良が春原と弥代から離れて過ごしていた(かん)、二人の(あいだ)にこれまでまともに意思疎通を行えないままだった関係の修復に(いた)るやりとりが細々(こまごま)とあった事は弥代本人の口から聞かされてはいたのだが、それにしても、と思わずにはいられない具合になりつつある。

 傍から見ればどうしても弥代の方が小柄であるものだから歳下……、春原より幼く見えなくもないが。どこか春原を前に、春原の手を取って中々出てこない答えを(うなが)すように向かい合う姿勢は、下の子の面倒を根気強く見る上の子のように見えなくもない。

 春原も春原で、弥代に手を取られ答えを促されると大人しく、実は、とでも言いたげな態度を少しずつ見せ(はじ)め、別に弥代に無理やり言わされているといった様子には見えない反応を示すもの、だから。

「相良さん」「相良、」

「ですから私は(くっ)したりなどはしませんので‼︎」

 (いや)、相良は屈した。



「こっ、今回だけですからね!」

「やったな千方! 三日ぶりの布団で今日は横になれるぞ!」

「そうか、弥代は布団で寝れるのが嬉しいのだな。」

 西条家の屋敷を出立してからで換算すれば二日目の夜になるが、出立そのものが夜であった為、これで三夜目となる。

 日中、陽が出ている時間と比べれば夜半の移動は時間がどうしても限られてしまうものの、夏が終わり冬に一歩ずつ近付きつつある秋ともなれば日暮れの訪れがどういうわけか早く感じる。

 正しくは日暮れ(どき)から移動を(はじ)め、なるべく人気(ひとけ)のない道を朝方、近くの民家から人の姿が見え始める頃合いまでこの三夜は移動を続けていた。

 そして、(とう)山城国(やましろのくに)は抜け、摂津国(せっつのくに)も通過しきった先、播磨国(はりまのくに)にまで辿り着くことが出来たのであればそろそろ移動をする時刻を夜半の内から陽の出ている内に移してもいいのではないか、と思った矢先に起きたのが、先までの一連のやりとりだ。

 弥代の髪を黒く誤魔化していた練り()も間もなく落ちきるといった頃合い。何も事情を知らない店に泊まり、世話になった翌日になったら前の日に見覚えのない“色持(いろも)ち”が客にいたとなれば、逆に騒ぎを起こしかねない。

 今宵――に関しては宿を探し、もし見つかり夜分遅くとも上がらせてもらえるようであればそれで一晩世話になるが、髪の件があるので弥代には湯浴みを諦めてもらい、明日明後日辺りで水浴びが出来そうな丁度いい場所を見つけ次第、そこで可能な限り練り粉を落としきり、元の髪色に戻ってもらい、(など)と相良は算段を立て直しながら、その尻目に、視界の隅に春原と弥代を置いていた。

 (いや)、今後のどれほどまで続くか(少なくとも二、三ヶ月は続くだろう)分からない途方もない旅路を考えれば、今のうちにどれだけ我慢が()くか、同行者の限界がどのようなもの、か。春原に関しては当然の事ながら把握をしているが、(あいだ)三ツ江(みつえ)(きぬ)を挟んだ上での弥代の様子というのは全く参考にならなかったものだから、早い内に弥代がどの程度であるか、というのを知れたのはいい事、ではあるのだが。

(ここまで幼稚(ようち)でしたでしょうか?)

 自分が留守にしている(かん)に色々があったというのはもう嫌になるぐらい聞かされた(最初説明を()うたのは確かに相良であるが、それから執拗なぐらい、何度も繰り返し自慢をするかのように弥代は飽きるぐらい相良に話していた)ものだが、そんな僅かな期間でこんなにも子どもっぽく、幼く振る舞うような相手であったかを相良は考えずにはいられなかった。

 (いや)、歳……に関しては難しいところであるが、ある意味では見た目相応な振る舞いに見えなくも、ない。ない、が違和感がただ今は拭いきれない、強いだけとも言う。

 だというのに、その振る舞いに下手な綻びであったり、芝居のようなものは、そもそも揺らぎであったりを()ることが出来る相良で見えないのだから、やはり自然体に近いのだろうと結論付けをしたい気持ちはなくはない。

 弥代じゃあるまいし、いや、でも、という何の確信もなく頭を悩ますだけの余裕は生憎(あいにく)と今はない。

 少なくとも今は、一時(いっとき)ではあるが助力の条件として西条銀嶺から預かった品を目当ての地へと届ける役割が相良にはあった。それが何の見返りもなく、扇堂家の遣いとして両替手形を貸してもらえる条件であり、(とどこお)りなく、無駄な騒ぎも起こさずに品を届けてみせることが出雲国(いずものくに)より西国(さいごく)に踏み入ることが許される約束となっていた。

(いえ、なんの手掛かりもなく扇堂家と繋がりのある家を探さねばならないと、長丁場(ながちょうば)になる覚悟をある程度はしていたのですが、まさか本当に、よりにもよって銀嶺殿自身が扇堂家の……それも七代目の今は亡き旦那様に恩にある様な御方だったとは。

 意外にも、世間というものは(せま)く出来ている。)

 そんな世であるからこそ、今こうして島国を横断する旅路の道中において、自身と自身の祖父と面識のある相手と運悪く再会をしてしまう事を相良はとても恐れていたのだが、やはり意外にも、まだそれに今のところは遭遇していない。と言っても、当時の自分の年齢が十にも満たぬ頃で、祖父を(かい)して関わりを持つ者は当時の祖父と歳が近い者が大半であったもので、あれから二十年程が経っているのだろすれば自然と、既に(ほと)んどが亡くなっている可能性も考えられる。

 そうであればいい、と内心(ないしん)、願わずにはいられない自身に多少嫌悪感(けんおかん)(いだ)くも、しかし直ぐに切り替えてみせる。

 西条銀嶺の気遣いにより、弥代だけでなく若者達と極力距離を置き、一人自分の(うち)に抱えている問題なりに多少ではあるが目を向ける、向き合う時間を得ることが出来てまだ日の浅い相良には、それらに関してのみとなるがいくらかの余裕があった。

 今後の旅路においても、四六時中無理に一緒に過ごそうとする事自体が悪いことではないが、適度に一人になる機会を得られそうであればその機会を棒に振ることのないように、とそんな助言を西条銀嶺より相良は受けていた。

 接する距離にしても、榊扇の里から山城国までの道中には弥代と同性である絹という存在が間にいたから上手く立ち回ることが出来た部分は大きかったが、今後はそれがない。

 女であるという点で既に大きく自分や春原と違う、弥代という存在を相良は可能な限り気に掛けてやらねば、その様子を見守らねばならないの、だが――

(正直、心はもう折れてしまいそうです(わたし)。)

 大役(たいやく)(まか)された、自分一人でどうにか出来るだろうか、という不安が、何もこれまではなかった、というわけではない。

 そう、これまでは……だ。

 ここまで来てそれを思うという事は、もうそんな理由は口にせずとも、また嫌になるぐらい分かりきっているもの、で。

「相良さんすっげぇ顔色悪そうだけど平気? 気分悪ぃの、どっかで座って休む?」

「相良、無理はよくない。必要であれば休むべきだ。」

「御二人はとても元気そうですね、羨ましい限りです。」

「へへ、なんだか今日はやたらと相良さんに俺ってば褒められてんな、調子狂っちまうぜ!」

「弥代が楽しそうで何よりだ。」

「………………。」

 限界は、近そうだ。



 それから(しばら)くは、相良、弥代、春原の三人は今晩世話になれそうな宿探しを()ねた上で、これまでよりも少し人里に近い辺りまで、森から抜けて寄ってみよう、と心掛けつつ移動を続けたのだが――、

「ねぇ、相良さん。なんかどんどんどんどん俺らさ、森の深い所に進んで行ってねぇかなぁ?」

「相良、本当に人里は近くなっているのだろうか? 先ほどまで見えていた(あか)りも随分と見ていない。道は正しいのだろうか?」

「一気に訊ねてくるんじゃありません、せめて一人一人。私が答え終えるのを待ってから次を寄越しなさい次を!」

「千方、先にどうぞ?」「いや、弥代が先に」「ええいッ、まどろっこしい‼︎」

 春原一人の世話を苦痛に感じたことはない、数年の付き合い故の慣れというものが大きいだろうが、本当に慣れてしまいさえすれば大抵の事は気にならない。

 しかしそこに弥代が関わると、どういうわけか本来口数の少ない春原の口数は倍以上に増え、これまではあまり垣間見えることのなかった感情であったりが、よくよく目を()らさねば見落としてしまいそうであった筈のモノがありありと(うかが)えるようになっていた。

 良い変化だ、でも素直にそれを喜ぶことが相良には出来ない。出来ないからついつい声を荒げてしまうの、だが

「相良さん、相良さん! 見てみて前、前!」

「相良、相良。アレは間違いなく(あか)り、だ。宿ではないが人が暮らしている家、ではないか?」

「……は? こんな森の、いえ山かもしれないような奥深くに家……な、ど。」

 それは酷く、粗末な民家であった。

  

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