四十八話 心支度
「ツユリさんって、俺のこと好きじゃないでしょ。」
気付かなかった芝居をし、そうして見過ごす事だって弥代には出来た筈。
けれども、それならどうして弥代は態々本人を前にし、百合に対し直接、そんな事を訊ねたというのか。それ、は――
『ねぇ、弥代』
否、違う。
目が合った、その時。なんとなしにやっと弥代は気付いてしまった、なんて嘘だ。薄々、本当はずっと弥代は気付いてした筈だ。
勘違い、などではなく。百合の視線が、扇堂雪那ではない、全く別……、の。
「どうして、そんな事を訊くの?」
他意はそれほどないんだ、なんて返そうものならそれも嘘になってしまう気がしてならない。
それは何も、西条百合が弥代を本当は好きではないという事に対し、それをどうにかしてほしいだとか、変えてほしいという意図は微塵もなく。
でももし、強いて言うのならそれ、は――
「無理に気遣ってほしくない、ただそれだけ、だよ。」
弥代は今の自分に出来る、精一杯の言葉を紡いでみた。
帰りもまた、西条家の屋敷へは立ち寄る事になります、と。夕餉を終えた後、相良からそんな説明を受けた影響がきっと大きい。
気付いてしまった手前、次に顔を合わせる時に同じような態度で接せられるかもしれないと思えば、途端に弥代は、それがどうしても息苦しく感じずにはいられなかった、とそれだけの話。
自分が過ごし易いように、自分が居心地よく感じれるように、という気持ちが優先されて口を突いて出てきた言葉でしかなかった。
が、浮かべようと思えば幾らでも浮かびそうな自信が弥代にはあった。だからなるべく。嘘にだけはなってしまわぬよう、どうして、と投げ掛けられた言葉に対し返事をしてみせた。
「……。」
綺麗に切り揃えられている前髪の奥に、薄っすらとだが皺が集まるのを弥代は目にした。
見間違い、ではなく。あぁ、もしかして言ってはならない言葉を自分は、余計な事でも言ってしまったのだろうか、なんて事を考えつつも、百合から目を逸らす事はせず。
でも――、なんて。
記憶の中の、やはり今になっても全てを思い出すことは叶わずにいる、亡きあの女に重ねる。
そう、だ。だから弥代はずっと勘違いをしていたのだ。
百合が弥代のことを「弥代ちゃん」と、扇堂雪那と同じように呼ぶのにばかり気を取られ、奥にある本音には目を向けることが出来ないでいたのだ。
百合のそれが、記憶の中の彼女・扇堂春奈の眼差しによく似ている事、に。
『弥代――、』
目が見えぬものだから、光を知らぬ女、だ。
自分の入り込む余地のないやりとりが目の前でどれだけ繰り広げられようとも、一歩引いたところで薄い笑みを浮かべている。
一人じゃ満足に立って歩き回ることも出来ないものだから、同じ場所で腰を落ち着かせて、必要となるものは手を少し伸ばせば届く場所に間隔を開けて置いておく。
人の手を借りたり、誰かに何かを教えられることがとても嫌いな、微笑みの奥でずっと、全てに憤りを抱き続けている、そんな女。
だから目を開ける理由なんか、開けたところで結局なにが見えるというわけでもないというのに、ごく稀に覗く、その眼差しが物語るものが堪らなく弥代、は――
「嫌じゃねぇかな、言いてぇ事が他にあるのに、それ隠したまんまにしてずっと過ごさなくちゃなんねぇのってさ。」
日に日に、だ。
一度に多くを、一気に思い出すという事はない。徐々に、徐々に。でも着実に、確実に。弥代がこれまで知らなかった、分からないでいた色んなモノに触れる機会を得る度に、思い出しつつある。
が、やはり未だに、彼女がどうして亡くなったのか、彼女が結局、最後に何をしたのか、までは思い出せずにいる。
でも、目に見えて分かるものではない、彼女のそれによく似た眼差しを間近で、二人きりの時に落ち着いて受けたからこそ、弥代は思い出せた。
(春奈は、本当は俺の事……が、)
認めてしまう、そうだったんだろうな、と受け止めてしまうのはどこか怖い。弥代が見ていなかった時もずっと、同じ眼差しを向けられていたのではないかと思えば息が詰まる。
表面上で厚意を装われて、その実なんてのは考えたくない事、だ。
だか、ら――
「ごめん、やっぱり違ぇわ。」
そう、だ。
それ以上は歪むことはないのだろう、それでも普段と比べれば隠しきれない険しさが滲み出ている表情を浮かべた百合と目を合わせたままに、弥代は先の発言を訂正する。
「それ、やっぱり止めてくれよ。」
振り出しへと戻る。
三日ほど前に彼女に向かって口にした言葉、を。言葉尻を多少変えて、そうして弥代、は。
菊花開、霽月の徒路 二十三話
「ねぇねぇ、相良さん。屋敷ってさぁ、どこからどこまでが屋敷って言うの?」
翌、八月二十九日。
昨晩の宣言通りに、相良は西条家の別邸から帰ってきた。
昨日は今後の流れだったり、真面目な話であると相良自身の口から前置きがあった為に、弥代が進んでなにかを訊ねるという事はあまりなかったが、前置きのない今日は色々と訊いたって許されるだろうと。そんな理由から弥代は朝餉が終わるなり相良の隣に腰を下ろし、早速口を開いてみせた。
と言っても、弥代はちゃんと頃合いを見計らった。
ここ数日はずっと顔を合わせている面々と、いつも通りに八畳よりもずっと広い広間で食事をしている途中、相良は帰ってきたのだ。
他の顔触れが既に食べ始めている中、途中からその場に入り込むのはあまり、とかなんとか。そんな事を屋敷の女中に話しながらもしっかりと背中を押される形で広間に通されており。
あれよあれよという間にお椀には米がよそられ、薄手の羽織は脱がされ、湯気がしっかりと立ち上る御膳が目の前には用意され、と。稍……、否、かなり強引に、相良の言葉はこれぽっちも聞き入れられる様子はなく。女中ら数人の見事な連携によって、相良も一緒に食事をすることになったのだ。
そんなであったものだから食べ始めがかなりズレていた。
でも、ちゃんと弥代は自分の分を平らげ終えた後、差し出された湯呑みの、淹れたての茶を満足に冷ましっもせずに口をつけたものだから少し舌を火傷しかけたりもあったが、食べ始めの遅かった相良が、持ち上げられる椀全てに手を付け終え、箸の尻を揃えて戻す。食べ終えた後に必ず用意される茶に口をつけ、そうしてやっと一息を吐く。それを見届けたその瞬間、絶対に見過ごしてやるものか、という意気込みで弥代は相良の隣に腰を下ろしたのだ。
相手の様子を常に窺い、食べている最中であったりに声を掛けたりしなかったのだから少しばかし褒めてほしいものだが、今はそれよりもここ数日、相良がいなかった間に気になった事柄について、知りたいこと、教えてほしいことは五個は軽く越えてしまっている状態であった。
なにも出立が今日の晩ではなく明日の晩だ。準備だったりというのはどうしても今日の内にあるだろうが、茶を飲んで一息を吐くぐらいの余裕が少なからず今はあるのだろう。
急いで茶を飲み干したりがあったのなら、声を掛けるつもりはなかったが、食べ終えて湯呑みを前に、スッと伸びた背筋だったりも若干だが力が抜けているように見えなくもない。読みは間違っていないはずだ、と弥代は自信満々に疑問を口にした。
「後さ、後……えっと、榊扇の方でも山城国で食べたのと似たような、よくタレが絡んだ……み、みたらし団子っての食べたんだけどさ、なんかちょっと味が違ったんだよね。見た目はおんなじで、壺ん中に突っ込んだらタレが絡まってってのもおんなじだったのに味が違ぇのすっげぇ気になってさぁ!
……あっ、後々! 後さ、みたらし団子だけ玉が三つじゃなくって四つなんだよ。あの、色が違ぇ、白と赤に緑のヤツあんじゃん。他も大体三つなのに、なんでみたらし団子だけ四つなのかなって……いや、多く食えるのは俺としちゃ嬉しいんだけどさ美味ぇし。」
「それから、えっと……」なんて、指折り数えながら「他にも、」などと矢継ぎ早に弥代は口を滑らせていたが、ふと、渋い顔をした相良と目が合い。
途端、弥代は急いで口を閉じた。
「…………続きを。」
「いや……えっとぉ……」
「まだまだ訊きたいことがあるのではないですか?」
「……ぁ、いや。…………そのぉ、」
拙い、というのが嫌でも分かる。
出来ることなら分からぬまま、追々、最後になってからこれなら叱られた方が絶対にマシだ、という気持ちに一気に苛まれる。
どうして気付いてしまったのだろう、と慌てて頭の後ろを掻く。それから、どうにかこれまでの流れを、この悪い流れを断ち切れないものか、無かったことには出来ないものかと弥代は目を逸らすのだが、
「あの……、だから、えっと」
ごにょごにょにしどろもどろ。今までの勢いは一体何処へやら。
これまでの相良であればそんな目で自分を見てくるような事はなかったというのに、どういうわけか一昨日に町で顔を合わせた際も似た様な反応を弥代はされていた。
あの時は結局、相良が何をどう考えた上かなんてのは当然のことながら弥代が知る由もないのだが(当たり前だ)、相良の方から確か折れるような返しをしてくれた、よう……な。
「……え、えへへっ?」
「誰の真似ですかそれは?」
芳賀さんじゃあるまいし、なんて言葉が返ってくる。
つまりはそういう事、だ。
食事を済ませ茶を一杯飲み干し一息を吐けば、それでいつ迄も広間にいる必要は何処にもない。
だというのに相良は、湯呑みが空になるなり部屋の隅の方に控えていた女中を軽く呼び、新しく注いでほしい旨を伝えてみせた。ついでに、頼んでもないのに新しい湯呑みも用意される。恐らくは弥代の分だ。
一度手元を離れた、畳の上に戻された湯呑みに黒い急須が傾けられて、女中の慣れた手付きで中が満たされていく。
相良の分が注がれ終われば、次は一緒に持ってこられた湯呑みが同じ要領で満たされる。
とても控えめに「どうぞ」と差し出されるのを早々に弥代は手に取り、それから相良に向き直った。
が――、しかし
「訊きたいことがいっぱいあるの十分すぎるぐらい分かりました。それには後々ゆっくりと、一つずつどの様なモノであるかはお答えしましょう。
ですがその前に一点、私から弥代さんにお訊きしたい事があります。よろしいでしょうか?」
「へ?」
「相良さんが、俺に訊きたい……こと?」
なんだろう?と率直に弥代は疑問を抱いた。
疑問を抱いたからには首は勝手に傾がれてしまうというもの。
無意識の内に右にコテンと傾く視界を儘に、弥代は相良と目を合わせ、逆に訊ね返す形で続きを促してみせた。
「えぇ、春原さんについてなのですが。」
「え、千方のこと?」
「ち…………、えぇ、そうです。」
ピクリ、今この場において湯呑みを持つ相良の手元が小さく動くのを弥代は見逃さなかった。
「…………えっと、呼び方、合わせた方がいい?」
「……いえ、そのままで結構です。」
なんとも言えない微妙な空気が流れているのが分かる。
直接そう、と言われたわけではないのだがなんと、なく。なんとなくだが相良が何を言おうとしているのかが、この時は弥代でも不思議と分かってしまった。否、気持ちが分かるという、のか。
相良の口から春原の名前が出てきた事に、ここ数日がすっかりそうであったものだから慣れつつあった呼び方をただ弥代はしてしまった、それこそ今し方の、疑問を抱いた直後に首を傾げてしまったのと同じに。無意識で滑り出てきてしまったのが偶々その呼び方であった、というだけなのだが。
まぁ、そうなるのも分かる。
どちらかといえば人付き合いが得意ではない、関わりのある人間はとても限られている春原だ。彼に用事がある、彼の事を呼ぶ人は大抵「春原」、あるいは「春原さん」と、彼を家名の方で呼ぶのが大半だ。
彼を家名ではなく下の名で呼ぶ者なんて、弥代の知る限り無いに等し―――否、存在する。
扇堂雪那と同じように弥代のことを「弥代ちゃん」等と呼んでみせる、白髪頭の彼がそうだ。彼は確か春原のことを「千方くん」と呼んでいた筈、だ。
でもそれ以外で春原を下の名前で呼ぶ人はやはりいないので。
聞き慣れない、耳馴染みがあまりないというのは違和感が強いという事だろう。
合わせようと思えば相良に合わせて、数日前までと同じように「春原」と呼ぶことも出来る旨をキチンと言葉にして話してみるも、しかし相良の返答は変わらなかった。
「なにも耳馴染みがない、という事はありません。
春原さんと御一緒させていただいたばかりの頃は、家名で呼ばれること自体があまりなかった為に、呼んでも自分の事を呼ばれていると気付かれない、慣れるまでそれなりに時間が掛かっておりましたので。
その間は私も彼を下の名で呼んでいました故。」
「そうなんだ?」
そんな事があったのか?と思わずにはいられない話だ。
徐々に冷めつつある、立ち上る湯気も落ち着きを見せつつあるのでやっと一口。朝餉後に出された茶で舌を軽く火傷したばかりだからちびちびと茶に口をつけながら、弥代は相良の話に耳を傾けてみるも。
「そんで?」
「……はい?」
「え、続きは?」
「ありません、そんなものは。」
「そうなの?」
「いえ、そもそも今のは貴女が気にすることではないという一貫の話に過ぎず。まだ私からの問いは終えておりません。話の途中です。」
「……ぁ、そうだった。」
ごめんごめん、謝りを入れる。
「えっと……、そんで何だったけ? 千方について、だったよね、確か。なに? 何が訊きてぇの?」
姿勢が崩れる。見慣れない、恐らくは初めて目にする、相良が胡座を掻いてみせるのを弥代はまじまじと見ながら、再度続きを促した。今度は絶対に話を間違えないように気を付けないといけない。
「ここ数日――と、先ほど仰っていましたが、」
御二人の間に何があったのでしょうか?と相良は単刀直入に訊ねてきた。
「なにって、たとえば?」
「呼び方もそうですが、今までと比べ明らかに接し方が柔らかくなっているようにお見受けしましたので。」
絹さんのように下手な誤解をするのは、当人らには失礼でしょう、という言葉が添えられればそれで弥代は納得が出来た。
そうだ、相良さんはちゃんと聞いてくれる人、だ。
どこぞの聞く耳を持たない、狼は人よりも耳も鼻もいいのです!なんて無駄に胸を張って自信あり気に言ってみせる、使い道を明らかに間違えているどこぞの馬鹿狼など目じゃない。
数日。五日か六日ぐらい碌に顔を見たり、長く向き合って接したりの機会がなかった、突然なんの説明もなしにいなくなってしまったものだからとても不安に、もしかしたらもう戻ってこないなんて事もあるのだろうか、と嫌なことを考えなかったという事はなかったわけではなかったのだが、こうしてちゃんと、キチンと自分に向き合ってくれる、接する相手の言葉に、意見に最後まで耳を傾けてくれる、どんな内容でもきっと聞かないという事はせずに此方の、弥代が話すのを待ってくれる。
これまで弥代が求めても中々得ることが出来なかった存在が今はちゃんと居るのだということを、その有難さを再度噛み締め、弥代は相良が留守にしている間にあった春原とのやりとりを話し始めた。
春原のことを「千方」と呼ぶ始めてからまだ日は浅いものの。否、日が浅いからこそ際立つのだろうか、弥代はやはり、これまで彼に抱いていた印象というものが塗り変わっていく、認識を改めるようになった。
が、何を考えているのか、よく分からぬ奴というのには変わりはないものの、その行動のどれにも、どのように考えた上でそう至ったのかは分からないが変わらぬモノが一つ。どれもこれも弥代のことを考えた上で表面上に出てきているのだというのが理解できつつあった。
ただ、どうにも覚えが悪い。どこからどこまでを覚えているのかなんてのは当人しか知り得ないのは勿論そうなのだが、たった一回のやりとりを変に覚えていることもあるから、そういった線引きが読めない。
弥代と対面する時に左利きの弥代に合わせ、自分も左でモノを持ったりとするあたりは、どうやら古峯で横並びになった時に右で箸を持てば、左で箸を持つ弥代と並んだ時に肘がぶつかってしまって、なんて事があったかららしく。(昨日の稽古後にやっぱり気になって弥代は訊ねてみた結果、そんな回答があった。)
この頃は弥代を前にすると、あまり多くを語らない口で頑張って言葉を紡ごうとするのは、弥代が必要とする言葉がなんであるかが分からないからこそ、弥代の機嫌を損ねてしまわないように、と進んで話そうという意志の現れだったり。
「不器用な奴なんだなって、そう思うようになった。それだけ、だよ。」
――あと、可愛いところがある。
「…………、いや、それは違ぇな?」
言おうか言わまいか、頭にはしっかりと浮かんだというのに寸でのところで弥代はそれをグッと内に留めてみせ、相良を相手に隠したってあまり意味はないと分かっているのにそれを口に出すのを止めた。
可愛い……、そう、結構可愛い奴だ。
デカい図体でガッチリとした体付きをして、馬鹿の一つ覚えみたいに、体力が続く限りは休む間もなく、竹刀をただ振るい続けているというのに、自分一人じゃ本当に日が暮れるまでずっと止めないだろうに、弥代が一つ名前を呼んでやるとそれ、で。
(素直、なんだよな。)
そういえば、箸の件を春原に訊ねた時に、一緒に春まで古峯で世話になった際に、館林が春原のことを素直で可愛いだとか、そんな事を言っていたのを思い出したのだ。
『自分らは春原さんの事を、まぁ素直で可愛げがあるという風に考えている節がありやすからね。』
(可愛いと可愛げがあるって、どっちも同じだよな確か?)
相良を前にしてあれよこれよ、とここ数日にあった自分と春原のやりとりだったり、二人で御遣いを頼まれたことや、稽古でちょっとした打ち合いをした事だったり。細々としたものも含め、交わした他愛も雑談までも話す。
そんな頭の片隅で、可愛いと可愛げがあるの違いを気に掛けつつも、弥代はそれを相良に訊ねるべきかを考えたのだが、
(今じゃなくても別にいいか……)
一つ、踏ん切りをつけてみた。
つまる処、ある意味で長く誤解に近かった弥代の中の春原に対する悪い印象が、これをもって払拭されたという事に、なるのだろうか。
相良はその状況をあまり素直に受け止め、喜ぶのは難しい心境にあった。
否、弥代の傍に在ることを望む春原、だ。
弥代が一方的に春原を毛嫌い、あるいは警戒し距離を取る、言葉を交わすにしてもやはり一方的な、到底会話と呼べない問答は数えられないぐらい重ねてきたことだろう。目に余る、端から聞く耳を持たないその態度は遠目に見ても酷いものであったのだから、それが減る、それで春原が傷付く機会が少なくなるのであれば嬉しいことこの上ない筈だ。
だが、それを素直に喜ぶことが出来ないというのは、暗に、春原と弥代の関わりを、七年程前のあの日、あの場に弥代が居合わせ、それが春原が藤原から逃奔する原因となったから、だ。
それは正しく、相良が春原の背を追うきっかけにもなったあの日の出来事だ。
相良――は、
『戻りましょう千方様、今ならまだ、遅くはありません。』
相良は今この時、そんな事よりも気にすべき件があるというのに、それから目を逸らした。




