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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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四十七話 気晴らし

 こうして向かい合うこと自体が、春原(すのはら)は随分と久方ぶりに感じずには()られなかった。

 というのも弥代(やしろ)を正面に見据(みす)え、竹刀(それ)()などなくとも、刀と同じように(かま)えるというのは、実に一年以上。――(いな)、思い返してみるも、当時の弥代は刀を刀として握ることはなく喧嘩道具の、手足の延長として振り(かざ)すことが大半であった。

 ……と、なると。弥代を相手に刀に見立(みた)てた竹刀を振るうという、この時間は初めて、という事になり。

 それ――、は。

 それに(いた)く、春原の心はさざめいた。

 それを(しず)める(すべ)を、生憎と春原は知らず。が、間違っても口にしようものなら弥代はきっと。

 (いや)絶対に(間違いなく)弥代は機嫌を(そこ)ねてしまうのは分かりきっている。弥代とはそういう性格をしている。徐々(じょじょ)にだが春原は理解し(分かり)つつあった。

 だから、一時(いっとき)でもこの時間が少しでも長く続けばいいのに、と。その一心(いっしん)からいつものように数巡を()(のち)、春原は(かす)かに口を開いた。

「……そう、か。

 では、俺は弥代が白星を上げられるよう(つと)めればいいのだな?」

「なんだその手を抜けばいいのかみてぇなモノの()き方はッ⁉︎

 自分の方が強いって、俺のこと馬鹿にしてんのか調子に乗んじゃねぇぞテメェ千方(ちかた)! お前なんかはな、俺がけっちょんけっちょん(、、、、、、、、、、)にしてやんだからなっ! 今に見てろ、身を持って知れ、覚えてやがれってんだッ‼︎」

「……けっちょん……けちょん?」

 あまり、耳馴染(みみなじ)みがない言葉だ。

 拾えた音をそのまま、首を横に(かし)げつつ真似て口にしてみるもやはり、といった具合。

 自分以外の者がそれをどう拾ったのかが気になり、春原は眼前の弥代から目を()らし、右手の長い縁側に腰を落ち着かせている、(此方)の様子を観ている三人の方へと意識を向けた。

「けっちょんけっちょん?」

信濃(しなの)の方のけちょんけちょんの間違いじゃないかしら?」

「弥代様は色んな言葉を御存知(ごぞんじ)なのですね!」

「という事はいつもの弥代さんのウロ覚えですね?」

「弥代ちゃん頑張ってね〜」

 しかし縁側(其処)には、茶を近くに用意した上で好き勝手言いたい事を思い思いに口にしている様子のみしか見受けられず。

 ただ、弥代が口にした“けっちょんけっちょん”という言葉が、“けちょんけちょん”の誤用(ごよう)であるという事だけは分かり。

(……なる、ほど。)

 だが、“けっちょんけっちょん”にしても、“けちょんけちょん”にしても。どちらにしたって結局は春原の知らない言葉というのに違いはなく。

「……やはり、弥代は俺よりも頭がいいのだな。」

 (こら)えきれず、自身の口元が(ゆる)むのを春原は確かに感じた。






 刀――なんてものは結局の(ところ)、弥代は抜かずともどうとでもなる。

 自分の足が比較的、どちらかといえば短い方であるという事はもう認めざるを()ないものの、腕に関しては同じぐらいの身丈(みたけ)をした相手と比べればほんの少し、気持ちちょっと長いぐらい。

 関節()を外したり、肩維持を張りたくても他よりもいくらか緩や(なだら)かな肩をしているものだから、それらもあって位置が低いだけかもしれない。

 そんな腕先に、鞘から抜くことがなくとも(てのひら)で握れてしまれば、それを思うままに振っていれば、それでこれまではどうにかなったきたのだ。

 だというのに、アレは確か今年に入ってから、春の雪解けを待ってから古峯(ふるみね)()ち、榊扇(さかきおうぎ)の里に戻ってきて暫くが()った頃。

 扇堂(せんどう)()の――、今はもう()くなってしまった(と、弥代は聞かされている)扇堂雪那(彼女)の従者である氷室(ひむろ)という男から、屋敷(づた)いで春原討伐屋(とうばつや)に声が掛かり、屋敷近くの古い町道場の修繕を()てから、打ち稽古(げいこ)()り行うという話が弥代の(もと)へも回ってきたのだ。

 刀の(あつか)いに、小難(こむずか)しい(かた)や構えといわれるものがあるのは、実際に刀をまだ扱かわせてもらえるぐらいまで修練を詰めていないものの、腕を磨いている最中だという、討伐屋に(ぞく)する芳賀(よしか)から世間話の一貫(いっかん)で教えてもらうことが少なくはなく。

 榊扇の里において討伐屋が日々を送る屋敷は、扇堂家の近くに(かつ)てあったと言われる道場とはまた別の、しがない町道場であったらしく。門下生(もんかせい)なんかが親元を離れ(家から出て)、住み込みで鍛えられていた過去があるらしく。そのため討伐屋の敷地内には立派な建前(たてまえ)をしている道場が、それこそ弥代が里において身を寄せている長屋とそれほど長さが変わらなそうなぐらいの、立派な道場が丸々一棟(ひとむね)建てられて(存在して)おり。

 討伐屋内――身内の間だけで行われる稽古なりに誘われた事自体、一応は芳賀と同じように討伐屋に属しているといって過言(かごん)でない弥代なのだから何度もあるのだが、毎度の事ながら面倒でだからと適当な言い訳をその場(ごしら)えで適当に並び立て、そうして逃げ回っていたわけなのだが。

(まぁ、だから俺はあの人に結構その、型なりをそこそこ……多分他の連中よりも散々体に叩き込まれたんだよなぁ?)

 つい先ほど、春原と二人で交わしていた際の会話を、自分が口にした言葉がふと脳裏を()ぎったのは、手にした竹刀のその握り心地や重さに弥代は覚えがあったから、だ。

 そんなこと一つで、芋であったか雪であったかまでは今はパッと思い出せはしないがズルズルと引きずられ、一緒(いっしょ)くたに過ぎるものだから少し気疲れしてしまう。

 嫌なところで繋がってしまうものだな、と。弥代はそこからそのままに、あの晩、自分が最後に見た氷室(あの人)の表情、を。思い出してしま、い。

(…………ほんと、嫌になる。)

 それは、ほんの少しでもこの思考をそのままにしておけば、きっと今以上に余計な事まで思い出してしまう――折角戻りつつある調子がまた崩れてしまいかねない為、弥代はそうはなるまい、と竹刀大きく振り上げた。そして肩に担いでみせながら天を(あお)ぎ見て、目を強く(つむ)り、深く息を吐き出す。

「――ッしゃ! いっちょやんぞ千方ッ‼︎」

「いつでも構わない。」

 弥代の考えなど知る(よし)もない。口に出してもいない事を知る手立てなどあるわけがない。だというのに、弥代が望む(こた)えを、きっと誰よりも弥代の意図など理解せぬまま口にしてくれる春原千方()という存在はある意味、今この時、それは弥代にとっての救いに(ほか)ならなかった。



 刀を扱うに当たり、()るまじき動きだ、とそんな事を言われたことがある。

 それもその筈、弥代にとって刀を扱うという事は結局、鞘から抜くことのないまま、()を見せることなく振り(かぶ)るものであり、振り下ろすという一点においては間違いはないのだろうが、斬るという行為よりも“殴る”というのが近い。

 だから、刀であれば鞘をそのままに、先の部分を地面に突き立てるその反動に身を(あず)け、()らぬ体の大きさを(おぎな)うかの(よう)、足裏が地を離れて相手よりも高い位置を勝ち取る。

 そして、普通にその場で()ね上がるなんかよりもずっと長く感じられる一瞬の(うち)に、刀の扱い方としては間違っていない、本来の用途に近い、眼前の相手の脳天に狙いを(さだ)めて力強く振り下ろす。

 案外、初見の相手であれば刀を持っているくせをして、といった驚きを隠せない様子を(あら)わにさせ、不意を突かれたり、もしくは呆気(あっけ)にでも取られたかのような反応を見せ、重たい一撃を頭あるいは少しズレて肩なりに受け倒れてくれることが多い。

 が、場慣(ばな)をしている手練(てだ)れや、普段から取り乱すことがあまりない相手は別、だ。

 弥代が見下ろす、今まさに竹刀をこれまでと変わらぬ扱いをしたことで上を取ってみせた相手・春原はそのどちらにも当て嵌まる、非常に厄介な相手、だ。

 なにより、弥代は足が地を離れたその瞬間に焦りを覚え、そうして同時に思い出したのだ。

 弥代がこれまで扱ってきた刀のそれと、竹刀の物の(しつ)というものが違う、といった事、を。

『貴女が常日頃、腰よりぶら下げておりますその刀の鞘というものは、元は“(ほう)”と呼ばれる木材を、長い時間を掛けて乾燥させたものが使われております。

 ある程度は(やわ)らかく、刀を(おさ)めるにあたり刀身(とうしん)を傷付けてしまわぬように多くの手が(ほどこ)されている(しな)です。……ですが、貴女がいま握りしめているその竹刀(しない)という代物(しろもの)は竹で造られており、竹というものはと(しな)る性質を持ち。

 その為――』

 だから弥代は、あまり高くないと言っても他の家々と比べてみればいくらかは高い(つく)りをしているというのに、修繕が終えたばかりの屋敷近くの道場において早々、調子に乗っていつもと同じ(そんな)事をした結果、派手に頭を天井にぶつける羽目になったの、だが――

「ぁ」

 天井のない野外でそんな事をすればどうなるかなんて、身丈通りに目方の軽い弥代がそんなのをしらたどうなるかなんていうのは、後の祭りという言葉がるように。

「ゃ……ぁ」

 ――(いや)ッ! ここで弱音を吐くのは違う。

 こんな時にそんなものを吐くような事があれば、これを観ている奴らに大見得(おおみえ)を切って、啖呵まで切ったのに小っ()ずかしい姿をただ見せただけとなってしま、う。それだけは、それだけはなんとしても阻止せねばならない。今日を含め残り三日。次に顔を合わせるのが一体いつになるのか、それまで必ずしも相手が今日この日の出来事を覚えている確証なんてありはしないのだが、恥ずかしい姿を見られたとしてそれを弥代自身が忘れられるという自信はなく。

(次にどんな顔をして会えばいいのか分かったもんじゃゃねぇ‼︎)

 瓦屋根(かわらやね)の天辺が見えるという事はなかったものの、影を落とす軒上の辺りは見えてしまうぐらいまで持ち上がった体を、その体勢を勘付かれる前に弥代は切り替えた。といっても空中、足場のない場所で思い通りに体を動かせるわけもない為、結局は最初に地面に竹刀を突き立てた際の殺しきれていない勢い任せ、ではあるのだ。

 そう。そうして後は(ただ)。鳥や虫のような羽根でも持たない限りは留まることさえ(かな)わない(くう)を醜くも藻掻(もが)くように切って、大きく振りかぶった竹刀を相手目掛けて弥代は落とすだけだった。






 それは、なにも何時(いつ)でもというわけではない。

 が、決まってそういった、春原では到底出来っこないような事をしてみせる弥代という存在は、その姿は春原の視界に、これでもかというぐらいに(あざ)やかに、強烈な(いろど)りを持ってして映り込む。

 目を(はな)す、それすらも()しむ――勿体無いといっそ感じてしまう(ほど)に、狭い世界に(とど)めておきたくなってしまう。

 (いや)、違う。

 それは、弥代の持つ“色”を鮮やかであるからというわけでは(だん)じてない。現に今日、今この時に春原を鋭く見据えてみせる弥代の、頭部(とうぶ)の“色”というのは本来の青い髪よりも黒の主張がまだ強い。

 四日前、西条(さいじょう)百合(ゆり)から持ち掛けられた御遣(おつか)い事によってその翌日、西条家の屋敷を()、日中の山城国(やましろのくに)の市街を歩かねばならなかった際。

 西条百合が夜遅くに春原にそんな話を持ち掛けてくる、話し掛けてくるよりも前、弥代はもう御遣いの話を聞いていたらしく。その日の夕餉(ゆうげ)(どき)にはいつも通り青かった髪が、翌朝の朝餉(あさげ)時には黒く染められており。

 弥代の髪を黒く染め上げているのは、春原の名を含んでいる、春原も当然の事ながら(ぞく)している春原討伐屋に、同じように属しているといって過言ではない((いや)、そういった表現をしてしまうと、まるでかの女性が得物(えもの)を構え、前線に立ってみせるかのよう、に……(いや)(あなが)ち間違っている気もしなくもない、が……)薬師(やくし)伽々里(かがり)の手によって作られた代物(しろもの)であり。

 ()()と呼ばれるそれは、鉄漿水(てっしょうすい)という鉄を溶かした液体に、ふしを乾燥させることで出来る五倍子の粉(ふしのこ)と、それらを組み合わせた際の独特の匂いを(やわ)らげる為に茶葉も使われり、といった手の込んだ(しな)らしく。

 同じ屋根の下、春原の知らぬ知識を(もと)に、必要に(おう)じて細々とした道具を(もち)い、静かに薬を(せん)じてみせる伽々里と向かい合い、何を喋るでもなく過ごす一時(いっとき)はとて、も――、

 (いや)、それは今は触れる必要のない事、だ。

 脇をグッと()め、上段(じょうだん)の構えを取る。

 自分の目線よりも高さがある、そんな相手からの一手を受け止めねばならないのならそれしか手はあるまい。更に、押し負けてしまわぬよう、踏ん張ることが出来るように、と腰を落とし歩幅を広く取る。

「スカした(ツラ)いつまで出来ると思ってやがんだお前って奴はよッ‼︎」

「そんな事は思った事もない。」

 足は当に地面から離れた後だというのに、宙で体を動かすことなど限られて当たり前だというのに、それでも頭の中で思い描いた通りだと言わんばかりに勢いを一切殺すことなく、弥代は春原の脳天を目掛けて力強く竹刀を振り下ろしてきた。

 春原の頭一つ分は小柄な体を折り曲げでもするかのように、小さな体を更に小さくするかのように、その方が上から掛かる(おも)みが増すというのを、頭ではなく体の方で理解しているかのような動きだ。

「余裕ぶっこいてんじゃねぇぞッ⁉︎」

「余裕など、ありはしない。」

 左利きの弥代から繰り出される一手というものはやはり珍しい。両利きという、必要に(おう)じていつだって右と左を持ち替えられ自分も珍しい部類である、という事を春原は理解しているが、刀というものを(あつか)う上ではある程度、その作法であったりを身につけるにあたり持ち方や型というものは矯正がされるものだと聞く。

 春原のそれは、基礎となるものを一通り身につけた上で、自分なりにその感覚を左右を反転させる事でどうにか再現しているに過ぎず、右利きが多いこの()においては左利きで攻め込んでくる相手というのはどうしてもそれ自体が(ほと)んど無いに等しい為に、経験が浅く、勝手を理解しきれていない。

 し、弥代は身軽、だ。

 恐らくは春原の目方(めかた)の半分もないだろう。

 足が速い上に見慣れぬ、予想だにしない動きで距離を詰めたり、攻め込んでくるのはとて、も――

「後で一緒に洗ってやっから許せよなっ!」

「――ッ⁉︎」

 上空から振り下ろされた一手を払い()けて間もなく、いくらか振りに地に足が着くなり直ぐ様、弥代は身を深く(かが)め、竹刀を握るのとは反対の手を――指を地面に突き立てて、そうして泥を掻き上げてみせた。

 朝方から降り続けていた雨を、水気(みずけ)粉団(ふんだん)に含んだ泥だ。

 それ自体が乾いた土とでは比重(ひじゅう)(こと)なってくるというもの。しかしたった一掻(ひとか)きで舞う泥の量は砂とは違い重い筈であるというのにそこそこに多く。軽い気持ちで行った(掻き上げられた)ものではなく、しっかりと狙いを定めた――目的があった上のモノであるのだと春原は(さっ)する。

 目に入っては後に響く。払い除けるにしても一振りで舞う泥を落とすのは難しい。目を(つむ)るなり、その場から動き回避する(ほか)に逃れようがない。

 が、直前――、弥代からの一手(いって)を上段で受け止めるに当たり、その重みを凌ぐ為に踏み込んだ足が、泥濘(ぬかる)んだ地面に取られていた為に春原は即座にその場から動けない事を理解し、腕を前に、目を(かば)う動きを見せた。






 目隠しを目的とするのなら断然、砂の方が扱いがいい事ぐらい弥代は分かっていた。

 舞い上がった乾いた砂は、直ぐに地面に落ちるんじゃなく、暫く上がったままになる事があるし、それが少しでも目に入ったらたまったもんじゃない。

 傷の治りは早いが、痛みを感じないわけではない。でも、ある程度の痛みは辛抱強く我慢することが出来る弥代であっても、あの鋭く刺してでも来るような目に砂が入った痛みというものは好きではない。

 なによりも一度目に入ってしまえば暫くゴロゴロと、入った分がいつまでも目の中に残っているんじゃないか、とそう思わずにはいられない違和感に襲われ死ぬまで好きにはなれないだろうと思う。

 だが、今この時に対峙をする男は、弥代が単身(たんしん)で正面から挑んだとて勝てる見込みのない相手だ。

 自分の方が強いなんて見栄を張った、啖呵(たんか)を切った手前、やはり負けるのは格好がつかない。

 使えるものは使ってなんぼ。使い道にしたって、砂よりも効果は狭まりはするものの、目隠しという目的に使えないわけではないのだから問題は何もない。(いや)(むし)ろ上々の結果に弥代は思えた。

 ぬちょりとした感触が(てのひら)いっぱいに広がりぞわりとしたものの、気持ち多めに掻き上げてみせた泥は想像通り、重みはあったものの弥代の狙い通りに春原に掛かった。

 案の定、外野(がいや)――縁側の方からは絹の「(あら)いものがっ⁉︎」なんて悲痛な叫びが響いたものだから、正面の弥代だけではなく横から見ても泥が春原に届いたのは間違いない。

 腕を上げ、袂で視界の半分以上を隠し(かば)う、そこから体勢を立て直そおうとする一瞬の(すき)を弥代は見逃すことはなかった。

「――だったって言うのにさぁ?」

 手当なんてのはされなくたってちょっとしたら勝手に治るものだ。でもこの時はやっぱり慰めてほしい気持ちいっぱいで弥代は(わざ)とらしく痛がった芝居(ふり)をしてみせて、絹と隆棋(たかよし)に挟まれる状況を望んだ。

 ただ途中、()り傷であったりの部位に関しては患部(かんぶ)を一旦綺麗にする、(ぬぐ)うのにどこから持ってきたのかも分からない焼酎を吹き掛けられたりという事があり、怪我を貰う際の痛み以上のものを(あじ)わわされ、激痛に泣かされる羽目になったものだから、二度と痛がった芝居なんてしないと弥代は胸に誓ったりといった事があった。

 今は軽く当て布なりが()てがわれたり、巻かれたりしているが、それらもきっと寝る頃に(はず)してみればそれで(あと)も残らないことだろう。

「結構いい線まで狙えてたと思ったんだけどなぁ俺はさ!」

「いえいえ、実際に弥代様はとても頑張られていたと思います!

 隆棋は弥代様の勇姿(ゆうし)ある姿を、自分よりも屈強な相手に果敢(かかん)に挑んでいかれる、決して(おそ)れることなく立ち向かわれる姿をしかとこの目に」

「じゃぁ、やっぱり弥代ちゃんよりも春原様の方が腕が立つという事なのね!」

「しかしつゆ殿、弥代さんは先日鈴鹿峠(すずかとうげ)で賊を前にした際、春原殿を押し退()け、数十人はいた不届きな(やから)をたった一人で成敗してみせ――」

 各々(おのおの)がただ言いたいことを言い合うのを尻目(しりめ)に弥代は縁側に寝っ転がる。

 相変わらずトントン拍子に進む会話というものは、一言一言口を挟んでやりたい気持ちはあるのだが、結局それは面倒なので弥代はもうしない。一々会話の真ん中を無理して陣取って、知ったかぶりで虚勢を張る必要なんてどこにもないの、だから。

 そうして、季節に目を向ける。

 掛川(かけがわ)宿(しゅく)での一件から十日と少ししか経っていないまだ八月も下旬。

 肩意地を無理に張ってみせるのも、デカい態度をすることも()めてしまった弥代の気持ちは本当に軽いものになっていた。

 そのどれもこれも、自分が今こうして過ごすことが出来ているのは全部相良のおかげだ。

 そんな相良の為に、今、弥代が出来ることは――多分。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 二十二話






 扇堂(せんどう)()から山城国(やましろのくに)までの道中の支度金(したくきん)はなんとも心持たない、百緡(ひゃくざし)一本だった。

 表立っては扇堂家の(つか)いとしてだが、実のところは七月の一件の下手人(げしゅにん)を身内に持つ弥代を榊扇の里から遠ざける為の旅路だ。

 そんな旅に金が多く用意されるわけがない。

 しかし百緡一本――百文(ひゃくもん)程度で相模国から山城国までの、旅に慣れた商人であっても十日前後は掛かる道のりを、大人二人子ども一人というのは、正直なところあまりにも、といった具合ではあったのだ。

 目立った行動をせぬよう野宿を続け人目(ひとめ)をなるべく避けて西を目指せとでも言いたいのか?と口には出さずとも榊扇の里の女主人を前に、(こうべ)を垂れたままに相良はそうんな事を思わずにはいられなかった。

「――でしたがこれより先は、その様な心配は無用の長物(ちょうぶつ)といったものなのです。」

 言うて、相良は(ふところ)にしまっていた包みを弥代と春原の前に差し出し、(すそ)(めく)ってみせた。

「……札?」

「……両替(りょうがえ)手形(てがた)か。」

「はい、西条(さいじょう)()と繋がりのある両替商に限られてはしまいますが、山城国(此処)よりも西でも通ずる手形(モノ)になっているとの事。

 相模国からは何かと絹さんに工面(くめん)いただく事が多かったかとは思います。同程度、というのは(いささ)か難しいでしょうが、木銭(きせん)宿(やど)程度でしたら其処にありさえすれば一晩上がらせていただく事も(かな)いましょう。

 いくら扇堂家に協力をいただけると分かったとしても、無駄遣いが許されているわけではありません。節制を心掛け」

「ねぇねぇ相良さん、きせんやど《、、、、、》、って何?」

 身を乗り出して、此方(こちら)の話が終わらぬ(うち)に口を開いてみせ(たず)ねてくる弥代に対し、一瞬相良は口を(つぐ)むも、直ぐに気持ちを切り替え弥代の問い掛けに(こた)える姿勢を見せた。

「“木銭宿”と言いますのは、最低限の旅籠(はたご)を意味します。

 街道を()く誰しもが裕福と、(ふところ)に余裕があるというわけはありません。仕切りや壁のない広い座敷(ざしき)で皆が雑魚寝をするだけの宿もあれば、食事は各々(おのおの)で用意をした上で、火を()べる為の(まき)のみを、といった宿もあります。

 これからの季節、秋の先に冬が控えているのも考えますと、場合によっては冬の(かん)宿()を閉めてしまわれる事も少なくありません。冬の薪以上に貴重なものはございません。」

「店を閉め……、」

 そんなのもあったな?と、弥代は右隣に座る春原へと話を振るのを相良は見た。見間違いや勘違いでなければその距離はどうにも近く見える。

「ほら、去年の冬に北に行く時にさ。館林さんと一緒に宿があるのに冬場は客を取ってねぇとか、なんとかって……」

「……あった。」

「ほらぁ!」

 それに触れたい気持ちを山々だ。が、相良はそれを(おさ)えた上で咳払いを一つ落とした。

 そして、

「続きを、私は話してもよろしいでしょうか?」







 それは、相良に言わせてみると、大変運が良かった、ことらしい。

 何しろ、山城国の何処にいるのかは教えられてはいなかった、扇堂家と(かか)わりがあるという家が丁度(ちょうど)(まさ)しく自分達が身を寄せていた西条家であったのだから。

『闇雲に、扇堂家と繋がりのある家を探さねばならないのか、山城国(この地)(しばら)く足を止めねばならなくなるだろう、と。そんな想定をしていたものですから、こうも運よく話が進むとは思ってもみませんでした。

 えぇ、本当に。暁光(ぎょうこう)であったにしましても、出来()ぎていると思わずには()らぬ程、に。』

 少々――(いや)、かなり何やら(ふく)みのある言い方に弥代は聞こえたのが、それがどういった意味合いで相良の口から(はっ)せられたのか、を弥代が理解出来るわけもなく。

 そうなんだね、なんて明るく返事を返す事しか、子どもらしい反応を弥代は示すことしか出来、なかった。

 それ以外にも、何やら細々とした今後の流れ、西条家を出立するまでの段取りであったりという説明を、弥代は春原と肩を並べた状態で耳を(かたむ)けて聞いてはいたのだが、如何(いかん)せん一度で覚えきれるような内容ではなかった。

 思い返してみれば榊扇の里から扇堂家の屋敷を出立するに当たっての説明というのも、当時の自分の状態を振り返れば、(ろく)に誰かと話せるような状況ではなかったし、話を聞くだけにしても心に余裕すらなかったのだから致し方ないというもの。

 ただそれが幾らか(かす)みそうになるぐらいには長ったるい説明が、正座(せいざ)で折り曲げた足の(しび)れが分からなくなってしまうぐらいは続き。

(多分、だからこれで良いんだろうな、俺は。)

 天井を見上げつつ、弥代は夕餉(ゆうめし)()えてからあった話を思い出しながら、そんな事を考えた。

 相良がこの屋敷に戻ってくるのは今日ではなく明日(あした)になると、昨晩の西条家の屋敷前での別れ際、当人の口から直接聞かされていた通り、先の顔合わせは戻ってきたのではなく、前もって余裕を持った上で、弥代と春原に対し説明をしに来ただけなようで、終えるなり相良は早々に、「明日には戻ります、(ゆえ)。」などと言い残し立ち去っていった。

 まだ別邸の方に用事があるとか、なんとか。

 天井にびっしりと広がった、一番細い縁のような部分を目で追い、

「ねぇねぇツユリさん、ああいうのって(なん)て言うの?」

「フフッ、弥代ちゃんはどれの事を言ってるのかしら。」

 箱枕(はこまくら)を嫌うものだから頭の後ろで腕を組み、布団の上に寝っ転がったまま天井を見上げていた弥代は同室にいる百合(ゆり)に声を掛け、天井を指差した。

「あのさ、びっしりなってるの。アレも格子(こうし)ってンだっけ? よく違ぇ重なり(かた)してるの見るけどさ、全部おんなじ格子……なワケ?」

「えぇ、そうね。組み合わせ方によって名前は違っては来るんだけども、」

 (なら)べられて()かれている布団の(あいだ)の、狭い畳の隙間(すきま)に一度手を付いて、距離が()められる。

 日中はゆるく()い上げられている髪も、寝る前となれば全て(おろ)ろされている。手入れの行き届いた、綺麗な髪だ。

湯浴みを終えて適当に髪を乾して終わりの弥代とは違って、彼女は女中の手を借りて髪の手入れを(おこた)っていることはないのを弥代は知っている。

「…………、」

「あら、教えてほしかったんじゃないの?」

「い……いや、」

 目が合う。

 目が合ってやっと、なんとなしにやっと弥代は気付いた。(いや)、気付けてしまった。

 彼女……が。

 西条百合が弥代の事を扇堂雪那(彼女)が口にする「弥代ちゃん」と、自分を呼ぶ。それが彼女に重なって弥代はずっと見えていたのだが、それは勘違いであったという事を今になって気付かされた。

 弥代にとって、西条百合が本当に似ていると感じたのは扇堂雪那(彼女)では、なく――

「ツユリさんって、俺のこと好きじゃないでしょ。」


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