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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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四十五話 気分

 見合わない、あまりにもそぐわない言葉を受け、相良は肩口よりゆっくりと、後ろに目を遣った。



 相良にとって、弥代という存在はどう見ようとも【子ども】でしかない。

 それ以上もそれ以下もなく、たとえどれだけ長い(とき)を、人の歩みとは大きく(こと)なる時間の中で緩やかな()いをいくら重ねようとも、変わることのない。(ちぢ)まることなど一生起こる()ることのない、あったとしてもそれは、(とお)()かり続けるのみでしかないだろう、と。その様に(とら)えていた。

 世を渡る上で知っておかねばならぬ事を知る機会を(ろく)()られず。かと言って、知れる機会を前にしようともそれから目を(そむ)け続け、不十分な知識で大人ぶる。

 虚勢を張らずにはまともに喋ることさえ(かな)わず、情を捨てきれずに多くを抱え込み、挙げ句の果てには(うしな)ってしまうような事があればあっさりと、(いと)容易(たやす)く膝を折ってしまう。

 弱く、救いようのない存在(子ども)だ。

 ただそれも、やっと自分自身に足らぬ、目を背け続けてきたものに向き合おうという姿勢を見せ始め、(から)(こも)るばかりではなく、多くへ関心を、知らない事柄(モノ)(みずか)ら知ろうとする変化を見せており。

 それは極端に言ってしまえば、()まる所その弥代の変化というものは(きわ)めて相良――の。

 相良が望んだ通りの姿――自身へと寄せられる期待に(こた)えようとする、健気(けなげ)な【子ども】のそれに近しく、(いや)、それ以上に厄介なものに相良の目には映ってしまった。

 なにも(けっ)して、弥代のこれまでの歩みを、今日(こんにち)に至るまでのその過程の全てを否定しているわけではない。仕方のないことであった、どうしようもないことであった、と。そう自身の中で相良はそれに答えを出した、(とう)に納得することが出来ていた。

 では、何故いまになってそんな事を、そんな風に。歩み出した、徐々に変わりつつある弥代の姿を見て、そのような考えが、終えたはずの、納得をしたはずの結果を今になって引き摺り出してしまうのか、と言われればそれは――、

『帰ろうって言ったら、相良さんどうする?』

 その【在り方】はどこか、彼に似ている。

 誰か一人の為だけに必死になり、自身を(かえり)みることなどなく最後まで(こた)えようと、寄り添おうとする姿はあまり、にも。

 (いや)、そんなものは弥代が人の身ではない、【鬼】であると知ったその時から頭にあったこと、だ。今更、今になってそうなのではないか、とそれにやっと気付くなどというのは、やはり――。

「――では、」

 八月もあと残すところ明日(あす)明後日(あさって)明明後日(しあさって)の三日のみ。

 西条(さいじょう)()の前当主である西条銀嶺(ぎんれい)に気遣われたことで、弥代らが世話になっている屋敷とは違う、二回りほど狭い小さな別邸に相良のみ移って早四日。掛川(かけがわ)で弥代と向かい合った晩から換算すれば総じて十二日となる。

 この(かん)、弥代とは距離は近く、接する機会だけでなく時間がこれまでの比ではないほど増えていた。今後の、どれぐらい掛かるかも見通しの(むず)しい旅路(たびじ)を考慮するのならば少しばかり離れて過ごす事が、一つ心の整理に繋がるのではないか、という提案を受け、一時(いっとき)とはいえども弥代から距離を取った今だからこそ、相良は考える。

 この様に、一対一になって向かい合う機会は掛川(あの晩)以降は無かった、とのだと。

 そして、たった十二日しか経っていないというのに、相良の知る限りのこれまでの弥代の口からでは出てこなかったろう言葉を、耳にした。

 何……より、


 乾いた時節の月というものは、やけにくっきりとその姿を見ることが(かな)う。

 月を眺めるのならそれは秋に越したことはないというのは生前の祖父の言葉であり、八月二十七日を迎えた今、中秋(ちゅうしゅう)弓張月(ゆみはりづき)を見損ねはしてしまったものの、(みかづき)の細い月明かりもまた、その存在はいつにも()しているように相良の目に映る。

 そんな月を背に相良を呼び止める、その【子ども】の髪は今は黒を(よそお)い、自分に近しい赤い瞳、を、自分にとても似たそれに袖を通し、更に、は

 だから、相良は――






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 二十話






 ザーザー、と雨音(あまおと)を耳にする。

 思えば此処最近は晴れが続いており、なんやかんや嵐の多い夏はもうお役御免と言わんばかり。秋の(おとず)れの中の秋雨(あきさめ)であろうか、と。そんな事を考えながら弥代は布団からゆっくりと身を起こそうとした。

「……ん、ぁえ?」

 つんのめる、その原因はハッキリと分かっており、ズルズルと自分の体の下に潜り込んでいる寝巻きの裾を引っ張り出す。

 そうすることでやっと自由に体を動かせることが(かな)い、弥代はやっと体を起こすことが出来た。

 が、起きたばかりだというのにまだ妙に(ねむ)く、体が重い。

 開ききらない(まぶた)に意識を集中させ、(たい)して重たいわけでもないのにグッと力を込めて持ち上げてみせようとするも、(すん)でのところで急に割り込んできた殺しきれなかった欠伸(あくび)に全てを持ってかれてしまい、断念。

 頑張ろうとした気力を削いでいった欠伸が全部悪いんだと、そんな事を考えて起こしたばかりの体だったのに再び敷き布団に横たわる。

 何だか今日はやる気が出ない。

 否、欠伸だけでは言い訳をするには不十分だろう。欠伸(それ)以外になにか……なにか言い訳に出来そうなものはないだろうか?と、横たえたものだからそれほど自由の()かない、狭い視界をぐるりと見渡して、そうして、

「丁度いいのがあんじゃん。」

 掛け布団を頭まですっぽりと(かぶ)った。



「――えぇ、分かります。分かりますとも弥代さん、雨の日は気が滅入るものですよね。ですがそれは昼になっても布団から出たくないという理由にはならないのです。

 一晩寝るのに使った布団をそのままに畳の上に広げて、更に潜ってしまうだなんて、雨の日であるからこそそんなの許されていいわけがないのです。どうか起きてはいただけませんでしょうか、じゃないと私が喜代子(きよこ)さんにどやされてしまいます……ッ!」

「どやされるって何だっけ?」

「怒られてしまう、で間違いございませんね!」

「……えっと、それできよこさん(、、、、、)ってのは?」

「この御屋敷の女中(じょちゅう)(かしら)四方(しかた)様の事でしょう!」

「……んぁぁ、おぅ?」

 そういえば一度、そんな名前だと教えてもらった事があった気が弥代はした。

 あまり直接会話をするわけでもないし、名前を一々呼びあったりというわけでもない、あくまで一時(いっとき)だけ世話になっている屋敷の棲み込みの女中ということで、名乗られたことはあっても口にする機会がなかったものだからすっかり忘れていた。

 そっかぁ、なんて覇気のない声を漏らしながら、頭から今も掛け布団を被ったまま弥代は布団の中で腕組みをして、うんうんと(うなず)く。

「じゃぁ今度からちゃんときよこさん(、、、、、)って呼ばなきゃダメだなぁ?」

「流石弥代様! 次にキチンと()かされようとする姿勢この隆棋(たかよし)、とても素晴らしく思います!」

「へへっ、()いたかよ絹さん? 隆棋は俺の味方だかんなー、二対一で俺の勝ちで絹さんの負けだぜ?」

「少々お待ち(くだ)さい、今からつゆ殿と春原殿を連れて(まい)ります(ゆえ)っ‼︎」

 (あわ)ただしくその場で立ち上がったと思えば()(さま)に廊下に飛び出る。顔を合わせることなく捨て台詞を吐き捨てでもするかのように出ていくも、まぁ帰ってこないという事はないのだろう。

 そこそこに広い屋敷ではあるが、声の一つや二つ張り上げればそれが敷地内に(ひび)かないなんてことは()ずない。だが、弥代の言葉を疑うこともなくまんまと受け止めて対抗しようと行動に出た絹だ。目先の事にしか目を向けられていない、視野の狭い行動なんてものはきっと、普段であれば気付ける簡単な事でも気付けやしないのだろう。

 掛け布団を相変わらず頭に被った体勢のまま、ドタバタと足音が響いた廊下へチラリ顔を(のぞ)かせれば、正に丁度その時、屋敷の女中(恐らくは彼女が女中頭の喜代子であろう)を前にして、勢いを急に殺しきれず廊下で絹は派手にすっ転んでみせた処であった。

「あっ、見んじゃねぇぞ隆棋?」

「え、あ……はい?」

 自分と同じように、廊下に顔を出そうとする隆棋を弥代は(せい)した。

 世の中には見せていいものと見せてはいけないものがある。どうやら西条家に属する者らは、口には出さないものの、絹が人の身ではないという事を大半が知っているらしく。

 時折いまの様に、絹がなにかしらやらかしたり、おっちょこちょいで転んだ際なんかに、普段絶対に表に出てくることのない本来の、獣特有の耳であったり、尻尾なんかが出てきてしまう事があるそうで、今が(まさ)しくその時であった。

 まだ知り合って日の浅い、どちらかといえばあまり仲が良いとはいえない関係であろう隆棋が、絹の正体が人ならざる存在であるなど、その事情を知っているとは到底思えない。

 説明なりをせねばならないのが面倒だと、早々に判断が出来た弥代は、何だか今日は自分自身を少しだけ冴えているのではないか、なんて心の中で評価をし――、

「…………。」

 昨晩のことを思い出してしまい、眉間へと皺を寄せずにはいられなかった。






『帰ろうって言ったら、相良さんどうする?』

 (うそ)(いつわ)りのない本心、だ。

 心の底から、もしそんな事が起きてしまったら、とそれを、その可能性が少しでもあるのではないか、という考えに、弥代は立ち往生、を。すっかり怖くなって、一時(いっとき)(あゆ)みを止めてしまった。

 でもそれは、なにも弥代がいくら名前を呼んだところで足を止めてくれない、先に進もうとする相良を眼前に見据えて、どうしてもその歩みを、弥代が止めた事にすら絶対に気付いていないだろう前進を止めてほしい一心(いっしん)で口にした言葉でもあった。

 帰る、場所なんて今の弥代にはまだない。

 この旅路は、弥代が再び榊扇(さかきおうぎ)の地に踏み入ることが許されるまでの、先日の騒動の(ほとぼ)りが沈静化(治まる)までの、その迄の繋ぎ、だ。

 相良はそんな弥代に手を取ってくれて、弥代が本当に帰りたいと思える場所を作れるその日まで(そば)に居てくれると言ってくれた。

 仮にもし、里での熱りが冷めても(なお)、弥代が居心地が悪いと感じることがあれば、弥代の気が済むまで付き合おうと、そんな事さえも言ってくれたような相手、だ。

 そんな相手、を。今の今まで弥代が得ることが出来なかった、弥代がどれだけ望んでも結局のところは手に入れることが出来なかった色んな事、を。様々なモノを与えてくれる、知らなかった事を多く、数えきれないぐらい与えてくれる存在、を。

 弥代が行きたい、と。会って、話しをしたい、なんであんな事をしたのか、と。どうして彼女を――、詩良(しら)が一体何をしたというのか。

 直接手に掛けた、かの旧国に()まうとされる赤い髪をした鬼神(きしん)に直接(たず)ねずにはいられない、とそれだけの我儘のため、に。相良――が、弥代に今もずっと、ずっと自分を気に掛けてくれている存在を失いかねない、というの、は。

『相良……さん、』

 あぁ、でもそれだけでは、ない。

 立ち止まり、振り返り弥代(此方)を見てくる、その距離を()める。

 昨日履かされた、慣れない鼻緒(はなお)の太い下駄(げた)ではなく、今日は履き慣れている草履(ぞうり)で良かった。そんな事を場違いにも頭の隅で考えながら、大股で距離を詰める。

 そう――して、

『いなく……ならないで、よ。』

 その後、相良はなにかを言っていたのだが、弥代はあまり、相良に何と言われたのかを覚えていな、い。

 あぁ――そう、だ。

 弥代は覚えていな、い。何を言われたのか、相良がどんな顔をしていたのかさえ、他に誰もいなかったのだから相良以外のことを見ていた、関心が()れたなんて事は起こりうるわけがない、のに。どうしてだか、本当に、何一、つ。

 ――で、も。

「それでは、此処で今宵(こよい)は失礼いたします。」

 いつからかは分からぬが、手を繋がれていた((いや)、正しくは手首を掴まれていただけ、だ)よう、だ。

 肩を二回ほど叩かれ、なにかと顔を上げた時には其処は、弥代がここ最近世話になっている、西条銀嶺の屋敷の門の前、で。

「子どもがこんなに遅くまで起きていていいわけがありませんよ。ゆっくり体を休めなさい。」

 相良は言うだけ言って、弥代と目を合わさぬ儘にその場で(きびす)を返してみせ、た。

 余計なことを口にしてしまったんだな、とそう弥代は思わずにはいれず。

 焦りから(ろく)に言葉も紡げず、背中を押された状態から、遅い時間だというのに門の前で弥代が中へと入るのを静かに待っている屋敷の人間を見る余裕さえなく、でも、違うんだ、と。誤解のないように、そんなつもりはなかったんだ、とそんな思いを込めて振り返、――――り。

「相良っ、さん!」

 上擦(うわず)ってしまった声の戻し方が分からない。

 声、を。大きな声を出してはいけない、目立ってしまう、から。余所者(よそもの)一時(いっとき)、屋敷の主人の厚意(こうい)で居座らせてもらっているだけの立場で、そんな立場の者が面倒事を、厄介事を起こしていいわけが、ない。いれなくなってしまう、から。追い出されてしまうような事があれば、知った顔の方が明らかに少ない地では不利、だから。

 それぐらい、そんな事、弥代が分からない、理解出来ないわけがない。

 身を持って知っている、から。だから大人しく、我儘を言って余計な事を必要以上にしてしまわないでジッと待っていた、のにッ。

「…………ぁ、」

 冷めた目、だ。

 硝子板越しに見る、自分に近しい“色”を持った彼の眼差しは、弥代が今までみてきたどれとも違、う。それはどこか、あの晩に彼女に向けられたそれに近い、ように見え、て。

 掴ん、だ。さっきも同じように掴んでしまった袖から手を離して、堪えきれず弥代はその場に(かが)んでしまった。

 逆の手で、震える左手を押さながら身を屈め、何も体を激しく動かしたあとでもないのに短く途切れる息を整えるのに躍起(やっき)になってしまう。

 こんな、こんな事をしたいわけじゃない、弥代はただ相良に、相良と向き合って話がしたいだけ、だというのに。簡単な事、であるはずなのに、なにも難しい事なんかじゃないはずなのに。

「ぉ…………俺、……俺、はッ」

「――弥代、さん。」

 その声はとても落ち着いて、いた。

 直前に弥代が見た、冷めた目からは想像も出来ないぐらい、ずっと穏やかな声色、で。

 あぁ、なんだか前にも少し似たような事があったな、と思い出し掛けるも、直ぐにアレは今とは逆であった気がして、きて。

 じゃぁ違うんだな、とそんな事を考えながら顔を持ち上げる、と。






(帰ってくる、って言ってた……なぁ。)

 昨日の今日で、だったか。

 今日の明日、だったかもしれない。

 兎に角、今日はまだ帰ってこないんだ、とか。

『何も説明をせずに居なくなってしまいましたので、不安にさせてしまったのでしょうね。

 申し訳ございませんでした。』

 間違った事は言っていない。そう、だ。何の説明も無しに、西条家で世話になった翌々日にはもう屋敷の何処にも相良はいなかった。

 同じ部屋だった筈の春原ですら、相良が何処へ行ったのかを知らされておらず、それなりの大きさの屋敷の中を一緒になって駆け回ってやっと、やっと屋敷の主人から直接、一時(いっとき)相良には此処とは違う別邸(べってい)で過ごしてもらう運び()になったのだ、と説明を受け、て。

 あんまり我儘を言って困らせてはならない、と我慢を、して。そこそこ聞き分けのいい子どものように振る舞ってみせていた、が。

(不安……、だったのかな?)

 (あらた)め、て。

 自分自身分かっていない、どうするべきかも手立てが分からない状況にそんな分かりやすい言葉を当て嵌められてしまっては、そうだったのかもしれない、としか思えない。

 思えないが、そうじゃないかも、という気持ち全部を(ぬぐ)いきることはどうにも、どうしても(かな)わ、ず。

 で、も……

(明日……か、)

 なんだかそれはとても急、だ。

 相良が戻ってくるまでにまだ当分時間は掛かるんじゃないか、と何も根拠(こんきょ)はありはしないけど、弥代はそんな風に考えていた、から。

(明日になったら相良さんが戻ってきて……、そん、で。)

 明後日、八月三十日には西条家を出る(出立をする)、そうだ。

 日付や出立に際する段取りに関して、用意の必要なものに関しては弥代の知らぬ(あいだ)にとっとと話が進んでいた、相良と西条銀嶺の(かん)でもう随分と決まっていたそうだ。

 一言(ひとこと)、ぐらい。説明があっても良かったんじゃないのかな?と思わずにはいられない。でも仮にそんな話が振られたところで弥代に出来ることなんてきっと。(いや)、間違いなく何一つなく、って。だか、ら。弥代の知らぬところで勝手に進んでいたのは仕方のないことだ、と。そんなの、ここまで考えられるのだからもう分かりきっているのだが、納得……は難しい。

(気持ちの問題……だろうなぁ。)

 今もまだ、布団に包まったまま、弥代は膝を抱える。

 昨日の、旭堂(きょくどう)南亭(なんてい)の元から離れた後の、相良がなんと弥代に言ったのか。それを思い出すことが出来たならもしかしたらこんなにも塞ぎ込むことはきっと、なかったかもしれない。

 よりによって相良との会話を、相良の言葉を覚えていない、なんて。

(駄目だなぁ、俺。)

 やる気は見事に埋もれてしまった。

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