四十三話 兄弟子
「えぇ、本日は御出でいただきありがとうございます。旭堂南亭に御座います。
本日も早速ではありますが一席申し上げたい、と思ってはいるのですが、始まって早々、珍しいと感じられる方も多く居られるでしょうが、普段の私がしないような“私事”というものを先ず最初に申させていただきたいと考えている次第でして。
と言いますのも、本日この席にですね……、まぁ言ってしまいますと、南燕先生の元で私が色々教わっていた頃、一時にはなってしまうのですが所謂“弟弟子”に当たる者がいた時期がございまして。
訳合って袂を分かつこととはなったわけではありますが、他所へと行ってしまった弟弟子の顔を二十数年ぶりについ先程。なんなら本当についさっき、私が此処に腰を下ろすほんのちょっと前、部屋に入ってくる直前になってその姿を目にしたものでしてね。
いえいえ、なにも感動の再会、なんてものを言いたいわけではなく。どちらかといえば単なる愚痴、になってしまうのですがね。なんとその弟弟子、此処いらで二枚目で知られておりますこの私を差し置いて、十も下の若造だと言うのに丁度これぐらいの背丈の……、なんと立派に子どもを拵えていたのですよ。それもぱっと見でも十やそこいらの、ですよ?
私が来年で四十を迎えるのを考えますと、十も下の弟弟子に、更に十そこいらの子がいた、と考えますと……あぁ、想像しただけでこう、どうにも煮えくり返るものというもの。
まぁ、そんな事がありましたので本日は“弟弟子”に因んで【東玉と伯圓】で一席、お付き合いいただければ、と。
三道楽にのめり込み、など真っ当な芸を売りにしております私には縁遠いものでは御座いますし、なにも弟弟子に看板を奪われた、というわけでもないのですが、なにぶん十やそこいらの幼子もいらっしゃる今日。
講談という話芸がどういったものであるかを知っていただく為にも一つ。
えぇ、なにより本日の御客様方も久しぶりに神田伯海。名を改め、松林亭伯圓と神田伯山のどちらが、というのはきっと聴きたい事でしょう。
行くところまで行ってしまった男がどのような再起を辿るのか。一席申し上げたいと思います。」
(アレ相良さんじゃね?)
時間が経つにつれて多少なりともズルズルと、凭れかかっていいものではないと弥代は分かっていたが、それでもいつまで立ちっぱなしで過ごさねばならないのかも分からず終い。
最早、屋敷に戻る二人が通りを横切るのを、横切らない方が自然と思えてならない。そんなのを始終気に掛けておかねばならない、その必要性も損なわれつつある中で、姿勢を正せねばならない理由なんてある筈がなく。
人の行き来の激しい大通りより道沿いに建ち並んでいる、入り口の大きな店先の軒下に暫く。かれこれ四半刻ほどは経つかといった処で、見覚えのある姿を視界の隅に捉えることに成功してみせた。
確信、だ。
正面から、前からその姿を直接見たわけではないが、人波のせいで頭のてっぺんから爪先までを納めてみせたわけでもないが、最近はもうずっと目で追っているものだから弥代は、絶対にそうだ、と確信を持ったわけだ。
そこからの弥代の動きは早く。凭れかかっていた姿勢を正したと思えばすぐさまその場を離れ、相良と思しき男の後ろ姿を追いかけ始めた。
距離を縮めようと思えば、声を掛けようとすればそれは容易い、造作もないことではあったのだが、そんな事を弥代はすることなく、五、六歩ほど後ろからその背中を追う。
先ほどまで、人の行き来が激しい大通りから逃れる為に道の端へと身を寄せたというのに、追いかける相手を見つけたらお構いなしいに自分から大通りを進むなど、なんとも現金な――些か分かりやす過ぎにも程がある、というもの。
そんなのは弥代自身、よく分かっているもの、で。
だが、今の状況。
西条家の屋敷に戻る唯一の手立てに近い、道に迷ったと認めて間もなく絹と百合の二人がこの通りを使って帰るのなら、と抱いた淡い期待は潰えてしまったと言っても過言ではない状況において、此処にきて知った相手、を。たとえそれが絶対に弥代が世話になっている屋敷とは真逆の方角へと歩みを進めていたとしても。まぁ、無いよりマシなことなんてありはしない、というヤツだ。
距離を詰め過ぎることのないまま、頃合いを見計らう。本当は勿論、声を掛けたいところではあるが弥代はグッとそれを堪えていた。
何故なら相良の足取りというものは、見るからに用事がある、目的があった上で足を運ぶ人のものである事ぐらいは予測が出来たから、だ。
見方によっては、やや急いでいるようにも見える。背中だけしか見えないがそうと見て取れる様子だ、せめて目的地に辿りつくまでは声を掛けることのないよう、その背中を人波で見失ってしまわないようにだけ注意して、そうして相良の用事が終わってから、それからやっと声を掛ければそれで、なんて事を弥代は考えていたの、だが。
「…………アレ?」
大通りから右手に軽く逸れた、細い路地にまるで滑り込むような足取りを真似たというのに、路地に追っていた姿が見当たらず、弥代は声を漏らした。
五、六歩ぐらいしか離れていなかったものだし、人波の多い大通りから逸れた先で見失う、なんて事が起こりっこないのに、なんて首を傾げる。
もしや路地に入っていったように見えたのは見間違えで、まだ大通りの方を真っ直ぐ進んでいるのではないか、と背を逸らし通りの方に目を向けるも、ほんの少し前まで見えていた波もすっかり離れてしまっている。今から遅れた分を取り戻すように通りに戻り、やや強引に掻い潜って元いた辺りまで進む、というのは中々に至難としか思えず。
そんな、なんて弥代が肩を落としそうになった途端、「弥代さん」と、すっかり聴き慣れた声に呼ばれる。
「へ?」
「一人で何をなさっているのですか、髪まで染めて貴女は?」
皆が皆、自分のことで手一杯な日々を送っている、忙しない日常がすぐ其処にある中で、自分へと向けられる視線というものは意外にも目立つ、気付かぬ芝居を続ける方が難しい。
慣れぬ土地の、それも人の通りが似たような通りと比べるまでもなく多い、繁華街の四条通だ。あの背丈では人波を掻き分けて望む方へと進むのも一苦労だろう、と。放っておいたとしても諦めて来た道を戻ろうとするだろうと、そう気付いた素振りすらせずに、一切も振り返ったりなどせず、相良は足取りを緩めることなく道を突き進んでいたの、だが。
『…………アレ?』
前もって客の入口が表ではなく路地を曲がった場所に設けられていると聞かされていたものであるから、引き戸に手をかけ敷居を跨ぎきった後だと言うのに。後ろ手に振り返ることもせずに戸を閉めてしまえばそれで見ずに済んだというのに、暖簾よりも背丈の低い相手の、なんとも情け、ない。
……心許ない声を漏らし、首を傾げてみせる姿を目にしてしまい。
声――を、
『一人で何をなさっているのですか、髪まで染めて貴女は?』
声を掛けずに、相良は居られなくなってしまったわけ、だ。
誰も悪くない話、だ。強いて悪者を挙げるのならそれは、こんな大通りに面しながらも客が入りづらいような店の座敷を借りようなどと言い出した主催の男であり。
長年――最後に顔を合わせたのは二十年以上前の、まだ自身が十にも満たぬ年端もいかぬ頃であったというにも関わらず、相良はそれ以外にも湧き上がる不服をここぞとばかりに、率直にぶつけてやる算段でその口を開いた。
「――ですから、先程も申し上げました通り、此方に居らっしゃいます弥代さんと私はその様な親子……、などといった関係では断じてございません。
“色持ち”であろうと親が持つ“色”がそのまま子に受け継がれる、などというのが無いことぐらい、私共と同じく“色”を持ち生まれた貴方が知らぬわけがないでしょう。
親と違っていたが為に気味悪がられ金に変えられた、などと矢鱈と大きな声であれほど捲し立てていたくせに、そういった冗談は止していただきたいものです。
それともなんです。講釈師お得意の嘘であった、と?」
「ッハハ、志朗お前さんって奴は相変わらず立派に喋りやがるのに品ってモンが微塵も感じられねぇ、誠意の欠片がこれぽっちもありゃしねぇ生意気な口を利きやがる怖いもの知らずだなぁ?
お前さんがそれで一年ちょっとの間にどんだけ南燕先生の拳骨を喰らったか思い出してみろって話だ。……まぁ、先生の拳よりもお前さんの頑固頭の方が堅かったもんだから、途中から近くの銭湯から借りてきた湯掻き棒の、あの平てぇ部分を脳天に喰らってやがったなぁ!
歳上を敬う心が足りてねぇって散々怒鳴られてやがったじゃねぇか。」
「一門に加わった覚えのない私に対し、貴方がたと同じ扱いを強いてくる相手の一体なにを敬え、と?
湯掻き棒にしても、借り物であるというのに柄の部分を幾度折り、その度に私が代わりに頭を下げに行かされたものか。先刻の貴方の言葉をお借りするのでしたら、煮えくり返るものがある、というもの。
……いえ、思い出話に花を咲かせるのはまたの機会と致しましょう。積もる話をするにしてもあまりにも時間が足りません。」
「そいつはご尤も、俺も丁度思ってたところだ。俺とお前さんが語り明かすとなりゃ一晩じゃ足りねぇ、三日四日は欲しいもんだ。」
「えぇ、ですので続きはどうか次の機会、に。」
ここぞとばかりに吹っ掛けてやろうと思って口を開いたというのに、先手を打てたものだと思った矢先、それは悉く打ち返されて――相良が切ったと思った舵は勢いをつけて豪快に切り返されてしまった。
物覚えの良さだけを考えるならば自分を遥かに凌ぐ。
一度見聞きしたものであればわざわざ書き起こさずとも頭の中の、無数にある引き出しの中に留めておく事が出来てしまう、あまりにも人間離れした芸当を、その才覚を最も有用に、狡猾に活かしてみせるような相手であった事を忘れていた、というわけでは相良はないのだが、久方ぶりに言葉を交わすことであっという間に感覚は呼び起こされた。
し、わざわざ長ったらしく言葉を、この場においてどうでもいい出来事を振り返るように重ねる、という事は、滑らせるような事は互いにないとしても、どこに人の目が、耳があるかを気にしているような素振りに見て取れたもの、で。
不自然に聞こえぬよう、相手の意図を汲む返答を続ければそれで、それで相手は容易に乗ってきた。
共に過ごした時間は僅か一年、ではあったものの、歳が十近く離れていたというのにその開きを気にすることなく、対等な目線で接してくるような。自分のような余所者を嫌な顔一つすることなく何かと面倒を見てくれた存在である為に、どう物事を考えるかの予測は、勘が鈍ってしまったということはない。
講釈師・旭堂南亭という男は相良にとって、居るわけのないと分かっているにも関わらず、仮に兄という存在が居たのならこういった存在なのだろう、とその様に思わせる、まごう事なき“兄弟子”であった。
菊花開、霽月の徒路 十八話
「一人で何をなさっているのですか、髪まで染めて貴女は?」
すっかり耳に馴染んだ声に名前を呼ばれ、声のした方に振り返るや否や。その表情は高い位置からぶら下がっている暖簾が邪魔をし、全てを拝むことは叶わなかったものの、それでもやっぱり、弥代がよく知る相手である事は変わらず、弥代は勢いよく張り上げた声を見事なまでに上擦らせて、それまで頭の中をいっぱいいっぱい占拠してたものを全部取っ払い、我慢ならず相良の名を口にした。
「さ……っ、相良さん‼︎」
「声が大きすぎます弥代さん、声量を抑えなさい。」
「えぁ? ……あっ、ごめん……なさ、い。」
ギュッと、口端に力を込める。上の歯をほんの少し下唇に立てて、口を窄める。最近になって春原が押し黙ったりする際にしている事をどうやるのか教えてもらったものだ。半開きのままであったり、ただ唇を合わせて口を噤んでいる時よりもこの方が、余程のことがない限りは喋りにくく、口を開かずに済む、らしい。
どこぞの白髪頭の彼も時折そんな表情を浮かべていたもので、なるほどあんな隠し事をあまりしなさそうな善良そうな男であっても、押し黙ったり、と。……否、人が良いからこそ場の空気や相手の様子を窺った上で絶対に口を開いてはならないという時にこそ、そういった反応をしていたのだろう、と。この場においてのみ弥代はそう、思うこととした。
が、しかし。
「……なんですか、その顔は?
止しなさい、馬鹿にしか見えませんよ。」
「…………ぇ、」
気の所為だろうか?と思わずにはなんだか居られないほど、なんだか今日の相良の言葉は随分、と、棘……、含みがある。
言うてまだ三言ではあるがどれもこれも、弥代の行動であったりを間違っているとでも言うような、そんなもの、で。
(怒って、る?)
と、弥代は相良に声を掛けられる前、その背中を大通りの方で追っていた際の、相良の用事が終えてからそれで、なんて自分自身が考えていた事を思い出し、そうして少しばかし顔色を曇らせた。
そう、だ。
大通りで人波の中、その姿を見つけた時からというもの、相良の足取りは用事があって、足を運ばねばならない者がする正しくそのものであり、今は後ろを勝手についていくだけでもいいが、あの時はまだ相良の用事、というものがキチンと終わってからそれから声を掛けようと、どこかの店なりに入って中で用事を済まさねばならない。たとえば先日の百合から弥代と春原が頼まれたような御遣いのようなものをあの屋敷の主人に言い渡されており、それで―――、なんて事まで一応は考えていた筈、だ。
なのに、それなのにこんな、短い時間で三度も叱言にしか聴こえないような言葉ばかりを受けてしまう、のは。たとえ最初に声を掛けたのが自分ではなく相良からだったとしても多分、駄目なこと、で。
冷めた声色が耳に残る。久しぶり(といっても間に三日しか空いてはいないのだが)のやりとりが立て続けにこんなものになるなんて思っていなかったものだから、気持ちはどうにも滅入ってしまった。
そのまま、相変わらず暖簾越しでの顔を合わせているものだから……、否、暖簾が邪魔をするもので相変わらず未だに、言葉を交わしているにはいるのだが弥代からでは相良がどんな顔なのかが分からぬままであり。(だというのに、相良からすれば弥代の顔が見えているようでなんだかそれは不思議な話に思えてならない)どうしようもなく、視界が少しずつ沈み
「本当に手の掛かる方ですね、貴女は。」
呆れ混じりの、先ほどから掛けられる声とあまり大差のないモノである筈なのに、沈みかけた弥代の視界が元の高さにまで戻ったのは呼び掛けだけではなかったからであり。
では、それがなんなのか、と言うとそれ、は。
「…………。」
「なんですか、鳩が豆鉄砲でも喰らったかのようなその間抜けそうな顔は?」
「…………い、いや?」
暖簾が払われた、というわけではない。なにを思って相良がこんな事をしたのか、弥代は残念ながら想像が付かない、相良の気持ちなど全くといっていいほど分からないのだが。彼、が。
頭二個分とまではいかないが目線がまるで違う弥代に合わせるように、相良は膝を軽く折り腰を屈めて、そうして目を、合わせた。
厚みがある硝子板越しの、相変わらずどうしてそんな風に見えるのかは分からないが、板のある部分だけ少し窪んでいるかのように見える目器を身に付けている。自分と似たような“色”の瞳を持つ、どちらといえばそれほど鮮やかではない相良と目を、合わせる。
あぁ、でも。
……それでも、目線を合わせるために多少なりとも屈んでくれてはいるものの、元の弥代が見上げるような形とはあまり変わってはいない。
挙句、手を取られ左右それぞれに力が少し込められた状態で、ぎゅっと握られてしまえばそれ、で。
(でも、怒ってないわけじゃ……ない、んだろう、な。)
気が緩むのと一緒に、頬が緩んでしまうのを拒ぐのは間違いなく難しいこと、だろう。先ほど下唇に上の歯を立てた時よりも更に、グッと弥代は力を込めて、口角を下げてみせた。
ただどれだけ弥代が、なに、と口に出さずとも、相良という相手は弥代以上に弥代自身の心の内であったり、頑張って隠そうとしたものだって難なく汲めてしまうの、で。
目を合わせてもらえて嬉しかったはずなのに、沈みかけた視界が元に戻ったばかりであるのに、目を逸らさずにはいられなかった。
『こっ、こうだ……ん?』
『講じる。意味としましては説くや論じる、或いは習うといった複数の意味を持つのに対し、
談という字は“語る”といった一点が多く知られています。
ですので、二つの意味を足してみれば――、』
『な、なにかを語る?』
『…………えぇ、間違ってはいません。
“説く”というのがなんであるかをお伝えしていない中、知らないものを知ったかぶりで口にしなくなっただけでも貴女は十分これまでよりも良い方向に進めているように見えます。』
踏み入った建物の中のやたらと入り組んだ廊下を相良を前にすることで、その背中を追うだけで済む弥代はすっかり安心しきったように、しかし声量は目一杯、出来うる限りだが絞ってみせ、相良から持ち掛けられた問いに答えてみせた。
が、相良から返されたものは正直、間違ってはいない、と最初に言葉が添えられてはいたものの、捉えようによっては半分だけ当たっていて、もう半分は間違えている、という内容のもので。
弥代でもそれぐらいは分かる。それなのに弥代の成長を認めるような言葉が続き、なんだかそれは先の店先でのやりとりがあったものだから変に気を遣われているように思えなくもなく。
弥代の方を相良が見ていないのをいいことに、バレやしないだろうと分かった上でほんの少し弥代は眉間に皺を寄せた。
『そ、そういうの今はいいからさ。その“説く”ってのが何なのか早いところ教えてくれよ相良さん! そんなんじゃ結局、こうだ……ん、ってのが、えっと……、なっ何を語るってのか俺分からねぇよ!』
――そんな会話をしてからかれこれ二刻は経っただろうか、といった頃。
偶には教えてほしいと強請り喚く喚ばかりではなく、自分でそれがどういったものであるかを考えなさいな、等と相良に言われたものだから弥代は大人しく、相良に案内された座敷で“講談”なるモノに耳を傾けたのだが、
(なんか、すげぇ話だったって事しか分からねぇや。)
十八畳ほどの部屋の中、自分や相良以外にも少なくとも三十や四十ぐらいは居ただろうか、大勢が畳の上に腰を下ろし、思い思いの座り方をして部屋の端の方に一人座る男に皆の視線が向けられる。
自分が数えるのが限界な、それ以上の人数の視線が注がれるなんて事、当然のことながら経験のない事で。それだけでも凄そうだな、なんて思わずには言われなかったというのに、何やら細長い棒のようなもので低い机を力強く叩き、手元に何か読むものがあるというわけでもないのに長々、と。
一度口を開いたら延々と喋り通しの相良だってそんなに長く喋ったりはしないのに、と思えてならないぐらい、の。しかし何も中身のない話ではなく、何やら語られる話の中のはっかいだか、はくざん《、、、、》だか、おうめ《、、、》なる人らの名前が度々出てきつつ、長く聞いている内に徐々に前のめりに、ついつい腰が浮いてしまいそうになるような(腰が浮きそうになる度、隣に座っていた相良の手によって袴の帯を掴まれ、座り直させられたりはあった)事があったり。
だから、なんというか、その……
「南亭さんの作った話、全部が全部分かったわけじゃねぇけど凄かったよっ!」
先の店を出て半刻。
自分が贔屓にしているという、少々敷居の高そうな部屋に通され、相良の身内ということで一緒に食っていけなんて勧められた弥代は、すっかり誘いを受け、相良がほんの一時席を外すと言って部屋を出たのを良いことに、旭堂南亭を前に口を開いた。
「……ッハハ! おめぇ坊主、志朗の倅のくせしてなんつー素直な性格してやがんだァ?
えぇ、父ちゃんじゃなくって母ちゃんの方によく似たのか? アイツがいねぇ内に母ちゃんの事、良かったらおじちゃんに教えてくれねぇか? 父ちゃんのことぉ一泡吹かしてやりてぇんだよ。駄賃やっからよ、ほんのちょいとで良いんだよ、えぇ?」
「ぇ……、あっ、え?」
肩を、組まれる。
それはつい最近、別の人に……酔っ払い相手にされたこと、で。
「“色持ち”ってのはなぁ、確かに親が“色”ぉ持ってるからといって、子どももおんなじ“色”をぉ持って生まれる……なんてのはねぇ話だっつーけどよぉ、別に居やしねぇとも限らねぇ話だってんだよぉ。現に、……ほらぁ、あの、ここいらじゃ有名な西条ん家の愛娘さんは腹黒爺さんとそっくりな“色”ぉ持って生まれて…………、あぁ、いや、それは持って生まれなかったお嬢ちゃんが可哀想ってモンで。
……悪ぃ、今のは無しだ、無し。
“色”を持って生まれなきゃ愛されてない、なんてンな笑えねぇクソほども面白かねぇ話、俺ぁ好きじゃねぇんだよ? 分かるか坊主、世の中なんてなぁそんなモンなんだ……よ」




