四十一話 本心
「こんばんは、春原様。」
その顔に見覚えがない、という事はない。
が、春原はどう言葉を返したものかがまるで思い浮かばず、自分を呼んだ彼女に無言のまま視線を送ることしか出来なかった。
お隣に座っても?と訊ねられれば、自然に「構わない。」と満足に言葉を紡げた。但し、そこに間が一切なかったということはない。
ただ普段の、見知った相手でない者に対するのと比べれてみれば多少なりとも早い返し、ではあった。
自身の内を巡りに巡ったものにソッと蓋をすることで、春原は自分の傍らに、縁側に浅く腰を下ろした彼女を――西条百合を視界に収めるに至った。
「深く寝入るのがあまり得意では、ないのだとか。」
弥代様がそう仰っておりましわ、と続く。早々によく知った相手の名が出てきたことに安堵するも、だからといって言葉が出てくることはない。
が、
「今日は寝れる。」
一つを返すだけでも時間を有してしまう。知らぬ相手の、その間を把握せねばならないのは春原の得意とする処ではない。だからいつもなら相良が前に出て口を開くのを、更に一歩引いた所から見届けるのだが、今は頼りにしている相良がその傍にいない。
近くに居て当たり前の、居ない時はそれはそれで相良が信頼する相手なりに、代わりに傍にいるように根回しをするような男なのに。
「そうですか、それはとても良かったです。
明日は春原様と弥代様の御二人に、足を運んでいただきたい場所がございますので。」
帰ってくる声に、途切れた、と。終えたと思っていたやりとりが続いていたことを知る。
引っ掛かる、まるで覚えのない事柄を、突然目の前で広げられたもので、春原はそれらを総じて首を大きく傾げることで体現することに成功した。
そして――、
「……何の、話だ?」
極め付けにそんな言葉を、口にした。
菊花開、霽月の徒路 十六話
多分、きっと。
……否、以前の自分ならこんなにもすんなりと受け入れようとするようなことは、間違いなく無かっただろう、と。弥代はそんな事を考えながら右隣を歩く男に視線を送るだけ送り、目を合わせる事もないまま反対側へと目線を呉れた。
自分よりも頭一つ分、肩幅にしても倍近い、とまでは行かずともそれに近いぐらい体の大きさが違う相手が居ては、その先の様子を伺おうなど、と。多少離れた場所の居たのならいくらかは見ることだって叶ったろうが真隣になると全くもって難しい。
大きく一、二歩でも前に出て、そうすれば右手に目を遣ることは出来るだろうが、生憎と今日の格好ではそれも中々に厳しそうだ。
やる前から出来そうな気があまり湧かない事をすれば、それで味わわなくてもいい余計な思いを味わう羽目にでもなってしまいそう、で。それがまだ最初であったからという理由や、他にも諸々の理由があった上で取り敢えずは、これまでのように大股で踏み出したくなるのをグッと堪えた。
そうして、
「人、すっげぇ多いな。」
すれ違う相手がコロコロと変わっていく。一人すれ違ったと思えばまた一人二人ぐらいあっという間に過ぎ去っていく。顔も知らなきゃ当然のこと、名前も知らぬ相手である。
此方を見ていないからとあまりジロジロと一人を追うのも、自分が気付かないだけでされている側の気持ちになれば気味が悪いったらありゃしないものだからそんな事はしないのだが。でも変わる変わる見ず知らずの他人を、その後ろ姿を目で追うのを弥代は止められない、飽きることを知らない。
だが、あまりずっとキョロキョロとしていてはその内、これだけ人が行き交う人が多いとなると運悪く、前からやって来た人にぶつかってしまうのでないかを考えれば、それほど長くは続けることはなく。が、同意欲しさに弥代は「な、そう思うだろう!」と意気込んで右隣の彼を――春原千方を今後はしっかりと見た。
相変わらず重たげな前髪が、その細い毛先が目元を軽く覆い隠す役割を担っている。
表情だけでなく喜怒哀楽の起伏さえも乏しい為に、普段時から何を考えているのかがイマイチ、その腹の内であったりが普通の者よりも読もうと思ってもどうにも読みづらい。他者に汲まれるのも、反対の他者のを汲むのも決して得意とはいえない(寧ろ苦手とするところの)、春原とはそういった男だ。
しかしこの頃、これまでとは違い直接的に近くで過ごすことが増えつつあるものだからか、これまでの彼に対する――、というよりは彼が弥代に対してのみ見せる反応であったりというものの、弥代のそれの捉え方というものは変わりつつあった。
だから自分の問い掛けに、声掛けに対し、日頃からそんなに機敏な動きを見せるわけではない春原ではあるのだが、それなりに早く動きを見せ目を、合わせてくる。
「そう、だな。」
そうして、弥代の望んだ応えを返してくれた。
御遣いに行ってくれるなら外に出てもいいと言われ、百合にそんな話を持ち掛けられて直ぐに弥代は舞い上がってしまった。
少し前に、脚の長い椅子に腰掛けたところ、足裏がどうしても床に付いてくれず、それを絹に指摘されそうになるや否やそれを遮ったりするような反応を見せたというのに。代わりになる脚の短い椅子を探しにいった絹がなんの成果も得られぬ儘に戻ってきたというのに、これぽっちもそんな事を気にすることなく受け止めるぐらい(でも、外に出るにあたり髪色が目立ってしまうので、それを目立たなくさせる為の、その手伝いをお願いすることはした)、には。
一昨日の茶室でのやりとりを踏まえて、屋敷の主人である西条銀嶺より孫娘にあたる西条百合の我儘に、相手をしてやって欲しいと言われた、それに付き合ってやっているだけだ、なんてのは説得力の欠片もありゃしないことのも弥代は分かっている。
だから昨晩に至っては寝入る前、一昨日同様に同じ部屋で布団を並べて百合と寝るとなった時は、今日の御遣いがどんなものか、何をしに行けばいいのかなんて細々したことを、朝になれば教えられるだろうに訊ねてしまって、なんて事まであった程だ。
しかし、いざ朝になった弥代を待ち受けていたものは中々どうにも散々な事で。
(まさか着付けをあれこれされた後に、髪まで整えられる羽目になるとはな……。)
相変わらず寝起きの開ききってくれない瞼はそのまま。
それでもいつまでも布団の中でもぞもぞと過ごす気にはならず、今日の御遣いとやらに向けて、早く外に出たい一心で弥代はなんとか体を起こした。
すれば弥代が目を覚ます前からだろう、障子越しにここ数日ですっかり慣れつつある、髪の長い彼の、「おはようございます、弥代様!」、という底抜けに明るい声が聞こえ。
昨夜から同室で屋敷の主人の孫娘が寝ているというのは伝えたものだから、昨日の朝のように断りもなく室内に入ってくるようなことはなかったものの、廊下に出ておはようなんて返してやったり。
ただ、顔を合わせればそれで、昨日とは違う弥代の髪色に対しとても驚いた反応を見せたりなんて事もあった。
それから、寝入ったのは同じ頃合いであったと思った百合が目を覚ましたのは、今日も今日とて隆棋が弥代の顔を拭うを手伝ってから暫く経った後。 朝餉を平らげ終えてから少ししての事だった。
『それじゃあこれから準備を始めたいんだけど、良いかしら弥代ちゃん?』
昨日の昼餉の汁物に入っていたがあまり好みでなかったと絹に話していたからか、今日の朝餉の汁の具は違うものが浮かんでおり。昨日同様にどことなくふにゃふにゃとした柔らかい歯応えではあったが、とても味が染みていて、嫌いではなかった。
広間を出て、昨日と同じように食休みがてら縁側に腰を落ち着かせ、絹を相手にそんな他愛もない話をしていれば、百合が間に割って入るように話し掛けてきた。
『こっちよ、どうぞ中に入って。』
手を取られ、室内へと優しく招き入れられる。
撫でられたり、近寄られた時に強く薫る香の匂いが一際強く感じられる部屋の奥には横幅の随分とある黒い箪笥が二つ、隙間なくぴったりと並べられて、おり。
『御着替えをしましょ、弥代ちゃん!』
『…………へ?』
「いやぁ、参ったわ本当に。
着替えを、よ。手伝われたことが無ぇってわけじゃねぇんだけどよ。…………あ、そういやこの間、里出る前に屋敷で相良さんに着付けてもらったり、そんな事もあったな?
…………いや、違ぇや? そういうんじゃなくって、なん言うの、何人にも囲まれてアレじゃないコレじゃないって好き勝手言われるってのが初めてだったってわけ、で。
……そうだな、例えばお前がさ朝起きて着替えるってのに、いつも相良さんが手伝ってくれんだろう、其処に相良さんだけじゃなくて……、伽々里さんとか館林さん、黒なんかもゾロゾロ居て口出しされたり、そういう感じの。どうだ、分かったか?」
「……分からない。」
「そ、そっかぁ……」
すまない、と言葉だけでなく残念そうに肩を落とす姿はとても分かりやすく素直だ。噛み合ったものじゃないと早々に見切りをつけて、話を無理やり終わらせて立ち去ったり、彼を相手にするのを諦めてそのまま放置したり無視をしたり、なんて事をこれまでしていたものだから急激に、弥代が悪いことをした気持ちになる。否、事実だ。これまでの自分の彼に対する接し方というものは本当に酷く、思い返すだけで嫌な気分を味わう。受けた側ではなくやった側であってもそれは変わりっこない。
言葉が足りない、反応が遅い割に、それでも彼はキチンと、よく見ねば見落としてしまいそうになるぐらい小さな変化ではあるものの、長い前髪の奥で微かに眉間に皺を寄せて、それから言葉を紡ぐ。
寄せるその僅かな間に、彼なりに考えてくれる、此方の問い掛けに応えてくれようとする意志が、姿勢が感じられるのだ。
本当に、もっと早くそれに気付けていれば誤解であったり、変に声を荒げたりすることなく、無理に喚いたりなんかもせずに普通に接することが出来たのではないか、とそんな事を考えて、そうして弥代は手元の皿から団子を持ち上げた。
「甘いの好き?」
「あまり好ましくない。」
「じゃぁ食わねぇ?」
「弥代は甘いものが好きだな?」
「うん、好きか嫌いかで言ったら好きだな。」
「なら弥代が食べればいい。」
「へへ、そっか!」
別に貰おうなんて気はなかった。折角美味いっていうのに食べねぇの?と、そんなつもりで訊いただけだったのに、まさかそこから食べていいなんて言われるなんて思ってもなかった。
昼餉にしては少々時間が早すぎるから、と多めの金子が詰められた巾着袋を渡された弥代と春原は御遣いの道中、偶々目に付いた団子屋で少し足を休めることとした。
そこで今に至る――、否、先刻の西条家を出るまでの簡単な経緯を、軽く弥代は春原に話していたわけだが、
「嫌、だったか?」
「んぇ、なにが?」
要らないから食べていいと言われた、元は春原の分である団子に齧り付こうと弥代がした矢先、春原が唐突に、疑問を投げ掛けてきた。
どうせ齧り甘味を味わおうというのに、間に話が挟まっては気の赴くに味わいつくせやしないじゃないか、と弥代は一旦は口を閉じて、それから膝頭を春原の方へと向けた。
「……参った、と。そんな事を言っていた。」
「んぅ…………あぁ、あれはその、あれだよ。……えっと、……んとかの、あや?ってヤツ。」
「言葉の、」
「そうそ、言葉のあや!」
ほら、なんて頬が我慢ならず緩んでしまうのはもう仕方のないこと。
否、春原にそんな風に返してみはしたものの、参った、という言葉に嘘はなく。なんならどちらかといえば返した方が弥代にとっては嘘なのだが、それを彼に伝えようという気はどうにも起こらない。まったく不思議なものだ。
そう、最初は乗り気であった。
百合から話を持ち掛けられて、今朝の朝餉のあとに招き入れられた部屋に訪れるまではとても乗り気であったのだ。
でも、いざ支度と称され、絹を始めとした屋敷の女中らに丸裸に剥かれて、アレじゃないコレじゃないと好き勝手、自分で脱ぎ着は出来るといくら言っても聞く耳を持たれずに何度も着せ替えらたり。更には袴の裾丈が長すぎるからと脇に近い高さで下の帯をキツく絞められたり。挙げ句の果てには、それでも丈が余ってしまうから、とその場に裁縫箱を持って来られ、裾上げまでされた。
『やはり弥代さんに華やかな色味の着物は似合いませんね! ツユ殿のではなく私の袴がよくお似合いです。もし気に入られたのでしたらお古になってしまいますが差し上げましょうか弥代さん?』
『ズルいわぁ、絹ちゃん。
桃色だって似合わなくはないと思うのに……、弥代ちゃん、今からでも髪の毛を縛るの止めない?』
『い、いや……、髪は流石にちょっと……っ』
髪が首周りであったりにぴったりくっ付きぱなしになるのはゴメンだ、と必死に抵抗したことでどうにか……。髪を下ろされるのは免れられたものの、髪結紐でキツく縛っているだけの後ろ髪に今日は櫛を通されたり、気持ち程度だが少しだけ高い位置に、自分ではない誰かに結わわれたり、とそんな具合でその場をやり過ごすことが出来た。
だが、実際の処はもっと――、
「…………。」
口を、閉ざす。
それは多分、今この時に彼を前にして口にするべき話題ではない、と弥代は自分にそう言い聞かせる。
今は、ただ。
……ただ、今は彼と過ごす時間を、それを心の底から楽しい、と。今までどれほど顔を突き合わせることがあっても、やりとりを交えることがどれだけあっても感じることのなかった充足感を――、満たされているよう事実だけを胸に抱い、て。
「やっぱ団子さ、一玉ぐらいお前も食わねぇか?」
二玉目をよく噛んで飲み下してから弥代は、そんな言葉を春原に向かって投げ掛けてみた。
「そうですか、それはとても良かったです。
明日は春原様と弥代様の御二人に、足を運んでいただきたい場所がございますので。」
「……何の、話だ?」
弥代や三ツ江絹に対し、実の名に近しくも違った呼ばれ方を強要してみせる女の、他者の呼び方も中々に妙なもの、だ。
日中、の。まだその顔を見てから三日程度しか日は経っていない、直接言葉を交わしたものはないものの、弥代とのやりとりを遠目に見る限りの、弥代の事を扇堂家の彼女のように、弥代ちゃん、と呼んでいた筈だというのに、この場においてはどういうわけか自分を呼ぶのと同じように「弥代様」と、そう口にしてみせた。
なにをそれを身近にする人間がいない、という事はない。春原にとって殆んど常に傍に居るといって過言ではない男・相良は正しく似たようなことをよくしている。
当人を前にした場合と、当人を前にせずとも話に名前を持ち出す時は呼び方を使い分けることがあるが、しかしそれはどれも相手が自身よりも目上、立場が上の者に対してのみ、だ。
少なく、とも。今この西条家という、山城国において自分達が身を寄せている、一時ではあるが世話になっている立場であるというのに彼女より、も。屋敷の主人の孫娘にあたる西条百合よりも自分達の方が立場が上とは、どうにも考えられない。
「…………。」
口を、噤む。
きっと自分がいま訊ねようとしたそれは、間違いなくこの場においては余計なものだ。考えが働かぬわけではない。ただ考えたくとも今日は……、今宵は眠れる夜だ。
布団の上に体を横たわせ、瞼を閉じても静まることのない頭を、鳴りが一向に収まることのない世界に身を投じた儘、空が白むまで形だけ寝た芝居をせずとも済む、そんな日だ。
三日目は特に、体を動かす。
深く、どうか深く寝入ることが出来るように。朝が訪れるその時まで、決して目覚めてしまわぬよう、に。彼女と交わした遠いあの日の、契った約束を反故にしてしまわぬ、ように。
『絶対、朝になるまで起きちゃ駄目、だよ。』
少しでも気が弛んでしまえばそれで、フッと落ちそうになる瞼を堪える。縁側を発てばそれで、二歩と経たずとも与えられている部屋へと、その中へと戻ることが出来る。
閉じ掛けた、塞ぎ掛かった視界ではあるものの、この場における話が未だ終わってはいないということぐらい、それぐらいは春原でも理解することは出来た。
「明日……、とは?」
相良が何やら理由も話さすことなく急に自分の傍から離れた。他の誰を代わりに立てるでもなく、急に、だ。
こんな事はこれまでなかった、今年で二十三になる春原にとって、相良と共に過ごすようになった十五の年から八年にも及ぶ時間の中でこれは初めての事だ。
進んで話がしたいというわけではない。けれども相良の居ない今この時、自身に振られる話があるのならそれに春原は応えねばならない。直接その様にするように、と言われたわけではなく、もし仮に相良が自身に言葉を残す余裕があったとしたのならそうするだろう、と。ただ、それだけの話に過ぎず。
今、にも途切れてしまいそうな糸を、狭まりつつある視界の中で、目の前の女を、屋敷の主人の孫娘――西条百合に春原は意識を傾けた。
「お疲れのところ申し訳ございません。
では、なるべく手短――に。」
西条百合の申し出は何も難しい要件ではない。
提示する店に弥代と春原の二人で赴き、そこで前もって店に対し伝えてある品を、茶菓子を受け取り屋敷まで戻ってくるというもの。
距離がそこまで離れているわけでもなければ、道が複雑であるということもなかった。
「西条家より南へと通りを進んでいただきますと、御池通という大きな通りに出られます。
そこから左へ――、東に暫く進まれますと太い通りが度々見えて来ることでしょう。堀川通、烏丸通、寺町通、四本目の河原町通の通り向かいに位置する、八坂神社側に見えて参ります、お菓子屋の品を受け取りにいっていただきたいのです。」
「それ、は――」
それは果たして、弥代と自分が行かねばならないものなのか、春原は単刀直入に言葉通りに訊ねた。
「えぇ、弥代様の為にもどうかお願いいたします。」
「弥代の、為?」
「えぇ、弥代様の為にも、でございます。」
現人神などと山城国において崇め奉られる、泰平の象徴とも、他国からの侵攻に脅えることもない安寧の日々と、大袈裟などということなく保障されているといって過言ではない。
些細な諍いはどうしても起こり得てしまうものだが、争いとは縁遠い、今の在るが儘の日々を皆が望み続けた結果、“色”を持ち生まれる存在が限りなく少なくなってしまった、という。
「現状の山城国で“色”を持って生まれてしまった方というのは、それがこの地の生まれであろうがなかろうがあまり関係の話。信仰を、寄せられる対象となってしまします。
逢坂関での件は絹さんからお聴きしています。
関所に身を置く方々は国の中でも特に“色”を持つ、外からいらっしゃる方々と接する機会が多いものですからそれほどではないのでしょう。瞳に限らず、髪にさえも“色”があったとして、も。」
「“色”を持って生まれることは、悪いことであるとは思いません。
他と違う“色”を持って生まれてしまうという事はそれだけ、他の人よりも多くの方の意識を集め、好奇の目に晒されてしまう。
たとえそれが悪い意味ばかりではなく、良い意味であったとしても。寄せられる方はどうしたって息が詰まってしまうことがあるのではないか、と。
これまでの全ては私の持論、我儘に過ぎないとは分かっています。ですが……否、だからこ、そっ」
滲んだ彼女の、西条百合の情がなんであるか、など。当然のことながら春原が知る由が……、知る術があるわけがないの、だが。
「どのようにして築かれたのかを、私は知りません。ですが弥代様のように“色”を持って生まれてしまった方に、私は肩身の狭い思いをしてほしくはないの、です。」
何故、そんなにも肩入れをするのか、気に掛けるのかが春原には一切分かりっこないのだが、そこには紛れもない、疑う余地など有りはしない程まで、に。弥代に対する“情”というものが確かに在った。
「……そう、か。」
否、目の前の彼女がそうまで訴えかけてくる理由を、やはり春原は知り得ない。知り得る方法すらも持ち合わせていない、というのが正しい、他者の心を汲むという行為そのものが得意ではないものだから仕方がない事、ではあるのだろうが。
が、
『相良さん、何時になったら帰ってくんのかなぁ?』
『何処に行ったのか教えてくれるぐらいいいじゃんかよ⁉︎』
『えぇ、なんだよ? いや、別に知ったからって会いにとか、そんなの考えてるわけじゃねぇよ。だって目立つんだろ、俺の髪じゃぁ。』
『勝手なことして、迷惑掛けてぇわけじゃねぇもんよ……。』
屋敷の門へと、遣いで外と内を行き来する女中であったり、用があってやって来る余所者が出入りする度に目が向くことは昨日今日で十分すぎるぐらいだというのに、その足が門に向かうのを少なくとも春原は一度たりとも見ていない。
なんならこの二日は草履すら履くことなく、屋敷の隅々をただ行き来しているだけであった。意図してのものであるかは分からぬ話だが、無意識の内にしている事だとしてもそれは遠慮しい、あまり弥代には似つかわしくない行動に違いないこと、だ。
相良との関わることで徐々に、これまで知らなかったという多くのことを知れる機会を弥代が得られている、という事ぐらいは春原にだって分かるだ。
その変化を、欲しいと願っても中々手に入れることが出来なかった機会をやっと得られた、恵まれたことを弥代自身が誰よりも喜んでおり、それそのものを咎めようなどという気は勿論のことながら春原にはない。だが、それで元の(元……の?)弥代らしさが損なわれてしまうというのは春原の望むところでは一切、なく。
『ですが弥代様のように“色”を持って生まれてしまった方に、私は肩身の狭い思いをしてほしくはないの、です。』
それは、春原も同じこと、だ。
弥代にはどうか、肩身の狭い思いをしてほしくない。在るが儘、に。どうか……、どうか弥代には弥代の儘、で(それはただの自分の我儘に他ならな)居て、欲しい。そう、心の底より(それは本当に本心と呼べるの、だろう)、願う。
春原千方は深く、どんな事よりもそれを深く、望――
「本当にそうなのか?」
聞き馴染みのない声に、小さく意識が向く。
薄暗い地に膝をつき、深く項垂れてみせる男の後ろ姿が目につく。
距離は離れているというのに、届く声はまるで間近で、直接吹き込んででもいるかと見紛いそうになるほど、不気味な程、やけにしっかり、と。
「こんな終わりを、本当にお前は望んだと云う、のか?」
男の傍に、小さく投げ出されたような腕を、見る。何処となく褪せた色味をした、指先までを覆うことのない、中途半端、な。役割を本当に果たしているのかが分からなくなるような、そんな造りをした、その腕に春原が、見覚えがないわけは無く。
距離を詰めようという考えのなかった体が自然と、居ても立っても居られず。勝手に動いて、しま……った。
そうし、て―――
「――千方?」
熱の触れる感触に、春原は慌てて面をあげた。
「…………、」
「だ、大丈夫か?」
何をもってして、大丈夫か?などと投げかけられているのかが春原にはてんで分からなかった。だが、自分が原因で今まさに、目の前にいる彼女――が、弥代が表情を曇らせていることぐらいは、それぐらいは理解することが出来た。
だから春原は、
「……問題、ない。」
たった一言だけ、そのように返した。
どうしたって今はそれで精一杯だった。




