三十七話 茶室
言い訳なんてものは始めてしまえばキリがない。
しどろもどろになりつつも、それでも違んだ、そうじゃないんだ、と半ば自棄になって喚き立てる。そんな態度が余計に、既に締まりきった首を更に締めているのぐらい分かり、たとえ寝起きであろうとも頭の隅の方では理解するぐらい出来た。
ただ、「なんで」「どうして」といった最早お得意の言葉を並べるてしまうのだけは、これまでとは違うんだと自分に強く言い聞かせグッと、堪えてみせて。
しかし――、
「も……、もぅ勘弁……してぇ」
次第に積み重なっていくソレがなんであるかも分からぬまま、弥代は頭を
「おはようございます弥代様ッ! 既に御目覚めとお聞きし、不祥ながらこの稲葉隆棋、本日も弥代様の身の回りのお世話をさせていただきた――
「次から次へ……、なんなんだよ本当にぃい……」
弥代は、畳に泣き崩れ、涙せずにはいられなかった。
どうしてこんなことになったのか。思い出せる範疇で弥代はどうにかこうにか振り返ってみることに、畳を濡らしながらも状況を一人整理する事を努めてみた。それは今々自分が置かれている状況から少しでも抜け出したい――打開したいというい一心から来る切実すぎるもので、
「弥代……、」
縋る心許ない呼び掛けから弥代は今は意識を逸さざるをえなかった。
先ず最初に弥代が目を覚ました時、どういうわけか弥代の傍には背を正した状態の春原がいた、弥代はあまり長く維持するのが得意ではない姿勢で。
しかしどういうわけか春原は、寝ぼけ眼で擦ったところで大して開くことのない瞼の間からでも薄ら分かる程度には、ふるふると小刻みに体を震わせており。八月も暮れの朝方は時折急激に冷え込むことがあるものだから、布団に入っている様には見えないものだから、肌寒さに耐えかねて震えているのだろうぐらいに弥代は一旦は捉えてみたのだが、寝起きの頭なりに今一度よくよく考えてみると、何故自分が寝ていたすぐ傍らにお前がいるんだよ、という考えが弥代には浮かび上がり。
それと同時に弥代は目覚めて早々、珍しく体を起こしてみせ、そうして、
『なんで居んの、お前?』
そんな言葉を投げ掛けたそうだ。
「――それで、次は何があったのです?」
「いや……えっと、だからその、ね?」
促されるまま、弥代の思考は次に進んだ。
『なんで居んの、お前?』
そんな弥代の問い掛けに、春原はこれでもかと言うぐらい分かりやすく、弥代が欲しかった答えを、順を追って答えてくれた。
どうやら昨晩は自分が彼を部屋に、何やら話がしたい、訊きたい事があるからと誘い、そうして長い間ふたりきりで話をしたそう、だ。そこに至るまでの経緯も含め、昨夜の相良の酷い酔っ払い方であったりにも触れられた為、自分が彼を部屋に誘った、という覚えはなかったものの、想像したくはないが出来てしまい妙に合点がいってしまった。が、それだけでは彼がどうして目覚めた弥代のすぐ傍らにいたのかまでは分からず、それについて再度訊ねてみてやっと、
「……やっと?」
「お、俺が……その、」
弥代が春原の裾を掴んでいることを指摘された。
「……どういう状況ですか、それは?」
「俺が聞きたいよそんなの……ッ」
持っていた椀からポチャン、小さな音が耳に届く。
出来ることなら声を掛けてやった方がいいのだろうが昨晩のことがあり、正直なところあまり喋るという行為そのものが相良は気が進まなかった。とはいえこのまま落ち着きを取り戻さぬまま弥代が椀の中味をぶち撒けてしまうような事だけは未然に防がねばならず、コホンと一つ咳払いを相良は挟んでみせた。
「続き、を。」
「ぁ…………、はい。」
箸をお盆の上に戻す、その一連を目で追う。
それなりに様になりつつある、板に付きつつある作法に映る。動きはまだ見様見真似のぎこちない部分が目立ちはするが、それでも胡座を掻いたり、迷い箸や箸先を口に含んでみせたりといった品性のない佇まいが目に余っていた頃よりは十分すぎるぐらいマシになりつつ、改善に向かいつつあるのは紛れもない事実、目に見える成長ではあった。
ただ聞き入れるだけに留めず、そこから覚えたものを身に付け、自分のものにしようとする姿勢はこれまでの来歴であったりを踏まえてしまえば称賛に値しないわけがないのだが、直近の自身に対する態度であったりを思い返せばこの場で軽率に評価するのは控えておいて間違いはない、良くない傾向だ。
甘やかしすぎた、というわけでは断じてない。それなりに厳しく、知らぬことを教えてほしいと強請られた時に限り、可能な限り言葉を尽くし、時間を割き向き合う姿勢を、見せる態度に見合った姿勢を此方も見せたに相良は過ぎなかったわけだが、如何せん分が悪過ぎ――弥代が思っていたよりも無垢過ぎた。
到底それは……、それは長いこと遠目ではありながらも弥代の事を見続けてきた相良からしても全く、否、ある程度はその可能性も加味していた、これぽっちもしていなかったなんて事は一切無かった、のだが、あまりにも度を、越えていた。
手のひらをくるりひっくり返すなんて可愛いものじゃない。頭と足をそのままそっくり、天地でもひっくり返ったのかと思わずにはいられない程までに弥代の態度はあの日、あの晩以降変わった。
これまでは……そう、昨晩酒に呑まれた際に西条家の前当主を前にベラベラと捲し立てた中に含まれていた通り、これまでの弥代は相良とのやり取りの中で一度も相良の名前を口にしない、なんて事は珍しくなかったわけだ。
口が悪く、それを取り繕おうなどという考えがあるわけがない。弁がそれほど立たないというのが分かった上で、気に食わない、自分が納得がいかないというだけで噛み付いてくる様が、その無知さと考えなしの勢い任せの態度がひどく愚かしく見えていたのだ。
だったというのに、それが本当に、どうしてこんな風になってしまったのだろう、とこの頃はその代わりように頭を悩ませる、頭の隅で常に気にするようになってしまった。
『相良さん!』
ころりころり、と弾むのは体ばかりでなく、声色もまた、あまりにも顕著すぎて困った。
伏せ気味であった、目つきの悪い釣り上がった眦も一体何処へやら。大半を覆い隠すのに一役買っていた瞼が大きく開き、長年日の目を浴びることがなかった反動、というのは多少表現に誤りがあるだろうが、が、そう思わずには居られない程、陽が登ればそれで揚々と、青々と輝いてみせる草花のように活き活き……、と。
『相良さんッ‼︎』
(こっ、子どもかッ‼︎)
――子ども、である。
それは紛れもなく、なんなら見た目相応な、相良が本来であれば弥代に見ていた子どもらしい態度、そのもので――、確かに。
確かに相良は、弥代に対し道を、弥代がこれまで向き合えずにいた個々に向き合えるように、そうなれるまで付き合うと、知らぬことがあれば、それを知りたいと望むのなら自身の知る限りを教えてやってもいいと、そう、伝えたつもりではあったが、否、こうはなるまいといった方向に嫌になるぐらい進みつつあるのが今まさに、といった状況である。全くもって度し難い。
「――そんでね、絹さんと…………えっと、名前何だったかな、つ……ゆりさん、って人に散々さ揶揄われたんだよ。で、そしたらちょっとして一昨日の……なんてったっけ、たかいし? ……が、朝っぱらから来やがってさ、」
「これより名を改め稲葉“たかいし”と名乗りましょうか? して、“たかいし”の“いし”はどの様な字になりますでしょうか弥代様!」
「ぇ、……あっ、い、いきなり話に入り込んでくんなよお前。いま俺は相良さんと話してんだろう。ち、近ぇんだよ、なぁ?」
「も、申し訳ございません弥代様っ、名を与えられたと勘違いしてしまい舞い上がってしまいまし――
「お前はさぁあっ‼︎」
「…………。」
ズズッ、と普段なら立てることもない音を立てて、相良は汁物を啜った。
ズキズキとした、頭痛はまだまだ治りそうにない。
菊花開、霽月の徒路 十二話
つまるところ、昨晩の弥代は自分が気付かぬ間に酔っていたわけだ。
西条家の敷地に踏み入って直ぐ、草履を脱いで程なく、熱い湯の支度も出来ていると言われ食い気よりも湯に浸かることを弥代は優先した。逆上せあがることなく一日歩き通した、酷使した(否、言うほど酷使していないのは分かっていたが)体を解し終えて、それから訪れた、屋敷の女中に案内された広間で夕餉を前に寛ぎ、恐らくは最初に口をつけたそれが酒であったのだろう。
空きっ腹に酒はあまり良くないとはよく耳にするのと、湯上がりという組み合わせが悪かったのかもしれない。どちらか片方であったのならもっとマシな、起きた事をあまり覚えてない、なんてひどい酔い方はせずとも済んだのではないか、と思う。多分。
否、酒に手を伸ばせば醜態を曝してしまうと分かった上で酒に手を出した自身がそれをとやかく言う資格はないことぐらい百も承知なのだが。それはさておきと言うやつだ。決して自分の行いを棚に上げているわけではない。断じてない。
そこで一旦、相良は思考を区切ることとした。
昨晩の内、酒を口にする以前の西条家屋敷の軽い造りであったりを屋敷の主人が手ずから案内をしてくれ、その際に主人の部屋が位置すると説明を受けた、中庭を抜けた先に位置する、一見すると小じんまりとした茶室のように見受けられる外観との距離が狭まってきたからだ。
主人の賓客よりも頭を高くすることはなく、低く保ったまま案内をする屋敷の女中はどの者も等しく教育が行き届いているのだろう。雇っている人数もそれほど多いといった印象はない。この手の者は幾ら人手があった方が手が回るといっても限度がある。少なく足らぬよりは多いに越した事はないが、多過ぎても教育が行き届かず、それが綻びを生みかねない、予期せぬ、把握しきれぬが為に不祥事が起きてしまうなんてのは珍しい話ではない筈だ。
「こちらになります。」
灯篭に蹲踞と始まり、手水鉢に飛び石、苔といった要素が調和してみせる屋敷の中庭は、その四方を囲むように壁が存在するのを忘れてしまいそうになるほど、奥行きと余白を感じさせる、腕のある庭師が小忠実に手入れをしている、腕を奮っている姿が自然と浮かぶ程の仕上がりを見せていた。茶室に設けられた小窓から覗く中庭の様子は、それだけで見応えがあるものだろう。
榊扇の里を統治する扇堂家の、大山の斜面帯に建てられた屋敷の至るところには、四季を彩る花々が忠実に植えられていたのをふと思い出すも、それは純粋に屋敷の主人の趣向によるものであろう。小忠実な手入れも重要ではあるが、庭を整えるのが仕事とはいえども職人にも休みというものは適度に、否、庭師に限った話ではなく、皆平等に当然の事ながら必要である。
庭分野に至ってはそれほど知識があるわけではない、良し悪しが分かるわけでもない相良ではあるものの、それでも江戸五木に数えられる、木斛、赤松、糸檜葉、榧、犬槇のような造園木の方がはるかに手入れが楽であることぐらいは分かり、それを考えると扇堂家の屋敷の庭の手入れというものは本当に――、
(屋敷内全ての手入れをせねばならぬ庭師というものは、余程お給金が高いのでしょうね。)
屋敷の広さ鑑みても、西条家の屋敷が五、六個はなくては埋めきるには難しいぐらいの大きさを、記憶が間違ってなければしていた。ここまで思い出したものだが思わず頭を振るう。知らぬが仏などと、この場に仏を持ち出すのはどうにも場違い、失礼に値する気がしなくもないが少しばかり相良は目を瞑ってみせた。
そして、女中が身を引いた先にある、手水鉢から柄杓を用いて水を掬い、それで手指を清めた。
「失礼します。」
声を掛ける。茶室の主人――もとい主催者に断りを入れずに中に踏み入るような事をしてはならない。
「お待ち、しておりました。」
低い入り口に合わせ体を屈め、招かれるがまま中へと入れば、比較的直ぐに亭主であり、この西条家の屋敷の主人でもある西条銀嶺その人、と。赤く色づく紅葉とは別の秋を彩る、山城国以外では滅多に目にすることが本来ないとされる、“黄”色い瞳を持つ老夫と静かに目が合った。
「長旅のお疲れもまだ残っておられたでしょう中、この様な老耄の我が儘で急にお呼び立てをしてしまったにも関わらず、お越しくださった事に対し感謝いたします。ようこそおいで下さいました。
さぁ、どうぞ。堅苦しいのはお辛いでしょう、足は崩し、ごゆるりと寛いでいただきたく。」
「御気遣い、ありがたく頂戴いたします。では御言葉に――御好意に甘えさせていただこう、かと。」
持ちかけらえる提案に、後ろに視線を送ると自然と自分と似た“赤”を持つ瞳と視線がかち合う。今しがた亭主と目が合った瞬間と同じ要領であったものだから十中八九、どうせ相良が振り返るのを待ってでもいたのやもしれぬ。それ以上触れてやろうという気は、暫く湧き出てくることはないことだろう。距離を計り間違えてしまわぬよう様子を見ねばなるまい。
相良は一歩、遠退くこととした。
茶の作法などとというものは、招かれたこともない、呼ばれ慣れない者が知る由がない世界だ。
幼少の頃、旧知の相手から祖父に声が掛かり、といった事は決して少なくはなかったが、相良自身が一緒に招かれるという事は殆んどなかった。茶室というものは子どもがそう易々と踏み入っていい世界ではない、等と聞かされて育ったからだ。
しかし祖父亡き後、祖父の方々の知人の元を転々とする内に、機会はそれほど多くはなかったがそれでも、
(付け焼き刃にも満たぬ程度に期待など、するだけ無駄などという事ぐらい分かっていますとも)
ほんの少し、思考が卑屈に傾いてしまう。いくら知識を、人より多くを知っていたとしても、生まれというものは生きている限りどうしたって付き纏うものだ。
生まれからして真っ当な、育ちの良い者を前にすれば骨身に長年染みついた、所作というものに意識せずとも自然と現れるものであり、生家すら持たぬ自身は意識しなくては振る舞うことの出来ぬ、どうしたって縁遠い習性だ。
つい先日、弥代に教えてやった、襤褸が出るという言葉が正しく自分には似つかわしいことぐらい、相良は嫌というほど分かっている。
が、知らぬ、無知を装える程、自分は器用ではない。それこそすっかり骨身に染みついた虚言が、勢いを全く殺しきれず、どろり口を突いて出てきてしまうそうにな、
「――相良、殿。」
『相良さんは本当に色んな事をよくご存知なんですねぇ。』
山城国に立ち寄ったことがないわけではないが、彼ほど分かりやすい抑揚混じりの口調を耳にしたことはあまりなかった。
けれどもそれは自然と、否、いっそ不自然なぐらい耳に馴染んでみせ、聞き慣れているというわけでもないのに彼が何と言っているのか、その意味を汲み取ることが出来た。
世にも珍しい、生まれつき“色”を有していたわけではないにも関わらず“色”をその身に宿してみせた、白髪に黄色い瞳をする彼は、藤原和馬と言った。
境遇までが同じ、というわけではないが、藤原和馬と同じように、持って生まれた“色”とは違う“色”を訳あって有する相手に相良は覚えがあっただからそれに対し特別触れようといった行為をした事はないのだが、それでもどうしても、自ら望んだ結果“色”を、本来背負わずとも良いものを背負う道を選んだ彼を、頭の隅で気に掛けることは少なくはなく。
相良が言葉を掛ける事を躊躇するのに対し、彼は物怖じすることなく真っ直ぐ、素直な心根より発せられる言葉を、自身の気持ちに嘘など吐くことなく紡いでみせるもの、で。正直な話、それほど相良は彼と言葉を交わすのが得意では、なかった。
ふと、今この場に居もしない彼の事を思い出し、彼の事を心の奥底、本心ではもう随分と長いこと、あまり得意ではないと感じていたのを思い出し――触れてしまったのは紛れもなく、今まさに対面する、昨晩より世話になっているこの屋敷の主人であり、茶室の亭主である西条銀嶺その人の、その眼差しが藤原和馬のそれをあまりにも強く彷彿させる、そういったモノであった、からだ。 山城国以外では滅多に目にすることが本来ないとされる“黄”色い、瞳。その数は元々それほど多くはないとされる“色持ち”の中でも特に有す者の数が限られており、確か山城国で祀られるという現人神の髪の色、が――
「気に、なられますか?」
「……ぇ、」
後手に回った挙句、言葉をまともに紡げないのは本当に珍しいことだ。
陰ることを知らぬ、駿河の地より引き取った“色持ち”の少女もまた、“黄”色い瞳をしていた。
駿河――あるいは駿河近郊の生まれではないか、とは思うのだが、それにしては南に生まれ出る“色持ち”に見られるとされる“赤”に、山城国で見られる“黄”色などという、“色持ち”の中でも類を見ない組み合わせをしていた。
今、自分が向き合う相手は、自ら業を背負う覚悟を決め、茨の道を選んだ白髪の彼でなければ、人の手によって顕現してみせた【神】を母とし、その寵愛を一身に賜った赤髪の少女、でもない。
それは、何とも言い知れぬ、これまで味わった事のない感覚、だ。
【人】、であろう。
【人】、であるという事は疑いようの、他の者と違い、視ることが叶う、特別な才を持つ相良であるからこそ断言が出来る、紛れもない事実であるはず、だが――、
「どうかされましたか?」
人が纏う【気】に違いはないというのに、その在り方はあまりにも相良のよく知、った……
『――志朗、』
群れというものはどの種も、何れは成されるものである、それを私は悪いなどと考えているわけではなく、ただ何故、何故に知恵を集める事が出来るというのに、手を取り合う事が出来ぬというわけではないというのに、絶えず争いを、人が人を苦しめる世が生まれてしまうのか、と。
それが甚く……信じられぬ、と。
その様に考えてしまう、皆に溶け込むことが出来ぬ自分自身が恐ろしく仕方がないのです。
どうか……、どうか、私を御導きいただけませんでしょうか、時雨様。




