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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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三十五話 ささくれ

 手入れを(おこた)った覚えがないというにも関わらず、爪先に見たくないものを見つけてしまった。

 途端、それまで(つくろ)ってみせていた表情を()しげもなく崩し、我慢ならず腰まで浮かした挙句、居合わせた場に決してそぐわぬ対応を、机を挟んだ向こう側にいる客人に対し目をくれる余裕さえもないまま、ただ、一言。

「ごめんなさい」と、だけ。

 百合(ゆり)は、足早に部屋を後にして、しまった。


 幼い頃の、誰に言われたかも思い出せないような言葉がずっと、大人になっていくら忘れたいと考えようとも何時(いつ)まで経っても忘れられない。ふとした拍子に思い出してしまう。こびり付いて、その(ぬぐ)いかたが分からなくなってしまう、なんて話は(たい)して珍しくもない、そこそこありきたりな、誰しも一度や二度ぐらい経験したことがある話ではないか、と百合はそう考える。

 それは(ひとえ)に、そのようなものだと考えなくてはやってられない、上手くやり過ごすことが出来ない――叶わなくなってしまうことが暫々(しばしば)、これまでもいくらかあったから、だ。

 自分だけがこんな風にそれに苦しめられているわけではない、他の人もきっと同じなんだ、という考えは百合自身にとって救いであった。だってそうすればずっと苦しめられている、忘れられずにいる事柄をある程度は仕方のないこと、として(かた)すことが出来、それを言い訳――盾としていつも通りに振るまうことが、出来たから。



 今年に入ってからというもの、数えで百合が十五を迎えたからこそ本腰を入れるかのように見合い話が途絶えることはない。三日に一度は誰かしら、初めて会う相手と顔を突き合わせている。季節はもう秋を迎えており、冬が顔を見せれば年は終わりを迎えることとなり、それはつまりこの一年、百合はずっと変わり映えのない、退屈な見合い話に付き合わされるだけの日々を送っていることを意味してしまう。溜め息も出たくなる。

 しかし今日の相手はこれまでとは少し違った。

 三日に一度は違う相手と顔を合わせる。日によっては朝昼晩と三人もの初めて顔を合わせる相手と同じ部屋で顔を突き合わさねばならない。そんなのを一年の半分以上続けていて、婿入りを前提の縁談などいつか申し出る者の方が尽きてしまう、時間の問題と高を(くく)っていた矢先の出会いで、何よりもその相手と顔を合わせるのは初めてではない、今日で二度目であった。

 

 彼と百合が初めて顔を合わせたのはつい先日――一昨日のことだ。自身の生い立ちやこれまでの来歴であったりを語る姿に、百合がこの世で誰よりも敬愛する祖父に似た物腰の柔らかさを感じた。

 生家(せいか)山城国(やましろのくに)ではなく大和国(やまとのくに)であり、上に年子の兄がいる。歳は違わないのだが後に生まれた立場であるため次男坊として育てられ、家督(かとく)は兄に譲られるのが当に決まっていたこともあり、幼い頃から兄以上にいつ他所(よそ)へ奉公に出しても恥がないように、と父に厳しく(しつけ)けられたのだと話す彼の語りはとても穏やかなもので。

 (うち)になにかしらを()めている、腹の(うち)になにかを抱えているといった様子には見えない、口振りからしても他人を特別傷つけるようなことはとてもしそうには見えない、そういった事とは無縁そうな、争いごとを(この)まない祖父に似た雰囲気を(かも)し出していた。

 そんな彼と三日と()たず、二日で再び(まみ)えることとなったのは他でもない、百合自身がそれを強く望んだ、からで。

 だから百合は足早に、屋敷の私室に入るなり化粧道具をしまっている小箱を開き、目当ての物を見つけては迷いなくそれを手に取り、爪の(ふち)から小さく飛び出ている、元は爪の一部であったはずのそれを(つま)み勢いよく引き抜いてみせた。

(……痛い。)

 上手く抜いたつもりでいたが、血がどうしても滲んでしまう。今日の為に、と昨日のうちに余裕をもって手入れをした、爪紅(つまべに)を塗り直した際にはなかったものだからそれほど深くない、浅いと勘繰っていたのだがそうではなかったことを身を持って知る。

 それでも声を出そうになるほど、ということはなく。滲む根本を軽く、他の指を使いギュッと抑え込めばそれで……、それでどうにかなる痛み、で。

 行儀が悪いとわかっていながらも、手頃に(ぬぐ)えるものを持ち合わせていない百合は、指先を小さく口に含むことでその場をどうにかやり過ごしてみせた。



 他所(よそ)からやってくる商人との商談に来る日も来る日も、朝から晩までひっきりなしに駆り出される。

 祖父から家督を引き継いで日の浅い両親は共々常に(せわ)しなく、そんな両親に代わり百合の遊び相手をしてくれたのはいつだって祖父であった。

 だから、だろう。住み込みの女中らからは昔から、祖父の穏やかな気質が移ったのではないだろうか、なんてよく言われたものだ。

 しかしそんなことはない、と百合は断じてそんなではない、とそう胸の内にだけ(こぼ)す。

 ただ百合は、両親や祖父に迷惑を掛けるようなことだけは何があってもしたくない、それだけ、で。

 それはきっと、祖父と母が持って生まれた“色”を百合だけが持たずに生まれてしまった、から、で。






「ったくよぉ……、一時(いちじ)はどうなるかと思ったぜ、まったくよぉ‼︎」

 言うて、なぁ、なんて振り返ったところで返って来る返事が少ないこと知ってはいるが、それでも弥代はついつい振り返らずにはいられなかった。(いや)、なにも疑っているわけではない。無言でいなくなったりなんて事はされない、絶対にそんな事はない、と信じたい、のだ本当は。でも、けど、直前まであんな……あんなやりとりがあったものだか、ら―――

「ねぇ、相良さん⁉︎」

「えぇ、本当に一時(いちじ)はどうなるものかと肝を冷やす羽目となりましたが無事に越えられて良かったものですね。」

「うん、良かった! 本当に良かったッ‼︎」

 これまでこんなに素直に言葉を返せたことが他にあっただろうか?一度もなかった、なんてことはありはしないのだがパッと思い浮かぶものがないということは、まぁその程度だったのだろう。深く考えるのは()し、さっきまでであれば返事の一つもろくに返してくれなかった、珍しく虫の居所でも悪かったのだろう相良が返事をしてくれた事に対し弥代は喜びを隠しきれず、(たま)らず大きく腕を振ってしまった。

「ね! 本当に、ね! 越えられて良かったよね!」

「悪目立ちはよくありません、少し静かになさい弥代さん。」

「ぁ……、うん。……はい。」

 手が、伸びてくる。

 振り返って、それで弥代の歩みは中途半端に止まっていたようだ。距離があると思っていた後方の彼らとはそれほどもう離れておらず。すれ違い(ぎわ)だったのだろうか、相良が伸ばした手が、先ほどまではなかった頭巾越しに弥代の頭に触れた。

「隠しきれておりませんよ。」

「ぁ……ありがと。」

 肩と肘の間まで丈のある袖頭巾(そでずきん)逢坂関(おうさかのせき)を通過する前、山城国(やましろのくに)国境(くにざかい)に張られているという【結界】のせいで弥代が関所に立ち入れなかった際、後からやってくる関所を通過したい者達からの好奇の目から逃れられるように、と。駐在(ちゅうざい)する門兵達が気を利かせて譲ってくれた(しな)だ。

 袖頭巾なんて女が被るものだが、パッと見のなりだけを見るなら女のように見えなくもないが口を開けば女と勘違いされることはないだろう、声を掛けられたりが好きじゃないのなら国を出るまでの(あいだ)だけでも多少()れはするだろうが我慢は若い内に覚えておいた方がいいぞ、等と好き勝手言われたりはしたが気に留めることではない。

 それよりも今は、相良が(すそ)を掴みグッと下げた、その(さかい)から毛先が(のぞ)くことがないように指先で払う。

「これで見えない……かな?」

「えぇ、見えません。ですが先のように激しく動けば」

「うっうん、分かった!」

 払い退()けるようなことはせず、見上げる。

 京の(みやこ)が見えてきて、東海道五十三次の執着地点、三条大橋と呼ばれる場所が近づくにつれて町並みが、人の往来が徐々に増えて行く中、荷馬車があるからと乗り込むようなことはせず、自分の足で歩いて進む。

 鈴鹿関(すずかのせき)のような荷馬車に乗ったままでの移動が厳しくない道中の(ほと)んどは、荷台で腰を落ち着かせるばかり、目線もあまり変わらなかったものだから足場が悪いというわけでもない道で肩を並べ、相良を見上げるというのが弥代には久しぶりに感じれてしまった。いっそ新鮮かもしれない。

 悪目立ちはよくありません、と直前に言われた手前、さっきみたいに態とらしく構ってもらいたいが為の行動は(はばか)れる。とはいえ、あまりあれこれと話し掛けるばかりも変に思われかねない、余所者として目立ってしまうのも良くはないだろう。

 とはいえ目で追うだけでも十分といえば十分で、変に自分から口を開かずとも、というのは今までとは違いいくらか気が楽、で。なるほど、こういう過ごし方もあっていいのだろうと、これまでは相手が誰であろうとも並んで歩く際は何かしら喋ることが多かったことを思い出しながら弥代は目を細めずにはいられなかった。

「――時に、弥代さん。一つ、お伺いしたいことがございます。」

 カラカラ、回りながら音を立てる荷馬車の車輪が、此処(ここ)に至るまでの道中に聞いていた音よりもどことなく軽く聞こえるのは、荷台の中で耳にすることが多かったからかもしれない。

 耳を澄ませばどこからか、終着点の三条大橋が近いからかは分からないが川の、あぁそうだ、榊扇の里に張り巡らされた水路の近くで聞いたことがある、ちょろちょろとした音が聞こえてきて、夏の暑い夜よりも涼しげな、心地よい風が肌を(かす)めてそれで、それで季節がもう秋であることを思い知らされれて……なんて初めはそうでもなかったのにいつの間にか弥代が(ふけ)っていると、相良の方から珍しく声を掛けてきた。

「……んぇ、なっ何、相良さん?」

「いえ、それほど深刻な事ではないので肩に力は()れずとも。先に別れた稲葉家の彼について、です。」

「………あぁ、えっと。

 ……よし、まさ?」

隆棋(たかよし)、殿です。」

 半分しか合ってませんよ、と言われてから、本当だ、と弥代は思わず(こぼ)してしまう。

 (いや)、昨日今日知り合ったばかりの相手で、なんならその名前を口にしたのも二度三度だ。家名(かめい)だ下の名前だ、色々な呼ばれ方を、場によって使い分けてなどがあれば余計にどちらを覚えればいいのかも分からないし、なによりそこまで覚えに弥代は自信がない。

「……ん、隆棋さん、のことね? えっと、それがど、どうって?」

 そうであった。黄色い瞳の彼の生家はどうやら弥代たちが一旦の目的地として据えている三条大橋よりも下、鴨川を更に暫く(くだ)った先にある九条通(くじょうどおり)に架かる東山橋(ひがしやまばし)を目指さねばならぬらしく。実家とはいえどもあまり夜遅くに門を叩くような親不孝は出来たものじゃないと言って、深々と頭をさげて三条通(さんじょどおり)の途中で(わか)れることとなった。

 別れ際、さんぼうにしのうんたらの……なんて弥代の聞き慣れぬ、恐らくは京の地名だろう何かを口にして、後日ご挨拶に参ります、なんかも言っていた気がする。

「来る……のかな?」

「来ますでしょう。彼、随分と貴女に御執心な様子でしたので。」

「うへぇ……要らねぇよ、そういうの。」

 そんなのは一人だっていて手間に、面倒に既に感じているというのにこれ以上増えられるのはごめんだ、と思わずにはいられない。

 とはいえ別れた後だ。こちらから彼に来ないでほしい、と連絡を取る(すべ)は生憎とありはしない。伝えたくても伝えようがないのだ、どうしうもない。

「では(わたくし)が弥代さんに代わり断って差し上げましょうか?」

「い……いや、それっ、は」

 気の迷いだったと、なってはくれないだろうか。厚意的な態度そのものが嫌だった、というわけではない。なんなら今まで(うと)まれる、受け入れてもらえない(もっと)もたる原因であった“色”を、他所とは違う価値観があるからという理由だけですんなり受け入れられ、()つ褒められたりなんて事もなかったものだから、それも嫌、なんて感じたわけではない。

 ただ慣れなくて、受け入れられ、拒絶されるんじゃなく肯定されて、どう返せばいいのかが上手く、そう、上手く浮かばなかっただけ、で。

「……様子、見……じゃダメ……かな?」

「貴女の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもみませんでした。」

 言われてそうだな、と(うなず)く。

 これもまた、これまでの弥代ならきっと選ばなかったろう選択肢、だ。弥代自身もそのように思う。その上で今は弥代をよく見てくれている、気にかけてくれる相良が言うのだから間違いないだろう。

「ほ、ほら……? 俺が忘れちまってること、昨日の事、だっけ。それをなんか思い出したらそれで、俺自身が納得……出来てもう少し上手く話せたり、出来るんじゃねぇかな、って。」

「そうですか、分かりました。考えがあった上でそのように貴女自身がしたいと仰るのでしたら口出しは(ひか)えさせていただきましょう。

 ……ですが、そんなに直ぐに思い出せるものではないと聞きます。思い出せない場合の対応をどうされるかも考えた方がいいでしょう。

 それから――、」

 距離が、縮まる。

「御自身が何故このような場所にいるのかをお忘れのないように。」

 小声で、耳を打たれた。






 五街道のうち東海道(とうかいどう)中山道(なかせんどう)起終点(きしゅうてん)である三条大橋は、大橋なんて立派な名に()じぬ石で作られたとても頑丈な橋が架けられており、橋幅もこれまで弥代が主に目にしていた榊扇の里の水路上に架けられたもののが三、四本(たば)ねてやっと、といったぐらいの広さをしておりそれだけでも大変驚かされた。

 勿論、石などという固くて使い道が限られた、家を建てるのに使う木とは違って扱いにくいはずの石をどんな手を使えば揃えることが出来るのかとも不思議で仕方がなく。

「わかった、元々こんな形した石を見つけてきて積み重ねて出来てんだろう⁉︎」

「これまで見てきた石の中に綺麗な形をした石があったのですか弥代さん?」

「……いいや、俺は見たことねぇけど、」

 でも、と食い下がろうとするがそんな返しがやってくるということは弥代のあては(はず)れたという事だ。

「では、帰る際は東海道ではなく中山道を介しましょう。」

 中山道の方が旅籠(はたご)もそれほど高くなく利用出来ますので、と突然言葉が添えられるが、なんの事だか弥代はまったく分からない。

「道中に馬淵(まぶち)と呼ばれる地があり、この橋を造るのに使われた石はそこから運ばれてきたのだそうです。そういった場所に敢えて足を運び、どういったものか知るのに触れてみるのもいい経験に思います。」

「……うん。」

 弥代が分かっていないというのを分かった上で言葉を足して、くれたのだろう。目もくれずに淡々といつものように喋る相良の、その言葉に耳を傾けて、そうだなと、弥代は考える。

 そう、だ。先程相良から忠告を受けた通り、弥代は何も好きでこんな場所に居るわけではない。

 榊扇の里に暫く帰ってくるんじゃない、と(ほとぼ)りが冷めるまでの間は近付かない為に、偶々西に用事があるからとここまで来ただけで、いつ、か……は、

(帰る、んだ……いつかはアソコに。)

 目的を、忘れたわけではない。

 今の弥代からすると、あの時に口走ってしまった(おぞ)ましい恨みつらみの籠った言葉は何故出てきてしまったかが分からないが、自分の口から一度でも出てきたそれを、それがたとえ一時(いちじ)の気の迷いによるものだったとしても、自分のものに間違いはなく。

 願うなら、七月二十日(あの晩)相見(あいまみ)えた()ゆるような赤い髪をした、旧国に棲まうとされる鬼神――自身と同じ“鬼”と呼ばれる存在に訊ねたい。

 それから、詩良が死ななければならなかった、その理由を弥代は知りたいと考えるようになっていた。

 榊扇の里を()ってもうどれぐらいだろう。十日(とおか)以上は()っているのは間違いなくて、一日一日が過ぎるのを待っている間に数を、日数を(かぞ)えることを忘れてしまったり、なんてこともまぁまぁあったものだから、今日泊まる場所に到着して、それでゆっくり落ち着いたら改めて相良に何日経ったのかを聞いて、それで。

(どれぐらい、掛かるんだろう?)

 扇堂杷勿(せんどうはな)と話をした時に出てきた山城国(やましろのくに)すらどれぐらい離れた場所にあるかも知らなかったような地に、今の弥代はいる。

 そしてこの山城国を経由して、弥代が目指したいと考えている、かの鬼神が棲まうとされる旧国という地までの道のりは、またどうにも複雑、なようで。

 此処に至るまでの倍以上時間が場合によっては掛かってしまう、といつだったか相良が言っていたような気がする。長い、旅路だ。

 でも―――、

『では、帰る際は東海道ではなく中山道を介しましょう。』

 決してそんな意味合いで言ったんじゃないと、そんなのは弥代だって分かる。でも、直接意味を含めて言われる言葉よりも、自然と意識せずに出てきたであろう相良のその言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを、感じずにはいれなかった。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 十話






 石で出来た三条大橋を渡った先に見えてくる通りは、そのまま三条通なんてただっぴろい大通りが広がっており、誰も乗っていない荷馬車の御者台に腰を据えたままの絹の案内を受けつつ、弥代ら三人はその通りを進んだ。

「――そうして、そろそろ見えて参ります三本先の通りを右に曲がって暫く進んだ先に西条家(さいじょうけ)の、それはそれは立派なお屋敷があるといった具合なのです!」

 似たような道がただ続いているだけで絹が言う、三本先というのがどの辺りの事を指しているのかが弥代にはてんで分からなかったが、そろそろなんて言葉が使われたのだからもう少しで着くことに違いはないだろう。

「でもよぉ、本当にこんな遅い時間に世話になっちまっていいのかよ? その……、なんて言ったけ、|ぎんれいさん >、、、、、、》だってこんな遅くなるなんて思ってもねぇんじゃねぇの?」

「フフッ、そこは()かりございません! 何故なら逢坂関で弥代さんが通れるようになるまでの間に近くを通り掛かった知り合いに文を預けてありますので、遅くなる(むね)も伝わっておりますとも!」

「そっか?」

 御安心を!なんて絹は胸を張ってみせた。

 (いや)、疑うのは良くないし、この道中度々絹には色々とよくしてもらった部分が多いのであまり失礼な事を言わず思うだけにしても良くないというのは分かっているのだが、それでも、本当に少しだけ……、本当に少しだけ、彼女の、なんというか詰めの甘い部分を、弥代はそこそこ見て、いて。

「本当に大丈夫でしょうか?」

 変わりに言われたのかと肝が冷えた。しかし問い掛けた当人、その出処(でどころ)が相良であるとなれば納得。

 弥代が絹の詰めの甘さだったりを知るきっかけとなった出来事の、大半を詰めていた相手からなら出てきて当然の言葉だ。

 もう散々、どちらかといえば嫌になるぐらい目の当たりにした気になる、二人のやりとりが今まさに起きそうで、逃げるように歩みを、歩幅を(せば)めて相良の後ろにつこうとする、と。

「ぁ」

 下がりすぎて何かにぶつかる、というのも変だ。それまでありもしなかった壁のような物が突然生えた、なんてのも考えられない。振り返る必要もなく、自分がぶつかった存在がなんであるか察しがついた弥代はどこか気不味そうな声を漏らした。

「わ……(わり)ぃ、」

「……構わない。」

 肩に、手が置かれる。

 通りの飯屋の入り口に吊るされた行燈(あんどん)以外に光源は見当たらない、人通りも(まば)らになりつつある夜だ。後ろの存在に気付かずにぶつかってしまった事を、背後の男がどう捉えたのかなんて弥代は知る(すべ)はないが、それでも恐らくは此方を、いくらか心配……気遣った上での(おこな)い、であることはきっと、違い、なくて。

『うへぇ……要らねぇよ、そういうの。』

(コイツを、要らないってわけで言ったわけじゃねぇんだ、俺は別に。)

『手始めに、先ずは春原さんと距離を詰めてみられては如何(いかが)ですか?』

 三条大橋を渡るよりも前の相良との、()わしてからまだそれほど時間が経っているわけでもない自身の発言と、ここに来ていつだったか相良に掛けられた、言葉を思い出す。

「え、えっと…………」

 彼が、春原千方(すのはらちかた)という男が(いま)だになんで自分に対して執着をしているのかを、弥代は知らない。

 でも、何も彼は弥代の意思であったりを、踏み(にじ)るようなことはしないで、一応は形だけであっても、キチンと耳を傾けて、それで……、

(けど、押し付けられてることに変わりはねぇんじゃねぇのか?)

 昨日出会ったばかりの黄色い瞳の彼ほど、ではないが自分の意思も押し通そうとする部分はよく似ている。耳を傾けるのは結局最初、だけで。その後は自身の我儘を押し付けるように距離を、詰めてき、て。

 だけ、ど――――

『もぅ、大丈夫か……弥代?』

 同じに、見えてしまう。

 いつ、いつだって振り返った先に彼がいると、大抵同じようにこちらを見てくるのだ。そこに、その眼差しの奥にあるのは、きっと

(勘違いだったら、嫌だなぁ……)

 一言を紡ぐ、それすら精一杯で。でも、なんだかここまでずっと、この旅路に限らずそういえば先の冬に津軽を目指した際も彼は弥代の側に変わらずいて、くれて。

(絶対に分からなきゃいねぇなんて、そんな必要があるわけ、でもない……し。)

 執着を、向けられている。

 それは長年弥代が思い出したくても思い出せずにいる、名も知らぬまま別れることとなった老夫婦と出会うよりも以前の、忘れてしまった過去、に起因する、弥代の過去を知っているからこそ向けられているもの、で。

 ただ(たず)ねた、いくら教えてほしいと言ったところで彼が口を()らないのぐらい嫌になるぐらい分かってもいて。

『弥代がそう、望むなら。』

 そんな言葉をよく口にするくせして、肝心な、弥代が本当に知りたいと望む答えだけはどうしたってくれない、何をしたいのかよく、分からない奴、で。

 でも次第に、嫌という気持ちが薄れているのは、

『少しぐらい俺を頼れよッ‼︎』

 あんな言葉が、ただの勢い任せに近いところがあったからとはいえ出てくるぐらいには、少なく、とも弥代、は

「……ありがと」

 やっと出てくることが出来た言葉は確かに普段からそんなに口にするモノではないが、それでもさっきはあっさりと相良を相手に出てきたものだったはずだ。

 先日の、ただ名前を呼ぶという話にしたって、なんなら昨日今日知り合ったばかりの隆棋(たかよし)に至ってはうろ覚えではあったもののなんの抵抗もなくすんなりと名前を、口にしていたし。

「えっと……、その」

 いつぞやみたいに場の勢いに(まか)せて呼ぶことだってきっと、出来なくはないのだ。既に一回出来た、ことを出来ないなんて事はやっぱりない、筈なのに。

「…………、」

 なの、に――――



 絹がそろそろですと言っていた通り、大通りを右に曲がって暫く道なりに進んでいくとそれはそれは大きな堀にぶつかった。突き当たりの道を右に左にと頭を動かして入り口らしき場所を探してみてもそれは見当たらず、「()ぇじゃねぇか!」なんて小さく喚けば続けて絹が口を開いた。

「すみません、説明が足りていませんでした。正面の入り口はこちら側ではなくもう少し先になりまして。」

「まだ歩くのかよ⁉︎」

 長い堀を見た後だ。今日は何やかんや逢坂関(おうさかのせき)の手前あたりから休み休みではあるし、腰を落ち着かせることだっていくらか出来たから言うほどではまったくないのだが、ろろそろだという言葉を信じきっていたが為にある程度の不満はどうしたって出てくるというもの。

 言った側から()しなさいと相良から叱言(こごと)を貰うが心の底からもう休めると思っていたために抑えなきゃいけないと分かっていても一度溢れ出したものはどうにもキリがない。

「せめて、せめて乗せてくれよぉ!」

「いえいくら弥代さんのお願いであっても駄目です!山城国では御者は許されますが荷以外の人を乗せての移動は危ないからと許されていないのです。もう暫くの辛抱をどうか、どうか……、」

「だってぇえ‼︎」

(わめ)くんじゃありませんみっともない。また置いていきますよ。」

「だから置いてくのは無しだって俺言ったじゃんっ‼︎」

「弥代さんシーッ! 声が大きいです!」

「乗せてくれたらもう文句言わねぇもん俺っ‼︎」

「弥代さんいい加減になさい!」

 そんな、なんやかんやがありつつも弥代達が今晩世話になる西条家の敷居を跨げたのはそれからまだいくらか時間が経ってから、で。

「長旅でお疲れでしょう。絹さんから着くのが遅くなると文を預かっておりましたので諸々の御用意は整っております。

 挨拶も儘ならず申し訳ございませんが、それらは明日にし、今宵はどうぞ旅の疲れを癒すのに費やされるのは如何(いかが)でしょうか?

 立ち話もなんですので先ずはどうそ、中へ。」

 屋敷の入り口で行燈(あんどん)を掲げる物腰の柔らかそうな男が中へと(まね)き入れた。

 断る理由なんて今更あるはずもなく、一行はその厚意に甘えることとした。


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