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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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三十二話 同行者

 バレるようなことがあれば間違いなく怒られるであろうな、ということぐらい絹は分かっていた。怒られるのが好きだなんて、そんな変わった趣味を当然のことながら絹は持ち合わせていない。

 が、バレたら怒られるというだけの理由でビクビク、したいと思っていることを我慢するのはどうにも性に合わない、自分が我慢せねばならない理由が思い当たらなかった。

 だって、相手はよりによって相良(さがら)だ。人としてそれなりに立派、見識も広く、人並み以上に多くを知っているのだろう、この世に生まれてからまだ十年そこいらな自分の三倍近く生きている、やたらと弁も立つ、いざという時に役に立つ技術を持ち合わせた相手である。

 掛川宿(かけがわしゅく)での晩以降、それまでの相良に対する弥代の態度が一変どころでは済まない変化を見せ、何かと(しき)りに、「相良さん、相良さん!」なんて子どもらしく呼びかける機会が増えはしたものの絹は知っている。

 弥代が塞ぎ込んでいる間――榊扇(さかきおうぎ)の里の西門付近で再会を果たしてから、掛川宿に至るまでの道中、相良が弥代にどのような対応をしていたか、を。

 渦中にいない、(はた)からこそっと覗き込んでやったぐらいの、(ほと)んど部外者である絹の目からしても、弥代があそこまで塞ぎ込んでしまった原因なりを作ったのは、あくまで一面しか見ていないので断言をしたくない気持ちは多少なりともあるが、それらを差し引いてもはっきりと相良に原因がある、と言い張れるぐらいには相良に()を感じている。

 まぁ、要約(よう)するにそんな下地が絹の中にはあるものだから、相良を相手にバレれば怒られると分かっていて下手に出て、それを我慢なんてしたくない、と。それだけの話なのだが。

「言いたいことはそれだけですか?」

「……えぇ、まぁ……その、………………………………………………はい。」

 絹は大きく肩を(すぼ)めてみせた。






 弥代の体が(ちゅう)に舞った一部始終をすぐ隣で見ていた絹が事態を、その状況をやっと理解出来たのは、激しい水飛沫があがったと同時に、二人分の聞くに()えない悲鳴があがったからだ。

 目を(つむ)る、暇すらなくそれは目の前で起こった。

 湖に反射した月明かりのおかげで自分たちの手元と横にいる相手の顔ぐらいは窺える程度の暗さの中、背後に(そび)え立つ山の林の中から勢いよく飛び出してきた塊は紛れもない【人】であったのだ。

 斜面で足でも滑らしたのだろうか、ゴロゴロとそれがとんだ勢いをつけて転がり落ちてきた。そしてその転がってきた【人】は止まることなく、(ほとり)から生えた(さび)れた桟橋(さんばし)に腰を落ち着かせて夜釣りに集中している弥代に衝突し、そうして二人仲良く揃って湖に落ちたというわけだ。



「――という経緯にございます。」

 正座を崩すことなく洗いざらい白状した絹を前に相良は頭を悩ましたのは言うまでもない。

 そういった事があったと分かった上で、絹が弥代を連れて旅籠から無断外出をした事を(しか)るに叱れなくなってしまったからだ。

 話をこれ以上複雑にしたくない気持ちは山々だが、事を整理する上でどうしても欠かせない箇所があるのが今この時なのだ。

 というのも、結果として弥代と衝突したという相手に理由があった。

 人の(えにし)とはどうにも奇妙なものであり、その巡り合わせにいつの世も多少なりとも振り回されるものなのだろう。

 そう、弥代が一緒になって湖に落ちたというその相手はどういうわけか今宵相良達が世話になっている旅籠屋夫婦の甥に当たるそうだ。

 夜釣りをするのに桟橋(さんばし)に弥代が腰掛けていたものだから、それまでの勢いが損なわれて岸からそれほど離れた場所にまで飛ばずに済んだだけで、最悪弥代が居なければ水面に叩きつけられてそのまま、などと考えられる限り最悪な事態にまでなっていた、起こりえたかもしれない。

 当人の口からそのような言葉があった上でずぶ濡れ状態のまま夜遅く帰ってきた絹と弥代は、(くだん)の彼の身柄(みがら)を宿屋夫婦に(たく)してといった状況が今なのだ。

 山城国(やましろのくに)に暮らす兄夫婦に変わり礼をしたいと申し出られた手前、あまり大きな声で叱りたてるようなことはしたくないものだが、それでもこれは如何(いかん)せん、見過ごすことが出来ない事態、話が全く別である。

(少しは反省していただきたいものです。)






 眠気まなこのままうつらうつら。

 昔の自分であればまだいくらか頭を早く起こすことが出来ていたはずなのに、ここのところは特に朝は随分と動けるようになるのに時間を(ゆう)してしまっているような気がしてならない。

 そんなのは弥代自身が一番よく分かっているのだが、ただ分かっていればそれでどうにかする事が出来るというわけでもないのに変わらずに頭を揺らしてしまう。

 旅籠屋にあがるのには先ず第一に足を洗わねばならない、と少々格式高い宿であれば今の時代もそんな風習があるのと同じに、店の者を呼ばねば顔を洗う為の水を用意してもらえないというのは、これまであまり旅籠に多く世話になることがなかった弥代であってもいい加減覚えてきたもので。

 更にはこの上方(かみがた)では顔を洗う水を持ってきてもらう事を、“手水(ちょうず)(まわ)す”などと変わった言い回し方をし、店の者を呼び水の()まれた桶を持ってきてもらわねばならないのだ。

 昨晩の勝手に夜遅く宿を出て夜釣りに行った件で長時間相良に叱られていたものだか、いつもなら自分よりも早く起きているはずのに絹はまだ目を覚ましていない。

 ボーッとした頭でもどうにか、右隣に敷かれた布団がこんもりと盛り上がったままであるのぐらいは見て分かった弥代は、絹に変わり店の者を呼ぶのに力が入りきっていない手をパンパンと叩いた。

 すると、

「おはようございます、弥代様。」

 襖が横に滑った。

 立て付けの悪かったり、しっかりと噛み合っていない襖であればぎこちない動きを見せるものだが、とても(なめ)らかに開かれた。

 寝起きで絹の様子を見遣るだけで開くやる気を失ったも同然な弥代にはそこそこ(こく)である。それでもどうにか重たい瞼にぐぐっと力を込めて持ち上げればそれで、それで部屋にやって来た店の者が水が汲まれた桶を持って現れたのが分かり。

 自分で出した音であるのだが、自分でさえあまり聞き取れなかった音をよく聞き取り、手水(ちょうず)をこんなにも早く用意出来たものだとボーッとした頭のままながらも感心するのだが、やはりそれが出てくることはない。

 半開きの口から小さく、なんの音かも分からない声を漏らしながらも、やっとの思いで一言、はよぅ、と発してみれば、「はい、おはようございます!」なんて、今の自分からじゃ絶対に出てこないハキハキとした声が返ってきて、弥代はすっかり勢いに呑まれてしまった。

「お隣、失礼いたします。」

 お隣?と思った時には、敷居(しきい)(また)ぐことなく廊下に手を付いていたはずの彼の顔が近くにあった。

「お顔に触れます。目を(つむ)っていてくださいね。」

「ぇ……、え?」

 失礼します、なんて声が届く頃には、顔に手拭いらしきものが触れた。表面の(あら)くない、弥代の知らない柔らかさをした感触が肌を優しく撫でた。

「……んぅ、」

「ジッとしててくださいね。」

 ひんやりと、冷水によく浸したのを水気がなくなるまでしっかりと絞りでもしたのだろうか。絹もここ数日、寝起きの弥代の顔を変わりに(ぬぐ)ってくれる事はいくらかあるにはあったが、それとは比べものにならないぐらい、非常に心地いい。(ゆだ)ねたつもりのない体はいつの間にか顔を拭うのとは反対の腕で軽く支えられており、またその力が優しいものだから(あや)うく今一度寝てしまいそうになるほど、ほど……、ほど……に…………

「ぅう……ん」

 弥代は容易(たやす)く落ちた。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 七話






 いつの間にか二度寝を決めてしまっていたようだ。そんな二度寝なんて滅多にしないはずなのに、と思いながらも、最初に目を覚ました時よりも頭が分かりやすいぐらいすっきりしているものだから寝足りていなかっただけなのかもしれない、と思い至れば納得がいった。

 だから、その……仕方がなかった事なんだ、と自分に言い聞かせながら弥代は自分にしがみついてくる絹を憐れみを込めた目で見下ろした。

()め……ようよ絹さん。その、……恥ずかしいから、全部が。」

「恥ずかしいとはなんですかっ?

 こんなの浮気以外になんだっていうんですか弥代さんっ‼︎」

 着替えを、済ましたばかりである。

 相変わらず扇堂家が仕立ててくれた(よそお)いは上から下まで質が立派としか言いようがないが、袖を(とお)し始めてから十日以上は経っているというのに中々に着慣れない。

 というのも帯というものが弥代はやはりあまり得意ではないようで、そういえば春先に彼女が弥代の為に、と見立ててくれた装いの帯に関しても、今の帯の半分程しか幅はなかったが一人で結ぶのは難しく、帯締めを含めて任せっきりであったのを弥代は思い出しつつあるがそれは現実からただ目を逸らしているだけに過ぎない。

 ここ最近がそうであったものだから弥代は当たり前に絹に着付けの手伝いを頼んだのだ。しかし着替えが終わって直ぐさま、絹はどういうわけか弥代の足にしがみついてきて。

 これがたとえば、部屋の襖が締め切られていたのなら良かったのだが(そうである、締め切られていたのなら良かった、なんて言葉が浮かぶ時点で悲しかな襖は開け放たれているのである)、部屋の前の廊下を時折通る店の者が、まぁなんて口元に態とらしく手を添えつつ声を漏らしたり、なんて反応を見せるものだからどうにも居心地が悪い。

 二度寝をする前は、なんだかとても心地いい感覚に包まれていたような、どこか幸せな気持ちでいっぱいいっぱいだったはずなのに、それは一体どこへ行ってしまったというのだろうか。足元を見渡したってありゃしないのだから、落ちてないものの探しようなんてあったもんじゃない。

 挙句、絹の口から出てきた“浮気者”なんて言葉……。そんな言葉、言われる筋合い(覚え)が弥代にはまるでない。

 反論、を。せめて今し方の発言だけでも訂正してほしい一心で言葉を絞ろうとするのだが、こういう時に出てくる使い勝手のよさそうな言葉が弥代の頭では思いつかない。

「……えっと、な……っ、なんだよその、え……う、浮気者、ってさぁ?」

 素直に心当たりがないとでも言ってしまえば良かったのだろうが、知らぬ相手から一方的に寄せられる視線であったり、先日桑名宿(くわなしゅく)の旅籠屋にて金がないと泣き憑かれた時と同様の反応ぐらいしか弥代は返すことが出来ぬまま、ただ途方に暮れるしかなかった。



「――ですから、先刻はご迷惑をお掛けしたとあれほど、」

「いいや、謝られたって俺の気持ちは済ませねぇんだよ。今にしてもなんだよ浮気者、って。妙な勘違い生みかねないのでこっちがどんだけ迷惑したと思ってんだ。」

「ち、違いますっ! 浮気者(それ)は別になにも、私と弥代さんが、なんてそんな意味で言ったわけじゃありませんッ‼︎」

「じゃぁ何に対しての浮気者だよ? どんな意味で出てきたんだよあんな気色悪ぃ言葉。」

「で、ですからそれは――っ、」

 春原殿に対してですよ、なんて耳打ちを受け、弥代の眉間には一瞬にして深い皺が刻まれた。

「なんで今の流れでアイツの名前が出てくるってんだ?」

「弥代さん、顔がすっごいことになってますよ?」

「ンなのいいからとっとと答えろ、なんでアイツの名前が出てくるってんだ、なぁおい絹さんよぉ?」

「そ……っ、そんな言ってしまっても本当によろしい」

「いいから言えって言ってんだろ?」

「で、ですからそれ……は、」

 なんだ?と弥代は思わずにはいられなかった。いや、そんな見るからに顔を赤らめて、自分の事でないだろうに恥ずかしがりなんて反応を見せらると、皆まで言わずとも十中八九絹が(あら)ぬ勘違いをしているには違いなく。

 浮気者、なんて言葉が出てきた後に弥代と春原の名前が浮かび、それで言い渋られまですれば、いくら色恋沙汰であったりの経験がない弥代でも分かるというもの。これ以上彼女の勘違いが大きくなってしまわない(うち)にどうにか止めなくては、と思うのだが同時に、彼女自身の口から直接語られぬ限りは勝手にそうだと決めつけてはならないという気持ちがないこともないので難しいところだ。

 ……(いや)、十中八九である以上、先手で断言してやるのも手ではあろう、が。

 いつまでも渋られるのも気分が悪い、といっそ自分からそんなことはないと断言してうやろうと弥代が口を開こうとしたその時、絹と二人きりの会話に、「少しよろしいでしょうか?」なんてとても控えめな声が(あいだ)を割って入ってきた。

「……えっと、ど、何方(どちら)さん……だっけ?」

「はい、改めまして名乗るのはこれが初めてになることでしょうから、これを期にどうぞ覚えていただけると嬉しいものです!

 私、稲葉(いなば)隆棋(たかよし)と申します。

 弥代様はあまり覚えられていらっしゃらないやもしれませぬが、昨晩貴女様に命を救われた者でございます。」

「……へぇ? …………あー、うん……うん、あっ、……あった、ねぇそんな事もぉ?」

 直前まで込み上げていたものが一気に消沈した。名乗るのはこれが初めて、などと言いはしたものの、薄ら見覚えがないわけではない。何も相手の顔を覚えるのが得意ではないというわけではないのだが、ちょっとしっかりと見た覚えがなく薄ぼんやりとしすぎていて、そうは言われても、といった気持ちの方が(まさ)ってしまうと、ただそれだけ、で。

「…………。」

「アレですよ弥代さん、此方の稲葉殿が昨晩弥代さんにぶつかって一緒に落ちられた方です。」

「ぶつかった…………あー……うん、あった……、あった、ねぇ?」

「おぉお覚えてらっしゃらない?」

 (いや)、何もそんな言うほど覚えてないということはない。なんなら昨晩何があった鮮明なぐらい、嫌になるぐらい弥代は、多分覚えていると思う。思う……のだが、そうである。絹がいま(まさ)に言った、何かが後ろからやってきて自分にぶつかり、その衝撃で桟橋(さんばし)から湖に落ちた際の衝撃が強過ぎて、その後に何があったのかをイマイチ……イマイチはっきりと思いだすことが出来ない、だけで。

「頭を強く打ちでもされたのでしょう。(まれ)に、そういった事があった(あと)、一時的ではありますが前後、あるいはどちらかの出来事を思いだすことが難しいといった方はいらっしゃるそうです。

 ですが、一時的というのも人によってそれぞれです。思い出せない部分を思い出せるようになることもあれば、どれだけ時間が掛かっても思い出せない方もおります。あまり長く続くよう、様子がおかしいようでしたら私から声を掛けますので安心なさい弥代さん。」

「そ、……そうなんだ。」

 またしても、会話に割り込んでくる。

 今度は今日はあまり会話をする機会のなかった相良による発言だった。

 相変わらず弥代の全然知らない知識だろう、自分の知ってくれることを教えるように話してくれる。けれども言葉の節々にそれほど気にする必要はないと、弥代が気に掛けすぎないように、という思いから来ているのだろう、そんな風に受け取ることが出来る言葉に感じられて、弥代は安心した。

 そうなのだ、気付いた時に絹はもう相良の前で正座をさせられていたし、夜はもう遅いというのに何やらお礼をさせてほしいなんて店の人が度々部屋に訪れては相良に話し掛けたりなんてしていたのを目にした覚えはあるのだが、何がどうしてそうなったのか、そこに至るまでの経緯がてんで弥代は思いだすことが出来ずにいた。

 でも、

(相良さんが言うならそっか。)

 それ以上気にすることはなく、中途半端に止まってしまったままである会話の相手――稲葉隆棋(いなばたかよし)に弥代は向き合った。

「なんだ、えっと……あんまり初対面の相手をどう呼んだらとか俺、よく分かんねぇけど稲葉さん、って呼んだ方がいいのかな?」

「いえいえ、どうぞお好きにお呼びくださいませ弥代様。命を助けていただいた身である以上、私が貴女様に何かをどうしてほしい、などと言える立場にはございませぬ。」

「な、なんかその……命を、ってのそんな大袈裟すぎねぇかな。偶々えっと……助けた、とかじゃねぇ、違ぇの?」

 チラリと、弥代は右隣の絹を見た。

 荷馬車の荷台でただ膝を折り曲げてジッとしているよりも、後部からだらんと足を伸ばして遠ざかっている景色を見るのも楽しいものだが、詰めれば以外にも絹と弥代の二人ならかなり余裕(ゆとり)を持って肩を並べることが出来る御者台(ぎょしゃだい)が最近の弥代のお気に入りだ。

 相良の言葉に耳を傾ける時はわざわざ御者台からズレて荷台の真ん中ぐらいまで移動をするが、そうでない時――絹と他愛もないことを喋ったりする時は(もっぱ)ら御者台に腰を落ち着かせることが多い。

 今回の会話も元は今朝の絹の態度と発言に対する愚痴から始まったものだから、当然のように右隣を見ればそれで絹が、なんと言ったか……左吉(さきち)右吉(ゆうきち)という名前の馬の手綱を丁寧に引いてみせていた。

 会話をしつつも手元を狂わせることはないのだから器用なものだ、きっと弥代には出来ない芸当である。

「……まぁ、受け取り方にもよる、とは思いますが、救われた当人がそのように仰るのでしたらそれは素直に受け取っておかれた方が自分だけでなく相手の為にも大変よろしいかと。」

「んぅ……ぐっ、」

 そんな風に突き返されてしまえば弥代は何も言い返せない。(いや)、今は亡き三ツ江文左衛門(みつえぶんざえもん)の死に際を看取ることが出来たのは他でもない弥代のおかげだ、と礼を述べてきた絹に対し、弥代はそんなものは()らないと返した。それがあったものだから弥代が礼を言われたところで、という考えが絹にないという事はないだろうに、それなのに、という少し恨めしそうに見てしまうのは、まぁ絹自身からすればとんだとばっちりに過ぎないことだろう。

「助け舟とかしてくれても良いんじゃねぇのかよ!」

「事情を知っていると知っていないではまったく違ってくることもございましょうに!」

 隆棋を尻目に前を向いて、こそこそと小声で文句を言ってやれば返ってくる言葉も中々のものだ。それを言われてしまえばまぁ、そうだなと(うなず)くことが出来てしまう。現に絹が弥代にそれを言ってきたのは、掛川宿での一晩があった後で、まるで言う頃あいを見計らっていたようであった。

 掛川宿の時点で榊扇の里を出立してから五日、その旅路の一番最初に再会を果たし何やかんやで一緒に過ごしている旅の同行者を相手に、相良が一切何も説明なく喋らないということがなく、相良自身の口からもある程度掻い摘んだ内容、言葉を選びつつも絹にはこれまでの経緯については話していると聞かされていた。

「大体よぉ、なんだよ三ツ江絹って、アンタら前会った時そんな親子、なんて感じじゃなかったじゃねぇかよ? (まぎ)らわしいったらありゃしねぇんだわ。亡き父が〜だの、生前の父は〜だの、頼んでもいやしねぇのに口を開けば俺の前じゃ三ツ江殿、三ツ江殿、三ツ江殿って。……おいおい父って呼んでたのどこのどいつだよどっちかにしろっつー話、聞かされる身にもなれってやつでよぉ…………ぁ」

 最近はなかった悪態がここに来てついつい口を滑らせてこれでもかというぐらい出てきてしまったのは不本意だ。いや、違う。だって、それはなんだか昨日のことだとかがあって、もうすっかり肩を並べて話すのも普通になってきて、そこに今まではいなかった存在が加わったことで、無意識の(うち)に、本当に無意識の(うち)に出てきてしまったものに過ぎ、なくて。でも、けど、ここに来てこうも出てきてしまうというのは一理(いちり)、絹のその相良に向ける言葉と自分に対して向けられる言葉の違いがやっぱり薄々ながらも気になっていた、から、で。

「弥代さん」

 弥代は、己の口を呪った。





 古く、国の中核が(あずま)の国ではなく畿内(きない)にあった時代より、畿内の周辺には複数の関所が(もう)けられた。

 自分たちが一昨日に越えた(とうげ)の、鈴鹿峠にもかつては鈴鹿関(すずかのせき)と呼ばれる関所が存在したとされ、道中一時(いっとき)立ち寄りはしたものの長居はするのことのなかった、坂下宿(さかしたしゅく)の一つ手前、東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎは四十七番目となる関宿(せきしゅく)の由来が、かつての鈴鹿関の関所から来ているというのはそこそこ有名な話だ。

「じゃあ、なんだ。えっと……その、坂下宿のさ坂下っていうのも、あのやたらと急だった坂道の、その下にあるからそれで坂下宿、なんて呼ばれたりしたわけ?」

「そうですね、そういった由来(ゆらい)というものは物にもよりますが意外にも安直な、分かりやすいところから来ているものもございます。そして今、弥代さんが仰られた通り、坂下宿は(まさ)しく鈴鹿峠の麓に位置する、その立地、土地に由来し付けられたというのが有力でしょう。

 ただ、あまりこの手の話は強引に断言をしない方がよろしいかと。人によってはこの手の話に対し、揚げ足取りをしたがる人も出てきますし、何を根拠に、などと口を挟みたがる(やから)というのはいつの時代もいるものです。

 ですから、以前人から聞いた一説によると、などと(あらかじ)め一言添えておくと何かと便利なこともございます。」

 頼りすぎも勿論良くはないのですが、となんて最後に言葉を添えて、相良は弥代が傾けた(かじ)を切り直すように再度口を開いてみせた。

「まぁ、つまるところ今の時代においても特に重要視されていた三つの関の総称が三関(さんかん)とされ――」

美濃国(みののくに)不破関(ふわのせき)東海道(とうかいどう)鈴鹿関(すずかのせき)、北陸道の愛発関(あらちのせき)を指していた時代もありましたが、愛発関に代わり、逢坂関が加わったのだと言われている、という話でしたでしょうか?」

「…………そ、そうですね。稲葉殿の仰る通り、時代が移り変わる際に愛発関ではなく鈴鹿関が加わることで、これが今の時代も多く知られている三関となります。」

 思いがけず、口を挟んできた相手を相良は凝視(ぎょうし)してしまったのは不可抗力に近い。が、山城国に古くから住まうとされる稲葉氏(いなばし)であると紹介を受け、挙句つい昨日(さくじつ)(いとま)を言い渡されてしまったものの、かの山城国に()する現人神(あらひとがみ)様の身の回りの世話をするお役目を(たまわ)っていた身ともなれば教養が人並み以上になくては役目が務まらないだろう点を視野に入れれば(いや)(おう)でも納得がゆくというもの。

 ここのところ、人の見た目からすれば十七、八ぐらいなのにいざ蓋を開けてみたら子どもっぽい言動がやたらと目立つ、この世に生を受けて十年そこいらの狼に度々手を焼いていたものだから驚かずにはいられなかったものだが、しかしよくよく考えれば世の十七歳などというのは何処(どこ)もこの(よう)なものである。榊扇の里だって十二、三のまだ成人を迎える前の子供は甲高い声をそのままに発しているが、十五を迎えれば大人の仲間入りを果たし、大人に囲まれていく生活の中で自然と落ち着きであったり振る舞いというものは身についていく。

 身近にいた十代(なか)ばがまだどうにも子どもっぽい部分が目立つ者ばかりだったものだから忘れかけていたが、彼の歳の割の落ち着き用というものは目を引くものがある。が、やはり何もおかしな(ところ)はありはしない、普通のことだ。

 し、何よりも山城国(やましろのくに)に古くから住まう、稲葉氏と言われて相良には一つ、思い至る血筋があった。淀藩(よどはん)・稲葉家である。

 細かな家系というものは頭にはないが、それでも淀藩の稲葉家はかの戦国時代より系譜(けいふ)(つら)なる、歴代にわたり幕府の要職(ようしょく)(つと)めてきたとされる家系だ。葵の威光が途絶え、古い時代をまるで(なぞら)えるかのように藤原氏(ふじわらし)が政権を掌握するこの世において、武蔵国(むさしのくに)を追いやられた徳川の息が掛かった者の多くは、この山城国に逃げおおせたと祖父より教えられたことがあるが、時代が代わり主人(あるじ)を変わり、山城国の現人神に仕え続けているというのは、どのように解釈をするべきかは難しいところである。

 (いや)、それらは全て自身の憶測に過ぎぬことぐらい、勿論相良は理解しているのだが、それでもつい考えてしまう頭を止めることは、今は難しかった。

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