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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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三十話 暇

 (なまり)を纏い寝てでもいたのかと錯覚しそうになるほどに重たい躰を持ち上げる気力を、男は生憎(あいにく)と持ち合わせていなかった。とはいえ今一度微睡(まどろ)みに身を(ゆだ)ねてしまおうという気も沸くことはなく。

 ただ静かに、陽光を(さま)げる為に(もう)けたはずである窓掛けが、戸が微かに開かれてでもいるからか、隙間から入り込んでくる柔い風を受け、ゆるく揺らめいてみせるのだけは、寝台に身を預けた(まま)にそれを小さく目で()うた。

 それはどこか、気まぐれに物事を決める、その場の気分を優先し勝手な行動を起こしがちな、幼子(おさなご)の足取りのように見え()きることはない。がしかし、如何(いかん)せん男には床につく際、寝所(しんじょ)の窓を開けた覚えがなく。自身に(つか)える者達に、開けるようにと命じたこともない。

「……そう、かい。」

 取るに足らない、瑣末(さまつ)な事柄であることぐらい分かっていながらも一度気付いてしまった事に対し目を(つむ)ることは出来ず、男はそれに(いた)く腹を立てた。






 歳の割に細やかな気配りが出来る、親族に限らず周囲の者らからも将来を嘱望(しょくぼう)される青年であったが為に、君主(くんしゅ)の物言いに意成(おきなり)はただ眉を(ひそ)めた。

 が、自分が何を言ったとしても主人が耳を傾けることがない事を()むほど理解している為、強く口を(つぐ)み、命に(したが)うために寝所を後とした。

 

 

 一時(いっとき)の感情に流されて言葉を口にしてはならないというのは父の(おし)えである。

 父のまた父である祖父、祖父の父にあたる(そう)祖父の代より四代に渡り同じ主人に仕えてきた、意成は伏原(ふしはら)の血筋にあたる。

 親の親がそうであった為に、自身も同じ役目をただ(まっと)うせねばならない。そうでなくては先祖に対し顔向けができない。

 恥ずべきことをせぬよう、誤った道に進んでしまわぬよう、父に代わり山城国(やましろのくに)現人神(あらひとがみ)(ほう)じるようになり二十年は経とうという今、それが剥がれつつある自覚が意成にはあった。

「荷を纏めなさい、隆棋(たかよし)。」






 (いとま)を、出されてしまった。

 それほどの失態を自分はしてしまっただろうか、いや、仕出(しで)かしてしまったものだから暇を言い渡られたのだろうと、隆棋(たかよし)は自身に強く言い聞かせることでどうにか山を(くだ)った。

 山城国(やましろのくに)比叡山(ひえいざん)を結ぶ雲母坂(きららざか)で山を下ることが出来るのなら陽がある程度暮れようとも、陽が沈む西を目指し下るものだからいくらか心に余裕(ゆとり)を持って下山出来たのだろうが、その道を通る資格は与えられなかった。

 隆棋に許されたのは、急坂で知られる無動寺坂道(むどうじざかどう)であり、人の手が(いく)らか加えられてはいるものの、それでも夜が深くなれば獣がいつ姿を見せたとしてもなにも可笑しくはない、そんな(ほと)んど道と呼べる道のない道中であった。

 しかしながら近江国(おうみのくに)には母の弟にあたる叔父(おじ)大津宿(おおつしゅく)旅籠屋(はたごや)を経営している関係で、大津宿より北上した琵琶湖の(ほとり)で遊ぶことが多く、土地勘が隆棋には(そな)わっていた。だがそれももう随分と前のことだ。

 数えで七つになる頃には山城国の東に位置する伊賀国(いがのくに)の、伊賀国だけでなく山城国に大和国(やまとのくに)より藩士(はんし)子弟(してい)を教育する機関である崇広堂(すうこうどう)に身を寄せ、十年に渡り勉学に(はげ)んだ結果が現人神(あらひとがみ)に御仕えする、伺候(しこう)する許しを得られたのだが、まさか入山し二月(ふたつき)()たずして(いとま)を出されることになるとは思いもしなかった。

 これまでの費やした十年間はなんだったのだろう、という思いを胸に(いだ)きつつ、幼い頃のなんとも心持たない記憶をどうにか頼りに道を進む。

 無動寺坂道(むどうじざかどう)などと名があろうとも、今の山城国において比叡山を登るのに使われることがなくなった、林道(りんどう)を進むしかない。

 かつてはこの道中にある無動寺(むどうじ)勤行(ごんぎょう)をした(のち)真言(しんごん)を唱えたまま延暦寺(えんりゃくじ)境内(けいだい)の三つの区画、東塔(とうどう)西塔(さいとう)横川(よがわ)に、比叡山の麓に位置する日吉大社(ひよしたいしゃ)、他二百五十にも(およ)箇所(かしょ)を礼拝する、それを千日行う千日回峰行せんにちかいほうぎょうなる回峰行(かいほうぎょう)が存在していた。

 平坦な道で一日掛けて八里(はちり)、というのは歩き慣れた商人だから出来る芸当であり、七里と二十五町などと八里とそれほど変わらぬ距離を、登り返さねばならない山道修行と比べてしまうと、今の自分が置かれている状況も、これまでの十年間もそれほど苦ではないのかもしれないと、そう捉えることが出来るぐらいには前向きで()れた。

 というのも下山を(うなが)された際、側用人(そばようにん)である伏原意成(ふしはらおきなり)からまとまった金子(きんす)を渡られたからだ。

 代々山城国に君臨する現人神に御仕えしてきたという伏原の血筋の生まれであるというにも関わらず、意成は二月(ふたつき)()つことはなかったものの、短い期間ではあったが常に隆棋を気に掛けてくれていた。期待に(こた)えられず(いとま)を出されてしまったのは心苦しい限りではあるが、それは何も意成の()にそぐわない事であると説明まで隆棋は受けていた。

 現人神様が大変気難しい御人であるとは幼い頃より聞かされて育っていた。気に食わぬことがあえばそれが誰であろうとも関係なく見限る、そういう御人なの、だと。

『貴方は決して何も悪くありません。

 偶々あの御方の機嫌が悪かった、と。それだけなのです。』

 入山が決まった際も、散々周囲の者達から言われはしていたのだ。なんなら命を取られずに御役目を(まっと)うし年季(ねんき)()けることが出来ればそれだけで十分だ、と言われもしていた。

 ただ、でも―――、意成から最後の最後まで気遣われたものだから、やはり気負いしすぎるという事はなかったものの、隆棋は自分が何をしたから(いとま)を出されてしまったのか、それを知らされてはいなかった。

祈々(きき)様は一体、何がそんなに気にくわなかった、というのだろうか?)






 菊花開(きくはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 五話






 東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎは五十三番目の宿場町(しゅくばまち)になる大津宿(おおつしゅく)は、五十三の宿場町の中でも一番の大きさを(ほこ)る、宿場町の側面だけではなく北に位置する琵琶湖水運の港町、三井寺の門前町(もんぜんまち)という三つの町としての顔を持つ、それはそれは大きな町――大津百町(おおつひゃくちょう)と呼ばれていた。

 何より東海道のみではなく、東海道と同じ日本橋より京の三条大橋が終着点と定められている、五街道(ごかいどう)は中山道の合流地が一つ前の草津宿(くさつしゅく)であるものだから街道そのもの道幅も()し、道行く人も増えるというもの。

「戦国の世において、最後の天下人になられました家康公(いえやすこう)の時代。この地・大津は天領(てんりょう)になり一度は(いくさ)に飲まれ灰燼(かいじん)()しましたが、復興が(おこ)われ時代を(また)いだ今も変わることなく、山城国(やましろのくに)と―――」

 控えていた言葉をやや強引に区切るように相良は口を閉ざした。

 ついつい熱が入り話し込んでいたが、思えば途中からどれだけ小さくとも相槌(あいづち)の一つも割り込んでくることはなかったものだから、途切れた辺りから寝入っていたのやもしれない。当に船を()()えてもいい具合だろうに、それでもギリギリのところで踏み止まっているような、最早前後どころではなく左右にすら揺れる体に、動きにをなるべく(さまた)げてしまぬように手を添えて、横たわらせる。

「おや、急に静かになったものですから何事かと思えば、弥代さんはもうお休みにならえているのですね。」

「えぇ、どれほど前からまでは見ておりませんでしたので分かりかねますが、頭を打ちつけてしまう前に気付くことが出来て良かったです。」

「そうですか、それは何よりです。」

 御者台(ぎょしゃだい)側より顔を覗かせる絹の目線は低いものだ。 春原であっても腰ほどの大きさをした車輪である為に、荷台より降りれば随分と高さが変わる。

 右手の手綱(たづな)に繋がれている方がまんま右吉(ゆうきち)……であったか。中を覗き見る合間に差し出された右吉の顔を撫でつつ、彼女は落ち着いた様子を見せた。が、どこか誇らしげにも(うつ)る。

「足られましたか?」

「えぇ、どうにか!」

 弥代が寝入ってしまったことに気付くよりも前に自身が話していたように、相良達は(つい)に山城国の目前に位置する宿場町・大津宿に辿り着くことが出来た。

 榊扇の里を八月上旬に出立してから紆余曲折を経て、十日目のことである。箱根の宿において、歩き慣れていない者が進もうとすればそれで一月(ひとつき)、旅に慣れた歩き慣れているものであっても半月(はんつき)程は(つい)やしてしまうだろうと言った距離を、十日(とおか)ばかしで辿り着くことが出来たのは良好と言わざるをえない。

 最早ここまで来てしまえばそれで、道中に起きた諸々の顛末にはある程度目を(つむ)ることが叶うというもの。

 宮宿(みやしゅく)より船に乗る際に、持ち合わせが足らなくなると焦ってみせた絹も、あれから二日間に至っては相良が桑名宿(くわなしゅく)にて稼いだ分でどうにか(まかな)ったのもあり、今宵一晩ぐらいだったらどうにかお釣りが来そうであると、腰に手を当て胸を張りまでして分かりやすいぐらいに言ってのけるのだから余程安心したのだろう。

 終わりよければ全て良し、なんてよく知られた言葉があるが、何も京にたどり着けばそれですんなり事が終わるというわけではない。あくまでも京は中継点に過ぎない。恐らくは今後、京に入り次第(しばら)くの(あいだ)はこれからの準備を、より一層入念に旅の支度をし、京より更に西を目指すことになるだろう。

 これより相良達が目指す地は、幼少の頃は祖父に手を引かれることでし島国の方々へと連れ回された、共に旅を長くしていたものだが、その中で一度も訪れることのなかった、旧国と呼ばれる地である。

 どれほどの準備が必要となるかも、相良の持つ知識がどれだけ役立つのかさえも分からない、未知の土地を目指さねばならないのだ。気を引き締めなくてはならないのは分かっている。分かってはいるがそれでも、一先ずは目と鼻の先に位置すると言って過言ではない――京入りを果たす上で必ず通過せねばならない逢坂(おうさか)(せき)を前にこれまでの道中を振り返り、それを素直に喜んでもいいではないか、という気持ちに(ひた)る。

 時には肩の荷を下ろすことも必要、適度な息抜きは大切なことだ。

「――しかし、持ち合わせが、とあの時点で(おっしゃ)っていた割に随分と値が張りそうな御宿ではございませんか。やはり馬屋まで、となると高くつくものなのでしょうか?

 京に着きましたら、扇堂家(せんどうけ)の遣いの方よりいくらか渡される手筈になっていますので、お支払いいたしましょうか?」

「いいえ、それを受け取る資格が私にはありません。未熟者であることに変わりはないというのに、過ぎた発言が多かったと、この旅路が間もなく終わると分かった上で思い返してみれば、数えきれないぐらいの無礼を相良殿には働いたと思います。

 相良殿には多くを学ばせていただきました、あれらは全て勉強をさせていただけた、礼とでも思っていただきたく。」

「絹さん、貴女……。」

 など、と。先ほどのように分かりやすいぐらいの態度を、絹は(しお)らしい様子を見せたがその程度で相良が騙されることはない。

 大方(おおかた)、と立てる目星は、京で絹が身を寄せているという西条家(さいじょうけ)の既に隠居されているという先代当主に、此度の旅路での数々の失態なりを明かされるのを恐れているのだろう。間違っても相良の口から言わせまいと、今更遅いに決まっているのに見え()いたご機嫌取りのような、十日もあった旅路の中で聞いたこともない胡麻擂(ごます)りのようにも見える態度を見せる。

 そうは行くものか、と返べきかを相良は一瞬考えるも、一旦は油断させておいて詰めた方が絹であるならば効果は覿面(てきめん)であろうとその場限りで口を合わせることとした。

 油断したところを一気に知った相手に、雇用主に怒られてしまえ、と珍しく悪いことを考える。この後に及んでそんな態度でやり過ごそうなどというやり口を見せねかったらそれでいくらでも目は(つむ)ってやれただろうに、相良の気は変わってしまった。こうなればもうどう転ぼうとも(くつがえ)ることはない。

「その様にお考えとは(つゆ)知らず、二度もお尋ねする形となってしまい申し訳ございませんでした。」

「いえいえ、どうぞお気になさないでくださいませ。」

 相良は、その言葉にどうか甘えさせてもらう事とした。



 いつの間に寝ていたのだろう。

 弥代は目を覚ますとそこは先ほどまでゆらゆら揺られていた過ごし慣れた荷馬車の荷台などではなく、どこかの部屋の中、だった。

 部屋の四方には造りが少々違うものの、襖が三面に障子が一面、と。屋内、であることを疑う余地はどこにもなさそうだった。

 意識することなく体を起こせば、やたらと重たい何かが覆い被さるように体に乗っかっているのに気付き、(あか)り一つない薄暗さが際立つ部屋の中、細く開いた心持たない視界を駆使しつつ、上に被さる何かに手を伸ばし、それを掴む。

「……ふと、ん?」

 掛け布団、である。釣られて手元に目が行くと、最近日中はすっかり見慣れた秋色の羽織の袖口ではなく、恐らく無地の着流し、あるいは夜着に弥代は袖を通してある状態であった。

 着替えた覚えがない、布団に横になった覚えだって(まった)くないものだが、なんやかんや眠気に負けてしまい何もせずに弥代が寝てしまいそうになると、絹が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるなんて事が少なくとも二、三回はあったものだから、恐らくは彼女が今回も世話を焼いてくれたのだろう、とすっかり甘え慣れてしまったとは思わずして受け入れるに留めることとした。

 人に着替えを手伝ってもらうなんて、なんだかそれは彼女のようだな、と思いはしたが、それとは別にいつだったか詩良(しら)を相手に自分も手伝ってやったことがあるものだし、弥代がそうとこれまで思わなかっただけで案外それぐらいであれば普通の事なのかもしれない。

 確かに、一日中汗を掻いたままの格好で同じ部屋で、離れてはいるものの横並びの布団に包まられるのは、なんだか匂いなりが気になったりすることもあるだろう。

 弥代はそんなに鼻がいいわけではないが、獣というものは人に比べずっと鼻がいいなんてのはよく耳にする。人の身をしてはいるが元が狼である絹だ。やはりそういうことなんだろう。

(……あれ、でもそしたら俺は人……、になんのかな?

 だって、別に獣……じゃねぇし。え、でも鬼って人……なのか? …………あっ、分からねぇや)

「……考えるの()そ。」

 首の付け根に手を伸ばし、肩周りを数回強めに揉む。

 どこかにぶつけたりといった覚えもないのだが、妙に首筋が張っているような感覚を味わう。寝違えでもしただろうかと考えるが、箱枕(はこまくら)がそれほど得意ではない弥代が寝る時はもっぱら腕枕頼りだ。良かれと思った絹の手によって頭の下に箱枕を差し込まれた事があるが、見事に高さのある枕から頭を落とし、という目に遭ったのはここ最近の事で。しかしその時の感覚とは似ても似つかない。

(いや、別にそんなどうしても思い出してってわけじゃねぇんだけどさ、何だったかなぁって気になる、思い出せねぇのがちょっとばかし気持ち悪いなって、それだけなんだけどさ?)

 独り言未満。そんな事を寝起きの頭で思い浮かべながら、のろりのろりとした動きで布団の上に立つ。

 掛けられていた布団は剥ぎ取って、足元の方にぐしゃぐしゃにしてそのまま放置しようとするも、借りている宿のものではないか、と気付くとそうも言ってられない。

 伸ばしたばかりの膝を折り曲げて、布団の四隅がどこだか分からないから、とりあえずと掴んだ場所を起点に広げてみせる。

 こんな事をしなくてはならないと最初から分かっていたなら、ぐしゃぐしゃになんてしなかったのに、とわざわざそれは声にまで出して、ブツクサしながら広げた布団を前に再び手を伸ばし――、

「弥代」

「う……、わっぁあ⁉︎」

 広げきった隅にまで手を伸ばしたその時、聞き慣れた声が自分の名前を呼ぶのと、薄暗い部屋の中にぼんやりと見慣れた顔が突然浮かび上がって見えたもので、弥代は驚き後ろに転がった。

 正確にはついた膝が畳から離れるぐらいの勢いで、尻もちをつきながら転がったのだが、自分がどんな体勢になっているかも分からぬまま、急に変わった視界いっぱいの景色に戸惑いを隠せぬまま、足をばたばたとさせてしまう。

「なっ……なっ、……な?」

 体を、思い通りに起こせない。掴んだままの重たい掛け布団がそのまま先ほどと同じように上に覆い被さるものだから動きが制限されているのだが、そんなの今の弥代にはこれぽっちも理解出来ない。

 ひたすらに同じ音だけを発して、状況を理解できずに置いてけぼりを喰らったままの頭を必死に動かそうとするのだが、それが難しいったらありゃしない。

 そして――――、

「なんでお前が此処に()んだよッ‼︎」

 それから(しばら)くして、やっと自分が今どんな状況でいるのか、どんな体勢をしていて、なんでこんな事になっているのかにまで目を向けることが出来た弥代は、声を(あら)げ、突如目の前に現れた男・春原千方(すのはらちかた)に目を向けた。

「……俺か。

 ……相良と三ツ江絹に頼まれ、弥代を……見ていた。」

「頼まれ見ていたって、なんだよっ‼︎ンな理由だけで片付けさせねぇぞ俺はッ‼︎」

「片付けさせない……とは、納得がいかない、という意味に違いはないだろうか? しかし、納得してもらわねば困る。それ以外は何もない。」

無い(ねぇ)わけあるかっ⁈ ンな至近距離で見てる必要があったのかって俺は聞いてんだよっ‼︎」

「そうならそうと初めから――」

「そうならそうと初めから言えっつうんだろお前はよぉおおッ‼︎ もういい加減テメェの手の内は理解してんだこっちは! 先回りしてやったぞ、どうだっ‼︎」

「……。」

「な……っ、なんだその顔は?」

 顔といっても、はっきりと見えているわけではない。が、どうせまたなんとも言い表せないような、絶妙に何を考えているのか分からない、複雑な表情をこの男は絶対にしているに違いないのだ。そうに違いない、と自分に強く言い聞かせ、弥代は変わらず応戦の姿勢を見せた。

「弥代、は」

「お、おぅ?」

「弥代は凄い……な。」

「…………、」

 なんとも気の抜ける返しだ。とても腹の奥がギュッと鷲掴みにでもされたような感覚を味わう。気分のいいものではない。名付け難い、形容し(がた)いそれはなんと呼ぶのだろうか。弥代はそれが分からぬまま、拍子抜けてしまい張っていた肩、だけでなく全身の力を抜き、掴んだままの布団に身を倒す。

「も……もぅ、()だお前……ほんと、何なの?」

 調子が狂うんだよぉ、と弱音も吐きこぼしてしまう。肌触りのいい夜着の袖口が顔に触れると、なんだかとても柔らかい、いつだったかに()いだことがあるような(こう)の薫りがする。

「名前、を――、」

「え?」

「また、よく分からない呼び方ばかりでは反応に困ってしまう。」

「…………。」

 今、言うか?とツッコミたい気持ちをグッと(こら)える。(いや)、今に始まったことではないのだろう。目の前の男の優先順位は弥代が普段考えるものとはまるで違う。理解の範疇を軽々と飛び越えている。理解し難い、どれだけ向かい合おうとしても分かり合える未来が見えない、そういう思考の持ち主だ。

 それでいてやたらと(こだわ)りが強く、自分の望む答えがない限りは(かたく)なに首を縦に振らない、どうしても融通が効かない相手、で。

「……今、呼ばなきゃならねぇ必要があんのかよ?」

「そう聞かれると、それは恐らくは無い。」

「ねぇのかよ……じゃぁ、」

「必要がないと、呼んではくれないのか?」

「…………、」

 違う、そうではない。そもそもがそんな話なんて一切していないというのに、調子が全て呑み込まれてしまう。違うのに、そうじゃない、そんな話がしたいんじゃない、と振られた弥代自身、(いや)、間違って振った弥代自身、分かっている……はずなのに。

 無理やりにでも、それこそ必要がないと当人が返してくるぐらいなのだからここで切って、突っぱねて元の方向に話の(かじ)を切り直したって悪くないはず、なのに。それがどうしてだか出来ない。弥代には、出来なかった。

 だから―――、


 

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