二十九話 娯楽
人に仇を成す妖――人ならざる存在を人の世から退けることを生業としてきた、討伐屋などと物騒な肩書きを背負う男等が堪らなく絹は気に食わなかったというのに、まさかここに来て、もう間もなくこの旅路は終着点を迎えてもいいぐらいまで差し掛かった今此処で、自分の中でのみそれが大きく覆ってしまった事に気付き、焦りを覚えた。
否、焦りもする。焦ったことを咎められる筋合いなんて今のところ絹には一切ない。
それ……ぐらいに。そう……と、思えてしまうぐらい。それはなんとも……、なんともまぁ、願わくば旅が終えた後も暫くの間はその様子を見ていたいものだ、と我儘を全面に押し出して望んでしまうぐらいには、少なく……とも。
(これが俗にいう、惚れた腫れたは当座の内という……もしや一番熱い、盛り上がる部分なのではないでしょうか知世殿ッ⁉︎)
目の前の光景に、絹の心は一瞬にして釘付けになった。
「お待ち、ください弥代さん、ま……、待って!」
立ち上がり一歩を駆け出した弥代は早かった。
相良が裏側からその姿を見せてからは、それ以前の自分一人では手のつけよう、抑えようのない様子から一変。それでもやはり納得はいっていないという様子を見せてはいたが、どうにかその場に座り込んで、数日前から態度を変え随分と懐く、信頼を築けたのだろうと思っていたモノを急変、牙を剥くように噛みつかんばかりの勢いに絹は気圧れてしまった程だった。
けれども駆け出した弥代の、その後ろを絹は追わずにはいられなかった。ここに来て全てすんなりと認めてしまうのは大変癪であることにやはり代わりはないのだが、それでもこの場においてのみで済むのであれば、これ以上弥代が荒れる姿を見ずに済むのならそれで、それで此度の旅路でろくに知りもしない東海道を調子に乗って選び、度々弥代たちに迷惑を掛けたことを、それらを全て謝らせてほしい。
届けばいい、と思っていた。届いてほしい、受け入れてほしい思いが絹にはあった。大袈裟なことを言ってしまうとやっぱり絹は弥代に恩を感じていたのだ。結果だけを見た時、結局はあの日吉野宿において弥代が扇堂雪那を助けその翌日、絹の父にあたる三ツ江文左衛門が彼女と数年越しの再会を果たしてしまったことでその晩に父は狼の群れに襲われ命を落としてしまったわけだが、絹はそれを恨んでいるわけでは断じてない。
これらはもしも、の話でしかないのも分かっているが、もしあの日弥代が吉野宿において暴漢らに襲われそうになっている扇堂雪那を助けず見過ごしたとして、相模国の半分近くを占める榊扇の里の、その地を統治する扇堂家の一人娘が吉野宿近郊で行方が分からなくなったとなれば、屋敷の手の者が後になって押し寄せてきて、最悪の場合を見越した上で捜索が行われていたやもしれない。
そうなっていたとして、父の耳に彼女の名前が入らぬわけがなく、ずっと吐き出せずにいた後悔を、長年背負い続けてきた己の過ちを、その罪を明かすこともないまま一人隠れ、打ち崩れていたやもしれない。父、三ツ江文左衛門は決して強くないことを絹は分かっていた、から。
だから間違ってもそうならずに済んだ、少なくとも長い間溜め込み続けていたそれらを出しきることが出来て、幾分かは救われたと絹はそう思うこととした。
穏やかな表情を浮かべ深い眠りにつく父を、その旅立ちを見送ることが叶ったのは、その間に弥代が絹の同胞にあたる狼の群れを引き付け、対峙してみせてくれたからだ。
それは単に、結果に不満を抱いたところでいつまでも引き摺って、それで歩みが滞ってしまうのだとしたら、端からいくらか我慢して嘘でも満足してしまった方が幾分かマシである、と。
自分と同じ背格好だけでなく似通った顔をした、血の繋がりはないものの、姉妹と呼んでも互いに嫌な顔をすることはない武蔵国の生家で今も母の面倒を見ている彼女の言葉が事前にあったからかもしれない。
だから絹は、弥代との再会をしても決して恨み言を並べることはせず、自分の心が楽になる、感謝の言葉を伝えようとしたのだが、掛川宿で相良と一晩中泥んこ塗れになるまで語り明かした翌日には時間を見つけてそんな言葉を横並びで茶を飲みながら送ったのだが、予感していた通りに弥代はあまりそういったのを受け取るのが得意ではなく、どうしても直に受け止めてもらえなかった。
父も、そうであった。直接送られる感謝の言葉をそれほど上手に受け止めることが出来ない、不器用な人であった。
でも、なら、言葉を直接送る以外の術を絹は知らないことはない。自分が心の底から恩を感じているのだと、それが伝わるまで出来る限り、相手にとって良いと思えることをし、尽くそうと絹は行動に起こした。
だか、ら――
「言えよこの大馬鹿野郎ッ‼︎」
それは駄目だ、と縋るように腕を掴み引っ張る。絹が掴んだのとは反対の、弥代の利き腕である左、その指先が僅かに彼の、春原の前髪を掠めたように見えた。
「だめ、駄目ですってば‼︎殴っちゃだめ……掴みかかっちゃいけませんッ‼︎」
「離せよっ、お前に関係ねぇだろ!」
「自分の恩人が目の前で他の人を殴ろうしているのを黙って見過ごすことなんて出来るわけがないでしょう⁉︎」
「ンなテメェの都合なんか知るわきゃねぇだろッ!いい加減離せッ‼︎」
「絶対に離しませんッ‼︎」
頑なに、絹は譲らなかった。譲ってなんか、弥代の思い通りにさせたくなかった。
同時に、自分が弥代を必死になって止めようとしているのに弥代が駆け出すそれを見ていたはずなのに未だにその場からきっと一歩も動いていないのだろう相良に対し明確な苛立ちを感じていた。が、今はそれが力になる。来ないと分かっている男に助けを求める、頼るようなことは絶対にしない。里の西門で久方ぶりの再会を果たしてから数日間、まともに会話すら出来ないぐらいまで思い詰めた様子の弥代に、絹は何もしてやれなかったから。だから、今この時ばかりは、と意固地になる。出来る精一杯のことで、どうにか弥代を、弥代が春原に殴り掛かろうとするそれを止めねばならない、と。それなの、に―――、
「少しぐらい俺を頼れよッ‼︎」
弥代の言葉は絹が想像していたものとは全く違っていた。
鳩が豆鉄砲を食ったようという、豆鉄砲を食らって呆気にとられる鳩の様子を示す言葉が確か存在していた気がするが、元々鳩は豆が好物だ。それが何故、好物である豆を受けてキョトンなんてしてしまうかと言われると、それは豆を入れて勢いよく撃ち出す鉄砲が主な原因と考えられる。
とはいえ、鉄砲などと言いはするものの、火を使う物騒な代物ではなく、あくまで子どもの遊ぶ玩具の類である。当然、子どもが遊ぶものがそれほど強いわけがない。
ただ玩具であっても勢いはあるもの。
撃たれた衝撃と、目の前に転がる好物の豆を見て、それにどうしていいか分からず、頭が働かず、驚き呆れることしか出来ない。ざっとそんなところではないか、と絹はどうにか頭だけは働かせることに成功し、自身が目の当たりにした光景に最も適しているはずのそんな知識を引っ張り出し、だから、つまり。
「………えぇ?」
それでも頭は追いついてくれない。
菊花開、霽月の徒路 四話
「大馬鹿野郎というのは俺の、ことか?」
この状況を前にしてよくそんな返答が出来たものだと、顔まで見る余裕はなかったものの聞こえただけで十分すぎるぐらい感心し、喋る余力があるのならどうか弥代を止めるのを手伝ってほしいものだと絹が焦っていると、続いて彼の口から飛び出てきた言葉は何とも拍子抜けする、言葉で。
「呼ばれていると思わなかった、すまない。」
「本気で仰っておられる⁉︎」
なんとも反応の薄い男だ。
数日の間、弥代と相良が夜通し外で話し込んでいた間、その面倒を暫く見てほしいという形で相良から預かったことは一度や二度はあったものだが、一緒の席で気を遣いいくら絹が話し掛けようとも、まともな回答が返ってきた試しは殆んどない。
なんなら自分が声を掛けられているのかすら分かっていない、分かっていても非常に反応が遅れるもので、早々にお手上げだと放棄したのは言うまでもない。
必要に応じた場合のみ、と限られてはいるものの人ならざる存在を斬り伏せる、人に仇を成す存在に対し容赦なく刀を振るうような人間だ。人ならざる身であることを自覚している絹は、人に害を及ぼしてはいないものの、もし及ぼすような事があればそれで、彼にとって斬り伏せる、刀を振るわねばならぬ対象となりかねないと思えばゾッとすることもあった。
極力、掛川宿での朝の一件もあり関わらないように、と努めていたつもりだったが、あまりにも拍子抜けせざるをえない返しを前に、絹は春原目掛けて声を荒げてしまった。事故である。
いや、しかし……だとしてもここでやっと弥代が自分のことを言っているのだと春原が気付くことが出来、それで少しでも弥代が落ち着きを見せてくれるのならそれで、と絹は淡い期待を抱くのだが、淡かったのがいけなかったのか直ぐに形が整うよりも事もなく、跡形もなく弾けて飛んでしまう。
「お前以外に誰がいんだよっ⁉︎ 俺がお前以外にこんなに怒ってるの見たことあるってーのかよテメェはよ!」
「俺のことだと分かったからこうして返すことは出来るがこれまでは分からなかった、だからすまない。」
「答えになっちゃいねぇんだよ、いま俺はお前に対して、俺がお前以外にここまで怒ってるの見たことあんのかって、それを訊いてるんだよ!お前が今したのは一個前の続きなんだよ、何いつまでも前の話しを引き摺ってやがんだおいゴラァ‼︎」
「……ない。」
「何がっ⁉︎」
「弥代が、俺以外に怒っているところを、見たことはない。」
「そうだろう、そうだろうな絶対に? 記憶にねぇもんよ、お前以外にここまで腹立ったこと、俺一度もねぇもんよッ! でも……よ、だったら、ここまでき来たんだからいいかげん分かんだろうな、俺が今誰のせいでこんなに怒ってるのかがさぁッ⁉︎」
「…………俺、か。」
「当たりだよ、やっとかこの馬鹿がっ‼︎」
まだまだ商人としての腕は未熟な方である、経験がやはりどうしても浅い絹ではあるが、先日の大井川における川越人足らとの交渉であったり、日々旅籠に世話になる際の微々たる交渉であったり、とそれなりの会話術、見極め方、引き際というものは西条銀嶺を手本とし学べているはずだ。そんなであるものだからそれなりに……やはりそれなりに腕はある方だと、実績が何もないということもなく積み重ねられているはずなので、何も不安に感じる必要などないはず、なのに。
何とも幼稚すぎる会話。否、会話と読んでいいのかすら分からない、これを会話として成立――認めてしまっていいのかさえ目の当たりにすると自信を失いそうになる、そんなやりとりを前にして、世界の広さを知った気になってしまう。
この世にはまだまだ、絹の知らぬことがいっぱいあるのだろう、きっと。
「いえ……、いえいえいえいえいえ!
ちっ、違いますっ‼︎ そうではありませんっ、御二人とも喧嘩……はッ?」
否、喧嘩ですらない。こんなのは一方的な暴力……脅迫……いや、唯の罵倒かもしれない。掴み掛かりはしないものの、今も右腕に絹が引っ付いたままであるために春原に対し弥代が飛び掛かる、ということはないものの、詰め方がまるで容赦がない。遠慮を知らない、自分がもしそんな言葉を浴びせられればそれで、それをほんのちょっと想像しただけで何だか気持ちが下がってしまいそうになるぐらいには、それぐらいひどい物言いで。なんだか次第に、反応が薄いから傷ついているように一切見えないだけで、表面に現れないだけで彼は、春原はとても傷ついているのではないか?まで絹は考えてしまい、同情を……せざるをえない。
届かぬと分かっていても、無謀だと分かっていようとも、それでも二人の間に今からでも割って入り、それでどうにか止めることは出来ぬものかと絹はもうずっと頭を悩ませているのだが、状況は一向に良くなってくれない、寧ろ悪化の一途を辿っているようにすら見えつつあった。しか、し――――、
「一つ、訊いてもいいか?」
春原が、口を開いた。
「一つ、訊いてもいいか?」
「ンだよ、言いてぇ事があんなら好きに言やいいだろ、俺だってなぁ、テメェに言ってやりてぇことがごまんとあんだ」
「千方……と。もう、呼ばないのか?」
「…………ぁ?」
(………ぇ?)
絹は、一部始終を見ていた。
勢い任せに踏ん張って弥代の右腕を掴んでいるものだから、力を込めていないと弥代を抑えることが出来そうにないものだから、ぐっと目まで瞑って、そうしてどうにかこれまで止めようと必死になっていたのだが、弥代の一方的な物言いに堂々と釘を打ち込むように、春原が口を開いたのだ。
一瞬、の出来事ではあったのだがそれでも、それでもほんの少しだけ弥代の勢いが弱まったのを感じた。掴んでいた腕の力も同じ時に弱まるのが分かったので間違いはない。
そんな事があったものだから、瞑っていた目を開けて、絹は、自分がくっついている弥代と、今も尚荷車の車輪に少し凭れ掛かるようにして過ごす春原を少しの間だけ交互に見比べて、そして――、続いて春原が発した、わざわざ彼が弥代に訊ねて、断りまで入れた上で切り出した言葉を聞き入れるのだが、
(ち……かた? とは、なんでしょう?)
思わず首を傾げてしまいそうになるほど、聞き慣れぬ言葉、だった。物の名前、だろうか?とも考えたが、呼ばないのか?という訊ね方からして、間違いなく春原の呼び方……だろうか?生憎と相良から紹介を受けはしたものの、相良はずっと春原さんと呼ぶばかりで、それ以外にどう呼ばれているのかを絹は知らない。否、そうではない。そうではなく、そんな事を、もし仮に絹の知らぬ春原の下の名前、家名ではない下の名が“ちかた”、という名であった場合、何故そんな事をこの場において春原は弥代に訊ねたのか?とそちらの方が重大だ、先ずはそれが何故であるかを考えねばならない。いや、分からない。何も必ずしも春原の下の名前が“ちかた”である保証など、そんな確信は存在しない。もしかしたら名前ではなくて、二人の間にある特別な秘密の呼び方、なんて可能性だって考えられなくはない。二人の間にある特別な、秘密の呼び方……、いや、もしそんなものがあったとして、それはそれはつまり、とはいえ必ずしもなんて言い切ることは出来るわけがないのに、でも、だから……えっと……、
ぐるぐる、ぐるぐると頭を必死に働かせていると、絹はふと自分が掴んでいる左隣の自分よりも頭一つぐらいは小さそうな小柄な存在である弥代が、その身をプルプルと震わせているのに気付いて、しまった。
「なっ、なに………、い、いきなり訳が……、訳の分からねぇ事をテメェは口走……ってッ‼︎」
「…………。」
「いきなり、ではない。前々から気になっていた。
失せ物探しを弥代が手伝ってくれた、あの後からずっと本当は聴きたかった。千方、と弥代は俺を呼んだ。が、それから弥代は俺の事を家名ですら呼ぶことはなくなった。……だからずっと困っていた。お前が俺をなんと今後は呼ぶのか、なんと呼ばれるのに対し、俺は返事をすればいいのか。それが分からなかった。それを知りたいと思っていたんだ。」
「ぁ……んぐ、ぅ…………ぅうッ!」
初めて、目にする反応だ。
これまでの勢いは一体どこへ消え失せてしまったというのだろう?と思わずにはいられない変わりようを前に目を疑うほど。が、嘘ではない。少なくとも絹の知らない弥代だ。そんな、本当に言うほどの付き合いが、それほど長く一緒にいたというわけではないから自信はそこまでないのだが、だとしても、そうだとしても今の弥代の反応は、弥代がそんな反応をするなんて、という驚きも含めて、意外である、知りもしなかった、となってしまうそんなもの、で。
否、そうではない!
そんな事はどうでもいい。どうでもよくないのかもしれないが、少なくとも今の絹にはそんな事は本当に、本心からどうでもいいんだ。今の絹の関心が一直線に向いているのは、目の前にいる二人のその【関係】、だ。
春原は間違いなく、家名ですら呼ばなくなった、と言った。そんな言い方をするぐらいなのだから、先ほどから何度か出てきている“ちかた”の三字が彼の春原の下の名前であることは疑う余地がない、だろう。となれば、なんだ?弥代は以前、それまではずっと春原の事を家名で呼び続けていたというのに、それが春原の言うところだと失せ物探しを手伝ったその日に、突然弥代から“ちかた”と呼ばれ、今後も“ちかた”と呼ばれるものだと春原が思っていたらそれに反し、春原の期待を裏切る形でお前だのテメェだ、大馬鹿野郎なんて到底人を呼ぶとは思えない呼び方を春原に浴びせ続けてきたことになる、わけで。
それは、なんというか……。いや、暴言である事実に代わりはない、決していい行いではないのはそうなのだが、絹の知る限りでも弥代は中々素直と呼べる性格はしていない。だから、なんだかそれは……それは詰まるところ、なんだか照れ隠しのように見えて、しまって。
否……、否、それはあまりにも失礼かも、しれない。失礼かも、しれない、けど……けど、でも、一度でもそうなんじゃないか、というそういう目で見てしまうと不思議とそうとしかもう見えなくなってきてしま、う。それがどうしてなのか、何で急にそんな事を考えるようになってしまったのかが絹には一切心当たりはないが、でもこれらの波に近い何かは、銀嶺の孫娘にあたる、歳のころが近いことでよく話し相手になっているツユや、姉妹のような関係にある知世がやたらと盛り上がり前のめりになって話していた、そういう話に近いものをどうしても感じれてしまう。
そうで、ないかもしれない。絹が知らぬだけで決して二人はそのような仲ではないかもしれない。でも、でも……、そんなただの男女が仲がいいというだけで下の名前で呼び合うなんて、そんなの……、それだけでなんだかそれは、それはもっと見ていたい、と掻き立てられるものがある。何よりも弥代の見たことがない反応がとても、とても面白い。新品の玩具を与えられた子どもがそれにばかりやけに反応がよくなる、喰らいつくようになるのがなんだかとても頷ける。それときっと同じだ。「い、今そんな話ししてたか俺はっ⁉︎」
「していなかった。しかし、訊きたいことがあると俺が言ったのに対し、弥代は言いたいことがあるなら好きに言えと言った。だから言った……だけだ。」
「そういう話しをしてんじゃねぇよッ!」
「……分からない、話しに違いはない。」
「違ぇんだよッ‼︎全部がもう違うのっ!分かれよッ⁉︎」
「分かるように言ってくれないと困る。」
「気が合うなぁ⁈俺も今すんげぇ困ってんだよッ‼︎」
「そう、か。……一緒、だな。」
「なんだその顔はぁあああああッ‼︎」
最早絹の入り込む余地はどこにもない。弥代が春原を殴らないように、それを止める為にここまで来たというのに。相変わらず春原に対する弥代の物言いは酷いものであるというのに、つい手が出てしまうといった感じは一切なく。であるならば、といつの間にか掴んでいた手を離して、絹は一歩引いた位置から二人の様子をただ見ることに決めた。
「違ぇんだよ、俺が言いてぇのはそうじゃなくってッ‼︎」
「そうか、違うのか。それなら分かるように教えてほしい、頼む。」
「いや頼むって……、そ、それなんだよ?それ……そいつをだからさっきみてぇな時に俺に……ッ、」
「弥代に……頼めばいいのか?」
「……そ、そう。だから……え、えっと……、う、うん。」
「……そうか、分かった。」
そもそも、不思議ではあったのだ。
榊扇の里を統治する扇堂家、その七代目当主である扇堂杷勿より命を受けたことで、元より面識があったのもあり弥代の旅に同行する、弥代の気分転換に付き合う形でついてきたという二人の内、相良と違って春原という男は本当に後ろをついてくるだけで、何をするでもなく一歩下がったと場所に立っているだけ。何のためにいるかも正直絹は分からなかった。
でも、ここに来てそれが、もしかしたらそうなんじゃないか、と思えてきてしまう。考え過ごし、少し好きに想像をしすぎている自覚がないわけではないが、だがもう退路はどこにもない。
何よりも春原を前にし、徐々に弥代の勢いは剥がれ落ちていっている。そうだ、やっぱり最初のあれはちょっと度を越した照れ隠しで、本来は彼の事を下の名前でわざわざ呼ぶぐらいには、そういう多分、まだ名前もつけられないような甘酸っぱさでも酸っぱさの方が優ってしまうような、そんな関係、で。
「ん………ふっ、ぅ」
絹は、ただ口元を隠し小さく震えることしか出来なかった。




