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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
中篇・菊花開、霽月の徒路(全50話)
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二十八話 踏鞴

 伊勢国(いせのくに)近江国(おうみのくに)国境(くにざかい)(また)ぐように()する鈴鹿山(すずかやま)の鈴鹿(とうげ)は、古くより京の(みやこ)東国(とうごく)を繋ぐ道とされ重要視されてきた。

 しかし八町二十七曲はっちょうにじゅうしちまがりと呼ばれるほど山深い山道(さんどう)が続く、海沿いの値が高い東海道をわざわざ(かい)し京を目指す金目の()を持った商人などは特に山賊に狙われると同時にとても襲われやすく。

 その為、峠の(ふもと)に位置する坂下宿(さかしたしゅく)には鈴鹿峠越えを控えた、かつては国に(つか)えていた役人であったり、身分の高い者のみが利用することが出来る本陣(ほんじん)――大旅籠屋(おおはたごや)が複数、旅籠屋(はたごや)の数だけを見ても(さか)えていた頃は五十件近くが(のき)(つら)ねていたそうだ。

 また一時(いっとき)は、峠越えの(あいだ)だけ用心棒を(やと)ったり、なんて事もあったそうだ。

「――でもさ、見た感じそんなにデカェ感じもしなかったよさっきの場所()?」

「えぇ、ですからあくまで以前は、の話に御座います。」

 船着場である宮宿(みやしゅく)桑名宿(くわなしゅく)は栄えていましたでしょう?と相良は続けるものだから弥代は納得した。

「船の数も前に比べたら少なくなった、って相良さん言ってたもんな。」

「そうです。

 ですが、船が出ると分かれば弥代さんもあの場に居合わせ直接目にされた(とお)り、それを利用したいと人が多く集まるものなのです。」

「そう、……なんだ。」

 凄いなぁ、なんて弥代が感心してしまうのはこれが初めてではなく、今日だけでもう四、五回目になる。

 相良は弥代の知らないことをいっぱい知っている。これまで中途半端に知ったかぶりをして、どうにか必死に頭の中で端の短いモノ同士を無理くり繋ぎ合わせて会話を成り立たせてきた自分なんかとはまるで違う。

 いつぞやに芳賀(よしか)が言っていたように、相良のそれは祖父が知識人(ちしきじん)であったが為に、それを幼い頃から多く聞かされて育ったものだから当たり前のことのようによく知っているのだろう。

 芳賀もまた、相良が何を言っているのか分からないなんてのは(つね)であり、でも分からないから教えてほしいのだと()えばそれで、一つ一つ丁寧に相手が分かるまで目線を合わせて教えてくれる。

 以前それを思い出したのは確か駿河での一件の際で、その時は自分には関係のない、そんなものを知ったところで何の腹の()しにもなりはしないと関心を示すことはなかったが、今の弥代はそんなことはない。

 耳を傾ける。聞き逃してしまわぬよう意識を向ける。自分の知らぬことをいっぱい知っている相良の、自分を見捨てはしないと手を掴んでくれた彼の、その言葉、一言一句(いちごんいっく)に集中する。

 それは(たん)に、自分にここまで寄り添ってくれる、手を離さないでいてくれる相手がこれまでいなかったものだから、それがやっとここに来て得られた、反動なだけかもしれない。が、だとしても弥代はそれでも良かった。

 そうかもしれない、と分かった上で、自覚を持ってして相良のことを目で追う。目を向ける相手がいるというのは、それだけで気が楽だった。






 鈴鹿峠(すずかとうげ)は山深い山道(さんどう)が続き、山賊に道すがら襲われやすい、というのは既に相良の口より聞かされてはいたものの、本当に山賊(それ)と対面することになるなんて弥代は考えてもなかった。

 結局のところ東海道(とうかいどう)での旅はそれほど経験がない、()いて覚えた程度の知識しかないはずの絹の口からも、今日の(うち)に峠はどうにか越えたいものだという言葉もあったが、それは直前に添えられ、昨日の遅れを取り戻す、と。言葉の通りぐらいにしか弥代は捉えていたのだが実際はそうではなかったようだ。

 所詮は山の道。これまでは馬を走らせることが出来た平坦(へいたん)な道はどこへやら。挙句、峠という字が山に(うえ)(した)なんてのを添えるだけあって、高さのある山そのものを直接登らねばならない、というわけがないそうだが、山の向こう側に行く為にはいくらか高い場所まで目指して、そうして(くだ)っていかねばならない。

 その為に一本であるはずの道なのに、道のりに(したが)って七、八回は大きく曲がったような、そんな頃合いに山賊(彼等)は弥代達の前に姿を現した。



 姿を現した、というのは正しくはない。

 山道の脇の切り(かぶ)に深く腰を下ろした男が一人、弥代らをまるで品定めでもするかのように見てきたのだ。坂下宿(さかしたしゅく)を出てから既に一刻(いっとき)以上は()ぎていようという頃、これまでの道中に誰かとすれ違う事も、()き違うこともなかった為、遠目(とおめ)ながらもその男を視界に収めて()ぐ、弥代は珍しいものだと思いはしたが、それを疑うことはなかった。

 榊扇(さかきおうぎ)(さと)での暮らしが始める以前は、根無草として方々へ宛てがあるわけでもないのに足を運んでいた為、長旅や長時間歩くというのにあまり抵抗があるわけではない弥代であっても、東海道の中でも箱根峠(はこねとうげ)()ぐ難所とされる鈴鹿峠(すずかとうげ)はとても疲れる。

 箱根峠の方がまだいくらか道が整っていたもので、絹の厚意に甘える形で荷車に乗り込んでいる(うち)に難なく越えることが出来たのもあり、自分の足でこうして山道を進むのはこれが初めてに近かった。(六月の暮れに相良を追い駿河を目指した際は、そもそも関所を揉めずに越えれるかも怪しいところだったので、通過することなく関所破りに直接山を移動した。一人旅の頃も同じようなことばかりだったので意識して山道(さんどう)を進むのはやはりこれが初めてに弥代は思う)

 山賊が出る、という話を聞かされてはいたものの、パッと見る限りでは得物(えもの)らしい得物を持っているようには見えない。

 それこそ近くの集落か、自分達がさっき出た坂下宿(さかしたしゅく)の近隣に暮らしている者で、道中に丁度いい切り株があるものだからそこで休んでいるのだろう、ぐらいに弥代は(とら)えていたのだがそうではなかった。

 弥代の次にその存在に気付いたのは、左吉(さきち)右吉(ゆうきち)と名付けられた馬の足元なりに目配せを忙しなくしている絹以外の、相良と春原の二人で。二人が気付いたのはほぼ同時であったように弥代には見えた。

 が、相良はただ一言、「目を合わせてはなりませんよ」と小さく(はっ)するのみで、春原に至っては気付いた以上の素振りは一切見せることはなく。

 だから弥代はただ、相良の言う通りに決して相手と目を合わせないようにだけ注意して、そうして切り株に腰を落ち着かせた男の前を通過し掛けたのだが、そこで声を掛けられたのだ。

『珍しいモンだねぇ、こんな峠道に馬だけじゃない、荷馬車なんて邪魔になるモノで通ろうとする旅の連中はねぇ?』

 すれ違い際、弥代は羽織の裾を掴まれた。

 目を合わせないように、としていたのが裏目に出た。視界に収めていればそれでいつの間にか目が合ってしまうんじゃないか、と男そのものを見ないようにと逸らしていたのだが、距離感を測り間違えでもしたのか、随分と離れていると思っていたのが嘘のように、羽織の裾を掴まれたのだ。

 ギョロリとした目が、脂ぎっているからか随分と重たそうな前髪の隙間から(のぞ)きこむように見てきて弥代は目を合わせてしまった。

 手を掴まれたわけではない。払おうと思えば簡単に払い退()けることが(かな)う相手に違いないのに、初動(しょどう)が遅れてしまった。見ず知らずの警戒心を抱いてもいなかった相手にいきなりそんな事をされたものだから頭が追いつかなかっただけかもしれない。

 しかし相手の男はそんなのお構いなしに、掴んだ弥代の羽織を指の腹で何度も(こす)り、挙句上から下まで舐め回すかのように()てきた。

 そして、

『私の()れに何か御用ですか?』

 驚き、固まる。裾を掴まれて、それから途端に(にぶ)ってしまった体が、頭が急に動き出したのは、そんな声と、肩を強く後ろに引かれたからだ。

 品定めでもしているかのような舐め回す視線と声掛けに、それに食い気味に強く(はっ)せられた言葉が弥代の耳に届く頃には、既に男の手は弥代から離れていた。

 と思えば、後ろに強く引かれたもので一歩二歩下がりつつ蹈鞴(たたら)を踏む、ぐらぐらと揺れる弥代の視界には、相良の後ろ姿が見え。弥代がそれに安堵したのも(つか)()のこと。

 男から距離は離れたことで視界は(ひら)けたものの、自分にしたのと同じように相良を見た後、男の口角が釣り上がった矢先、(ふところ)から小振りな塊を取り出し、それに何かを打ち付けるような動作をするのを弥代は見た。

 ――カアーン、と周囲に音が響く。

 何かを(しら)せる為の合図のようではないかと思った次の瞬間には、近くの茂みがガサガサと揺れ、その奥より複数人の男達が――強奪者達が姿を現したのだ。



「ほ、本当に出たーーッ⁉︎」

 蹈鞴(たたら)を踏んですぐ(そば)だというのに、更に後ろへと弥代は退()がってしまった。

 ここまで()れば嫌でも分かる。逆にここまで()て弥代はやっと男の正体に気付いたといった様子だ。正体に気付かずともせめて危機感は持って過ごしてほしいものだと考えつつも、相良は静かに辺りを見渡しつつ、今の状況をどう(ひょう)するのが適切であるかを思い浮かべながら、溜め息を一つ(こぼ)し、そうして背負っていた荷を()ろし、足場の不安定な場所で風呂敷を広げた。

 細々とした荷とは別に、大判の風呂敷の七割近くを()めている、それでも一回り小さいぐらいの細長い(つつ)みを手にかけた。そうして、二本の刀の内、厚めに柄巻(つかまき)(ほど)している、青緑をした(うるし)――青漆(せいしつ)に包まれている鞘を(つか)み、それを後方にいる春原目掛けて投げた。

 後ろを見ずに投げるなどという芸当が出来るわけもなく、それでも距離が少々あるため、一般的な刀よりも重い造りをしている刀を(ちゅう)(ほう)るというのは、それだけでも気を遣う。

 直接手渡しをするよりも、こういった場合であればその方が良いと当人がいうのだからその意志を相良は尊重しているだけだが、刀を投げるという行為そのものは気分の良い事では(けっ)してない。

「相手は人です、刀を間違っても()いてはなりませんよ!」

 弥代の肩を掴み後ろに引くにあたり、代わりに自分が前へと躍り出た。が、躍り出ても自分の更に後方に丁度春原がいたものだから、(なか)ば春原に弥代を預けた(托した)と言って過言はない。

 案の定相良が刀を投げる際、春原の手は弥代の肩に添えられていたし、弥代もそれを大人しく受け入れているように見えた。しかし、今の状況は(かんば)しくない。見てみぬフリを、逸らし続けるのも今後面倒になってくるのは今今(いまいま)から既に見えきっている。

 これは一旦落ち着いてから打つ手を考えねばならない、と今はそれを少し頭の隅に追いやりつつ、念押しのように春原に向けて言葉を掛けるも、分かった、といつも通り短めな一言返事が返ってくるのみ。

 相良はこの場を一時(いっとき)収める役割を春原へと明け渡した。



 刀をいつもの様に構えようとして、普段であれば思う通りに(ひら)ける足が中々動かし(づら)い状況下にある事に春原は早々に気付いた。

 これまで相良が自分の為に日々用意していた丈の短い襦袢(じゅばん)と違い、今の自分の格好が(くるぶし)まで丈がある、若干厚手の着流しであることを思い出した。

 そういえば、とふと思い出すのは榊扇の里を出たその日――箱根の旅籠屋(はたごや)に世話になった晩の夕餉の出来事だ。

 あの時、胸ぐらを掴み相良を殴る弥代を止めようとし、(あいだ)に割り込もうとするも結局慣れぬ格好で思うように上手く動けず、裾を下手に踏んづけてしまい畳に向かって倒れ込んでしまった。

 里を()ってから十日は経っているように思える今日この場において、そんな状況になって数日前の出来事を思い出した上で今の自分の思い通りに動けないといった状況を踏まえ、もしや?などと考えが浮かんだ。

「……。」

 が、しかし、と(かぶり)を振るう。

 ……いや、思い過ごし、であろう。そうはなるまい、と少しの()を空けて、また頭を振るう。

「問題……、ない。」

 今この場において、自分以外に動ける者がいないのを春原は理解している。

 里の西門を出て以降、弥代と面識があるという理由で京までの道中を(とも)に移動している、三ツ江(みつえ)(きぬ)は商人という身の上であり、相良からは十七、八の姿に見えはするが十そこいらの人ならざる身であると説明を受けているものの、戦う術を恐らくは持ち合わせていないだろうと聞く。

 弥代は里を出る際に相良に刀を預けてからというもの、途中までは相良に対し執拗なほど刀を返せと喚き散らかしていたがそれも数日前から落ち着きを見せてはいるが、しかし相良から(いま)だに刀を返されてはいない様子。

 こういった状況で相良が意図して自分にのみ刀を渡してきたのが答えであろう。

 そして、肝心の相良は――、

『春原さんにはお伝えしておきましょう、駿河(するが)に行く以前に負った怪我ですが、実のところまだ完全に良くなったというわけではないのです。』

 駿河でのかの存在と対峙をした際も、相良は自分で刀を握ることなく、その場を春原と弥代に任せ、一歩退()いた位置より状況を把握することに専念していた。集落より一人戻ってきた際、事前にそうなるであろうと説明を受けていた為、それらをすんなりと受け入れることは出来たものの、もう随分と相良自身が刀を振るう姿を春原は見ていない気がした。『怪我の治りの早い貴方が時折、私は堪らなく羨ましく感じることが御座います。』

 不甲斐ない、貴方にばかり振るわせてしまう自分が情けなく嫌になる、と酒が入れば弱音を漏らすものだが、そんな姿も此処のところ呑んでいないものだからか見ていない。

「……、」

 戦う(すべ)を持たない女と、刀を取り上げられたままの弥代に、怪我が治りきっているわけではない相良。

 やはりこの場において、目の前の集団をどうにか退(しりぞ)けることが出来るのは自分以外に居はしないことを春原は(あらた)めて自覚し、そうして柄に手を掛けた。

「刀は……、抜かず。」

 相手は(あやかし)や人ならざる存在(モノ)の類ですらない、自身と同じ人の身だ。

 相手が人間であれば抜いていいわけがない、春原の刀はあくまでも人に害を()す存在にのみ振るうものである。

「……峰打ち、のみ。」

 峰打ちとは本来、刀の(やいば)の反対を示す、“(むね)”を上手く使い、斬り伏せるのではなく打ち付ける要領で振るうものであるが、春原はこれの加減がどうにも上手く行かず、その昔に相良を相手に打法の練習をした際、丸一日彼が目を覚まさない状況を生み出してしまったことがある。

 それ(ゆえ)に春原の行う峰打ちとは刀を抜くことなく、刀の中でも強度(きょうど)がそれなりに高い(かしら)と、鞘尻(さやじり)である(こじり)の金属部位を相手の(どう)目掛けて打ち込む行為を示し、当たりどころがいくら悪かろうとも二刻(ふたとき)もすればそれで意識を取り戻せる程度のものであり。

 だから――、

(刀を振るうわけでないのなら、直ぐに片が付く。)

 自身がせねばならない理由を一巡の中で見出し終えた春原に迷いはない。慣れぬ出立(いでたち)に、いくら動き(づら)かろうとも、それは春原が(いど)まないで済む理由にはならない。鯉口を切ってしまわぬよう、普段であれば袴に(はさ)むのに(もち)いる下緒(さげお)を、鞘から柄に掛けて何重か巻き、そこに右手も巻き込んでみせる。

 左腰を引く。

 足場は不安定であるが、抜いた刀を振るうのに比べれると幾分か高低差があっても問題なく(ふる)える気が次第にしてくる。

 そう、問題はない。

 問題はなにも……、何もない……筈、だった。

「……ぁ、」

 春原は、派手に()けた。






 菊花開(きくのはなひらく)霽月(せいげつ)徒路(かちじ) 三話






「ほ、本当に出たーーッ⁉︎」

 まさかそんな風に出てくるなんて弥代は思ってもなかった。今まで出したこともない、自分でも聞いたことがないような素っ頓狂な声をあげてしまうぐらいには驚かされた。と共にそんなに近くにいるとは思っていなかった背後の男によって、山道のでこぼこした道であるからか石っころに足元を取られて転んでしまわぬようにか、肩を支えられていた。

 手を貸されるのが嫌というわけではないが、無言のまま触れてくるのはびっくりするもので()めてほしいものだ。状況が状況であるものだから今この場では指摘はしないが、落ち着き次第言ってやりたいものだと弥代は胸の内に収めた。

 今はそんなことよりも目の前の山賊らをどうにかしなくてはならない。優先すべきは背後の男よりもそちらだ。

 生憎と弥代の刀は今も弥代の手元にはなく、相良が預かっているままだ。抜きたくてもきっと以前のように抜くことは出来ず、返してもらったとしても今までみたいに大振りをするのに刀を一緒に振り回すことぐらいしか弥代には出来ないだろう。しかしあるに越したことはない。あまりこういった峠道(とうげみち)であったりの賊との対面自体、そんな経験は(ほと)んど無いに(ひと)しい弥代ではあるが、賊の追っ払い方、振り払い方とは少なくとも知っている(ほう)である。一人でいた頃、度々(たびたび)面倒事に巻き込まれる時は大抵賊によって酷い目に遭わされたものだ。

「何も(おれ)たちゃ金目のモノなんかこれぽっちも持っていやしねぇよッ‼︎悪いけど余所()当たってくんねぇかなぁっ⁉︎」

 自分の羽織の(すそ)を掴む際、いつの間にやら切り株から腰を持ち上げて距離を詰めていた、脂ぎった重たい前髪をした男が、また先ほどと同じ切り株に腰を落ち着かせたまま、弥代がそんな言葉を発すると喉をクツクツと震わせ笑った。

「この後に(およ)んで、私らの人数を見て怖気(おじけ)ついてでもしてしまったのかねぇ、可哀想なことをしたねぇ?

 荷がないのなんて見れば分かるものだよ。荷馬車の方からガタゴトと音がしないのもそうだね。でも、荷がなくてもアンタらが身につけているものはどれも値が張りそうなじゃないかい?荷がなくてもそれで十分だよ。命まで取りはしないから大人しく身包(みぐる)()がれる前に全部アタシらにお寄越しよ?」

「追い剥ぎじゃん⁉︎」

 投げ掛けられた、返された言葉の意味をどうにか弥代は理解する。言われて見下ろした自分の格好、だけではなく背後の男も、自分よりも前に出たまま、その場で膝を折り、背負っていた荷を焦った様子も見せず広げてみせる相良に、少し離れた位置で二頭を(かば)うかのように前に出る絹。

 そして最後に、先ほど弥代の羽織の裾を掴んでみせた男の行動を振り返り、男が返してきた言葉がまったくもって冗談でないことを理解し、自分たちがいま(まさ)に山賊相手に追い剥ぎに()いそうになっているのが分かり、慌てて相良に助けを求めるように声を張りあげた。

「どっ、どうすんだよ相良さんっ⁉︎コイツら本気だよ‼︎だ、だってさっき俺の羽織触ってたし、すんげぇジロジロ上から下まで見てきてさ!俺たちこんな(トコ)身包(みぐる)み全部()がれちまって、どっ……どうしようッ⁈」

「まだ何一つ剥がされてなどいないのですから落ち着かれなさい。そんなでは疲れるだけですよ。」

「で、でも!」

「絹さんを見習いなさい、顔に出さぬようにどうにか(とど)めて()られる。胆力(たんりょく)だけはやはりご立派ですね。」

「上げて落とすのは()めていただきたいものですね相良殿っ⁉︎」

 せめてもっと上げたままで!なんて絹が言うものだから自分だけが可笑しいのかと調子が狂う。そんなわけがない、こんな状況になって(あせ)るなという方が無理なんだ、と無意識の(うち)に味方を求めて、弥代は辺りを見渡すのだが、残すは一人しかいない。

「……の、は……らっ!」

 言葉を、(しぼ)る。

 どうにかやっとの思いで絞って、そうして背後に立つ男に弥代は目を向けるがしかし、彼は全く弥代を気にする素振りを見せることなく、重い前髪越しに見ても分かるぐらい表情を(けわ)しくさせ、相良から投げ渡された刀を握りしめていた。

「……えっと、」

 ここまで来てしまうともうキョロキョロと(せわ)しなく目を右に行ったり左に行ったりを繰り返すことしか出来ない。

 違う、そうではない。

 だって、だって――ッ!

「賊相手にそんな落ち着いてられるの可笑しくねぇかなっ⁉︎」

「相手の思う(つぼ)にわざわざ嵌ってさしあげる必要はどこにもありはしませんよ。」

「ご存知ないですか弥代さん、この手の事は直面したとしても慌ててはならないものです!弱みを見せてはならぬものですよっ!」

「いや……っ、でも、だからそうじゃなくってッ!」

 そうじゃなくって、と(まま)ならなさと歯痒(はがゆ)さに弥代は(こら)えきれず、どうにも情けない声を()らしてしまう。ここまで落ち着いていられるとやはり自分が可笑しい気がしてくるもので。もういっそ認めてしまった方が楽なんじゃないか?とさえ思えてくるが、相手にいい気にさせない為にも今からでも落ち着いた振りを二人が言うようにした方がいいのではないか?を考え出すのだが、だが……、でも、けどっ、そうではなく、って……だか、ら

「俺は―――っ!」

「刀は……、抜かず。

 ……峰打ち、のみ。」

 それは、まるで弥代の言葉そのものを(さえぎ)るように一斉に動きを見せた。

 それまでの、握りしめた刀と足元をやけに凝視(ぎょうし)していただけの姿から一変(いっぺん)、あまり目の当たりにしたことはないものの、それでもその男が刀を構える姿は気味が悪いほどはっきりと弥代の頭の中には残っている。覚えている動きにピタリとそのまま重なる、きっと寸分(たが)わぬ動作に視線が釘付けとなる。

 あぁ、でもよくよく見てみると今回は刀を抜くことはなさそうだ。鞘に(くく)り付けている紐を、鍔周りにぐるぐると引っ掛けて、手にも同じように巻いている。それで、そうして、その姿はどこかいつも弥代が刀を抜くことなく振り抜く、その格好にどことなく似ているように、見え、て。

 なのに――、

「……ぁ、」

「……ぇ?」

 弥代は目の前の光景をただただ(うたが)わずには居られなかった。






「信じられるかっ⁉︎ 信じられねぇよっ⁉︎ 信じたかねぇよっ⁉︎ 信じてそれで俺はどうなるってんだ、何もなりはしねぇんだよっ‼︎」

「どうどう……、どうぞ落ち着かれてください弥代さん。顔を真っ赤にされてまで張り上げるような事では御座いませんでしょう、いい加減に落ち着かれて……、」

「落ち着けるわけあるかバーカっ‼︎ 結局頑張ったの俺じゃねぇかよ⁉︎ 足引っ張っただけだぞこの男はッ‼︎」

 どうどう、なんてまるで動物相手ではないか。思いはしても触れれば下手に飛び火してしまいそうで、なんならそうじゃなくても既に頭の中はいっぱいいっぱいである弥代は思いはしても触れることすらロクに(かな)わず、目先の感情で両手さえも塞がっている。

 絹がどうにか自分を(なだ)めようとしている事ぐらい、それぐらいいくら弥代が手一杯であっても何となくは分かる。でも(はっ)した言葉の通り、だ。落ち着けるわけがない。もうずっと、頭に血が上りきった状態が続いている。

「弥代さん、そこまでになさい。これ以上は見過せませんよ。」

 と、相良が口を開いた。

 一連の出来事が終息を迎えても無言で、腕組みをしていただけであった相良が時間が少し経ち、やっと口を開いたのだ。しかしそれは弥代が望んでいたものではなく、絹の言葉によく似た、今の弥代をどこまでも(せい)する、否定する言葉だった。

「で、でも……ッ!」

「今この場で私に何か言いたいことがあるのでしたら()ずは目線を合わせなさい。上から見下ろすのではなく腰を落ち着かせ、肩から力を抜きなさい。

 分かってはいましたが貴女はどうにも気が短い。それは紛れもなく短所です、自覚なさい。」

「なんで今そんなの言われなきゃ――」

「座りさない。」

「―――ッ‼︎」

 こんなのは可笑しい。不当だ、と自分は少しぐらい褒めれたっていいことをしたはずなのに、それなのにこんな仕打ちを、なんて。言ってやりたい事は山ほどある。だが、相良が口にする言葉は、先日のやりとりがあった弥代にはそれ()が嫌になるぐらいよく響く。だからどれだけ渋ったとしても、割と直ぐに折れて言われた通りに動いてしまう。

 今ここで相良に見捨てられることを、何よりも弥代は恐れている。そして相良が弥代のそんな気持ちに気付かぬわけがなく、それらを分かりきった上で、それを利用しているに(ちが)いない。そうに、決まっている。

「失敗は、誰にでも起こりうる事です。それを執拗なまでに責め立てるような事をしてはなりません。」

「そんなん言われなくたって、俺だって分かってるよ! でも……、今回のは違ぇだろ。こうなるって分かってたんじゃねぇのか――」

「肩に力が入ったままですね。」

「――だ、からッ!」

 言ってやりたいことがある。言ってやるまで気が収まらない。直接本人の顔を見てぶち撒けてやりたいというのに、それをどうしてか絹も相良もさせてはくれない。(あいだ)に割って入ってきてどうにか弥代を(なだ)めようとしてくる。それが、それが余計に腹が立つ。わざわざ荷馬車の荷台の裏手で、相良に控えているようにでも釘を刺されでもしたのだろうか。弥代が絹を相手に声を荒げている(かん)も、相良が顔を見せて弥代を(たしな)めるのに失敗しても先っちょも姿を見せやしない。

 弥代の知る限り身近な“色持(いろも)ち”の中でも、弥代と同じかあるいはそれ以上に早い怪我の治りを見せる男なのだから、四半刻(しはんとき)前に足元の石に転んだ際に派手に顔を叩きつけた、その傷なんて跡形もなくなくなっているだろうに違いないというのに、会わせることは出来ないと相良は言う。

「だから……、俺はもう十分落ち着いただろう?」

(らち)(あか)ない、本当に手の焼ける方ですね貴女は。」

「これ以上どう落ち着けってんだよっ!」

「そうやって直ぐに声を(あら)げられる(うち)はお断りします。」

 埒が開かないとまで言わせた上で、しかし奥の手である弥代を見離すという発言がまだ出てこないのは単なる優しさからだろうか。

 時間が経つにつれ、どうしてここまでこんなにも自分が彼に対し(いきどお)りを感じ、言ってやりたい事がある、と躍起(やっき)になっていたのか、それが正直薄れつつはあった。それもこれも相良が根気強く弥代に向き合い、決して呼吸を乱すことなく目を合わせ言葉を()くしてくるからだろう。

 絹相手ではいつまで経ってもこうはならなかった。絹は常に弥代の顔色を窺っている。相良のように目を合わせることはあっても、弥代を落ち着かせようと必死になって、同じように息を乱してしまう。得手不得手(えてふえて)の話……、そう、これは得手不得手の話だ。

「出来もしねぇなら(はな)からそう言えよっ‼︎」

 やっと落ち着きかけていた気持ちがそこで一気に(たかぶ)りを見せた。腰を落ち着かせ、座る相良と目線を合わせるように地べたに弥代もまた座り込んでみせていたというのに、事前の動作もなくその場で勢いよく立ち上がり弥代はほんの少しの距離だというのに、それを全力で駆けた。

「弥代さんっ⁉︎」

 絹が追い掛けるような動きを視界の(はし)で見せたが、相良は動くことはなかった。呼び止めるのも彼女だけと分かってしまえばそれで、それで弥代にわざわざ止まってやる理由なんて、そんな心当たりはあったもんじゃない。それよりも、を優先して、やっとそれらしい言葉になった気がする、最初に思い浮かべていた言ってやりたい事よりもずっと丸くなった言葉を直接浴びさせてやろうと、駆けた。

「言えよこの大馬鹿野郎ッ‼︎」

 荷台の裏手、弥代達が今までいた左側の反対、腰ぐらいの高さがある車輪に少し(もた)れ掛かるような男を――春原千方を弥代は視界に収めた。

 なんだか随分と久しぶりに、その姿を視界にしっかりと収めることが出来た気に弥代はなる。そんなことはない筈なのに、道中は何やかんやいつだって近くにいた存在であるはずなのに。なのに、不思議と変な感覚だ。

 だって(げん)に、弥代が今ここで彼に対して言ってやりたいと思ったそれは、それがそもそも芽生えたのは四半刻(しはんこく)程前に事が済んだ、鈴鹿峠(すずかとうげ)で山賊に襲われた一件で、彼が刀を構えてその場から動くに(いた)る、その経緯を近くでなんやかんや見ていたから、で。最中から既に様子が変だった。

 人ならざる存在を刀一本で()じ伏せ、斬り伏せることさえも出来てしまうような、あまり物応(ものおう)じることのない男が、パッと見ただけで分かるほど(けわ)しい表情を浮かべ、どこか思いつめたように足元を見ていた。

 (こだわ)りであったり、慣れた環境と身に染み付いた動作で人並(はず)れた実力を発揮することが出来るのだと教えてくれたのは、駿河での一件が無事に()え、桜の面倒を討伐屋に頭を下げて弥代が頼み込んだ(あと)の相良だ。

 ここ数日、掛川宿(かけがわしゅく)での一件を()てからの弥代は相良の言葉にずっと耳を傾けていたものだから、先刻(せんこく)の山賊と対峙してしまった時も、なるべく相良の言う通りに動こうと頭では考えていた。(それでも賊という存在そのものにいい印象がなかった為に、中々上手く立ち回ることが出来ず、慌てふためくだけに最初はなってしまったが)

 だが、それは見過ごせなかった。

 相良が言うのだから、という気持ちがその場では、それが目の前で起きてしまうまではどうしても(まさ)り、挙句自分が可笑しいのか?と落ち着きを見せている相良と絹を前に自信を失いそうになりはしたが、そうではなかった。そんな事を気に掛ける余裕さえないぐらいの事が、目の前で起きたから。

 彼が――春原千方が(つまず)いたから、だ。

 

 

 刀を構えた彼の動きは人並外れたものである。

 慣れぬ(うち)はそれを目で追うのもやっと一苦労。だというのに時間が()つに()れ、その速度は徐々に上がっていく。いっそ人の身ではないと言われた方が納得がゆく、常軌を逸しているとしか思えないそれなのだ。

 不器用な、男だ。

 言葉たらずで、だというのにやけに自分の主張ばかりは意地でも張っているかのように特定の人物に対してだけは押し通そうとすることがある。

 意志が弱いように見えるのはただの気の所為でしかなく、中々の頑固者。自分の中でこうだと決めたことは何があっても譲ろうとしない、多分そんな男だ。

 そんな男、なのに。

 (いや)、そんな男だからこそ、か。

 足場が悪い山間(やまあい)峠道(とうげみち)において、刀を抜くことなく構え踏み出した、その一歩で派手に(つまず)き、その場で倒れ込んでしまったのが、只々(ただただ)弥代は信じられなかった。

 でも何よりも一番に驚かされたのは、躓いて転んだその(あと)、大丈夫か⁉︎と弥代が駆け寄り声を掛けた時に返ってきた、彼が(はっ)した返答、で。

『すまない、相良。』

 相良が言うことは大抵が正しい。弥代なんかよりも遥かに多くのことを知っている、弥代の知ってることなんて当たり前に知っているに決まっている、知識の幅が浅いなんてことはなくずっと広い男の言葉は耳を傾ける価値がある。だから、だから相良の言うことに間違いはなく、頼まれればそれで、それは信頼があった上で(たく)してくれたのだとでも受け止めて、寄せてくれる期待に(こた)えてやりたい、と。

これから自分は疑うことなく思うようになっていくのだろうと弥代はそう考えていたのだが、それが少しばかり崩れてしまった。

 そうではないのかな?と思えてしまったのだ。

 大事(だいじ)(まぬが)れた。でも以前にも相良の言葉で動いた彼が、春原が一歩間違えればそれで命を落としかねないような状況に巻き込まれた事があったから、だ。

(結局そうだ、駿河(あの時)からばっかりだ、俺。)

 そこに起因(きいん)する。

 駿河での一件は弥代にとって、これまであまり直接関わることがなかった相良だけでなく、苦手意識すらろくに認めようともせずに向き合うことさえ避けてきた春原、置いて逃げ出してしまった過去に直結する桜への後悔であったり、それら全てに向き合うきっかけとなった出来事なのだ。

 だからどうしてもその一件以来、以前にも()して距離の(ちじ)まった、関係性に多少なりとも変化の訪れた二人と関わる上では嫌になるぐらい思い出してしまうのは仕方のないこと、で。

 その駿河での一件、人ならざる、かつて【神】と崇められた存在のなれの果てと水辺の(ほとり)で対峙した際の春原に、先刻の春原がひどく重なって見えてしまったのだ。

『春原さん、弥代さん。

 私では足を引っ張るのみでしょう。場合によってはアレのお相手を願えますでしょうか?』

 春原は相良のその言葉に応えようとした。そして怪我をしそうになった。

 あの瞬間、【蛇】のような長い(どう)を持つ存在が、その尾を強く地面に、春原のそれまでいた場所に叩きつけた瞬間、弥代は一気に(きも)を冷やした。

 肝を冷やし、居ても立っても()られずに駆け出した。それまで向き合えた試しのなかった男だというのに、ほんの数言(すうこと)これまで()わせなかった分になど到底足りない分しか言葉を交わしていないというのに、それらを全てどうでも良いと錯覚させるぐらい、あまりにも真っ直ぐな言葉を投げ掛けてくるもので、だから、だから弥代は駆け出さずにはいられなかった。

 そして、それ()を全て弥代は本人に伝えられずに時間だけが過ぎてしまっていた。

 だから、そうか――という、強く納得がいった。

 自分が何故あの時、躓き倒れた春原に駆け寄り、彼が一番最初に(はっ)した一言にあれほど驚かされたのか。嫌がる彼を無視して、その右手から鞘ごと刀を無理やり奪い取り、それでたった一人で二十人近くはいた山賊相手に殴り掛かりにいったのか。

 情けない顔だった。打ち所も悪かったのだろう。鼻筋は折れてしまったようで、下からはだくだくと血が(つた)い、鼻筋以外にも(ひら)たい額も岩肌に強く打ちつけたようで一瞬の出来事であったというのに赤く腫れ上がってしまっていた。

 それらも今は、時間が経ったものだからか怪我の治りが早い春原にはすっかり見る影もないといった様子だが、それでも弥代にはどうしても先刻目にした彼の顔と重なって(被って)見える。それだけ、なんだ。

 それだけの事で、弥代はこんなになってしまった。相良さんの言う事はきっと間違ってなんかない、あの人の言う事は聞き入れて損はない、正しいんだという考えそのものが思い返すと、あの晩に春原が口にしていた言葉に近く。気付いていなかっただけで実はあの時から彼の、春原が言っていた言葉が今の自分に繋がっていたんじゃないか、なんて気味の悪い余計なことまで思い至ってしまって。

 そんなのは、そんなのはついでにすらならない、言い掛かりとすらきっと言えないことぐらい分かっているのに、でも……

「出来もしねぇもんを任されたからって無理して一人でやろうとしてんじゃねぇよ、このっ、大馬鹿野郎がッ‼︎」

 きっとこの男の頭に、任されたことを断るという考えはないのだろう。だがこれから先、今後もまだ(しばら)くの間はこの男と過ごす時間は続くであろう。何故ならこの男と相良は榊扇の里の主人である扇堂杷勿(せんどうはな)(めい)により、弥代の動向を追わねばならない立場にいる筈、だからである。

 正直なところ、弥代自身が直接そうだと聞かされたわけではなく、あくまでそういった命を受けていると相良の口から聞かされているだけなので実態がどんなものであるのかは分かっていない。

 でも、弥代の手を掴んでくれた、そう簡単には離さないと、弥代の気が済むまで付き合ってくれる、と相良は言ってくれた。

 それらは春原自身の言葉ではないが、相良が弥代に付き合ってくれるというのに、春原だけが付いて()ないというのはとても変だ。そうなってくると一応は春原に相良が(つか)えているという、それそのものが逆転しているようにも感じれてくるのだが、これまでの二人を思うとそれは些細(ささい)なことのようにも感じる。

「だっ、だからその……っ、俺がお前に言いてぇのはッ!」

 まさかここまで来て、こんな土壇場(どたんば)になって言葉が詰まってしまうのは何かの間違いだ。胸ぐらの一つでも掴んでそれを強引に伝えることが出来ていればそれで、それでどうにか勢い任せにやり過ごすことが出来た、場違いにも程がある気恥ずかしさを感じることなく通過出来たかもしれないのに。

 それが、それがこの場において出来ないのは、自分を今になっても、当人を目の前にしてるからもう無意味だというのに分かっておらずにしがみつく要領で止めに掛かってくる彼女がいるからで。あとは、図体ばかりが大きく、やけに澄んだ目で真っ直ぐにこちらを見てくる彼がいるから、で。

「少しぐらい俺を頼れよッ‼︎」

 見てしまわないように、気にしないように必死に、弥代は目を(つむ)ってそんな事を言ってやった。

  

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