二十三話 不必要
得意か不得意だけで答えてねばならぬのなら、弥代は多分、それほど人付き合いは得意な方ではないのだろう。
本当にこんな接し方でいいものか、良かったのだろうかを、いざ口を開き話し終えてから考えさせらえることは少なくはない。
でも、
『もう、弥代ちゃんったら……』
呆れ混じりに、困ったかのように眉間に皺を作る。でも、言うて口元は、その口角は堪えきれずぴくぴくと震えることが多く。そのうち本当に我慢ならず肩だけで収拾がつかなくなって体を少し折り曲げて腹まで抱えるといった反応を見せてくれる、そんな友人と呼べる存在が一人でもいるものだから。だから、多分弥代は――、弥代はまた自分の悪い癖で、自分に都合よく捉えてしまっていたのだろう。
これで良いんだ――、と。
このままでも別に、構わないのだ、と。
正直、他はどうでもよかった。
弥代が此処にいてもいい、この場所に居続ける理由をくれた彼女が、扇堂雪那がそれでいいと、言うのならそれだけで、本当にそれだけで良かった、筈――なんだ。
「なのに……ッ、駄目、だった」
否、違う。そうじゃ、ない。
駄目、なんかじゃなかった。そうじゃなかったから、きっと、きっと弥代は躓いてしまったんだ。まだそれほど日は経っていないからこそ、より鮮明に思い出して、しまう。弥代には彼女の他に、扇堂雪那以外の理由がない。今の弥代にはあの場所にいてもいい、帰ってもいい理由が何一つ、ありはしなかった。
蒙霧升降、風知草 二十三話
何かを期待、するのはおかしい。
期待したって、どれだけ望んだってそんなの叶いっこないのを弥代は知ってる。
弥代が――、これまで根無草同然に、宛もなく一人きり、誰に頼るでもなく身一つで気ままに過ごしていたのは、それ以外にどう過ごせばいいのか分からなかったからだ。
“色持ち”であるが故に誤魔化しようの、隠しようがないどうしたって目立ってしまう“色”の髪と瞳を持ち、身寄りがいるようにも見えない子どもの見た目であったものだから、女の身でありながら男宛らの振る舞いを続けたのは単に。どれか一つで突っかかられても厄介である為に、その可能性を一つでも潰せるのなら潰してしまおうという考えから来ていたように、そう思う。
ただ、そんなであっても……やはり心のどこか奥底では望んで、いたんだろう。今はもういない、あの老夫婦のように“色”があろうがなかろうが関係なく受け入れてくれる、そんな存在――否、居場所が欲しい、と。だから、
『これからもどうか……、
どうか私の傍に居て……くっ、くださいませんか?』
そんな誘いをわざわざ断る、断らなくてはならない理由を弥代が持ち合わせている筈が、なかった。
既に十日以上は居座らせてもらっている立場であるものだから今更なにを……、という気持ちを味わいつつも、決して胡座を崩すことはなくなるべく平生を装いながら弥代は言葉を返した。
「いきなり何を言い出すのかと思えばよぉ……本当に何だってんだ藪から棒に。傍ぁ言うけどよ、これ以上どうやって傍に居ろっつーんだよ。俺からしたらもう十分に傍に居る……つもり、なんだけどなぁ……」
口を開いていればいるほど言葉尻はどんどんと勢いが落ちていく。というのも彼女が、扇堂雪那が分かりやすく落ち込んだような表情を見せるからだ。
言葉や性格だけなら彼女よりも断然弥代の方が強いのはどうしても仕方がないことではあるが、立場だけの話をするのなら全てが逆転する。
湯浴みを終えた今、弥代が袖を通しているやたらと手触りのいい着流しに限らず、直近を含めあげ出したらキリのないそれらは全部が全部、彼女――扇堂雪那によって与えられたモノだ。(もっと言ってしまうと彼女の家だなんだとややこしい話になってきてしまうものだから、あくまで彼女によって、ということに弥代はした)自前のもので身に付けているものといえば、今も後ろ髪を結っている赤い髪結紐ぐらいだ。
熱くはないか?と様子を見ながら弥代の方へぱたぱたと団扇を仰いでくるそんな些細なことさえも彼女からの施しであり、それらをただ享受するだけの立場にある弥代に彼女からの持ちかけを払い除けることは、当然のことながら難しい話だ。
但し、言い出した彼女は一切そんなこと理解していないだろう、分かっておらずにただ自身の思ったことを口にしているだろうからどうにも質が悪い。
「何だよ、お前のいうこれからも、って具体的にどうしたらいいわけ? 外にでも出ずにずっとお前とここに俺は居たらいいわけ? いやいや、そいつはゴメンだぞ。いくら一日三食食えるだけじゃなく八つ刻になりゃ毎日違ぇ菓子が食えると言われても、それだけでこんな何もねぇ場所に四六時中お前と面合わせてるだけなんて俺は絶対に嫌だからなっ‼︎」
そんな風に、弥代は強めに釘を差した。
別に初めて言ったわけじゃない。あの日だってそんな四六時中一緒には居てやれない、と弥代は言ったはずだ。此方が気を遣って下手に出ようものなら、いつの間にやら全く関係のない話まで飛躍し持ち出して、と一度たりとも良い、なんて返事をしてないものまで勝手に言ったことにされかねない。
身勝手な女。自分の都合でばかり物を言って、それに巻き込まれる側の気持ちなんて何も考えていやしない。振り回されるこっちの身にもなれ、なんて言ったって自覚がないのだから響くわけもなく。
だが、弥代はそれの全部が嫌なわけではなかった。今まではその機会がなかったというだけで。
知らないなりに多くのことに興味を示して、自分みたいなろくでもない相手であっても、偶々自分に手を差し伸べてくれたというだけの相手であるにも関わらず、身の上を気にすることなく接してくれる彼女――扇堂雪那に好意を抱いていた。
でもそれは、今になって思えば弥代にとって、それが偶々(そう、彼女がそうであったのと同じように)弥代が求める理想に近かったからかもしれない。
“色”を持っていながらも虐げられることなく、穏やかな日々を送れる。いつ雨風に降られてしまうのかを心配する必要もなく、ゆっくりと体を伸ばして寝ることが出来る。腹が空けば満たされるまで飯を食えて、近しい誰かと何かを共有して、笑い合うことが出来る。
遠目に見るばかりであった、誰が見ても明るく見えるその光景の中に、自分という存在が受け入れられることがたまらなく、たまらなく嬉しかった、のだ。
それらを弥代に与えてくれたのは、紛れもない扇堂雪那だ。傍に居てください、と言った彼女の我が儘に付き合う形で弥代はそれを手に入れることが出来た。
屋敷に居座り続けるのは、里で崇められる神仏様に邪険になぜか扱われる弥代では肩身がどうしても狭く、屋敷からそれほど距離の離れていない、扇堂家と縁のある長屋の空き部屋を用意された。
要らないと断ったはずの家財道具を、大人でも押すのが中々一苦労しそうな大八車ごと明け渡されて、雪那様の御友人などと大層な身分で長屋に越す際はとても恥ずかしい思いをした。
それでも……、否、そんなことがあったからかもしれないが弥代は直ぐにその長屋に馴染むことが出来たと思う。
隣に暮らす長谷一家は双子ですら物珍しいものを五つ子などと、生まれる前の母親の腹ははたしてどれだけ大きかったのだろうとついつい想像をしてしまう、たとえ生まれた時はもっと小さかったろうにすくすくと大きくなっていく姿が眩しいったらありゃしない、そんな名物一家。
長谷の家を跨いだ先には、あまり弥代は直接関わることはないのだが、日中はよく井戸の近くまで日向ぼっこがてら姿を見せる、腰が曲がっていて弥代よりも背丈が低い信子のお婆さん。
ここいらじゃ金払いがいい大工の林家一門に住み込みで働いていたというのに嫁を貰ったことで晴れて嫁さんと二人暮らしを始めたばかりの寅三郎と、寅三郎が嫁に迎えたお松さん。
日中は此処の長屋とは別に小さな飯処を切り盛りしていて、年がら年中家を留守にしがちだけども弥代も何度か店に顔を出した頃があるかまど屋のご夫婦。
斜め向こう側の部屋で若いのに一人で暮らしている、物書きの石蕗青年に、いつ見ても猫を膝の上に抱き抱えているのに、その猫が毎度違うことで浮気者なんてヒソヒソ陰口を叩かれている万吉爺さん。
これまで一人で過ごすのが当たり前すぎた、誰かと長く関わることなんて無いに等しかった、寧ろ関わることをあの日から(そうだ、桜を置いて逃げてしまったあの日から、だ)避けてすらいた弥代にとってそれはとても大変な事だった。
顔と名前を覚えるだけじゃ駄目だ。相手がどんな人で、どんな風に暮らしているのか、普段は何をしているのか、何をするのが好きなのか、事細かに、少しずつ関わりを深めていく中で、知っていく。弥代はそれが嫌じゃなかった。
もっと知りたいと、もっと色んな人と関わりたいと思い自分の足であちこちへ出向いたりしたことだった始めの頃はあったのだ。でも、関わる人が増えていくにつれて次第に気付いてしまった。特に年老いた者から自分へと向けられる、眼差しの正体、に。
それでも、そんなの差し置いたって弥代はなるべく変わらずに振る舞うことに成功した。だって、だってそんなのは些細なことなのだ。本当に些細な、事。なんていったって弥代は長く一人で生きてきたものだから、そういうのに目を瞑る、気付かない芝居をするのは得意だった。なんなら近くにいる相手が、弥代に向けられるその眼差しに気付いてしまわないように振る舞うことだって出来た。ずっとマシに感じた。これまでずっと一人だった、一人で宛もなく必死に生きてきたのを考えれば、そんなのは可愛いもんのだ。全く、気にならなかった。
そんな事よりも、そんな事なんかよりも弥代はずっと、ずっと頭の隅で彼女に感謝をしていた。
彼女の傍にいようと思った。どんな形であれ、友人として。
『どうしましょう、私。
幼馴染はいたことがありますけど友達……は、きっと、初めてです。』
奇遇だな、と弥代はあの時、思わずにはいられなかった。なんていったって弥代もいたことはない。お互いに初めて同士の友達、かけがえのない初めての相手だ。
友を得て、住む場所まで得ることが出来た。
四六時中なんてゴメンだと言った通り、連日顔を合わせるなんてことはなかったものの、弥代が屋敷を出て里で暮らし始めたものだから、弥代に会うために彼女は屋敷から出てくるようになった。
屋敷の近くに住まう里の人達は、長年出てくることがなかったお孫様が外に出られて、と喜んでいたのを遠目に見ていたから弥代はよく知っているし、それが弥代がやって来た事によって生まれた変化なのだと分れば感謝を言われることもあり、口には出すことはなかったがそれなりに気分が良くなり、弥代は嬉しかった。
居ていいんだ、と心の底から思えた。
俺は此処に、この場所にいても良いんだ、とそれが許されている、今までどうしても許されなかったことが、いくら望んでも手に入らなかったものをやっと、やっと手にすることが出来て、だから、だからもっと、もっとこの場所に居れるように、長く、長くずっとずっとここに居てもいいように、彼女に必要とされるように在りたい、と弥代はそう願ったんだ。
それ、なのに――――
『何を、期待されているのですか?』
「――そう、だよ。俺……俺はずっと、期待、してたんだろうな。アイツに、あの女に傍に居てください、って言われたあの日からずっと……ずっと。誰かに必要とされなかった、なんて言ったら陳腐かなぁ?でもよ、でもそんなモンなんだよ。そんなもんで俺は満足出来んだよ。居てくださいって言われたモンだから俺はただ彼処にいただだけ、なんだ。だから……だからよぉ、あの女にあんな風に見放されちまって、里からも出てけなんて追い出されちまって……じゃぁ俺、俺はどうしたら、どうしたらいいんだよ?これから……、これから俺はどうやって生きてけば良いんだよ?なんで、なんでこんな中途半端に……一緒に居たいって、傍にいてくださいって言ってきたのはどっちも、どっちもアイツなんだぞ?なのに、なんで……なんで、こんな……なんで俺がこんな目に遭わなきゃなんねぇんだよ、どうして、どうして……っ、」
今までになく、弥代は泣き崩れた。
聞くに堪えない嗚咽を交えて、膝をついた。
いつから掴まれていたのかも、どれほどの力を込められていたのかも分からないが、月が満ち足りたた晩であるものだから、刻まれた皺の深さがそれをよく物語る。
そしてやっと合点がいった。
そうか、そうだったのか、とその姿を前にして漸く相良は答えに辿り着いた。
これが、弥代だ。
これが弥代という、“人”の姿だ。
鬼であると、人ならざる存在であるといくら誰かが言おうとも、弥代は自分が何者であるのかさえも分からぬまま人として生き、人として振る舞ってきた、あまりに弱い存在だ。
『アンタはさ、俺をいくらか買ってくれてたんだろうけど、俺は碌でもない奴なんだよ。』
今ならその言葉の意味がよくわかる。
碌でもない……そうだ、弥代は本当に碌でもない。でもそれは彼女なりに、弥代なりにどうにか生きようと足掻いてきたその結果であり、それは致し方のないことであったと、相良はそう思いたくなる。
だが、
「子どもが責任を語るんじゃありません。」
相良はそれら全てを許すことはしない。
「ねぇ、弥代さん。本当にそうなのでしょうか?
私は、……私は貴女ではないので分かりませんが、貴女の今の言葉は何も、貴女があの里に居ていい理由が他に一つもないと、その様に聞こえました。
はたして、本当にそうなのでしょうか?
本当に何も、貴女は何もないと言いきることが出来るのでしょうか?」




