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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
前篇・蒙霧升降、風知草(全25話)
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二十二話 当たり前のこと

 また、だ。

 どうして、どうしてこの男はいつもいつも弥代が踏み込んでほしくない一線を易々(やすやす)と踏み越えて、挙句世間話でもするかのような調子で踏み(にじ)るようなことをするのだろうか。

 弥代は、それが分からない。

 (いや)、分からないなんていうのは嘘だ。

 でもどうして、どうしてよりによって今なのだろう、とそんなことを考えてしまう。考えずにいられるわけがないのだ。だって、こんなのが間違ってるなんて事、弥代自身が誰よりも一番分かっている。

 けど、仕方がないだろう。弥代はこれしか知らない、弥代は他に手立てがあるなんてそんなの分からない。知らないまま、もうずっと遠い、こんなに遠いところまで来てしまった。

 後戻りなんて……、今更振り返ったところで、来た道を戻ったところで何もない。自分が何も持っていないことを思い知らされるだけであるぐらい、それぐらいは分かる。

 気付いてしまうのが、認めてしまうのがとても怖い。

 だから……、(いや)、でも。いっそ、このままだって弥代は別に、構わな――

 

「なりませんよ、弥代さん。」

 相良(さがら)志朗(しろう)は、それを見過ごしてくれはしない。







「離して、くれ……っ」

 背に回された腕を払い()けるも、反対の手で肩を掴まれる。腕は二本あるのだから何もおかしいことはないというのに、今までただ軽く肩に置かれていただけの、弥代が落ち着くまでの(あいだ)に添えられていたはずの手が、まさか牙を()くみたいに、(いや)、牙を立てるかのように自身の肩を掴んでこようなどと、弥代は考えても見なかった。

 相手が逃げられないようにする為の手に違いはないだろうに、不思議と痛みはないのだ。痛みがあればそれはそれで離れる口実として使えたろうに、と思わずには()られない。

 どれだけ嫌だと抵抗を(しめ)そうとも、近すぎて満足に腕すら伸ばしきることも(かな)わない。突っぱねてやりたいのに、距離を取ることさえ出来やしない。

 ただただ心を掻き乱される。今しがたがそうであったように、やっと少し落ち着けたと思ったのに、またどうせ同じことを繰り返されるのが目に見えている。付き合いきれない、これ以上なんてもう、付き合ってられるわけがない。

「俺の自由だろ、そんなのはっ!」

 声を大にして叫ぶ。離れたいと伝えたところで(つう)じないのだから仕方がない。話す意志がないと言ったとしても、相良(この男)がそうな簡単に話し掛けてくるのを止めるはずがない。

 それならここで、今この時にはっきりと言ってしまおう、と弥代は思った。

「もう、沢山(たくさん)なんだよっ!」

 今更――、という気持ちが大きい。

 期限を(もう)けられた。なんでそんなまどろっこしいことを、面倒なことをこの男はするのだろう、と相良(さがら)志朗(しろう)という男がそうであるのは今に始まったことではないのは勿論そうなのだが、もう十分だろう、ここに来てここ数日どうにか表には出さずにいれたと思っていた(いきど)りが、一気に芽を出した。

「いい加減にしてくれよッ⁉︎ もう十分だ、もうこれ以上関わろうとしてくんな!」

 だって、そうだろう。

 あんな事を言われて、十日――と、彼は言った。自分が納得することが出来ればそれで、それで帰りはしないが、それが叶わなかった(あかつき)には、春原と二人で榊扇の里へと帰ると言ったのだ。

 あれから既に四日が経つ。

 弥代が今に至ったその理由を、過去に弥代が何を見てきたのかを伝えてやった。

 相良からこの島国で“色持(いろも)ち”という存在が受ける扱いがどのようなものであるかを聞かされた。

 昨晩は、宿を借りられ人の耳があったからか必要以上に話すことはなかったものだが、それでももう十分すぎるぐらい話したはずだ。

 これ以上、これ以上なんて何も、何一つ弥代にはない。弥代が今に至った、相良を納得させられるだけの話なんて持ち合わせていない。

『里に、帰ってくれて構わないよ。』

 ――そう、だ。

 箱根(はこね)の関所を越えたその晩、既に弥代は相良へとそう伝えたはず、だ。

 なのに、だというのに何故、どうして今もまだこの男は、相良は弥代になど構うのだろう。その真意がまるで分からない。

「十分じゃねぇのかよ……、散々っ、……散々アンタに付き合ってやっただろう。アンタは……アンタはこれ以上、何を望むってんだよ? 」

 あぁ、(いや)、違う。

 そうじゃない。弥代は触れられたくないのだ。

 これ以上はもう話すことはない、とそうして無理やり蓋をした。それは仕方がないこと、で。だから誰にも、誰であっても触れてなどほしくない、自分自身さえも触れないようにしてきた、ひた隠しにしてきた部分、であったと、いうのに。

 しかし――、

「話を、逸らさないで下さい。」






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ) 二十二話






 雨が降り(しき)るある日、運良く二人が外で木の根本でずぶ濡れになって(うずくま)る弥代を見つけてから(しばら)く。自分の身の回りの最低限の事すら手を付けられないほど、弥代は満足に意志を持って体を動かすことは出来ず、二人に頼り切る日々を送った。

 梅雨が明け、夏の(ぬる)い風が少しずつ涼しげなものに変わり始めた頃になりやっと、薄っぺらい布団から体を起こせるようになり、あまり(しぼ)られていない手拭いで自分で体を拭けるようになり、朝と日が暮れるぐらいになると老婆が用意してくれる(かゆ)に口をつける、それを繰り返した。

 秋になる頃にはそれまでと比べるとかなりしっかりと弥代も話せるようにもなり、弥代が女の身であるにも関わらず随分と男のような立ち居振る舞いをするものだから二人はとても驚いていた。

 が、ここに来る以前、二人に拾われるよりも前、自分がどこからやって来たのか、自分が何者であるかも分からない、思い出せなかった筈の弥代がそう振る舞えるようになれて良かった、と変だと疑うこともなく、心の底から喜んでくれていた。

 弥代は、たまらなくそれが嬉しかった。

 ただ、隙間風が多い、いくら穴を塞いだってまたすぐに違うところから荒屋(家の中)に風が舞い込んでくる、そんなボロボロの、嵐どころか大雨が一発降ればそれで壊れてしまそうなぐらい古い場所に暮らす二人だ。思い出せないことの方がいっぱいある弥代だって、自分一人がいるだけで、それが二人の負担になることぐらいは分かった。

 長く、世話になるのは良くないだろう。

 身の回りの事さえも出来なかったころに(くら)べ、老婆が鍋から弥代に渡す(わん)()いでくれる粥は、少しばかり増えたように思える。

 寒くなってから外に出るのに羽織る(みの)の、()まれた(わら)老爺(ろうや)は弥代がいつでも外に出られるようにと簡単な履き物を作ってくれることもあった。

 冬を近づくにつれて徐々に寒さが厳しくなってくる晩は、弥代を間に挟んで布団がどこかに行ってしまわないように、一人分あるかないかの布団が被らさない時は蓑を掛け布団代わりにして、そうしてどうにか過ごしていたのを弥代は知っていた。

 そんなであったから、というのはただの……それこそ本当に【言い訳】にしかならないだろうが、弥代は知らなかった。ありとあらゆることを何一つ知らぬまま、一人になってしまった。



 雪解けと共に集落があった山を(くだ)った。

 血みどろになった、元がどんな色であったかも分からなくなった服はいくら水に浸しても綺麗にはなってくれなかったから、もう誰もいない家から着丈が同じぐらいのものを適当に手に取って袖を(とお)した。

 体に付いたぶんは頭から水を(かぶ)ればそれでどうにかなったし。中々落ちない箇所は擦り続ければあの時のように大鋸屑(おがくず)のようになってパラパラと落ちたからでそれで気にならなかった。

 もう二度と抜いてしまわぬようにと思った刀は、けれども手放すことはどうしても出来ずに、(つか)の部分長い手拭いのようなものでぐるぐる巻きにして、そうして弥代はその地を離れた。

 (あて)が、あるわけがなかった。

 弥代は何も知らない。二人に拾われる以前、自分がどこから来て、今までどうやって生きてきたのかも。これからどうやって生きればいいのか、何をすればいいのかさえも分からない。

 じゃぁどうして、どうしてあの集落を離れたのか?と聞かれればそれは、それは勿論、いつまでもあんな場所に居たくなかった、とただそれだけだ。

 弥代は生き方を知らない。

 “色持(いろも)ち”がどんな扱いを受けるのかさえ、“色”を持った身でありながら知らなかった。でも、もしかしたら……、もしかしたら此処(ここ)じゃない、もっと別の場所に行けばそこでは“色”があろうがなかろうが関係なく、名前さえも知らぬまま亡くなってしまった老夫婦のように、優しく接してくれる、そんな人が居るんじゃないか、と心のどこか奥底で願わずには、いれなかった。



 腹が減ったものだから、偶々立ち寄った場所で椅子に腰掛け、()い物を口にする見知らぬ他人を見て、それに似た者を同じように近くにいる者に差し出す、盆を持った女に声を掛け、弥代は自分も同じものが欲しいと言ったことがあった。

 すると女は、何も持っていない手のひらを弥代に差し出して、金を要求された。

 当たり前の、ことだ。でも弥代は、弥代はそれさえも知らなかった。人から物を貰うのに、皆と同じものを口にするのに金が掛かることすら、弥代は知らなかった。

 場を繋ぐのに、弥代は必死だった。

 “色持(いろも)ち”であると気付かれ、民家がいくつか密集する場所に近付こうものなら農具を構えられて、寄るんじゃないと追い払われることばかりだった。

 どれぐらい長い間、水だけでどうにか空腹を(しの)いできたかも分からない。数えたくても()()()()(いつ)つが弥代の限界だ。でも五つが五回巡るぐらいは水以外を口に出来ず。“色持(いろも)ち”であると分かるなり口も()いてもらえず、相手もされず、近寄ることすら許してもらえないなんてのは当たり前で。

 だから、だから“色”を持っているにも関わらず口を利いてもらえる、それだけで弥代はその場所に今この時だけでもいいから居れる理由を、どうにか、どうにか頑張って絞り出した。それが、

『わるい、まちがえちまったよ』

 言葉を、知らなかったわけではない。

 でも、何となくで意味を理解していないものが多かった。それでもどうにか、なんとなしに見ていれば正しい意味は分からなくとも、こういう時に使うのだろうと覚えれる言葉はそれなりに多くあって。

 弥代が口にしたのは、老婆に対して何かと謝る時に、老爺が添えていた言葉、で。



「それからずっと……多分そうだ。」

 結局は(のが)れることも、距離を取ることも、話しを終えることさえ出来ぬまま、白状したように弥代はぽつりぽつりと話さざるをえないといった様子で語った。

 目は、合わせられなかった。それが何故か?と聞かれると、弥代はまた言葉を詰まらせてしまうだけに終わる。それだけで時間が過ぎていく。(いや)、話したくないと考えているのならいっそその方が好都合なのかもしれない。なのに、そうだと思えるのにそれを弥代が出来ない、その理由は、

「――弥代さん。」

 呼ばれる。

 呼ばれて弥代は、やっと目線を持ち上げる。

 目を合わせることはなかったものの、はたしてこれまで自分はどこを、何を見ていたのかさえも分からない。目を閉じていたのかも、開いていたのかも分からない。

「本当にそれだけで終わりですか?」

 唇に、ぐっと力が込められる。

「俺……は、」

 弥代は(うつむ)き、再び口を開いた。






 弥代は、恐らく目がいい。

 畑の大きさなんてのは場所によりけり様々なものであるが、頑張って目を凝らせば二つ三つぐらい離れた位置にいる相手の顔だったり、どんな表情をしているのかまで把握することが出来た。

 これで耳もよく遠くの音まで拾えて、というのが出来ればとても楽だったのだが、だったのだが、となる時点で並であった。

 それでも、片方だけでも十分であった。

 何も知らない、何も持たない弥代は、自分以外の人がどういう生活を送っているのかを、その様子を時間を掛けて目で見て、それを見様見真似で覚えるようにした。

 空腹を満たす為の手段もまた、何も金を稼いで人から物を交換する以外に、野山で狩ることが出来る野うさぎやネズミなんかを火を焚くなりしてそれで炙れば食べれることを学んだし、それらが難しい時は自生している草なんかを(むし)って食べれば、それでどうにかなることを覚えていった。

 それなりに順調に日々を送れているつもりでいた。“色持(いろも)ち”に向けられる迫害、以外はそこそこ。

 後は、

『気にしちゃいねぇよ。俺が正しくなかった、間違ってたっていうだけの話だろ、これは。だからおあいこって事でさ、穏便に話を済ましちまおうぜ?』

 面倒事に巻き込まれた時、最初に困った時に口にしたそういった言葉はとても役に立った。

 強く出ることはしない。いつだって身を引けるように、距離を置く。いざという時は食って掛かることはせずに、早々に自分の方に非があったことを認め、そうして火の粉が掛からないように立ち回る。

 数えきれないぐらい、弥代はそれに救われた。

 といっても、結局全く同じ、一言一句(いちごんいっく)同じというわけではないのだが、どんな小さなことであっても老婆を怒らせてしまった時に老爺(ろうや)が取った、添えたその言葉の効果は見事であったというだけで、弥代はそれを、二人と(わか)れた後もずっと口にしていた、というだけの話で。

 しかし、言葉や振る舞い方、生き方だけでなくこの世をどう渡るかの(すべ)を自分のモノにしていく(たび)、それらが増えていくに()れて、次第に言葉に含む意味も変わっていきつつあった。

 たった一人で生きてきた、生き抜いてきた弥代がそれに気付かないということは、そんなことはありえない。弥代は気づいていて尚、気付かない芝居(フリ)を続けた。

 場を繋ぐ為に必死に絞り出した、『わるい、まちがえちまったよ』という言葉は段々と形を変えて、自分に火の粉が降り掛からぬようにする、逃げるための言葉へとなった。

 ひどい目に遭う時は本当に酷く、(のが)れられないことだって一度や二度じゃ足りないぐらいあったが、それでも命まで取られなかっただけマシだと考えるようになり、それ以上を深く考えるのは止めるようにした。

 そんなものであると割り切ってしまえば、対して気にする必要はなくなったし、一々気にしてられないと深く考えるのは()した。きっとそっちの方が心が辛くなってしまうから。



 こんなのはきっと間違ってる。

 頭では分かっている。でも、けど自分は弥代は他に(すべ)を知らないから、弥代は他にどうしたらいいのか分からないから、だから間違えていると分かっていても、分かっていたとしてもこれしか出来ない。

 正しくない、正しくなんかないけどこれが弥代に出来る精一杯の――、

『そうだ、だから俺、癖なんだろうな?

 多分、全部自分に都合よく考えちまうの。』

 そう、だ。

 最初はそんなじゃなかった。全くそんな意味で口にしたわけじゃなかった。でも気付いていても気付かないフリをし続けて、そうして行き着いた結果が、形を変えて弥代の中に定着したのだ。【言い訳】と、して。

 ある種の免罪符だ。

 自分には出来ない。これが自分に出来る限界だ。だから結果を残せなくても、望んだ通りに事を進めることが出来ずとも仕方がない、そう仕方がないんだ。

 それよりも、そんなところで(つまず)いてしまった方が駄目だ。だから、だから仕方がないことと、(はな)から諦めてもよかったはずなのに自分は頑張った、と。やれるだけのことは十分にやった、誰にも責められたりなどしない。許されて、いいんだ……と。

 これまでがそうだったんだ。だからこれからも、これからもずっとそれが、それはずっと続くものだと思っていた。そう、信じて、いた。

 それっ、なのに――――ッ‼︎



 それで、済まなかった。

 そんなものでは済まされない、済ましようがない、済ませるはずがない事態に直面した。

 今まではずっと、ずっとそれでよかったはずのものなのに、それでどうにか自分は立ち上がり続けることが出来ていた、というのに。

 あぁ、でも……また、また弥代は繰り返す。

 今までが本当にそうだった、から。でも、でも別にいいとも思えた。だって、だってそれらはもう手放してしまってもいいものだ。それに固執する理由が、きっと今の弥代にはもうない。どれだけ見渡してもどこにもありはしないんだ。

 それだけで、と言われてしまえばそれまでだ。理解してもらおうなんて、ましてやそれを辛かったね、なんて慰めてほしいわけじゃない。弥代は、弥代にはもうそれを、それに一々(こだわ)らなきゃならない必要がなくなったと、ただそれだけの話で。

「もぅ、疲れたんだ……っ」

 最初からこんなことになると分かっていたなら、弥代は絶対に彼女の、扇堂雪那のことを助けたりなんてしなかった。

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