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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
前篇・蒙霧升降、風知草(全25話)
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二十話 再考

 あのような話を連日しなくてはならなかったというのが大きな要因としか思えない、他に思いあたる(ほし)がないものだから相良はこれ以上は今の状況に執拗に触れる、刺激を与えるのを一旦は止める――時間を置くこととした。

 昨晩の話の中で自身が気付きを得るまで、長年極力目を逸らし続けていた、自身の中の根幹とも呼べよう“色持(いろも)ち”に対する差別意識を、特に色濃く感じるようになったきっかけに触れられたことで、やはりある程度の余裕(ゆとり)を持って過ごすことが出来る。

 わざわざ前もって時間(期間)を提示したものの、考えていたよりもずっと早い旅路に、焦りを(いだ)いていなかったわけがない。想像よりも早く目的地である京に辿りつけてしまった、として。その後の榊扇(さかきおうぎ)への帰路や、懐の具合、(よう)する時間、扇堂家(せんどうけ)へどのように弁明をせねばならぬか(など)の、最悪の場合は頭を悩まさねばならない問題が恐らくは無意識の(うち)に頭の中を占拠していて、それ()に悪さを働いていたのやもしれない。

 数えにしてこの年で二十九(にじゅうく)ともなる、自分はしっかりせねばならぬ大人の立場にあるというのにも関わらず、どうして自分の頭の中ぐらいまともに整理することさえ出来なかったというのか?と、恥を覚えずにはいられない。

 とはいえ、それらを全て踏まえた上で昨晩、自身がやっとそれにやっと目を向けることが出来たのであろうから、そうなってくると一連の流れは間違いなく、どれをとっても欠かせぬことであったのだと、相良はそう思う。

 そして、そう至るに至った今だからこそ認めざるを得ないのは、あれほど何度も向き合ったつもりになっていた弥代のことを、相良はこれぽっちも見ていなかったのを自覚した。

 弥代が口にした自嘲混じりの、相良は弥代のことを買い被りすぎだ、というその言葉の真意を、二度(にたび)受けることにより、やっと理解したのだ。

 弥代という存在がどれほど、相良が考えていたよりもずっと、何も知らない幼子であったと、いうことに。






 春原だけではない、榊扇の里において、一万にも及ぶ民が信仰を寄せる、神仏(しんぶつ)として(あが)(たてまつ)られる存在――水虎(すいこ)に畏れ多くも対峙した際、相良もまた怪我を負った。

 その名にも含まれる【水】を(おのれ)の意のままに(あやつ)れてしまう、人の道理が決して及ばぬ存在に向き合い、深傷(ふかで)ではなく軽傷で済んだのは奇跡としか思えない。(駿河で対峙したかの存在は、対峙をした時点で既に人々からの信仰も寄せられなくなった、風前(ふうぜん)(ともしび)に近かった為にどうにか数人で退(しりぞ)けることが出来たというだけで、本来人ならざる、人の信仰心により(まつ)られる存在というものは、(そう)じて人だけの手でどうにかすることは出来ない。)

 が、早々に気を失うに至った相良と違い、春原もまた相良と同じ水流を受けて一瞬は気を失いかけたそうだがどうにか持ち耐え(まったくもって信じ(がた)い話だが)、そうして軽傷で済んだ相良に対し、深傷……とまではいかないがそこそこの怪我し、という状況であったのだが――

『なんだよ(くま)野郎、お前さんもう随分と大丈夫そうじゃねぇか?』

 それが、相良が弥代を間近に見た、初めてだった。



 自身が負った怪我よりも酷かった筈なのに、相変わらず怪我の治りが早い春原()の方が寝台から問題なく起きあがれるようになった頃、あまり他所の屋敷に長居をしすぎても悪いからと、早々に話を済ませ榊扇の里自体を後にしようと相良は動いていた。

 というのも、此度の一件はことの成り行き(じょう)偶々(たまたま)どうしても避けようがなかった、やむを()ず巻き込まれただけの立場である。

 神仏の誤解はとけ、二度と同じような目に遭うことはないとわざわざ謝罪までされはしたものの、妖討伐を生業(なりわい)としている立場の自分らが仮にも、今も色濃く信仰を寄せられる相手とはいえども力及ばず、その(ふところ)でいつまでも介抱を受ける側に居るという事実が、あまり気持ちのいいものではなかった。あくまで相良個人の見解だ。

 しかし、十日(とうか)ほど世話になった屋敷を明日にでも()とうと準備を進めていた前夜、里の女主人から相良に声が掛かったのだ。

 十日とはいえ、それなりの時間を扇堂家の屋敷で過ごしたというのにも関わらず謝罪に限った話ではなく、榊扇の里の女主人として里外(さとがい)でもその名が広く知れ渡る、扇堂家七代目当主・扇堂杷勿(はな)、その相手と直接顔を合わせる機会には恵まれなかった。

 当主の言葉は全て代理の者の口から聞かされており、血筋にあたるたった一人の孫娘の行方が知れず、という騒動があったのだと(あらかじ)め説明を受けていた為、一連の後始末であったりをせねばならない立場に()られるのではないかと目星を立て、直接拝むことが出来ずとも仕方がないものと納得をした矢先の出来事であった。

 


 扇堂家の御屋敷より()つ前夜、直接話があると相良を呼びたてた大主から持ち掛けられ、里の重要人物以外はあまり立ち入ることすら許されていないとされる、中央の御堂に(おもむ)いた。

 人間が(いだ)く信仰心により、人ならざる存在――あるいは元より人間の強い願いによって生まれた【神】と崇められる存在に到底及ぶわけがない。

 想いや祈りを託された存在は、在り方を定められた存在というのはとても強固だ。

 (おご)りでは決してなく、周囲と(くら)べてみるとそれらに精通している、知識がある相良は、しかしいざ向き合ってみれば、神仏として祀られる水虎などよりも、一万にも及ぶ民の安寧を願わずにはいられない、その座より退(しりぞ)くことなく居座り続ける、若さなど微塵も感じれぬ老婆に対し、(おそ)れを抱かずにはいられなかった。

「それで志朗(しろう)、貴方はなんと言葉を返されたのですか?」

 注ぎ口からも細く、湯気が立ち昇る。

 此方(こちら)に目もくれず、分かりきっている回答を一々言葉にして聞かせろ、とでも言いたげな態度を取る彼女よりも、自分が優位に立てる日がまるで想像の付かない相良は大人しく彼女の望むまま、大主に対し述べた言葉を口にした。

「……勿論、お受けいたしました。

 ……いえ、今になって思い返してもあまりにも此方(こちら)……私共(わたくしども)に対する条件――待遇が()すぎた為、何か裏がある、あるいは罠でないか、と疑わずにはいられませんでしたが、話をお伺いする(うち)にこれを飲まない手はない、と思い、誠に勝手ながら私の独断でお受けした次第であります。断る理由が直ぐには浮かびませんでした。」

 というのも、大主が相良に対し持ち掛けてきた提案は、かねてより検討をしていた案であり、それに見合う者が現れた際には事が(とどこお)りなく進めるように前もって根回しも済んでいる、そういった話、であった。

榊扇の里(こっちの庭)に、移る気はないかい?』

 春原討伐屋などと、敢えて注視する一族の膝下(ひざもと)(わざ)とらしく看板を(かか)げ、人目(ひとめ)を避けることはなく目に付く場所に居座り、逃げも隠れもせずに堂々と振る舞ってみせようなどと言い出したのは、自分を含めた身近な男達よりもずっと肝の()わった伽々里(彼女)である。

 いざ相手方が詰めてこようものなら、それを(のが)れる手立てはいくらでも用意いたしましょう、それ等の協力を()しむことはしない、などと一切躊躇(ためら)わずに言い張るもので。彼女からの提案を持ち掛けられた時も、断る理由をいくらか浮かべども、全て切り伏せられてしまい、結局のところは誘いを受けることしか出来なかった。

 望まれたままに、事の顛末(てんまつ)を含め語った矢先、肩を小刻みに揺らし、隠す素振り一つ見せずクスクスとまで声を漏らす姿を前に、そんな過去のやりとりを思い返しているのだろうと相良は勘繰(かんぐ)らずにはいられなかった。

 何も、それは恥じることではない。

 自分の頭だけではどう足掻いても浮かばない考えに耳を傾け、それで得られる()がどの程度であるかを見定め、聞き入れ、そうして()を結ぶことが出来るのならば、あって困ることはない。寧ろいい機会を得られた、と消化することが出来る。

 だから相良は大主の提案を引き受けた。

 恐らくはこれから長い(あいだ)、里に居座ることとなるだろう、人ならざる存在――“鬼”と称される青髪の子どもを見張る役目を一人、(うけたまわ)った。


 (じつ)のところ、伽々里から話を聞くよりも前から、相良は弥代が人の身ではない、人ならざる存在であることを知っていた。

 扇堂家七代目当主・扇堂杷勿に一人呼び出され、武蔵国(むさしのくに)の店を(たた)み、扇の傘下(さんか)に加わらないか(つまりは神仏の加護を賜ることが許された事を意味する)、といった誘いであった。

 彼女から受けた言葉があった為、他に行く宛も浮かばぬものであったから渋々ながらもその提案を受け入れて早いもので五年は()っていよう。が、いくら彼女の助力を――かつて【神】と祀りあげられていた存在を味方につけていようとも、それが何時(いつ)迄も続くものではない、という不安が相良の頭の中には()ったのだ。

 そこからは、本当にあっという()のことであった。

 小仏(こぼとけ)にて二手(ふたて)(わか)れ、先に武蔵国(むさしのくに)の店に戻ってきていた伽々里を始めとした館林と芳賀(よしか)に対し、今後の流れを相良は疑問を残さぬように伝えた。

 館林という男はあまり欲がない、気力の薄そうな男ではあるものの、自分が納得出来ないことには中々首を縦に振ることのない、頑固な一面を持ち合わせていることを互いに信頼関係にある相良は熟知していたために、目を合わせて頷く友に安堵した。

 芳賀は討伐屋における一番の若輩者(じゃくはいもの)で、顔が広く人付き合いも得意な青年であった事から、(えん)(きず)くことが出来た歳の頃が近い若者らと(わか)れることをいくらか(しぶ)りはしていたものの、相良の決断と言葉に誰よりも耳を傾け、友よりも恩師の為になることをしたい、と受け入れてくれた。

 そして――、



 しっかりとした主従関係があるわけではないが、傍に(つか)えることを決めた春原に対し、相良が掛ける言葉はなかった。

 何に対してもそれほど関心を示すことがない、興味をまるで(いだ)かない、ただ人ならざる存在に対し、相手が(なん)であるかを知った上でその存在そのモノを断ち切る為だけに刀を振るう。

 この先もずっと、変わることなくそのままであると思っていたのに。

『……弥代。』

 貴方の中の何が、どうして彼女――弥代という存在ににだけ向けられるのかが相良には理解出来なかった。

 通じぬと、複雑な表現や、遠回しな言い回しを(まじ)えてしまうとそれを汲むのがどうしても得意ではない彼は、答えを出すまで口を閉ざし、自分の中の答えが見つかるまで静かになってしまう。時にそれは、此方が要求する答えから大きくかけ離れて返ってくることも少なくはなかった。

 だから、なるべく簡潔に。彼から素直な気持ちを、それを引き摺り出してやることが出来ることを願い、相良は春原に(たず)ねた。

 貴方は弥代さんと、どう在りたいのか、と。





 かつて自身が春原の背を追うに至った七年(しちねん)前の一件で、遠巻きにだが目にする機会のあった()において拘束をされていた“色持(いろも)ち”の子であるというのが、その当事者とも犠牲者とも呼べよう春原の口から軽く触れられたことで一致し、昨年の春先に顔を合わせたのが初めてではなかったと分かってくるのだが、それはあくまでも今になって、の話でしかなく。

『俺は……ただ、』

 過去に相良が目にした、()た弥代というのは、今の彼女からあまりにもかけ離れた……いっそ別人と言われた方が納得が()く、それまでに纏う気に限らず全てが違っていた。

『……ただ、弥代の傍に()たい。

 それ、……だけだ。』



 武蔵国(むさしのくに)で店を一度は畳み、扇堂家の誘いに乗る形で相模国(さがみのくに)でその地の名を知らぬ者はいないといって過言ではない、榊扇(さかきおうぎ)の里へと招かれて(しばら)くし、偶然にも弥代は討伐屋の敷居を頻繁に、(みずか)らの意志を持ってして(また)ぐようになった。

 大主より、弥代を見張る役目を預かった相良からすると、有難(ありがた)いことこの上ない好機(こうき)に他ならなかった。

 弥代が討伐屋に踏み入るきっかけとなった芳賀(よしか)に対し、春原さんが気に掛けている相手であると伝えれば、此方に都合よく捉え、弥代により厚意的に接するようになっていた。

 館林はあまり若い女性が得意ではなかった為、そこまで関わることはないだろうと遠巻きに見ていたのだが、芳賀と一緒になって弥代と接するようにもなり、次第に駄賃稼ぎと称して、十日あればその半分近くは顔を覗かせるようになり。此方にやって来ずとも、扇堂家の屋敷周辺であったりの巡回に春原と二人で出歩く際は、よく春原が弥代を見つけ駆け寄ると事も珍しいことではなく。それなりに順調に、相良は大主に命じられた通り、弥代の行動を追うことが出来ていた。



 大主からは直接、三十年ほど前にもこの扇堂家に弥代が居着いていた存在であり、二十一年前に榊扇の里に降りかかった(わざわ)い――大火災が起こるに至った、その要因を作った相手と関わりがあると聞かされてはいた。

 弥代は、人の身ではない。

 人ならざる存在――(あやかし)、あるいは妖怪などと呼ばれる(たぐい)の存在である。

 しかしその見た目は非常に人に近しく、弥代の取る挙措(きょそ)はどれを取っても、人、と錯覚をしてしまいそうになる、あまりに人間染みていた。

 だと、しても……






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ) 二十話






 昨日(さくじつ)のような真似を絹がすることはなかった。

 というのも、かなり早く進みすぎてしまい箱根の関所を通過し相模国(さがみのくに)から駿河国(するがのくに)に出たが、箱根宿(はこねしゅく)を出立してから二日目にして駿河国(するがのくに)遠江国(とおとうみのくに)の手前に位置する大井川(おおいがわ)まで辿り着いてしまったからだ。

 榊扇の里の東西に位置する東の馬入川(ばにゅうがわ)や西の酒匂川(さかわがわ)がそうであるように、大井川(おおいがわ)もまた、対岸までそれなりに離れているというのに橋が()けられてはいない。

 というのも、江戸幕府に政権がまだあったとされる時代、江戸の治安を維持する為に、五街道(ごかいどう)の一つである東海道(とうかどう)などは特に簡単に川を渡れてしまわぬように、と橋を架けてはならないと、禁じられていた。

 また、藩政の頃より大井川(おおいがわ)は幾度となく大規模な増水や洪水に見舞われることが多く、そんな危ない川を渡るにはそれ相応の値がどうしても掛かる。そして、それを請負(うけお)う、川越人足(かわごえにんそく)の数にも限りがあり、荷はそれほどなくとも人が四人に馬が二頭。それなりの大きさがある荷台も合わせるとなるとその値は、

蓮台(れんだい)を使うにしてもウチで一番大きいのも持って()にゃ厳しいなぁ? この(あいだ)あっちに行ってからまだ戻ってきちゃねぇから、普通ならあるもんでどうにかなるのをわざわざ持って来させねきゃならねぇ手間も含めて、馬は一頭につき一人つけたとしても川札(かわふだ)ァが少なく見積もっても、(ちゅう)(だい)(あいだ)をとって……二十八、……いや、二十九枚でどうだい嬢ちゃん?」

「いえいえ、どうだいなどと(おっしゃ)られましても(わたくし)の一存では判断が難しい話かと。中と大の間をとって、などと言われましても、そもそも元の中と大がどれほどであるかも一目で見て分かるものがなければ此方()は判別のしようがないと思えてならないのですが、そこの処はどうなのでしょう?」

 京から榊扇()へやって来る際は中山道(なかせんどう)から甲州街道を経由し、川沿いに南下してきたものだから川越人足(彼ら)がどのように(あきな)いをしているのかはあまり詳しくは知らないと言っていたのが嘘と思えずにはいられなくなるぐらい、ハキハキと喋る姿は商人になって一年そこいらには到底見えない。

 今は亡き父は、生前に両替商(りょうがえしょう)(めし)を食っていたものだからその背を見て育った自分は(あきな)いの中でも特に細かい金勘定なり算術が得意なのであると、意気揚々と前に出ただけはある、という評価は今だけ素直に出来そうだ。

 それをするのがうら若い女子(おなご)――見た目だけで判断するのなら十七、八ほどの女性だというのも重要となってくるのかもしれない。

 同じ女性であっても弥代よりは遥かに大人びた体つきをしているが、それでも向き合う川越人足(かわごえにんそく)の、勘定(かんじょう)を任されているであろう男と比べれば、肩幅は男の半分あるかないかという小柄さだ。

 体格や男女の差程度で圧倒されることなく、堂々とした物言いには応じた者の方が逆に気負(きま)けしてしまうものだから実力として認めてやるべきなのだろうが、(彼女)のそれはただの怖いもの知らず、にも見てとれる為、それ以上を見届けるのを相良は止めた。



「――というわけで、今宵(こよい)はなんと川越人足(アチラ)の方々の御相伴(ごしょうばん)(あず)かれることとなり、日頃贔屓にしていただいているという宿に私共(わたくしども)も一晩お世話になる流れになりました。

 本日は既に遅い為、向こう岸に辿り着くのは明日(みょうじつ)とはなってしまいますが、()めて川札が二十九枚で手を打たせていただいております。」

 やや仰々(ぎょうぎょう)しく頭を下げる表情が誇らしげであるのは言うまでもない。挙句、交渉は一切(こじ)れることなく双方が納得する形でまとめることが出来たそうで、これには相良も純粋にたまげたものだ。てっきり不躾で怖いもの知らずの(彼女)の軽率な発言で、相手方の堪忍袋の尾を一つ二つほど踏み抜いてしまい、(もつ)れるものとばかり思っていたからだ。更には明日の川越えまでの(かん)、宿まで根回しをしてもらえているという。

 これには問答無用で、いくら知り合ってまだ五日にも満たないというのにすっかり礼儀の()いた態度に沸き立った憤りも()めるというもの。感心せずにはいられない。 が、何はともあれ、限りある懐が何もせずに増えるということはなく、何においても相良達に代わり支払うのは絹になるので、彼女が好きに振る舞うのを止めなかっただけではあるのだが。

「さぁさぁ弥代さん、此方(こちら)ですよ私についてきてくださいな!」

 絹に腕を引かれ、先を()く弥代をついつい相良は目で追う。

 その後ろ姿はなんとも心持たない。

「春原さんは――、」

 そんなつもりはなかったというのに、不意(ふい)意図(いと)せず相良は自分の右隣に並ぶ彼の名前を口にしていた。

「…………呼んだか?」

「……えぇ、はい。」

 歯切れが悪い。けれども無意識であろうが呼んだ事実は変わらない。だから相良は少しだけ頭を(ひね)り、春原にでも(つう)ずる言葉をいつもの感覚で探した。

「春原さんには…………、春原さんは、弥代さんがどう見えますか?」

「……どう、とは何だ?」

「それ、は……」

 言葉を詰まらせてしまう。

 彼の前で考える素振りはするだけ意味がない。飽きて関心を失い、話の腰を中途半端に終えることはなく、自分が(たず)ねた事柄に対し納得の()く答えを得られるまで待つことも少なくはない。

「そう……です、ね。」

 その、後ろ姿を変わらずに目で追う。

 歩幅を大して変えることなく、今まで通りの(あゆ)みを(とどこお)ることなく進む自分や春原と違い、絹という他者に腕を引かれ次第に離れていく、距離が遠くなる弥代の後ろ姿は段々と小さくなっていく。(それは、弥代を引く絹もまた同じではあるのだが)

 小さい……そうだ、弥代は小さいのだ。

 “色”を持って生まれてしまい、身寄りを知らず、女であるものだから常に弱い立場に立たされている。口が達者なように振る舞ってはいるものの、会話の肝心な部分をまったく理解していないこともあれば、話が分かってないというのに(いぶか)しげな表情だけを繕ってみせて、形だけ知ったかぶりをすることだってある。知っていることもよりもずっと、知らない方が多くて。

 弥代、は――――

 …………弥代は、人の身ではない、“人”ならざる存在だ。大主から聞かされた話によれば、少なく見積もっても弥代は今の姿のまま三十年以上生きていて、今年で数えにして二十九(にじゅうく)になる自分よりも少しばかり多く生きていることとなるやもしれないが、相良と同じだけの事柄(モノ)を知っているというわけではない。

 見た目相応、あるいは、それ以下。


大人(おとな)になったつもりでいるだけの、可愛げがないだけでまだまだ未熟な方ですよ、弥代さんは。』

 ――それは相良自身が以前、伽々里(彼女)を相手に述べた見解だ。

 大人になったつもりでいるだけの、可愛げがないだけでまだまだ……、弥代という相手はまだまだきっと未熟、で。

「…………。」

 相良は、深く息を吐き出した。






 それに気付いてしまう、目を向けることが出来てしまうと、気が遠くなるほど手間と時間が掛かる、無駄ばかりが目立ってしまう遠回りに(ほか)ならなかったのではないか、と思えてならない。

 いやいや、何を今更……という考えがないことはない。自分という人間は決して、人より頭を働かすのが得意、(ひい)でているということはなく、ただ物事を深く。そう、深く考える癖があり、これまでの人生で偶々(たまたま)それが(こう)(そう)すことが多かったもので、周囲の者に勘違いをされる度々(たびたび)あったというだけだ。

 ()らぬ、手の伸ばす必要がないところまで伸ばし掻き集め、自分を納得させる理由を探すのは、相良の十八番(おはこ)であろう。が、()らぬというのはあくまでも相良以外から見れば、の話だ。相良自身、それを()らぬなどと身限り、あっさりと切り捨てることはしない。

 後々になって何かしら、全く接点がない、関係がないと思っていたもの同士が不意に噛み合うことだって無くはないのがこの世の中というものだ。

 だからそれだけ、それだけ相良の頭の中には常に、四六時中沢山のことが溢れかえっていて、それで、

「――――ですので、()ずはこれまでの発言を貴女に謝ろうと思った次第です。

 貴女に向き合ったつもりで、お恥ずかしい事に私は一切目の前の貴女を見てなどいなかったのです。」

 それは(ひとえ)に相良には相良以外に()えぬ、特別なものが()えてしまっているから、というのもあったのだろう。それをもってして、相手の気持ちにどれほどの余裕(ゆとり)があるのかを(はか)り、頃合いを見て口火(くちび)を切るなんて事はこれまでに何度もしてきた手だ。

 相良に()えるそれを知る者は(かぎ)られ、それを(こころよ)く受け入れる者が誰一人いないことを相良は理解していた。

 だからなるべく、本当に必要となった時でないと、意識して見ないようにと心掛(こころが)けていたつもりであったのだが、結局は無意識の(うち)にそれを(たよ)りにしている自分がいた。使えるものを、自分の手札としてそれをしっかり(くわ)えていたのだ。

 他に比べ多くを知ることを(おご)るわけではなかったものの、自分さえも気付かぬ()に、他が持たぬモノで相良はずっと胡座(あぐら)を掻いていたのだ。

 全てを知った気になっていた。常に一歩引いたところで全体を見渡せる、冷静に振る舞えている気になっていたのだ。本当に、恥ずかしい限りだ。

「……だから、何だってんだよ?」

 若干の()(はさ)まり返ってきた相手の声に、相良は傾けていた頭をやっと持ち上げた。

「明日の晩、また私とお話しをしてはいただけませんでしょうか?」

「……は、」

 絹が話をつけ、一晩世話になることとなった宿屋において、敷地の隅に位置する浴場から用意された部屋への短い道中の弥代を、相良は呼び止めた。

 日が暮れては足元が見えなくなり、まるで商売にならないと早々に店じまいを決める川越人足(彼ら)の仕事は朝も夜も早い。個々に家を持つのではなく、身内の全員が身を寄せ合える大きな家を一軒建てたいのだが、潮風と切っても切り離せぬ海が近い場所で、新しく立派な家を建てるとなるとどうしても金が掛かってしまい、それだけの材木(ざいもく)を用意するのも一苦労なのだと、話していた。

 その為、宿へ案内をするついでにゾロゾロとやって来た彼ら食事が終わると早々に汗を流し、寝床についてしまった。三十人近くが一気に泊まっている宿だというのにとても、静かだ。

 僅差(きんさ)で部屋へと戻った、既に背を見送った後であるために邪魔をされることはないだろうと安堵し、相良は弥代を呼び止めた。

「まだ……、あれ以上アンタと、何を話すってんだよ?」

「……えぇ。今先ほどお伝えしました通りです。貴女と、しっかりと向き合い話がしたいのです、私は。」

 二度も買い被りすぎだ、なとど言われてしまいましたしね、と言葉を続ける。

「別に、気にしちゃいねぇよ。」

「私は気にするのです。」


 

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