十九話 教え
頑なに出てこようとしない、聞く耳を持たぬ相手を力技でどうにかしようとは思わない。ならどうするのかという話になるだろうが、案外それほど難しいことではない。
ほんの少し手心を加えてやり、相手が自分から出てくるのをただ待てばいいだけ。
揺れがいくらか落ち着いたところで、彼は再び荷台の縁へと手を掛けた。それだけで四隅で縮こまる小さな影が、大袈裟なほど辟易ろぐのが見て分かる。
たった一度でそんな反応を見せる、そんなになってしまうのだからなんと単純なのだろう。
「“色持ち”とは――、」
古くよりこの島国に根付く、“色持ち”に対する迫害意識というものはとても厄介なもので、どれだけ時が移ろうとも、国を治める立場の者がいくら変わろうともそう簡単に拭いきれるものではない。
『何度も言わせんじゃねぇぞ兄ちゃん。
“色持ち”に売ってやる品は生憎とこの店にゃありゃしねぇんだよ、他あたりな。』
それは伽々里から使いを頼まれ、出向いた市でついでと言わんばかりに相良が梅の実を探していた際、目当ての品を扱う露店で店主らしき男から浴びせられた言葉だ。
此方が見合う、あるいはそれ以上の金子を払うと言っても聞き入れてはもらえず、中々引き下がらない“色持ち”の男を見て面倒に感じでもしたのだろうか、終いには実を一粒渡され、とっとと帰れ、と口すら利いてもらえなくなってしまった。
それが特別どう、というわけではないのだが、里の外ではごくごく当たり前のこと。同じ人を人として見ない、扱わないことすら珍しいことではない。
里を治める立場にある扇堂家の当主、及びその家系に
“色持ち”が多いことから、相模国における榊扇は、他所のように“色持ち”が非道な扱いを受けることは少ないとされる。しかし、それはあくまでも他所と比べた時に少ないというだけである。色の有無に関わらず分け隔てなく平等な生活を送ることが出来るはずの榊扇の里であろうとも、皆一様に口にしないというわけでは断じてない。
そういうもの、と受け入れてしまう以外にやり過ごす手のない、日常の一片でしかないのだ。
賊の手に掛かり運悪く亡くなってしまったという両親に代わり、祖父は幼い頃より相良の手を引き続けてくれた。
相良の祖父は自ら知識人を名乗った上で、他者からも尊敬の念を抱かれるほどには物事をよく知っており、特に書に記すもいつしか風化されてしまう古い言い伝えであったり、島国の歴史や“色持ち”がこれまでどのような扱いを受けてきたきたのかに関してもとても明るかった。
そんな祖父曰く、“色持ち”という存在は古くよりこの島国に存在し、直接記されることはやはりなかったそうだが、少なくとも数十、数百年、あるいはそれ以上前から存在しているようだった。
黒い髪に黒い瞳が当たり前とされてきた、四方を海に囲まれた島国において、黒から逸脱した異質な“色”を持ち生まれるというのは、どうあっても受け入れ難い。
また、倒幕から今日に至るまで、この島国・日本はどうやら完全に外界との関わりを断っている。それ以前の時代では国の取り決めによって外界との交易が制限されることはあったものの、完全に断たれてしまうということはこれまでなかったそうだ。
というのも、“色持ち”が生まれながらにして有する“色”というものは、稀に海より引き揚げられることがあった、もしくは舟に乗りやって来るという外つ国の者が有する“色”に近しいというこもあり、外界よりやって来る簒奪――あるいは侵略者の類ではないかとされていた時代もあったからだ。
外界との交易が盛んに行われる、まだ外界の存在が広く知れ渡っていなかった時代より場所によってはそんな風に実しやかに囁かれていたのだからそうなのだろう。
時代によりけり、どのように解釈されてきたかというのは多少は異なりはするのだろうが、少なくとも相良が祖父より教えられた内、“色持ち”と呼ばれる存在がこの島国ですんなりと受け入れられたという歴史はほぼ無いに等しい。
「私もまた、貴女と同じ様に赤い瞳を有しております。叔父は色を持たぬ方でしたのと、両親が既にいないという事もあり、生きていく上で必要な術を教えて下さる傍ら、“色持ち”がどのような扱いを受けるか、というのをしつこいぐらいに教わりました。
それはそれは……非道い、ものでした。」
あまり、思い出したくないものではあるが、それでも相良は言葉を選びつつ、自身が嘗て目の当たりにした、“色持ち”が受けたという扱いについて触れた。
「当時の私と、それほど歳の変わらぬ子でした。」
何か罪を犯したわけでもないというのに、後ろ手に縛られた青みの強い髪をした幼子が頭を地面に付け、首を晒し震えていた。
ただ聞くだけでは分からないこともあるだろうと、いつものように祖父によって腕を強く引かれ、そうして相良が連れて来られたのは偶々立ち寄った村の、それを治める長の家の生垣の前で。
自分や祖父の他に、ほんの少し前に村ですれ違った村民達も同じように生垣の前に立ち、遠目に“色持ち”の幼子を見ていた。
それが何であるか、相良はその場で直接祖父に訊ねた。“色”を持って生まれることで普通の暮らしが送れぬことは知っている。距離を置かれ煙たがられる。理解を拒まれ、懐に迎え入れられることなく恐れを抱かれ、受け入れられることもなく孤立することを知っている。その程度であるならば当時六つになったばかりの相良でも理解出来ていた。
行く先々で自身が持つ瞳の“色”がバレれば大人達に気味悪がられ、祖父の目が届かぬ時に石を投げられたり、出ていけと言われながら水を引っ掛けられることも度々あったからだ。だから祖父に前に出るように促されない限り、相良は祖父の後ろに隠れることが多かった。
『見ていればそのうち分かるだろう。』
暫くして家の中から刀を持った男が出てきた。男はいつまでも震え、誰に届くかも分からぬ言葉をただ譫言を口にする幼子の前に立ち、そうして迷いなく腰にぶら下げた刀を引き抜き、そして――
「“色持ち”は“色持ち”でも、何かしら突出するように秀でた才に恵まれる者がいるのはご存知でしょう。」
食わないのか、と訊いてくる祖父を見て、相良は胃にそれまでどうにか頑張って納めたモノを全てばら撒くように吐き出してしまった。
「怪我の治りが早かった、と聞かされました。」
武士の真似事、だったそうだ。
刀を、人の命すら手に掛けたことのない村長の息子が、どこぞでどうやって手に入れたのかすら分からない、誰がどのような用途で使っていたのかも分からない刀を得て、試し斬りをしてみたいと我が儘を申した。それに偶々その村で育った、“色持ち”の幼子が丁度いいと選ばれただけの話。
「……ひどい、光景でした。」
祖父と相良は偶然に立ち寄っただけの村であった。しかし食事がてら足を休ませるのに入った茶屋で、断面がひどい有り様の漬物を目にしたのだ。
知識人だけでは飯が食えぬ。本土へ逃げ果せた際に補助をしてくれたという家臣の中に鍛治屋の出の者がいたことで、幼い頃から多く触れて育ったという祖父は、路銀が足らなくなるとその才で銭を稼ぐことも少なくなかった。
今になって思い返してみるとそれは、村長の家に招かれてそれほど経っていなかったはずで。どうして余所者である祖父がこれから家の庭先でそんなことが起きるのかを知っていたのかを考えれば、答えは明白で、同時に納得が行く。
まだ世の中の厳しさを、“色持ち”という存在が如何にこの世界において扱われるのかを、どの様にされようとも抗いようのない、助けを乞うたところで時にそれが意味がない事を教えるのにそれは、またとない丁度いい機会で、あったのだろう。
「人を斬ったことがある刀というものは、見る者によってはやはり分かるものなのでしょう。」
茶屋において何やら祖父が見知らぬ相手に執拗に頭を下げられるのを目にしていた。今になるとそれも、憶測にしか過ぎないと分かってはいるが(それでも)、きっと鍛治師に一度刀を見てもらえないか、といった相談であったやもしれない。
ただ、祖父は鞘から抜かれた刀身をジッと見つめ、それ以上触れることなく直ぐに鞘へと戻した。
「怪我の治りが早い、といっても限度があります。
弥代さんは守宮というものはご存知でしょうか?蜥蜴の尻尾切りというモノが御座いますが、蜥蜴のそれはあくまで尾のみ、だそうです。ですが守宮のそれは蜥蜴のような尾だけでなく、時に四肢や心の臓までも元に戻る、と。その様な嘘か本当か分からぬ話を聞いたことがありまして。
……いえ、あまり聞くにしても話すにしても気持ちのいい話ではやはりありませんでしたので、少しばかりの寄り道を……余談程度に挟んだだけに過ぎませんので深く考えていただく必要は全く無く。
……えぇ、ですが。そう……ですね。元に戻ったところで、といった話にはなりますがね。」
罪を犯した者の処刑に、刀の試し斬りが行われていたというのは教わったことはあるものの江戸の頃も、それも初期の頃までの話のはずだ。
血で血を洗ったとされる血生臭い世が幕を閉じ、徳川によって切り拓かれたとされる太平の世とまで呼ばれた時代になると刀を扱う者も減ったとされる。中頃になると漢文で記されたという人体に関する書が島国にも広まり始め、それを元に処された罪人の検死がされる事もあったそうだ。
それとは全く、訳が違う。
青みの強い“色”を持った幼子は、少なくとも相良の知る限り、何も罪など犯していない。祖父の口からも彼が悪事を働いたから斬り伏せられたなどという説明は一切出て来なかった。
口々に、村長の家の前へと集まった村の者達が話す、“色持ち”であるのだから仕方がない、“色”なんかを持って生まれてしまったことを精々悔やむべきだ、自分はあんな薄気味悪い“色”などを持って生まれなくて本当によかった、彼を生んでしまった親もこれでやっと解放されるだろう、怪我の治りが早いと聞いたことはあるがどれだけ早いのかは知らぬものから見ものだ――等の言葉の、何処を見渡してみても、“色持ち”の彼を気遣う言葉なんてものは一切なく。
そうして自分とそれほど歳も変わらないであろう幼子の首筋に錆びた刀身が食い込むその光景を、相良は目の当たりにした。
どこからどの様に手に入れたのかも分からない、錆びた刀身を前に、それを研ぎなおすのをもし祖父があの時に引き受けていたのなら、研ぎ終えるまでの間だけでも、彼の命は奪われずに済んだのかもしれない。
祖父が研ぎ直した刀であったのなら、もっと彼は痛い思いをせずに楽に死ぬことが出来たのかもしれない。いやそもそも彼が、彼が“色”を持って生まれてなどこなかったらあんな事は絶対に起きなかったと、そう思わずにはいられない。
彼の首筋に刀が食い込んだ、その後はとてもじゃないが見てられなかった。いくら大人とは違い小さな子どもの体だとしても、それなりの太さがあり丈夫なものだ。錆びた刀身で、刀を大して扱ったこともないような武士の真似事と高らかに叫ぶだけの男の腕っぷしなどたかだか知れている。浅く食い込むも、一斉に噴き出す血が、彼の纏っていた着物を一気に赤く染め上げ、庭を鮮やかに彩った。痛みに耐えきれずに、それまで震えながらもその場で頭を垂れていた姿勢を保ちきれず、暴れるように立ち上がろうとしたのだろうが後ろ手を縛られたままであったが為に足を滑らせ横転してしまった。そして、村長の息子が再び振り上げた刀が今度は正面へと、横転した際に運悪く天を向いてしまった彼の体の、背面とは違いいくらか軟らかさのある部位へと沈められた。
最初よりも力が込められていたのだろうか、遠目に見ても深く沈んだように相良にはそれが見えた。ただ体は内側に丸めることが出来るものだからそんな風に見えるだけなのではないかと信じたい、相良はそう信じたかった。けれども、そうじゃなかった。そうでは、なかった。
血というものは、始めの内は鮮烈すぎるほど赤いというのに、時間が経つにつれて黒く色が淀んでいくものなのだとその日、相良は知った。それは数えで六つになったばかりの年の出来事で。自然に存在するどんな色よりも鮮やかすぎる色によって上書きされてしまったようで、それが何時の季節に見た光景であるかだけが、大人になった今でも相良はどうしても思い出せない。
否、思いだすことに集中して、ゆっくりと記憶を遡り、手探りのように時間を掛けて向き合えばきっと、それが何時であったかを思いだすことは叶うのだろうが、そうだと分かっていながら相良は二十九歳になった今も出来ない。
怖い、のだ。
目を逸らそうにも、いつもの様に祖父の後ろへと身を引き、隠れようとしたくとも教えの一貫だと言って、逃げることを決して許してくれない、痣が残ったということはないのにその場から離れることすら許してはくれないと言いたげに肩を掴んでくる握力が。
ひどく、焼きついている。
「そういうものなのですよ、“色持ち”というものは。」
ただ“色”を持って生まれたというだけで、周囲に馴染めない“色”を偶然にも有し生まれてしまったというだけで、それだけで虐げられる。
気味悪がられ、煙たがられ、心無い言葉を浴びせられ、近寄るんじゃないと罵倒され、石さえも投げられる。
でも、そんなのがまだ可愛いと思えるほどの扱いを受けることがこの世の中では当たり前で。
“色”を持って生まれた我が子を、“色”を持っていると分かるや否や、首も座りきらぬ内に手に掛ける親だって当たり前に存在する。生まれてきた子の、これからの人生を憂いてするのでは、ない。“色”を持った赤子などをこの世に産み落としてしまった、己が今後どのような扱いを受けるかを恐れ、手に掛けるのだ。
“色持ち”などを生んでしまった親――特に母という生き物の末路は非情なことも多い。親族どころか時に近隣の皆に生んだ責任を執拗なほど問いただされ、責め続けられる。よくて村八分といったところだ。
情けか、あるいは愛着を持ってしまい、“色”に気付いた時点で手に掛けられなくとも、少しずつ大きく育っていく“色”を持つ我が子を持とうとも、母の愛情はあっという間に底を尽き、恨み言へと変貌するのも時間の問題だ。相良は、そう祖父に教わった。
『――だから、志朗。』
“色持ち”が同じ人から不当な扱いを受ける、その光景を教えと称し見せてくる祖父の行動はどれも、お前が同じ目に遭わずに居られるのは何故だかをよく考えなさい、と言われているかのような、そんな気に相良をさせた。しかし相良にとって、相良がこの世に生まれ程なくして、運悪く賊に襲われ命を落としたという両親に代わり、一人でいた方が楽であろうに手の掛かる幼子を血の繋がりがある、孫であるからという理由だけで面倒を見る祖父が、“色”を持って生まれてしまったが故に普通の生活を享受することが出来ない幼子の為を思い、根無草になろうとも構わずに世話を焼いてくれる祖父は――相良重七郎という男は相良が生きていく上でどうしても欠かせない、安全地帯に他ならなかった。
蒙霧升降、風知草 十九話
やはり極力、触れぬよう――思い出さぬようにとしていた話であったが為に、一頻り喋り終えた相良は、強く目を瞑った。
否、これはそもそもの話、相良自身が予め何を話すかを考えずに挑んだ結果、土壇場で選んだ話に過ぎない。けれども、よりによってこれに触れようことになろうとは、相良自身、全くもって予期していなかった結果だ。
だがしかし、話し終えた今とこの話以外、他に適した内容はなかったのではないかとも、相良は思えた。そう思いたかっただけ、なのかもしれない。
「…………。」
思わず、頭を振るう。
長年思い出さないようにして、触れぬように、目を逸らしてきたソレだというのに、それに今になって漸く触れることが出来たのはきっと――などという考えを振り払う。
今は、触れるべきではない。
そうして、相良は改めて弥代を見た。
本当に予期せず触れることとなった、ずっと自分の中に在った、在り続けた“色持ち”に対する認識が、そのきっかけとなった長年触れられずにいた根幹にやっと触れることが出来たことで、幾らか心に余裕が生まれた。
それを、良かったと捉える。が、それはあくまで相良の話だ。話しを聞かされた相手――弥代がそれをどう感じたのかまで、相良はまだ知らない。
ただ、
「……だから、なんだってんだよ」
それは態々相良が訊ねるまでもなく――相良は答えを促すよりも早く、当人の態度が嫌というほど物語っていた。
相良が話し始める前は、此方の出方に怯えたように身を縮こまらせ、狭い四隅で辟易ろいでいたというのに。まるでそれまでは本当は芝居であったのかと思えるほどまでに強く、強く相良を射抜かんほどに睨んでくるのだ。(ただ、それでも傾いた荷台の中で今も片手は縁を強く掴んでおり、それは単なる威嚇――虚勢のようにも落ち着いて見ると受け取れる。)
「だから、…………それは、どういった意味でしょうか?」
月明かりを自身の背が浴びている為、あまり相手が此方の表情を読もうとするのは難しいことだろう。それをいい事に、これまで以上に余裕を持って、相良は言葉を返した。
今の相良は焦りとは無縁だ。自分の、相良自身の意志で振り払うことが出来たのだ。今自分が直面すべき、向き合うべき問題がしっかり、目の前の弥代であることを改めて理解出来ている。
寄り道はもう、必要じゃない。
弥代は、まるで自身の理解が及ばない話を延々と続ける相良に対し、抱いて当然だと言わんばかりに、一切隠すことなく苛立ちを顕著にしていた。
否、理解が及ばないなどという事は間違ってもない。そうだ、だって相良の口から語られるこの世界における、“色持ち”が味わう羽目になる扱いというのは殆んど――寸分違うことなどなく弥代の知る、弥代が思い知ってきた、身を持って経験してきたことにとても、近かった。
自分が直接その目に遭ったこともあれば、“色持ち”に対する過激すぎる噂話を耳にすることがあれば誤って近付いてしまわぬように、聞き耳を立てて事前に逃れるように努めてきた。(それでも時折どうしても間に合わず、面倒ごとに巻き込まれ非道い目に遭うことはどうしてもあったが)
だから相良が語る、相良が目の当たりにしてきたというこの世界における、“色持ち”という存在が不等な扱いを受けるというのが紛れもない事実であるということぐらい弥代だって分かっている。分かっている、のだ。
それ……でもッ‼︎
「さっきから聞いてりゃよぉ……アンタの言う言葉はどれもこれも全部が全部ッ、みんな……みんながそうだッ!」
――そう、吐き出す。
「知ら、ねぇよ……そんなのっ。そんな……ッ、知るわけ……ねぇだろ?」
そう、吐き出さずには居られない。
「違ぇのかよ……違ぇんだったら、何とか言ってみろよ?言えねぇよなァ?だって、アンタはこれぽっちも、そんな事ぁ微塵も考えちゃいないんだからよ……っ!」
喉奥が、痛む。
それでも声を、この胸の内に沸き出た言葉をどれだけ辛かろうとも、弥代は絞り出さずには居られない。言ってやらねばならない、この男に。伝えてやらねばならない、正しいさばかりを口にする、結局の処は綺麗事ばかりを並べるばかりの、弥代の事なんてこれぽっちも理解していない口先さけの、どうしようもない馬鹿に。
「アンタの言うそれは……さぁ、」
顔が、熱い。
思えば、今はまだ八月の半ばにやっと差し掛かるかそうでないか、といった処だ。七月のような、ふと気付かぬ間に玉汗が肌を伝うような夏の暑さが、そんなにあっさりと消え去るわけがない。だというのに、これから冷え込む季節を見越した上で扇堂家がわざわざ仕立てた格好は羽織は薄手でいいものの、中は分厚めな造りとなっており、夏場に選んで着たいとなる代物では絶対にない。
そんなものを……、そんなものをこんな時期に着ているものだから、だからなのだと、そう受け取ろうとする。
「それ……はッ、」
そう、だ。
そう……同じようにそれもまた、自分がそういう風に受け取ろうと、そんな思いばかりが強いからそうやって聞こえてしまった、とそうなんじゃないかということぐらい弥代は分かっている。嫌というぐらい、分かってはいるんだ。
でも……、それでも、もうそこまで出かかった、あと少しで全部出しきれてしまいそうなその言葉は、ただ……何も、相良に限ったわけではなく、自分も、弥代自身も少なからずそうなんじゃないか、と薄々――否、もうずっと……ずっと前から抱き続けていたであろう考えにきっと、違いはないはずで。
なんで……、どうして今ここでそれに気付いてしまう、目を少しでも向けてしまったかを、後戻りのしようが無くなってやっと、後悔をして、しまう。
考えたことがなかったわけではない。だから、だから彼の――相良志朗の言葉を受けて、弥代はすんなりとその考えを導き出せてしまった。
「悪ぃのは………よ、」
目を背けたかった。
口になど出したくもなかった。
「“色持ち”が、悪いって言うのか、よ」
だって……、だって、そうじゃないか?
いつ、どの場所においても異質なのは、馴染むことが出来ないのは彼等ではない、“色”を持つ、彼等とは異なる、決して相入れることが、何があろうと叶わない、目に見えて違う“色”を有した自分たち、“色持ち”だ。
腹を痛め、身を挺してまで、時には死を覚悟してまで、それでも強い想いを込めて生まれてほしいと、その顔を見せてほしいと願った末の母からすら、時にその思いを全て無に帰すほどの、そう思わせるほどの、存在することそれ自体が罪であるかの様な。
「だって……そうだろ?
アンタがさっきから言ってんのは、それとおんなじ……同義なんだよ、」
「アンタが聞いたっていう、それだってそうじゃねぇか?“色”なんか持って生まれちまったことを悔やめ、……だったか?」
「あぁ、そうだよ……ッ‼︎全くもってその通りだよっ‼︎悔やんでばっかりだよ……なんで、どうして俺はこんなもの……望んでもいやしねぇ“色”なんかを持って生まれちまったんだろうなって考えた、…………考えなかった事がねぇわけ無いだろ……⁉︎
でも……でもよォオッ、悔やんで……、それで、そんなでどうにもなんねぇ……だろ、。何が変わるんだよ、そんなんだけでっ、何が変わるってんだよ‼︎
なーにもっ変わりゃしねぇ……、何も、何ひとつ変わらねぇんだよっ‼︎意味がっ、ねぇんだ……そんなのに、何の意味もありゃしねぇんだ――――ッッッ‼︎」
弥代は、叫んだ。
今の今までずっと、本当はずっと前から自分の中にあった、目を背けたくて仕方がない、目を逸らすことでどうにか保てていたその言葉を、余すことなく遠慮なくぶち撒けてやった。
そうして、最後の最後にやって来たその言葉を、口にする。
「――俺が、殺したんだ」
視界が、やけに暈けた。
あぁ――、これでは伝えたい相手さえ自分からはよく見えず、今やっと言葉に出来そうな言葉が、本当に彼に届いているのかが、少しだかり不安に感じる。
けれども、でも、もう今の弥代はそれを、それを止める術を知らない、知るわけがない。だってそうだ。弥代はそんな術が端からあることも、それがどうすれば叶うのを、どうしたらそんなのを知ることが出来るさえ、その全てを、何一つ知らないのだ。
それは弥代が、“色”などという忌々しいモノを持ってこの世に生まれてしまったから?
それは弥代が、身寄りと呼べる――家族と呼べる存在が誰一人存在しないから?
それは弥代が、“女”という弱い身を持っているから?
それは――、それら全ては弥代が“色”を持ち、家族を持たず、女であるからこそ得てきた生き方であるが、わざわざ裏を返すまでもなく分かりきっていた、嘘偽りなんてあるはずがない、言い逃れのしようがない、ただの真実だ!
弥代が“色”なんて持って生まれてさえ来なければ、“色”を持って生まれてしまった赤子を、馬鹿みたいに庇って雪の降る中に外へと飛び出したという息子夫婦が、その死をずっと悔やみ続けた、あの名も知らぬ老夫婦が弥代を拾おうすることもなかった筈だ。
もしくは弥代に家族が、身寄りと呼べる存在がおり、それを忘れることなく覚えていたのなら、老夫婦の厚意に甘え、甲斐甲斐しく世話を焼かれることもなかった、自分に優しく接してくれる二人ともっと一緒にいたい……などと、そんな事を願い、倒れた老婆の為にあるかどうかも分からない薬なんかを求めてあの荒屋を飛び出すこともなかった筈だ。
あるいは弥代が“女”ではなく、“女”よりも強い“男”の身であったのなら、どれだけ屈強な大人達に数人掛かりで上にのし掛かられ、動きを封じられようとも、それに抵抗し、集落の若い衆を蹴散らかし、そうして二人を、あの老夫婦を燃え盛る家の中から救い出し、そうで、あったのなら…………もしかしたら、きっと今も三人で身を寄せ合って、そうして暮らすことが出来ていたかも、しれないのだ。
それは弥代が、“色”を持って生まれてしまったから。
それは弥代が、身寄りになる家族と呼べる存在を持たない、知らずに育ってしまったから。
それは弥代が、“女”であるから。
虚勢を張って、弱さを隠す為に今まで弥代は頑張ってきた。
そして、虚勢を張った自分が本当の自分自身なのだと、自分に強く言い聞かせてきた。
あまり知りもしない事を、あたかも知ったかのような口で語ってみせて、場のど真ん中に居座って随分と、すっかり自分が馴染めたつもりになって、男同然の振る舞いを、違和感を持たれることもなく続けてきて、そうして自分を偽り続けてきた。
弥代は弱いのだ。弥代は一切、これぽっちも全く強くなんかない。
弥代は無知だ。弥代は知ったかぶりをするだけで、知ってることの方がずっと少なくて、頭が良いわけがない。
弥代は何もない。弥代は何一つ持っちゃいない。自分だけのモノと、これだと誇れる、自分だと言い張れる自信すら無いに等しい。
弥代、弥代は……
「俺――は、」
まさか、昨日の今日で似たような言葉を口にする羽目になろうなんて、弥代は思ってもみなかった。
「買い被りすぎなんだよ、アンタは、さ。」




