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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
前篇・蒙霧升降、風知草(全25話)
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十七話 手心を加える

 これでも昔と(くら)べれば随分とマシになった方なんだ、なんて言葉が口を()いて出てくるのに弥代はほんの少し驚かされた。何故ならそんなことは一切なく、今も変わらずに自分はついカッとなって、相手が誰であっても(ほと)んど考えなしに突っかかって、詰め寄るだけで飽き足らずに胸倉を掴み、挙句殴り掛かることだってあるのだから。

 そんな自分のどこが、そんな自分の何が一体マシになったというのか、全く、覚えのない話だ。

 でも、もしかしたらそう思いたい、そういう風に捉えたいだけなのかもしれないと考えが至れば、そうかもしれないな、と納得が行く。

「アンタはさ、俺をいくらか買ってくれてたんだろうけど、俺は(ろく)でもない奴なんだよ。」

 だから、と言葉を続ける。

 だから……、だから何だというんだろうか?(いや)、続く言葉を、弥代は既に持っている。

 ただそれを、その言葉を口にするという行為は、やっとの思いで手に入りそうな、長年ずっと求め続けていたものを(みずか)らの意志で手放すことを意味していて。

 あぁ、でも()()りだ。

 これ以上、これ以上この男に好き勝手振り、掻き乱されるようなのはごめんだ。

「里に、帰ってくれて構わないよ。」

 だって、そもそもの言い出しっぺは彼なのだから。






 ()が明けるまでだいぶ時間が掛かるだろうに、早々に弥代との会話は終わりを迎えた。

 三日、四日と回数を重ねれば着実に、それで弥代は今より多少前に進むことが出来ると、その様に考えていた数刻前の自分に教えてやりたい。そんな生温いものではない、と。弥代の根幹にある、これまでずっと抱えてきたものは言葉にして言い表す行為そのものを思わず(はばか)ってしまいたくなるほどのモノであった。

 少なくとも、よくそんな経験があった上で、よく今まで普通を(よそお)うかのように振る舞えていたものだ、と要らぬ感心を(いだ)きかけてしまいそうになった程だ。

 とはいえ、何もその片鱗が一切なかったわけではない。

 

 榊扇の里に、経緯は違えども自分たちと同じように扇堂家の許しを得て暮らすようになった弥代であったが、常日頃争いごととはほぼ無縁な里において、腰から刀をぶらりぶら下げている事が多かった。春原を(かい)し、春原と共に過ごせば弥代の姿を遠目ながらも目にする機会の多かった相良であったが、弥代が刀を抜く姿はこれまで一度も見たことはない。

 先日の駿河における、人ならざる存在(モノ)と直接対峙をした時もそうだ。怪我がまだ治りきっておらず自分では役不足であると一歩身を退()いた相良は、その場で春原と弥代に自分の代わりを頼んだが、早々に刀を構える春原に対し、弥代が腰からぶら下げたそれを抜くことはなかった。

 ただの飾り、もしくは自分の身を守る為にわざと分かりやすく身に付けているのかを初めの頃は考えていたが違った。そうでは、なかった。 

 秋口に行方を分からなくなり、春先にまるで何事もなかったかのように帰ってきた、弥代から預かった刀の状態は鍛治師の真似事で小遣い稼ぎを長年してきた相良が、これまで目にしてきたどの刀よりも酷い状態であった。


 刀に詳しくない者でも見れば一発で分かるぐらいの、細かい刃こぼれだけではなく大きな罅が目立つ刀身は、恐らくは手入れなどされたこともないのだろう。どれだけ長いこと放置され続けたのかも分からない。

 それだけでなく、刀身は全体的に錆が目立ち、刀そのものが匂うということはないはずだというのに、数ヶ月鞘に戻すこともなかった刀だというのにも関わらず、鼻が曲がりそうになるぐらいの古びた鉄の(にお)いがした。

 訪れた北地(ほくち)で、運悪く刀の鞘をなくしてしまったという、新しく刀を納めるための鞘が欲しいのだという弥代を見て、相良は刀の持ち主が弥代であることを疑わずにはいわれなかった。

 しかし先ほどの、弥代の口から直接語られた過去で(ようや)く合点がいった。里にやって来るよりも五年も前の出来事。弥代は過去を何一つ思い出せない中、自分を拾ってくれた名も知らぬという老夫婦が同じ集落の者に受けた仕打ちに対し、怒りを抑えきることが出来ず、刀を振るったのだ。

 ただ感情のまま怒りに身を任せて、集落にいた者を全て、女子供問わず全員を手に掛けたそうだ。

 けれども話を聞く限り、何も最後まで冷静さを失っていた、という感じにはどうにも思えなかった。頭では分かっている、それでも刀を振るわずにはいられなかった、他にどうする事も、方法を他になにも持っていなかっったからそんなことが起きてしまった、と。少なくとも相良にはそのように聞こえた。

 弥代は、決して馬鹿ではない。

 自分の立場というものを誰よりも理解しているはずだ。必要以上に前に出ることをしないのも、時に自分が出しゃばればそれが物事の進行を(はば)みかねないと分かっているはずなのだ。

『アンタはさ、俺をいくらか買ってくれてたんだろうけど、俺は(ろく)でもない奴なんだよ。』

 一区切りをつけて、そんな言葉を吐き溢した弥代に、今一度相良はどう接するべきなのかを、深く考える。

 やはり見捨てるつもりはない。こんなところで、ここまで来たというのに、二度とこんな機会には巡り合えないやもしれないのだから見逃したくはない。

 弥代の為か、自分の為か。そんなのは問うまでもなく分かりきっていたことなのだが、弥代の身に降り掛かった事の顛末(てんまつ)を知った今、それがほんの少しだけ傾いてしまった。

 そうではない、そうではないはずだ。

 弥代の為などは建前だ。巡り巡って結局自分の為になるから、自分の望む結果に至るためにただ弥代の置かれている状況を利用しているだけだ。そう、相良は自分に強く言い聞かせる。そうでもしなくては、自分という人間はどうしたって生きていけやしないのだ。






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ)  十七話






「昨晩はよく眠れましたか?」

 と、後ろの荷台で過ごすのにすっかり慣れた様子の三人に向かって絹は気軽に話し掛けてみたのだが、返ってきた返事は一つだけだった。

 三人も人がいて、まともに返ってくる返事が一つだけなんてどういうことですか、なんてやや食い気味に食らいついてみてもいいのだが、相変わらず空気はどんよりと澱んでいるように感じたので止めておいた。だが、それでも昨日の空気の重さと比べれば多少は良くなっているように思える。(つまび)らかに(たず)ねはしないが、やはり絹自身が弥代に思うところがある、伝えられればとかんがえている言葉がある為に、どのような形でっも前進が出来ているようであれば嬉しく感じる。

 まぁ、返事をしたのは絹がそう思う相手でなく、弥代を悩ませる元凶を作っているといって過言ではない相良志朗という男、なのだが。

「なんと、今日はこの調子でしたら由比宿(ゆいしゅく)ぐらいでしたらあっという間に駆け抜けられる、そんな気がして止まないのです。どうでしょうか、左吉(さきち)右吉(ゆうきち)?」

 本来はあまり、人の前で二頭に向かって話し掛けるのを絹は止めている。何故なら普通の人は馬などと、ましてや人以外の生き物と言葉が(まじ)えることは出来ないからだ。話をする時はいつだって、人目をなるべく掻い潜って銀嶺の屋敷の隅に用意された馬屋(うまや)で並んで(ひえ)を口にする二頭の元に訪れる。人と比べ生き物としての勘が鋭いのだろう、二頭は絹が人の身に(ふん)するのが得意な、人ではないことを知っている。

 今は亡き父・三ツ江文左衛門の元、当たり前のように人の姿で過ごす時間が(ほと)んどであった絹からすると、人の身で過ごすことや、人の生活に紛れることは何も苦ではないのだが、これまではあくまで父と共に暮らす上でその方が何かと楽であるからという理由が少なからずあったわけで。父が亡き今、自身が人の身だけではなくただの狼でもない、(あやかし)(たぐい)であると分かった今は、時にそれが面倒に感じることも度々訪れるようになっていた。

 そんな中の双子の左吉と右吉(彼等)という存在は、絹にとって程よい息抜きになのだ。

 けれども、それは何もこの場において二頭に隠すことなく接する理由にはならない。であるならばそれはなぜかというと、荷台で大人しくしている面々が揃いも揃ってその類に理解がある存在であるからだ。

 一昨日に出会ってから既に何度か言葉を交わしている相良など、絹自身との会話の中で違和感に気付き、絹本人もきっと気付かれているだろうと核心を抱いた上でそうであると汲むことが出来る発言をすれば、見事正解することが出来ていた。

 昨日の朝の(うち)など、今後の流れを、と説明を受ける際に絹は相良から改まって自己紹介を受けたものだし、同席していた春原に関しても説明を受けた通りにだけだが知ることが出来た。

 (あやかし)――を、退(しりぞ)けるのを生業としている一門のだそうだが、今は訳あって榊扇の里を治める扇堂家から直々(じきじき)に命を受け、屋敷から直接依頼を(うけたまわ)ることの多い、萬屋(よろずや)に似たことをしているのだと話していた。(妖を退(しりぞ)ける、と説明を受けた時は、思わず自分も標的になるのだろうか、と慌てて身構えそうになったが、人に害を為さない存在には手出しはしない、と補足を受け小さく胸を撫で下ろした)

 弥代に関しては今更言わずもがな、といったところだろう。

 だからこれまで通りに人前であるからと隠すことなく二頭と接しているのだが、弥代と春原の二人がそれにとやかく口出しをすることはないのだが、大人の立場で、且つ一番口煩い相良()がそれをあまり良い目では見ていないことを絹は自覚している。

 (いや)、そうなると見越してやっている、確信犯に近い。

 弥代が前に進めるようにこれは必要なことだと言った相良だが、やはり数日一緒に過ごしてみても弥代を悩ます原因を作っているのはどうしたって、どれだけ説明を受けたって相良()にしか思えず、かといって相良を詰めるようなのは間違っている。相良が役に立たなくなってしまっては弥代はきっといつまでも今のままだ。それでは自分は弥代に礼をすることが出来ない。それは困る、気持ち的にとても困る。

 なので相良にはなるべく協力をした方がいいことぐらい分かっているのだが、如何(いかん)せん何故だか大人しく彼の言うことを聞き入れる、というのに絹は少なからず抵抗があった。とはいえ、やはり弥代の……と関わってくると助力した方が、の板挟み状態だったのだ。

 そんな中、苦肉の策として絹が思いついたのが、相良がどれだけ嫌そうな顔をしても、自分勝手に左吉と右吉に話し掛け、好き勝手自分達だけが通じる会話で場を盛り上げること、で。

 自分と二頭だけで京から榊扇の里を目指す道中だって、誰もいない時はいつだって二頭と話をしていたのだから、絹からすれば当たり前の感覚だ。昨日一昨日は慣れぬ顔触れにどうしたものか、と不安の方が大きかったのだが、三日目ともなればすっかり馴染んでしまった。

 先の絹の呼び掛けに対してだって、三人もいるのに返ってきたものは、「そうですね、多少は」なんてそれ以上会話を続けるのが困難に思えてしまう、どうしようもなく曖昧なもので。

 だからこれは、一種の意趣返しのようなものだ。きっと勘がいい、頭がキレる相良()はそんな絹の魂胆にだってその(うち)気付くことだろう。気付かれれば止めるつもりでいるが、まだ会話も何もなく空気がただ重い時間だけが過ぎるようであったらまた同じことをしてやる気概(きがい)でいる。それぐらいはまぁ、許されていいはずだ。





 東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎは五街道の一つである東海道の、五十三の宿場(しゅくば)()す。起点である日本橋と終着点である三条大橋は数には含まれていないものの、やはりその距離は馬鹿にならないものだ。昨日(きのう)の朝に弥代に軽く説明をした通り、徒歩旅に慣れた商人であってもこれを行き来するのに少なくとも十三日から十五日は掛かるだろうと伝えたのだが、まさか早馬でもなければ宿場町を乗り継ぐのに(もち)いられる伝馬(てんま)でもない、ただの馬に荷台を引き摺られるだけでたった一日で十里(じゅうり)近く進むことが出来てしまうなんて思ってもみなかった。

 百二十里離れていても、もっと馬の調子がよければそれこそ一日に十五里は進めてしまうのではないか、とそんなことを考える。が、昔から走ることを生業(なりわい)とする飛脚(ひきゃく)は寝ずに走り続けたとして同じ距離を三日四日で駆け抜けることが出来てしまうのだと、同様に昨日相良は伝えていた。やはり飛脚というものは、ぐらいの気持ちで考えていたが、改めて考えると榊扇の里と起点とするのではなく、日本橋から三条大橋までを二百里として、それを三日四日、というのは割ることの日数で見れば四日なら五十里、三日であるのなら六十六、七里は移動することになるのではないかと気付くとゾッとする。

 人の体というものは不思議なものだ。どうすれば休みなく寝ることもなくそんなに体を動かしていられるのか、限度を知らぬのかと思うのだが、しかし何もそれらはたった一人が連日走るというわけではなく、ある程度の感覚を開けた宿場町で引き継ぎをすることで走り続けることが出来たと、ただそれだけの話、で……

「……うっ、」

 相良は堪えきれず、口元を勢いよく押さえた。

 

 

 

 

 

「少々速度を出し過ぎてしまいました。」

 これは失敬、と絹は水筒(すいづつ)を相良へと差し出した。ご丁寧に飲み口の木片(もくへん)は外されており、中が見えないが筒の奥底からちゃぽんっ、と軽い水音が響いている。

 厚意を素直に受け取り、あっさりと口をつけた。

 これが知った仲から渡されたものであったのなら、失礼とは分かっていても少し口に含んで、軽く口の中を(ゆす)いですっきりしてから飲みたいものだが、まだ出会って日が浅い者を相手にそのようなことをする気は沸かない。拭いきれずに口元が汚れていないかを触れ、確認しつつ水筒を(あお)れば、それで喉奥に出しきれずにへばりついていたかもしれない違和感は水と一緒になって下へと流れていった。何も飲めぬよりはマシである。

「ありがとうございます。貴重な水をわざわざ分けてくださりすみません。」

「いえいえ、宿場町にでも寄れればまたいつでも継ぎ足すことは出来ますし、宿を出る際にはご厚意でいただけるものですので言うほど貴重というわけでもありませんのでお気になさらず。」

 馬車が停められたのは由比宿を少し抜けたところ。東海道五十三次とはあくまで東海道における五十三の宿場町を指すが、何も街道沿いには宿場町だけということはなく、(あい)宿(しゅく)と呼ばれる宿場町と宿場町の間に(おこ)った、軽い休憩を目的とした建屋が存在する。主に(とうげ)であったり、地勢が厳しい場所に(もう)けられることが多いとされるが、駿河国(するがのくに)における由比宿を含めた一帯というのは、かつて参勤交代といわれる制度で、東海道を行き来する際に大名が宿泊をすることを目的とされた宿があったりとした場所である為、宿場町を出ても尚、周囲はとても賑やかで人通りが多い。

 そんな人通りの多い道を、それなりの速度を出した荷馬車が走り抜けるなど事故が起きかねないと相良は途中から肝を冷やし始めていた。が、あろうことか人にぶつかるという事は一切なく。なんなら人と人の間を到底荷馬車の融通(限度)を明らかに越えた技術で縫うようにどんどんと抜けていっていたが、そんなの不規則に荷台(後部)は激しく揺すぶられるだけ。速度を緩めるように、と何度か相良は絹に対して打診をしたのだが、舌を噛んでしまうから喋らない方がいいですよ、なんて返事しか貰えず仕舞い。

 馬一頭一頭に違う名前をつけて、人間が真似することが出来ない動物相手に意思疎通が出来てしまう絹だ。人にぶつからないように、細やかな指示であったり馬の操縦は手慣れたものだからぶつかりかねないと危惧する言葉には「大丈夫です!」などと自信満々に胸を張っていたが……、

(まさかこの歳になって荷馬車の揺れが原因で吐くようなことになろうとは。)

 酒を飲んだ翌日の朝は大抵吐き気に襲われるのはこの際だ、触れずにおこう。

 荷はなくとも人が三人も座り込めばそれで殆んど空きはなくなる広さで、大の大人が嘔吐しようものならそこそこ酷い絵面になる。隣の相手との距離感もあれば被害が広がることもなかったろうが、肩肘を張ればぶつかる程度しか離れていない。

 一昨日からあまり変わらない場所で腕を組み静かにこちらを睨んでいた弥代も、流石にこれには驚いたようで、吐瀉物が掛かりそうになるのを恐れてか、慌てて揺れる荷台の中でいきなり立ち上がったり、と。散々なことがあったばかりだ。

 そんなことがあったものだから、これからは早く走らせるのは止めます、と絹は反省した様子を見せながら頭を下げていたが、それもついさっきまでの事だ。近くにあった茶屋で桶を借り、距離が近過ぎて避けるに避けきれなかった春原の羽織を軽く洗うのを手伝ってきた後の彼女の顔には、さっきまであった申し訳なさが微塵も感じられない。

 歩く労力と手間を省いてもらっている、体力を温存させてもらっている立場であるというのに、堪えきれずに荷台に撒き散らかしてしまったことに対して申し訳なさを感じたのは嘘ではない。だから言葉に重みが感じれなくなってしまいそうなほど謝罪の言葉を並べには並べたが、もしやそれを受けてそこまで謝られるのなら、と勝手に自分の中でもう済んだこと、ぐらいに片付けでもしたのではないか、と少しばかり相良は絹に対し疑念を(いだ)くのだが、絹は変わらずに露知らずといった様子。

 腹を立てていい道理はどこにもない。悪いのは自分だ、と言い聞かせることに相良はした。

 たとえ大元を辿れば相良が吐くに至った原因を作ったのが、絹が馬に指示をして(あら)い操縦なんかをしたからだ。見た目がどうであろうとも、絹はまだ十やそこいらの子どもである、というのが相良の念頭にはある。

 知り合ってまだ日も浅い、信頼が既に構築されているわけでもない、他人でしかない大人の言葉になんてまともに耳を貸すとは思えない。

 三日目ともなれば彼女の雇用主の存在も会話の中にチラつき始める。自分らと彼女の目的地である京の都にその雇用主はいるらしく、機会があればそこら辺を少しでもいいから躾け……あるいは教えてやった方がいいと伝えたいものだ、とこれ以上は触れぬように区切りをつける。

 ともあれ、汚れを落とし()えた後の春原の羽織を乾かすのに時間はまだ掛かるだろう。早々に目的地を目指されるよりは断然良い。自分から提示した十日はまだ一日しか経っておらず九日(ここのか)も残している状態だ。焦る――()かす必要など相良には一切ない。

 馬に協力を(あお)いでいたであろう、早く京に着いてしまおうとでも恐らくは考えていたやもしれない、自分よりも弥代の肩をどうにも持っているように見える絹の無茶も、自分が堪えきれずに吐いてしまったことで抑制されると思えば怪我の功名(こうみょう)と言えるだろう。

 気に病む必要は何処にもない。

 あるのはただ、咥内(こうない)に今朝食べたおむすびの残骸らしきものが、一度や二度口を(ゆす)いだだけでは取りきれずに残っていて、違和感だけで。

「…………もう一杯、いただいてもよろしいでしょうか?」

「ですからそのまま全てお使いになられても結構ですから。」

 相良はその言葉に甘えることにした。






 睨まれはするものの、それ以上なにかをしてくるわけでもなくこちらを見てくるだけの弥代は、言葉通りとても大人しい。

 それでいて一昨日のように【気】が乱れている、というわけでも、干渉してくるかの存在のそれによって振り回されているといった様子も見られない。調子は良好そうに見える。

言葉を交わしている(あいだ)、弥代は随分と落ち着いているように見えた。自分の言葉で、自分の意思があるように感じられたのは間違いではなかったようだ。

 と、いうのも同じく一昨日の宿屋での、池の近くでのやりとりがきっかけだ。相良は弥代に変化が現れた、それに気付いた時から可能な限りずっと、弥代のそれに目を向けるようにしていた。

 どの状態であれば一番それが落ち着きを見せ、干渉から遠のいているか、呑まれていないかを見極めようとしていたのだ。しかし、それも難しい話だ。この様な状態になる者がいる、というのはこれまで幾度か目にすることはあったが、直接そうなった状態の者と接するのはこれが二度目である。たった一度の成功で二度目の成功は容易に手繰り寄せられるものではない。足掛かりになっても、絶対に過信してはならない。

 見誤ってはならない、何があっても(はか)り間違えてはならない事態に相良は直面している自覚があった。

 もし仮に……、仮に弥代が一人で本当にどこかへ行ってしまったとして、見失ったからといって春原と二人、相良が榊扇の里へと戻ったとして、すんなりと穏便に事が済むだなんてそんな風になりはしないだろう。扇堂家からの、大主からの毛ほどの信頼は底を尽きるに違いない。そうなれば本来余所者である、大主から誘いを受けて運よく里に迎え入れられることとなっただけの討伐屋はどうなるだろう。今の時代、護身用や自衛を目的に武器を携帯する者がいるのはいるが、里の中でそれをこれ見よがしにぶら下げることが許されているのも、討伐屋の肩書きや腕が大主に認められているからだ。

 討伐屋という看板は取り上げられる可能性も考えられるが、それはまだ良くての域だ。

 最悪の場合、里での居場所を失い、里から出ていくように、と言われかねないことだってあり()る。

 これまでの里の巡回や、春に(たずさ)わることとなった一件とはまるで(わけ)が違うのだ。

 危機感を持って、気を常に巡らせて向き合わねばならない、見極めなければならない。自分の為だけでなく、討伐屋(居場所)の為に、も。

 だから――、

「出てきてはいただけませんでしょうか、弥代さん?」

 縁に手を掛けて、中で今も腕組みをしたままの相手へと、相良は話し掛けた。

 昨日と同じように春原の手を借りても良かったのだが、連日彼に頼み事をするのは少々気が引けた。し、何よりも三日に一度寝れればそれで済む彼にとって、今日は正に寝ねばならない日だ。

 日中の、陽が出ている(あいだ)の移動は絹のおかげで荷台でただ座っているだけで楽には楽だが、慣れぬ環境であることに違いはない。一昨日の宿では布団に横になることは出来たものの、ただ静かに目を瞑っていればそれで、なんて言葉にいつもなら耳を傾けられる彼なのに余裕がなく、(しき)りにモゾモゾと体を動かしていた程だ。眠れぬ(なか)、慣れぬ環境に身を置き続けなければならないのは彼にとって苦行に(ほか)ならないだろう。

 そんな彼の貴重な寝れる日だ。懐があまり少なくなるのは逃れたいものだが、食事等はこちらで用意したものを食べさせるからと無理を言って、いくらか安く絹が泊まる宿に寝泊まりをさせてもらう運びとなっている。

 昨晩同様に宿屋の近く、それほど離れてはいない距離の茂みに中に荷馬車を停めて、左吉と右吉(二頭)手綱(たづな)を外して、手頃な水辺に案内し、と()せられた通りに用事を済ませた(あと)だ。

 馬が外れたことで大きく前に傾いた荷台の中の、隅で小さく(うずくま)る弥代のそれは、少し揺らぎが大きく視える。

 これはマズい、とやや性急に声を掛けてみはしたが返事は期待できそうにない。

「…………。」

 弥代は、軽い方だろう。

 相良や春原とは違い、目方(めかた)は多分どっちと比べても、半分もないと思える。

 そんな軽い弥代が荷台で、馬がいなくなったことで傾く荷台の中で、傾きに逆らうことなく隅で蹲っている、というのは、たとえばここで相良が後ろ側から中に踏み入ろうものなら大きく傾いて、運悪く打ちどころがよくなく、怒りを買いかねない可能性を視野に入れる。

 一時でも気を逸らすのは今の弥代にとっていいこと――必要なこととなるだろうが、だとしても必要以上に(あお)る――怒りを買う理由はどこにもない。

 殴られる、痛みを味わうのが趣味である者が仮にここに居合わせていて相良の代わりに、なんて名乗り出るような事があったとしたなら、どうぞ御自由に、と譲ることも出来るのだが存在するわけがない。そんな都合のいい存在が居るわけがないのだ。

 だから、相良がどうにかせねばならない。

「いえ……出てきたくない、とそうであるのなら無理強いは致しません。そうまでして出てきてほしいわけではありませんので。…………そうです、私はあくまでも貴女と話しがしたいのであって、ですからこのままでも別段構いは」

「あのさぁ、」

 言葉が、遮られる。

 掛けていた手を離して、体の向きを正す。

 荷台の中、日中に立ち上がればそれほど高さに余裕はなく、低い天板にぶつかり体勢を崩したことを覚えているのだろうか。無理に立ち上がろうとはしていないが、それでもゆらりと体を起こしている姿が、まもなく月が満ちる頃ともなればよく見える。

「無理強いはしない、()ったよな。……じゃぁ何か? 俺がアンタと話したくないって言ったら、それであっさりアンタは引き下がってでもくれたりするわけ?」

 月明かりは雄弁(ゆうべん)だ。初日には装えていた黒も、日が経ち徐々に落ち始めていはするのだが、それでも日中に見た方がまだ色を誤魔化せていたように相良の目には映っていた。

 広く明るく照った陽の光よりも、暗くとも煌々と天上(てんじょう)()る、夜闇(よやみ)(かす)むことのない月明かりの方が、隠されたものを(あば)くのには(てき)しているのではないか、と思えてくる。

 それは、自身の嘘も含めての話。

「それは、難しい相談……ですね。」

「相談なんて生温(なまぬる)いモンじゃねぇよ。」

「おや、では何だと言うのでしょうか?」

 言葉を(うなが)す。

 弥代の言葉を、相良は待つ。

 が、待てど(くら)せどのように時間を掛ける余裕はどこにもない。

 夏の夜というものは、不思議と短いものなのだ。

(だんま)りはあまり、賢い選択ではありませんよ。」

 なので、相良は一息()いて、そうして言葉を落とした。

「弥代さんはきっと、ご存知ないでしょうが。

 相手を()る、互いに受け入れるというのは、相手と自分の間にある、許し合える部分がどこであるかを見極める事が重要となります。

 私は貴女と話がしたい、でも貴女は私と話なんてしたくない。こんなののはどちらかが折れるまで延々と続くだけ、時間を無駄にしてしまうだけなのです。ですので、今宵は(わたし)がほんの少し、身を引きましょう。

 昨日(きのう)は貴女にばかり話させてしまいましたので、今宵は(わたくし)の番ということで手を打たせていただきます。」

 時間は限り有るものだ。

 無駄になど、出来るわけがない。

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