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鬼ノ目 六節・旧国、溺るる虚像  作者: 三Ⅲ三Ⅲ三
前篇・蒙霧升降、風知草(全25話)
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十六話 癖

「それでは弥代さん。

 少し……、私とお話しをしましょうか?」

 自分へと向けられた言葉であると理解は出来たが、どうにもそれに返す言葉が上手く出てこない。

 何を言ったところで、どれだけ頭を使ったところできっと弥代の言葉は届かない。何も通じない、理解してもらえない、分かり合えないと自分の中で結論づけたのに対し、これ以上相手をするのは無意味でしかない。

 なら、なぜ大人しくこんな場所に連れて来られたのか、と()かれれば、それは抵抗するだけの気力もなかったからなだけでしかなく。

 なにも弥代は、自分の意思で彼と、相良と話しをしようなどとは一切考えていなかった。

 相良が弥代に持ちかけた、自分を納得させろという無理難題だってそうだ。よくよく考えれば弥代はそれを受けるなどと一言も言っていない。だというのに、それなのにわざわざご丁寧に十日なんて期間まで(もう)けられて、勝手に話を進められて、それで。

「話し?」

 それほど高さのない焚火のおかげか、ゆらゆらと揺れる火先(ほさき)の先にある相手の顔はやけにくっきりと此方からは見えるのだが、彼からは此方の表情はあまり窺えない。自分が今どんな表情をしているかなんて到底弥代は分かりはしないが、けれども眉間(みけん)に、自然と皺が寄るのが分かった。

「今更に俺が……、俺がアンタと何を話すって言うんだよ?」

 上等な品である事ぐらい弥代でも分かる。

 それでも他に、他に縋るものが弥代にはない。だからついつい仕方がなく、弥代の体をすっぽり隠すような大きさをした羽織を、強引に掻き寄せて、それから言葉を口にする。

 こんなものは、(なん)の意味もない。それだって嫌になるぐらい弥代は分かっている。でも、そうせずにはいられない。そうしなくては、そうでもしないと弥代は、どうしたって弥代は一人で立つことすら出来ないままなのだ。






 話しをしましょう、なんて切り出してみたはいいものの、さて何から話そうか、と相良は自分の手元に目を向けた。弥代と直接一対一で言葉を交わすのは、どれほど思い返しても数が少ない。

 初めて顔を合わせてからの経過を振り返れば、直接関わりを持つようになったのもやはり最近のことだ。

 討伐屋で小遣い稼ぎのような、金がなくなった時にだけ姿を見せたりをしていた頃にいくらか話すことはあったが、二人きり、という状況は本当に限られてくる。

 そんな限られた、数少ない中でも相良は弥代の口から何かを聞く、というのは少なく。相良の知っていることの大半――(ほと)んどは弥代当人の口から聞かされたものではなく、又聞きによるものだった。

 それを今になって考えてみると、それも悪かったのではないか、と(ようや)く自覚が芽生えて来る。

 そうして相良は、言葉を選んだ。

「何も難しいことではありません。今朝私が、貴女に持ちかけた私を納得させてほしいというのも、貴女一人にどうこうさせようなとどいう考えはなく。

 今朝はあのように言いはしましたが、何も貴女を見捨てたいと考えて出た言葉ではありません。そこを、履き違えていただきたくはないのです。」

 しかし、そうは言いはするものの、弥代の様子を見るに、これまで弥代の中に多少なりとも在ったであろう自分へと向けられる信頼は底を尽きてしまっているように思える。

 それは別に残念なことではない。先に自覚が芽生えた通り、相良の知る弥代というのは自分意外の誰かの言葉で勝手に相良の中に作られた(ぞう)でしかなく、弥代もまた、相良は誰かから聞いた自分のことを理解していない、ぐらいに捉えていたはずだ。誰かを(かい)すことでしか築かれていない信頼なんて(たか)が知れている。

 たった一度、今晩のやりとりだけで弥代の中に自分への信頼を築けるとは思っていない。けれでも三日、四日と回数を重ねれば着実に前へは進めるに違いない。

 少なくとも今朝の言葉を受けて、弥代は確実に今、弥代自身の意思で相良を見ている。そこには一切、相良が気に掛けていたかの存在の(それ)の影響はなく、向けられる言葉のどれもが、相良のよく知る、弥代自身のものだ。

 だから言葉もまた、出来る限り余分なものを()ぎ落とす。

「私は、貴女自身の言葉で貴女を知りたいのです。」

 思ったことを、本心を直接言葉にし、そうして向き合う。

「私の言った、私を納得させたいという言葉は、」

 相良は、

「弥代さん、貴女が――」

 相良は決して、弥代を諦めてなどなかった。

「貴女が今に至った理由を知りたい、それだけなのです、よ。」






 蒙霧升降(ふかききりまとう)風知草(かぜちぐさ)  十六話






「俺を……知りたい?」

 口角が(ゆが)み、続いて出てきたのは随分と乾ききった笑いだった。よりによって、何でアンタみたいな奴の口から出てくるのかと、出てくることがどうしたって信じられない、そんな言葉に対する反応なら間違ってはいない。

 だって、そうだろう?

 相良志朗という男はこれまで、弥代と接する中で弥代を見てこようとしなかった。持ち出すのはいつだって自分勝手な、自分にとって都合のいい話ばかり。弥代のことを随分と知った口で語るというのに、何も分かってなどいない。

 貴女なら出来るなんて言葉は、ただの押し付けでしかなく。弥代はただその言葉に踊らされるだけで、求められたものとは違う、どうにか最悪を回避することが出来たのではないか、という結末がどれだけ頑張っても最低限だった。

 期待されている、過大評価がされているだけで、弥代にとってそれはとても難しいことだ。

 だというのに、彼が自分へと向ける提案に、これまで何度か応えるように、それを思い出してどうにか動いたりとあったのは(ひとえ)に、今まで弥代にそんなことを求める相手がいなかったからで。

 駿河での晩を経て、春原との関わりを経て、その後に事の顛末(てんまつ)を口にすれば柔らかく、そうでしたか、と耳を傾けてくれるのがただ、…………(いや)、そうではない。そんな、そんな筈がない。これでは、これでは弥代は彼に、相良に対して何かを期待しているようだ。そんなことはない、そんな事は断じてない。弥代はそんなものを望んでないし、弥代は相良のことを許してなどいない。だから、だからこれは……、これは、

「どうか、されましたか?」

 呼ばれて、つい顔を持ち上げる。

 一瞬、なんだか暗い場所へと落っこちてしまいそうなきがしたのだが、それは気の所為だったのかもしれない。

 揺らぐ火先(ほさき)の向こうに、相変わらずに腰を下ろして此方を、弥代を見てくる男とふと、目を合わせる。

 目を合わせるといっても、彼の目元にはいつも少し分厚めな小さい硝子板が器用に嵌め込まれた目器(めき)があって、不思議なもので正面からよくよく見てみると、硝子板越しの時は輪郭を含めてが内側で狭まっているように見えるのだ。硝子板の厚みの分だけ奥まっているかのようで、とても奇妙だ。だからそれは、それは弥代にとって目を合わせたくとも変な(へだ)たりがあって、目を合わせたとはどうしても呼べない。

 かといってこの場を離れたいという気も浮かばず、やっと弥代は自分の意思で一歩を踏み出した。

「おや、近くまで来ていただけるのはとても助かります。」

 近く、などと言われるのがそれほど距離は離れていない。歩数を数えることはしなかったが、少なくとも無理に声を張らずとも互いに聞き取れるぐらいであったはずだ。だから何故わざわざそんなことに対し礼を言われるのかが分からないまま、弥代は焚火の近くに適当に腰を落ち着かせた。

 そもそもいつから自分ははたして彼と一緒にいただろうか。ちょっと前のことであろうに、それがどうしても思い出せない。いつの間にやら、ほんの少し前の記憶がぷつりと途切れてしまっている妙な感覚だ。

 そんなことも分からなくなってしまうなんてボケてしまったのだろうか、と揶揄(からか)い半分。もう半分で自分が人であるならば物覚えが悪くなるほど、もしくはそれ以上は生きているのではないか、なんて最近は考えないようにしていた感覚についつい考えが傾いてしまい。ほんの少しだけ、それが寂しく感じた。

 つい最近そんなことを考えたのは、なんて今さっき男が弥代についてを教えてほしいなんて言われたような、そんな気がしたので、寂しさのついでみたいな軽い口でそれを選んでみた。

 いや、思い出せないなんて、何をしていたか分からないなんて嘘だ。それを考えるのが、これ以上下手に振り回されるのが嫌で、だから彼の呼び掛けをきっかけにまるで何事もなかったかのように弥代はただ、ただ振る舞っただけで。自分の気持ちを整理したいという思いが、少なからずあった、はずなんだ。






 むかし一緒に過ごしていた頃よりも、明らかに目線が高くなっている、と弥代はそう感じずにはいられなかった。

 一緒に過ごしていた、と言ってもそれはそんなに長い間ではなかったし、秋と冬の境から、春の本格的な訪れの前に自分は彼女の(もと)を離れてしまった。

 自分の名前と同じ花が近くの山を一斉に(いろど)る時期があって、丁度その時期にこの場所で世話になり始めたものだから毎年それが訪れると季節が一巡したのが分かって、喜ぶべきか悲しむべきか分からないが嬉しくなってしまうのを隠せない時があるなんて。そんな……、そんな事を冬が終わりに近付くにつれて話すようになったもので、じゃぁそれが咲くようになったら一緒に見ようなんて当時の自分は返した。

 だというのに、あれから五年近くは経つというのに、彼女とそれを一緒に見たことは一度もない。

 彼女は、あの駿河の地にてそれまでと変わらず、春になればそれを見ていたものだから一つ一つ歳を重ねることが出来て大きくなれただけで、彼女と一緒に見ようと話していたものを弥代はまだ一度も拝むことが出来てないから歳を重ねることが出来なかったんだ、なんて冗談を溢すことでその場をどうにかやり過ごすことが出来たが、そういえば彼女には自分が人の身ではないことを伝えてなかったことを、弥代は思い出した。

 彼女には、桜にはきっと弥代は自分の正体について明かすことは今後ともないだろう。どれぐらい彼女の傍にいれるかも分かったものじゃないが、少なくとも彼女が“色持(いろも)ち”でありながらもしっかり、誰かの力を借りたっていいけど独り立ちが出来て。今は討伐屋なんて物騒な処に身を寄せているが、いつか彼処(あそこ)を出る、せめてそれまでは、とそんな事を(ひそ)かに考えていたのだ。

 それには後どれぐらいの時間が掛かるかは分からないが、少なくとも三年か四年ぐらいとして、でももしかしたらその頃には自分もいくらか今よりは成長を、大きくなれていて、そうすればもう少しだけ傍にいれるのかな、なんてそんな事を願わずにはいられなくって。

「だって、そうじゃねぇか?」

 相良という男はきっと、弥代がこんな話をしても同情なんてものはしないだろう。でも相槌(あいずち)の意味合いを兼ねて、お辛かったでしょうみたいな思ってもない言葉を紡ぐような男であることを弥代は嫌というほど知っている。だから前もって相良が何かしら口を挟もうとしている時には(みずか)ら進んで小さく話を区切る。

 なんだかそれは、やはり以前と比べれば随分と彼との会話――やりとりが上手くなっている、慣れているような気がして。あぁでも、それもきっと長くてあと十日もあれば終わってしまうのかもしれない、と考える。寂しさを濁すためにも、と思い手始めに彼女のこれからについての思いを述べたばかりだというのに、まさか余計なところでまた要らぬものを拾ってしまうことになるとは思わなくって、弥代は、少し距離を置く。

「アンタは俺のこと知ってるし、そういうのについてもやたらと詳しいから良いけどよ。あの子に……桜に話して何になるってんだよ? あの晩のアイツみてぇな、そんなのにばっか好かれてるみてぇじゃん。そんなのが周りにまた何かしらってなって、それが自分が原因だなんて考えるようになっちまったらよ……自分のこと責めなんかしたら、俺は……。」

 そうだ、そう考えるのなら弥代は一刻も早く、彼女の、桜の傍から離れるべきだ。現に先日の、七月に起きた惨事は、何がそうまで彼女を――詩良(しら)を駆り立てたのかを、彼女の事を全くと言っていいほど理解していない弥代では断言することは難しいが、自分が無関係なはずがない。

 屋敷を離れ、伊勢原大神宮(いせはらだいじんぐう)の境内において初め彼女と対峙をしたその時、詩良は弥代と一緒にいる事を望んでいたし、横入りが入る前の衝突時には、やはり自分の意思が尊重され、弥代が自分に着いてくることを望むかのような発言がいくらかあった。

 だから考えよう次第ではあの惨事は、自分が榊扇の里にいたから(まね)いてしまったようなもので。更に深く遡れば、実害はなかったものの昨年の秋口の終わりに弥代の前に姿を見せた、かの地より遠路遥々(えんろはるばる)やって来たという小雨坊(こさめぼう)を名乗る(あやかし)も、弥代に会うためだと述べていたと、思う。

 生まれつき特異な“色”を持って生まれたが為に迫害を受け続けてきた、他に行く宛のない“色持ち”が流れ着くことが多いという水神の加護を受ける里にはそれだけでなく、自分のように人の身でない存在も多くが人に(ふん)し、紛れるように暮らしている。

 誰だって何かしらの問題は抱えているだろうが、それで誰かが傷ついてしまわぬように、迷惑を掛けてしまわないようにと、いくらかは心掛けているはずだ。五月頃から関わりを持つようになった、あの味噌蔵の連中だってそうだ。人に扮す、化けるのが得意ではない者に無理はさせることなく、率先して化けられる者が外に出て、普通を(よそお)っていた。自分達の生活だけでなく、関わる誰かのことまで気に掛けていたんだ。

 だと、いうのに。

 全くやめてほしいものだと、弥代は頭を抱えたくなる。こんなところで、こんな最初から(つまず)いてしまうなんてどうしてくれる、と思わず狼狽(うろた)えてしまう。

 今までそれらを一度も考えたことがなかった、などというわけではない。常に頭の隅にはあった。でもなるべく目を向けないように、気にしないようにしていただけ、で。なのでこれもまた、これまで見ようとしなかったツケなのだろうと受け止めようとするのだが、ふとそんな風に考えたのはこれが恐らくは初めてなはずなのに、どうして、どうして“また”などと、そんな感覚に襲われればならないのか、と弥代は……、



 ――パンっ、と音が響く。

 音のした方に、自然と目が向く。なにかと思えば、直ぐに男の姿が視界に収まり、それもそうか、と弥代は自分に言い聞かせた。だってそうだ、この場には自分の他にこの男しかいない。ただ、どうして男の方からそんな音がしたのかは弥代には……弥代にはイマイチ理解が出来なかった。

 だがしかし、彼と自分の間にはそれほど大きくはないが焚き火が、今もまだゆらゆらと勢いよく炎が揺れ動いていて。()やすことがないように投じられる、枝木が熱を帯びて弾けた音だろうか、とそう思うことにした。

 そして聞こえた音を皮切りに、重く沈んでしまいそうだった気持ちが少しだけ浮上するのが分かった。なんとも、都合がいい。

 話している内に前屈(まえかが)みになっていた背筋を出来るだけ真っ直ぐ正して、何を次は何を話そうか、と薄く目を閉じる。

 ゆらりゆらりと揺れている炎に焦点を(さだ)め、彼女との最近のやりとりに触れたのなら次は、なんて目星を立てたのはそれよりも少し前のこと。

 確か彼・相良は里にやって来てからの弥代のことはよく知っているはずだ。だから、だから彼が弥代のことを知りたいと言うのなら、それは里に来る前の話で。目についたのがいけなかった。炎、だなんてそんなものは弥代の中の触れてほしくない、思い出したくもない過去を(かす)めるのは分かりきっているのだから。でも何故だか、この時は少しだけ触れてもいいと思えた。それはもしかしたら心が疲れきってしまっているからだったかもしれない。あるいは久しぶりに誰かにあの事を話したかったから。それかもしく、は

(もしくは…………、何なんだろう?)

 ふわふわと、揺らぐ何かに体を預けているような感覚がする。閉じ掛けていた瞼を持ち上げても、それがなんであるかは弥代には分からなくって。ただ話すと、触れると決めたそれをどうにか、どうにか言葉にしようと(こころ)みて、それ、で






 止めてください、と誰かが口にした。

 随分と切羽詰(せっぱつ)まったような、焦ったような声だったというのに、二の句が弥代の耳が拾うことはなく。

 それが誰であるかなど分からず、でも声がした方に目を向けるとそこには、名も知らぬ男の喉を丁度、刀の先っちょが(かす)めた、ところで。

 浅く掠めたつもりでいたのだが、思いの(ほか)深かったのだろうか。刃先がほんのり赤く染まって見えた次の瞬間、それを追うかのように男の首から赤が噴き出した。

 それに(ともな)うように、まるで立ち方を忘れてしまったかのように体が大きく揺れ、膝が折れ、腕を放り出すかのように地面にゴトリ、と大きな音を立てて転がる。

 こちらを驚いたように見ていた目はそのままに、首から噴き出るのと同じ赤を口元から小さくたらりと溢し。あぁ、でもそれも、次第に口から出てきたものなのか、首元のものが付着してそう見えているのかも、分からない。

 肩を、(あら)げる。胸をただ上下させるだけでは体は満足に息をすることが出来ないみたいに、体そのものがどくん、どくんと奥底で脈打つそれの代わりを果たしているように、役不足なそれを必死に補うかのように激しく、揺れる。

 けれども、何も揺れているのは弥代の体だけではない。囲炉裏(いろり)()べられたまだ小さな種火も同じように、こちらに呼応するかのように揺れている。

 すると……どうだろう。ゆらゆらと揺れる種火に合わせて、狭い屋内に黒い影が同じようにゆらゆらと蠢いている。その場で息を整えるのに必死で、まだ一歩も踏み出していない自分のものではない。今しがた、この家の中にいた男は倒れたはずだ。じゃぁ、じゃぁ何か、と影の出処(でどころ)をぐるり見渡し探せば、それはすぐ近くにいた。倒れた男の、そのすぐ後ろにある大きな水瓶(みずがめ)の影に隠れるように身を(ひそ)めていたようだが、口を両手で大きく覆って、泣き声が漏れ出てしまわないように必死で。しかし小さな体にはそれを押し込めるのが多分やっとで、体の震えを収めることは出来なかったようだ。

 子ども、である。

 自分だって大の大人と比べれば幼い方だと言われずとも分かる程度だが、そんな自分よりも明らかに幼い。身を縮こまらせる、半分以下に折りたたんだ小さい体は自分の腰の高さ程もあったものじゃない。だというのに、そんな相手に罪なんてものはないと頭では分かっているのに、ここまで来てしまえばもう弥代は、……弥代は止まれない。

 頭を、掴んだ。

 少し力を加えればそれだけで形が変わってしまいそうな、そんな如何(いか)にも脆そうな頭を力の限り掴んで、水瓶の影から引き摺り出した。でも明るい場所に連れていくことはなく、頭同様に力を加えたらそれで……、それでポキリと折れてしまいそうな生まれてまだ十年も経っていなさそうな幼子(おさなご)の体を押さえつけて、歯止めを(とう)に失っている刀を振り下ろした。

 何度も、何度も、執拗なくらい何度、も。

 これで、これで最後なんだ。これが最後。これでお(しま)い。そしたら、そしたら全部全部終わり。ちゃんと、ちゃんと最後まで、何があっても絶対に終わらせなくちゃいけない。じゃないと、そうじゃないと今までの全部が、やってきた事がなんの意味もなくなってしまう。一度染まった手はもうどれだけ拭ったって取れるわけがなくって、全部を、全部を終わらせなきゃいつか、いつかまた奪われてしまんじゃないかってそんな、そんなことばかり考えてしまって。奪えっこ、ないのに……。こんな、こんな自分よりもずっと小さい子どもに一体何が出来るっていうのか?自分以外に誰一人いなくなった、こんな山奥の集落でいきていける(すべ)なんかありはしない、数日と持たずに自分が一々手を(くだ)さなくたって、終わるのなんて目に見えている、というのに。それ、それなのに、それでも、そうだと頭では分かっているのに、弥代は、それを止めることが出来なかった。

 自分よりもずっと小さい、幼い体が揺れている。もうすっかり出しきってしまったのかもしれない、赤の飛び散る勢いがどんどんと損なわれようとも、時折ピクリと動く度に、喉奥を壊れてしまいそうになるぐらい絞り続けて、刀を、振う。

 意味などないのに、頭では分かっている、のに。

 揺らぐ、揺らいだのは何であっただろう?

 屋内で蠢く影の主はもう弥代を残して他にいない。いいや、屋内だけではなく、この山奥の集落には弥代しかいない。だがそれも、そんな蠢いていた影も次第に、徐々に薄れていく。

 囲炉裏の熱が、小さな火種が、その灯火(ともしび)()たれたのだ。小さな、本当に小さな命であった。けれども奪われた。否、奪った。

 手に掛ける必要はやはりなかったかもしれない。でも弥代に自分を律することは出来なかった。耐え難かったのだ、怒りを、抑えきれなかったのだ。

 どうして奪われなければならないのか、それが分からなかった。あの二人が一体……一体なにをしたというのだろう。ただ自分を、他に行く宛のない自分に手を差し伸べてくれて、傍に置いてくれただけだ。勝手に“色持(いろも)ち”を集落に招き入れたのが気に食わなかったなら、弥代にだけ出ていくように言って、それで無理やりにでも追い出してくれれば、それで、それで良かったはずだ。そうはならなかった、それだけで済んだはずの事だというのに、そうはならなかった。だから、だから二人は殺された。荒屋(あばらや)としか言いようがない、隙間風に悩まされるばかりだったボロボロの家の中、火を(はな)たれた。それだけじゃない、それだけではなく、火だけで充分だろうに斬り付けられたような跡があって。だから……、そうだ、そうなのだ。弥代はただ、ただ同じことをしてやっただけだ。名も知らぬ老夫婦がそうされたのと同じに、殺めるだけなら無闇矢鱈に苦しめる必要も、何度も刀を振り下ろす必要などなかったという、のに。二人を奪われたというだけで、集落にいた者、全員を手に掛けた。

 一軒一軒を端から順に、物音を殺して、叫び声が上がるその前には斬り伏せて。二人の死を言い訳に、ただ自分の、自分の中に生まれた怒りを、憤りを、ただただ発散するためだけに、手に掛けた。

 最後の灯火はあっという間に、ちょっと弥代が息を吹き掛けただけで簡単に消え去ってしまった。

 でも、本当はまだ、まだ誰かが残っているんじゃないか、とそんな考えが頭を(よぎ)って、そんな考えが湧いてしまえば、後はもう止められない。止める(すべ)を、弥代は持たない。

 どうしたら、どうしたらこの怒りを鎮めることができるのか。なにをすれば自分はこんな意味のない行為を止めることが、刀を納めることが出来るのかが何一つ分からない、分からなかった。

 日が登る。山と山の間に位置するような狭い集落に朝陽が差し込むまでには、山が邪魔をして長い間は影が差していたものだが、山頂よりも高く陽が登ると、それを背にしてやっと、やっと弥代は膝をついた。

 手の甲で(ぬぐ)おうにも、浴びたものが多すぎるからかあまり意味を成さない。時間が経って少し固まったものが、擦れば細かい大鋸屑(おがくず)みたいになってパラパラと落ちて、風に(さら)われて、どこかへと飛んでいく。

 そうして自分の体を必死に抱きしめて、晩の出来事を一人振り返った。

 なんてことを、なんて今になって後悔したって意味がない。どうして、どうして止まることが出来なかったのか、なんで、なんでこんな事になってしまったんだ?と。いくら、いくら考えたところで何も変わらない。何も、変わりっこない。

 (うずくま)って、ただ泣いた。

 他に誰もいないのをいいこと、に。



 夜になると、冷え込むとまたしても雪が降った。

 何をする気力も湧かずに、あの晩が終わってから変わらず、弥代はその場から動けなかった。

 何をすればいいのか分からなかった。このまま、どう生きればいいのか分からなかった。だから……、でも、けれども、だと、しても。


 ……だからそれは本当は偶々だったのかもしれない。

 自分が手に掛けてしまった集落の人間の、彼らの命を無駄にしない為なんてどの口から出るというのか、と今になるととんだ勘違いだと、過去の自分を殴ってやりたくなるぐらいだ。

「……勘、違い。

 …………そう、そうだな、こんなの勘違い、だよ。

 そう、そうなんだよ相良さん。俺、俺な……、俺すっげぇ早とちりばっかりでさぁ、一人で突っ走っちまって、一人でずっと勘違いしちまう、すんげぇ恥ずかしい奴、なんだよ。」

 こんな話で良かったのだろうか、と話に一区切りをつけた弥代はふと悩んだのだが、よくよく思い返してみれば彼は弥代の話を、弥代を知りたいのだと、そんな事を言っていたのだからこれで間違っていなかったかもしれない。

 そうだ、弥代という存在を語る上でこんなに欠かせない話はない。弥代なんていう、昔のことを何一つ覚えていない、育った場所も生まれた故郷も分かっちゃいない。頼るべき親も身近な相手も誰一人おらず、色を持つというだけで自分によくしてくれた大切な存在を(うしな)い、ただ怒りに身を任せて幼き命さえ手に掛けたような、そんな…………それが、それこそが弥代だ。

 だから弥代は、

「そうだ、だから俺、癖なんだろうな?

 多分、全部自分に都合よく考えちまうの。」

 弥代は、目を閉じた。

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