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#10.



ケルピーと共にフェンベルクの包囲網を脱したプリシラは、直ちにネームタグが発動した市街地へと向かった。


魔物と化したリベリアの住民たちがプリシラとケルピーに襲いかかったが、ケルピーの速度についてこられる魔物は稀であった。


時折飛びかかってくる魔物を防壁で弾き飛ばしながら駆けることしばし、プリシラは奇妙な既視感を覚えながら街を走り抜けていた。


なぜこの見知らぬ空間で既視感を覚えるのか。頭の片隅に疑問を抱いたまま駆けていたプリシラは、魔力を探知した座標に到達し、ケルピーの背から降りた。


そして、ようやく理解した。なぜこの街路に得体の知れない既視感を覚えたのかを。


血染めの空の下、リュエンが囚われている場所は、他でもない「二人の家」だった。首都リベリアには存在しないはずのあの家が、悪夢の中に平然と溶け込んでいた。


既視感を覚えるのも当然だ。この通りは一日に何度も行き来した、彼らの思い出が詰まった場所なのだから。


「……」


見慣れた家の姿に、プリシラは形容しがたい感情を抱きながら建物を見上げた。間違いない。この家にリュエンがいる。


微かな吐息をついたプリシラは、家に入る直前、ケルピーへと視線を向けた。


「ケルピー。ラファエル将軍は誰よりも強いわ。けれど、この歪んだ空間は彼らの領域よ。だから、将軍を助けに行ってくれる?」

「気が進まないな」

「でも、その方が効率的でしょう。私たちはこの悪夢を終わらせに来たの。なら、より早くて確実な方へ動くべきじゃない? そうでしょう?」

「プリシラ。一人で大丈夫か?」

「愚かな問いね、ケルピー。私は一人じゃないわ」

「……お前を信じよう」

「私も、あなたと将軍を信じているわ。また後でね」


プリシラの挨拶に応じ、ケルピーは即座に来た道を引き返していった。ケルピーが遠ざかるのを確認したプリシラは、視線を戻して見慣れた扉を見つめた。そして、躊躇なくその扉を開けた。



***



襲いかかるかつての同僚を殺し、また殺す。


何人目かなど、もう覚えていない。絶え間なく押し寄せる同僚たちの死体が山となり、視界を遮った。


どれほど殺しても終わることのない「蠱毒」の部屋。リュエンの魔力を動力源として具現化されたこの部屋は、彼の魔力が尽き果てるまで同じ地獄を繰り返す。限界まで魔力を振り絞ったリュエンの体は、すでに満身創痍だった。


リュエンは襲いくる同僚たちの首を刎ねながら、愚直に前へと進んだ。


一人、二人、百、千……。


すでに死した命が再び潰えるたび、呪詛の混じった非難の言葉がリュエンの心身に突き刺さり、切り刻んだ。


――お前は兵器だ。

――お前だけが幸せになることなど許さない。

――お前の傍にあるものは、すべて壊れるだろう。


数千回、数億回と聞かされたはずなのに、鋭く食い込む言葉の刃に心が摩耗していく。


分かっている。

私は兵器だ。

幸せを望んだ代償は、無惨な業となって返ってきた。


これ以上、何ひとつ壊したくないからこそ。


リュエンは、自分の前に立つかつての同僚であり、最期まで共に生き残った「記憶の中の家族」を前にして、悲しげに笑った。


「再びお前たちを壊す私を、どうか許さないでくれ」


刎ね飛ばされた頭部が床を転がった。これで最後だったのか、積み上がっていた魔物の死骸が白い塩となって霧散した。すべての塩が風にさらわれた後、ぽつんと現れた扉が「おいで」と手招きしていた。


リュエンは血にまみれた体を引きずり、扉へと近づいた。


油断したのは一瞬。疲れ果てた彼の眼は、消え残っていた魔物を捉えきれなかった。反射的に伸ばした腕が食い千切られると、激痛に意識を失いそうになった。


かろうじて意識を繋ぎ止めたリュエンは、頭部だけになった魔物に一撃を見舞った。割れた頭が徐々に塩となり、崩れていく。


『俺たちは地獄で待っているぞ、リュエン。』

「……」

『早く来いよ。お前にもう光はないのだから。』


食い千切られた腕を火で焼き、止血する。冷や汗が流れ、体が震えた。それでも進まなければならない。大丈夫だ。進める。


進まなければならないんだ。


よろめきながら手を伸ばし、ドアノブを回した。暗く汚いゴミ捨て場とは全く異なる、華やかな宴会場がリュエンの視界に飛び込んできた。


遥か高い天井と、眩いシャンデリア。大理石で造られた広い会場では、美しく着飾った淑女たちと凛々しい紳士たちが、それぞれのパートナーと踊っていた。


たった一度だけ目にした、しかし決して忘れることのできない宴会場の光景に、リュエンは乾いた唇を動かした。


「ここは……」


決して忘れることのできないあの場所に、ぽつんと取り残されたリュエンの心臓が不規則に脈打ち始めた。


ここは。これは。この場所は……。


ひしめき合う人々の中、彼の視線を奪う者がいた。


白に近い金色のドレスは、彼女の美しい肢体をより一層際立たせ、朱色の髪飾りがその美しい髪の中で揺れていた。


夢にさえ現れなかった彼女が、今、目の前にいた。


「プリ、シラ」


名に反応するように、リュエンに背を向けて立っていた彼女が、ゆっくりと体を捻って彼を振り返った。


二度と見られないと思っていた、夜明けの空を閉じ込めたような青紫色の瞳がリュエンを射抜いた。その瞬間だった。


「……!!!」


鋭い剣が彼の顔を貫いた。本能的な感覚で致命傷こそ避けたが、左目を深く斬られてしまった。攻撃は息つく暇もなく続く。距離を取ったリュエンは、攻撃魔法を放とうと手を伸ばした。しかし、どうしても魔法を使うことができなかった。


彼の目を奪ったのは、制服を纏ったプリシラだった。まだ幼さの残る顔立ちの彼女は、長い髪を一つに結い上げ、無表情にリュエンを見つめていた。戦場で幾度も相見えた「黒い防壁」の姿。


呆然とプリシラを見つめていると、黒い防壁の隣から別のプリシラが歩み寄ってきた。リベリアで再会した時のプリシラ。デートの時に買ってあげたワンピースを着たプリシラ。暑いと言って薄いシャツ一枚で歩き回っていたプリシラ。


いつの間にか、会場にいる者すべてがプリシラに変わっていた。


リュエンの体がガタガタと震え出した。まともに息ができない。どのプリシラに対しても、攻撃を加えることができなかった。


――これは幻想だ。

――殺して消さなければならない。

――ここで屈してはならない。


殺さなければ。壊さなければ。

プリシラのために終わらせなければ。


崩れゆく心を繋ぎ止める。震える手を再び持ち上げる。剣を振り上げたプリシラの体が床に転がる。流れる血は赤かった。


一人、また一人。会場に立つプリシラを消去していく。


本物ではない。

耐えなければ。

これは私の業だ。


幻想は実際のプリシラの攻撃力に比例しているのか、攻撃を防ぐことは難しくなかった。だが、彼女の姿が消えるたびに、心が粉々に砕けていった。


彼女が死んでいく姿を見たくなくて、持てる魔力のすべてを使い、痕跡すら残らぬよう消し去った。しかし、その行為そのものが、あまりにも苦しい。


狂うことはできない。私には狂う資格さえないのだ。


消して、また消して。まるで自らの記憶を抹消するように、プリシラを消した。残るは、あと一人。


このプリシラさえ殺せばいい。これで終わりだ。


これで……。


一歩、また一歩。彼女へ近づく。片方だけになった視界の中で、彼女の姿が近づいてくる。


他のプリシラたちとは違い、ドレスを着た彼女は何の武器も持っていなかった。リュエンがようやく彼女の前に辿り着いた時、独り佇んでいたプリシラが、悲しげな表情でリュエンを見上げた。


「リュエン。貴方はあの日も私を殺したのに、また私を殺すのね」


その瞬間、プリシラの瞳から赤い血が流れ落ちた。抉り取られた眼球が床を転がり、白いドレスが血に染まった。


たった一つ残った青紫色の瞳が、リュエンを映した。彼女は震える手を伸ばした。


あの日、血塗られた記憶の中のあの場面のように。


動くことができなかった。彼女の腕が刃のように鋭くなり、自分の腹部を貫くのを見ても、何もできなかった。崩れ落ちたリュエンは、必死に正気を保とうとした。


これは偽物だ。虚像だ。負けてはならない。


「貴方はいつも言い訳ばかりね。望まぬことだった、命令だったと。皆が私の死を望むから、死にたいと。そして今回は? このプリシラは本物ではないから殺すと。本当に、私は本物ではないの?」


「……!」

「ねえ、リュエン。貴方にとって、私は虚像に過ぎないの?」


もう、耐えられなかった。しかし、このまま死ぬわけにもいかなかった。項垂れたリュエンは、片方だけの目をきつく閉じ、そしてゆっくりと開いた。リュエンは泣き出しそうな微笑みを浮かべて問うた。


「プリシラ。このまま私が死ねば、そなたの元へ行けるだろうか」

「行けると思っているの?」

「いいや。そんな贅沢なことはないだろうな。だが、今だけは。この瞬間だけは、私の記憶にあるそなただと思ってもいいだろうか。本当のそなたは、もういないのだから」


リュエンの言葉に、プリシラの口角が上がった。彼がこの上なく愛した、記憶の中の彼女の微笑だった。プリシラが腕を振り上げるのを見つめながら、リュエンは魔力を暴走させるために逆循環させた。


彼が死ぬ瞬間、爆発した魔力は周囲を無へと帰すだろう。


塔だけでなくリベリアまでもが消滅することになるだろうが、エルフリーデの人形となって世界を滅ぼすくらいなら、リベリアを犠牲にしてでも世界を守る。


構わない。すでに私の手は血まみれなのだから。これ以上業を積み上げたところで、重くなる天秤も存在しないだろう。


それでも、たった一つだけ。


「そなた」の手で死ぬことだけは、許してほしい。

「そなた」の微笑みを記憶することを、許してほしい。


たとえすべてが偽物だったとしても。

リュエンは、静かに頭を垂れた。


そして――。


「貴方は、私がいないと本当に無茶苦茶ね、リュエン」

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