#09.
魔物たちが動きを止めたのは刹那の間。すぐさま行動を開始した魔物たちは、自分たちを案じて近寄ってきた、かけがえのない家族へと襲いかかり始めた。
両親を、兄弟を、我が子を……。
愛する者を殺し、幸せを打ち砕く。その凶行を阻むため、反射的に防壁を展開した。しかし、魔物と化した住人たちは、虚しいほど容易く防壁を通り抜けていった。
「無駄だ。彼らはすでに、過ぎ去った時間を繰り返しているに過ぎない」
「救う方法はないの?」
「この悪夢を終わらせる他ないだろうな」
感情のかけらも籠もっていないケルピーの無味乾燥な答えに、プリシラは掲げていた腕を下ろした。
過ぎ去った時間は、何人たりとも取り戻せない。潰えた命が戻ることはない。
いくら現実を切り取り、閉じ込め、繋ぎ止めたところで、崩れ去った過去を覆すことは叶わないのだ。
周囲の生あるものを手当たり次第に喰らい尽くした魔物たちの次の標的は、まだ残っている生者だった。
止まり、繰り返される時間の中。死ぬこともできずに苦しみ、狂ってしまった魔物たちの狂乱の瞳が、一斉にプリシラ一行へと向けられた。
「おい、ケルピー。これは過ぎ去った時間だと言わなかったか? なぜあいつらは俺たちを見ているんだ?」
ラファエルの問いに、ケルピーは当然だと言わんばかりの顔で答えた。
「過去はすでに過ぎ去ったものだからな。本来なら時間は巻き戻るはずだったが、異物である我々が入り込んだことで、巻き戻しに齟齬が生じたようだ」
「つまり?」
「我々を排除するまでは、巻き戻しは起きないだろう」
「俺たちが奴らを攻撃することはできるのか?」
ケルピーは答えの代わりに指先を弾いた。その動きに合わせて湧き上がった水の渦が、魔物を吹き飛ばす。
崩れた家屋の向こうから赤い雨が染み込み、再び魔物が生成される。
眉をひそめたラファエルが槍を構えた。だが、それよりも早くプリシラが一歩前に踏み出した。同時に、周囲に広大な防壁が生成される。
黒い光を帯びた防壁に触れた魔物たちは、一斉に弾き飛ばされた。
「救えないのであれば、相手にする必要はありません。時間の無駄ですから」
「魔物の数が多すぎる。防壁を維持するより、俺がなぎ払った方が早いんじゃないか?」
「彼らに不必要な苦痛を与えたくありません。魂が縛られている以上、殺しても死ねないでしょうから。それに……」
ラファエルの懸念に対し、プリシラは口角を釣り上げた。
「この程度の防壁なら、常時発動していても何の問題もありません。ですから心配なさらず、将軍の力はフェンベルクを相手にするために取っておいてください」
「ほう。全くだ、一体誰からスキルを譲り受けたらこれほど強くなれるんだ? 死の淵から生還すれば、皆そうなるのか?」
「まあ、凄まじい御仁からいただいたのは確かです。あまり羨ましがらないでくださいね。何度も経験するようなことではありませんから」
「……それもそうだな」
軽口を叩き合う一方で、プリシラは鋭く研ぎ澄ませた感覚を総動員してリュエンを探していた。しかし、漠然とした存在を感じるだけで、どれほど神経を尖らせてもリュエンの居場所を特定できずにいた。
この広大な歪みの中で、どうやって一人を探し出せばよいのか。
(リュエン、あなたはどこにいるの? 私に教えて。応えて)
心の中で祈るように言葉を紡いだ、その瞬間だった。強烈な魔力が弾ける感触と共に、守護防壁が展開されたのを感じ取った。プリシラの瞳が輝く。
「見つけた」
幾度もネームタグに付与した守護スキルは、たった一度だけ、死の危機を防ぐことができる。蓄積された力ゆえに、混乱の中でもはっきりと感じ取ることができた。
「将軍、ケルピー! 見つけました。直ちに……」
「小娘、下がれ!!!」
プリシラが座標を伝えようとした時だった。赤い雨が降り注ぐ空が闇に覆われたかと思うと、巨大な爪が三人の上空から振り下ろされた。
電撃を纏ったラファエルの槍が爪に触れると、眩い光が弾けた。反射的に目を閉じたプリシラが顔を上げると、赤い空よりもなお赤いドラゴンが天を遊泳していた。
『我らが王女は寡黙すぎて困る。退屈な演劇を打破するために登場人物を追加したのなら、早く言ってくれればよいものを。必ず自ら探させようとする』
「久しぶりだな、フェンベルク。血色がいいようだが、達者だったか?」
『達者だと? 湿っぽいことを言うな、ラファエル。貴様のおかげで、繰り返される新派劇ばかり見せられていたのだぞ? あと少し遅ければ、退屈で死んでいたかもしれん』
「それは惜しいことをしたな。もう少し遅ければ、退屈でくたばった貴様の死体を拝めたものを」
『アハハ!! エルフリーデはその点、抜かりない。退屈に狂う直前で、貴様のみならず「黒い防壁」まで送り込んでくれるとはな』
フェンベルクの笑い声に共鳴し、周囲の建物が崩落した。雨ざらしになった住人たちが魔物へと変貌していく。
『さあ、ラファエル。そして「黒い防壁」。私を楽しませてくれ。貴様らの芸が満足のいくものならば、シェイルグの元へ送ってやろう』
「貴様如きを相手にするのに、二人も必要ない。そうだろ?」
『貴様も焼きが回ったようだな、ラファエル。貴様は一度たりとも私に勝ったことはない』
「それは貴様も同じだろう? 互いに見飽きるほど相見えた。いい加減、決着をつけようじゃないか」
口角を上げたラファエルが槍を握り直し、言葉を継いだ。
「小娘! ここは俺が引き受ける。すぐ後を追うから、お前はお前のすべきことをしろ」
『滑稽だな、ラファエル。このまま私が貴様らを見逃すとでも思うか!』
フェンベルクの火焔が周囲を薙ぎ払ったが、ラファエルは降り注ぐ火を容易く相殺した。ラファエルから視線を外したプリシラが、ケルピーを見つめて言った。
「ケルピー、私をリュエンの元へ連れて行って」
ネームタグが発動したということは、リュエンが死に等しい危険に晒されているということ。走って向かうにはあまりに遅すぎる。
プリシラの頼みに、ケルピーが本来の姿へと戻った。眩いばかりに白い馬に飛び乗ったプリシラが叫ぶ。
「先に行きます、将軍! 私が楽しみ尽くしてしまう前に来てくださいね」
「二言はない! お前はさっさと行ってシェイルグを捕まえておけ。埃が出るまでぶん殴る準備をさせてな!!」
口角を上げた二人は、互いに背を向け、それぞれの方向へと駆け出した。




