#06.
貫かれた心臓から流れ落ちる血は赤かった。こんな姿に成り果てても、流れる血は赤いのだろうか。漠然と、そんなことを思った。
「リュ……エン? なぜ……」
細く漏れた声が虚空に散った。リュエンが自分を攻撃するなどとは思いもしなかったのだろうか。エルフリーデの見開かれた瞳には、信じられないといった光が宿っていた。
「なぜ? なぜだと? むしろ私が聞きたいくらいだ、エルフリーデ。すべてを奪われた私が、なぜ貴様の言うことを聞くと思ったのだ?」
「それは……」
今にも涙がこぼれ落ちそうな、震える瞳が哀れな光を放つ。しかし、彼女を見つめるリュエンの顔には何の感情も浮かんでいなかった。
いや、憎しみを超越した感情が無我の境地に達した、と言うべきか。
あまりに憎く、殺したくてたまらないからこそ、かえって何の感情も露わにならないのだ。
大きな瞳に溜まった涙が、ついに頬を伝って流れ落ちた。血の滲んだ赤い唇が小さく動いたかと思うと、ゆっくりと弧を描いた。
彼女の歪んだ微笑に、リュエンは慌ててエルフリーデから飛び退いた。
しかし、エルフリーデはあまりにも容易くリュエンを捕らえた。エルフリーデがリュエンを押し倒し、彼の上に跨った。水色の髪がカーテンのようにリュエンの頬に垂れ下がる。
心臓を貫かれたはずなのに、動きに何の制限もなかった。彼女が簡単に死ぬとは思っていなかったが、これは道理に合わない。
一体、何が……。
リュエンの上に跨ったエルフリーデは、細い手でリュエンの喉を掴んだ。細い指先からは想像もできない圧力に、まともに息を吸うことができなかった。
「うっ……く……っ……」
「忘れたのですか? リュエン。貴方は私のものです」
[ただ私のために'造られた'。]
「私のもの、でしょう?」
「……!」
「可哀想なリュエン。戦場の盾が貴方をこれほどまでに愚かにしてしまったのですね」
エルフリーデの声に重なるように、身体に刻み込まれていた記憶が水面へと浮かび上がる。
――お前は兵器だ。殺し、壊し、消し去るために製作された。
――お前の主はエルフリーデただ一人。王女の言葉に絶対服従せよ。
――お前はそのように設計されているのだから。
――それがお前の存在意義なのだから。
顔を歪めたリュエンが、エルフリーデの言葉に抗うために彼女の腕を掴んだ。
リュエンの抵抗があまりに悲しいと言わんばかりに、零れた涙が頬を伝って流れ落ちる。
悲痛で苦しくて耐えられないという表情を浮かべながらも、彼女の細い腕には青白く筋が浮き上がっていた。
いくら力を込めたところで、か弱い女性の体だ。十分に振り払えるはずなのに、振り払うことができず、苦しい。
抗わねばならない。退けねばならない。私に残された唯一の存在意義は、これだけなのだから。
「忌々しい戦場の盾。でも、大丈夫。心配しないで、リュエン。私が貴方を元に戻してあげます」
甘い声に混じって、歌声が聞こえてくる。リュエンの自我を奪う歌声。
脳を突き刺すような声に抗うため、舌を強く噛み切った。濁り、霞んでいた頭の中が一瞬で晴れ渡る。飲み込みきれなかった血が唇を伝って流れ出した。
その瞬間、首を絞めていた手が消えた。
そして……。
「……!」
エルフリーデの手に、光を失った青紫色の瞳が掲げられていた。リュエンが大切に懐に抱いていた、唯一のプリシラの痕跡。
リュエンの顔に数多の感情が浮かぶと、エルフリーデの顔が歪んだ。白い指が眼球を握り潰す様が、あまりにゆっくりと、しかし鮮明に両の眼に刻み込まれていく。
「こんなものがあるから、貴方は正気を保てないのです。リュエン。でも大丈夫。もう、なくなりましたから」
「何……を……した……」
しっかりしなければならない。しかし、正気を保っていられない。憤怒に駆られたリュエンは、そのままエルフリーデの上半身を吹き飛ばした。切断された体が地面を転がった。
「ふふ。貴方のそんなお顔、本当に久しぶりですね。絶望に染まった顔さえ、寒気がするほど美しい」
「貴様を、殺す」
「いいですよ。できるものなら、やってごらんなさい」
エルフリーデに歩み寄ったリュエンが、彼女の頭を掴んで荒々しく地面に叩きつけた。頭から流れ出た赤い血が、水色の髪を濡らした。
普通の人間なら……いや、普通の人間でなくとも何度も死んでいるはずの致命傷だった。それでも、エルフリーデの声は途絶えなかった。
「あら。これは少し痛いですね、リュエン。お仕置きが必要なようですね?」
「くっ!」
口角を釣り上げたエルフリーデが手を上げた。それと同時に彼女の髪が鋭い槍となり、リュエンを貫いた。急いで防御魔法を展開したが、攻撃を防ぐには遅すぎた。
致命傷だけでも防ごうとリュエンが手を伸ばした瞬間だった。
首にかけたネームタグに熱が宿った。それと同時にリュエンを包み込んだのは、清明な夜明けの光を放つ防壁だった。
リュエンの目が大きく見開かれた。
これは……。
リュエンは震える手で首にかかったネームタグを持ち上げた。初めて出会ったあの日、不安に震えていた彼に与えてくれた彼女の[証]。
彼女の名が刻まれたタグが視界に入ると、涙が溢れ出した。
(そなたは……このような瞬間にさえ、私を救ってくれるのか)
プリシラが自分にくれたものがまだ残っていたということが、何よりも彼に大きな救済と、そして絶望をもたらした。




