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#12.


カイアード帝国。


大陸中央に位置し、世界最大の領土を誇るこの帝国は、古より強大な資金力と圧倒的な兵力で世界を席巻してきた大国であった。悠久の時を刻むこの大国には、いくつかの鉄則が存在する。


一つ、数多くの隣接国と国境を接していながら、いかなる国へも先に侵攻せぬこと。


一つ、友好関係にある隣接国とは相扶共助し、決して優位に立たぬよう公正な取引を継続すること。


一つ、たとえ幼子であろうとも、帝国民が不当に搾取されることがあれば、戦を起こすこと。


最後の一つは、一度戦が始まれば、友好国もまた参戦せねばならず、勝利するまで戦いを止めぬこと。


あまりに相反する、しかし決して逆らうことのできない帝国の鉄則により、諸国は帝国の傘下でその庇護を受けてきた。それはガエル魔導王国との戦争においても同様であり、終戦を迎えた今もなお続いている。


戦争によってあらゆる国が疲弊した。しかし、帝国だけは揺るぎなかった。彼らは自らの資産を惜しみなく分け与え、隣接国との友好を盤石なものとした。


祝勝晩餐会は、そんな友好をさらに深めるための、完璧な舞台であった。


年に一度、各国が集い交流するこの宴は、一週間にわたって繰り広げられる。


飢饉に見舞われた国には支援を、紛争の絶えぬ国には制裁を。財政に余裕のある国には支援の要請を。


数多くの国が集まれば、必然、数多の人間が集う。誰もが自らの分を奪われることを嫌い、足りぬものを手にしようとする、貪欲な会場。


その広大な会場の中央に、プリシラは立っていた。


(あぁ……家に帰りたい)


ライディスから招待状を受け取った日、プリシラは即座にケルピーを呼んで彼を紹介し、自らは帝国へ向かう準備を速やかに整えた。


馬車では五日以上かかる道のりだが、リュエンならば即座に移動できると考え頼み込むと、彼はその願い通り、プリシラを帝都の外壁まで一瞬で連れて行ってくれた。


プリシラが急いで帝国へ向かった理由は単純だった。招待状とはいえ皇帝の勅書を手にした以上、即座の謁見が可能だと踏んだからだ。


カイアードの皇帝は、能力さえあれば礼儀作法にはこだわらない。多少の無礼には目を瞑ってくれるはずだ。


そして、一度謁見さえ叶えば、心底宴を嫌がっている自分を無理に会場へ引きずり出すような真似はしないだろう、という計算もあった。


実際のところ、宴そのものが嫌いなわけではなかった。滅多に着ることのないドレスには心躍るものがあったし、貴族としての基本作法も身についているため、対応が難しいわけでもない。


だが、数多の国家が集まり、権謀術数が渦巻く場は、あまりに疲れ果てる。


プリシラは己の価値をよく理解していた。自由の身となった「黒い障壁」。そこに「白い悪夢」までもが共にいると知れば、あらゆる国が彼らを欲しがるに違いない。


貴族を相手にするのが厄介なのは、彼らの持つ権力が強大だからだ。


国という後ろ盾を失い、平民となったプリシラは、強引にでも引き込める絶好の駒にすぎない。

ゆえに、本来ならば能力を隠して静かに暮らすつもりだった。


極力貴族とは関わらず、関わったとしてもごく一部の者とだけ交流しようと考えていたのだ。塔の襲撃さえなければ、誰よりも平穏に暮らせたはずなのに。


(はぁ……皇帝が望んでいるのは、リュエンの改心の是非と、私が帝国側に力を貸すことかしらね?)


どうせ誰かに力を貸さねばならぬなら、帝国の方がマシだ。それは皇帝も承知しているはず。


リュエンが完全に無害であることを証明したうえで、リベリアの務めに差し障りがない範囲で、過度な負担にならない程度に力を貸すと交渉すれば、皇帝も自分をどす黒い思惑が渦巻く宴へは放り出さないかもしれない。


そう考えていたというのに。


(まさかこの日まで、謁見の機会が訪れないなんて)


皇城へ即座に入城できたまでは良かったが、プリシラは皇帝はおろか、謁見室の近くに寄ることさえできなかった。


そればかりか、その日を境にリュエンとも引き離され、まともに会うことすら叶わなかった。


プリシラは激しく抗議したが、意外にもリュエン本人が彼女を制し、「心配せず、ゆっくり休んでいろ」と言葉をかけてきたのだ。


「リュエン。本当に大丈夫なの? ここは……」

「大丈夫だ。案ずることはない。せっかくだから、羽を伸ばすといい」

「……」


皇城へ来る前、リュエンはいつものように悠然としており、些細な不満を口にする程度だった。


「早く謁見を済ませて帰りましょう」という言葉にも、彼は微笑んで頷いてくれたのだ。「早く仕事を片付けて、俺たちの家に帰ろう」と。

「そう言ったくせに」


皇城に着いた途端、態度が変わった理由は何なのか。


何かを知っているのなら、あるいは聞いたことがあるのなら共有してくれればいいものを、リュエンは悲しいほどに何も語ってくれない。それが腹立たしかった。


自分は彼に誤解を与えぬよう腐心しているというのに、彼は何も話してくれない。不公平だ。これは後で一悶着起こさねばならない案件だ。


実に久しぶりの貴賓としての待遇ではあったが、リュエンとも皇帝とも会えぬままでは不安が募るばかりだった。


理解しがたい状況に、いたずらにストレスだけが積み重なっていく。


そうして息の詰まる城内での軟禁状態で一週間が過ぎ、ついに宴の日が訪れた。


一週間蓄積された不満は、もはや爆発寸前だった。


せっかく美しいドレスを纏ったというのに、エスコートの一人もなく、プリシラは最悪の気分で会場へと足を踏み入れた。


宴の開始まではまだ時間があったが、会場内にはすでに多くの貴族たちが集まっていた。隣接国の王太子、王女、宰相の子息……見覚えのある顔もあれば、大半は見知らぬ顔だった。


行き交う人々を無関心に眺めていた時、プリシラの視線にある人物が留まった。


長い赤金色の髪を編み上げた女性が、清楚な微笑みを浮かべて男たちの間に立っていた。


髪の色とは対照的な水色のドレス。しかし、その不調和がかえって息を呑むほどに美しかった。彼女が既婚者であることは誰もが知っている。それでもなお、思わず手を差し伸べたくなるような、可憐な女人。


「ミラベル……」


プリシラの呟きに、ミラベルの視線がこちらを向いた。思わず漏らした名前が届く距離ではなかったはずなのに、どうして気づいたのか。ただの偶然だろうか。


まるでプリシラがここにいることが意外であるかのように、ミラベルの瞳が大きく見開かれた。何か言いたげに彼女を見つめていたミラベルだったが、考え直したのか、すぐに視線を逸らして人混みの中へと消えていった。


一瞬、彼女が微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。


(ミラベルが来ているなら……閣下も来ているのかしら? もしかして、アイザックも?)


三人が揃って領地を空けるはずはないだろうが、もしそうなら事態は非常に厄介なことになる。プリシラは眉をひそめ、極力ミラベルとの距離を置くことに決めた。


それにしても、リュエンはいつ来るのだろう。


(そもそも、来るのかな?)


分からない。じきに皇帝が現れるだろうから、彼に会ったら聞いてみることにしよう。


(それなら……何か食べていようかしら?)


せっかくの宴だ。会って話すべき相手がいるわけでもなし、美味しいものだけでも腹一杯食べて帰ることにしよう。


(美味しいものがあったら、リュエンに作ってもらいましょう。私を一週間も放ったらかしにしたのだから、このくらいはしてもバチは当たらない)


先に手を離したのはリュエンだ。この代償はきっちり払わせる。プリシラは目を細め、彼に頼むべきメニューのリストを頭の中で作成しながら、料理の並ぶテーブルへと向かった。


だが残念なことに、プリシラがテーブルいっぱいに並んだ料理を口にすることはできなかった。


タイミング悪く、皇帝が入場してきたからである。



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