#08.
ここ数日、絶え間なく降り続いていた雨が上がり、ついに眩い太陽が世界を照らし出した。
降りしきる雨のせいで、図らずも数日間、皇城に滞留することになったライディス・ラフェルは、心底退屈そうな顔で空を見上げた。
本来、ライディスは「転移」スキルの保持者であるため、雨の量に関係なく、いつでも愛する妻の待つリベリアへ帰ることができた。しかし、雨を口実に彼の足止めをした皇帝のせいで、数日の間、拘束されるしかなかったのだ。
ライディスを引き止めておきたい皇帝の気持ちも理解はできた。
ライディスが滞在しているリベリアには、決して野に放ってはならない「白い悪夢」が、平然と街を闊歩しているのだから。黒い障壁が守っているとはいえ、世界中の国々が注視するのは当然のことだった。
(そのうえ、とんでもないお願いまでしに来たものだから……)
ライディスもまた無理な願い事をしたのは確かだが、プリシラから返ってきた要求があまりに無理難題で、思い出すだけで頭が痛くなった。あの子は自分の懐に入れた人間を大切にしすぎるのが玉に瑕だ。
よりによって、なぜプリシラは「白い悪夢」など拾ってしまったのか。
(こうなると分かっていたなら、獣の檻に閉じ込めて「販売禁止」とでも書いておくべきだったか)
過ぎた時間は取り戻せない。それでも後悔してしまうのは仕方のないことだった。せめてもの救いと言える誤算は、「白い悪夢」がプリシラを心から大切にしているということだ。
人間の心を持たない怪物が、どうしてプリシラをあそこまで慈しめるのかは分からない。しかし、プリシラが白い悪夢の傍にいる限り、そしてプリシラが味方である限り、最悪の事態は決して起こらないだろう。
(問題は、プリシラがいつまで味方でいてくれるかだが……はぁ)
皇城での知らせをプリシラに伝えることを考えると、なおさら頭が痛む気がした。厄介ごとは山ほどあるが、それでもリベリアへ向かう足取りは軽かった。
愛する妻に数日ぶりに会えるのだから。
まずは妻と子に会い、疲れた心を癒やしてからプリシラに会いに行こう。計画をまとめたライディスは、実に久しぶりにリベリアの市街地を歩いていた。帝国に似ていながらも、全く異なる街並み。
塔の襲撃によって静まり返っていた通りに活気が戻り、ライディスの心はおのずと安らいでいった。
気取った貴族たちを相手にしていたせいか、余計にこの街の活気が恋しく感じられたのかもしれない。
「さっきの夫婦見た? 本当に羨ましいわ」
「本当によね!! あの男性、なんて素敵なのかしら。女性の方もかなりの長身だったのに、あんなふうに抱き上げるなんて」
「そうなのよ!」
「でも、あの男の人、危険な人なんですって。ガエルの魔導兵だったとか?」
「えっ? そうなの?」
「ええ。奥さんの方も戦争に参加した軍人だったらしいわよ」
顔を赤らめて彼の横を通り過ぎる女性たちの会話に、ライディスは思わず足を止めた。ガエルの魔導兵出身で、女の方も軍人? そのうえ夫婦だと? 抱き上げたというのは一体どういうことだ。
足を止めたライディスが女性たちに視線を送ったが、話に夢中になっている彼女たちはライディスの視線に気づかず、きゃあきゃあと会話を続けていた。
「なんてこと。元々は敵同士だったのに恋に落ちたの? ロマンチックすぎるわ」
「うちのお父さんが言うには、本当に危ない人なんだって。終戦後にボロボロになって国中を彷徨っていたらしいけれど。奥さんが救ってあげたのかしら?」
「本当? でも、奥さんを見つめる視線がただごとじゃなかったわよね。目から蜜が滴りそうだったわ」
「……」
一体何が起きているのか分からない。だが、知ってはいけないような気がした。とにかく、彼らと知り合いだと知られるのは避けたい。
どうやら今日は一日中、妻が待つ家で過ごし、明日遅くにプリシラの家へ行くのが良さそうだ。
(ああ、それがいい)
急いで予定を変更したライディスは、女たちが歩いてきた方向とは逆の方へ歩みを進めた。
「おや? ライディス公!」
「……」
しかし悲しいかな、誰かが明るい声でライディスを呼ぶ声に、再び足を止めざるを得なかった。
反射的に顔を向けると、片手でプリシラを軽々と抱き上げたリュエン・シェイルグと、彼の肩に腕を回して誰よりもリラックスして座っているプリシラの姿があった。
空いている手で自分に手を振るプリシラのせいで、二人をちらちらと見ていた住民たちの視線が一斉にライディスへと注がれた。
(あぁ……)
ライディスは、自分の見ている光景が現実であるはずがないと目をぎゅっと閉じ、再び開けた。
当然ながら、目の前の現実は変わらなかった。
一体なぜプリシラがシェイルグに抱かれているのか、そしてシェイルグはなぜプリシラを抱き上げたまま、幸せで死にそうな表情を浮かべているのか。
「ライディス公。お久しぶりですね。ちょうどお訪ねしようと思っていたところなんです。都合がいい!」
(その格好で会いに行こうとしていたのか?)
妻に二人の姿を見られなくて本当に良かったと思うのも束の間、ライディスは世間の注目がすべて自分たちに集まっていることを意識し、不自然な笑みを浮かべた。
「……こんにちは、プリシラ殿。あの、失礼ですが、今何をされているのか伺ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、これですか? 埋め合わせをしているんです」
「埋め合わせ?」
「ええ。まあ、色々と事情がありまして」
一体全体、どんな事情だ。それより埋め合わせ?
「シェイルグはともかく……プリシラ殿、その……大丈夫なのですか?」
抱いているシェイルグはともかく、抱かれているプリシラは相当に恥ずかしいに違いない。そんな意味を込めた質問を投げかけると、プリシラは「ふっ」と声を漏らして笑った。
「ライディス公、『避けられないなら楽しめ』という言葉をご存知ですか? 恥ずかしいのは一瞬でしたよ」
彼女は言葉を継いだ。
「むしろ視点が高くて楽ですね。リュエンはいつもこんな高い視点から人を見ているのかと思うと、羨ましくなるくらいです」
「そなたが望むなら、毎日でもしてやろう」
「えっ? それは嫌よ。体力が落ちそうだし」
問題はそこだけかと言いたかったライディスだが、浮かび上がる質問をぐっと飲み込んだ。気にしたら負けだ。
そんなことより、今は一刻も早くこの状況から逃げ出したい。
「私にご用があるのでしょう? よろしければ、プリシラ殿の家でお話を伺えますか?」




