#03.
しとしとと降り続く雨は、時間が経っても止む気配を見せない遅い朝。
何かを、それも幻想種に近い「魔獣」を探索するには、あまりにも不向きな天候だった。
しかしプリシラは、リュエンが雨を遮断してくれたおかげで、普段と変わらぬ……いや、むしろ普段よりも快適に辺りを歩き回ることができた。
雨粒を弾いたり流したりするのではなく、彼が展開した陣に触れた瞬間に蒸発させてしまう魔法陣。その快適さはもちろんのこと、あまりに不思議で、暇な日なら一日中眺めていても飽きないだろうと思えた。
リュエンの話では、風の魔法と気温を調整し、周囲の大気そのものを乾燥させているとのことだが……。
(うーん。やっぱり何を言っているのかさっぱり分からないわ)
最低限の生活魔法しか使えないプリシラにとっては、あまりにも難解な理論だった。
それでも、手を伸ばして魔法陣に触れてみれば、温かな気配が染み込んでくる。リュエンらしい魔法だと思い、彼女は心地よさを感じていた。
(早く魔獣の行方を確認して、ゆっくり見物することにしましょう)
脇道に逸れそうになる心を律しながら、魔獣が発見されたという外郭の通りに到着した。
言葉では「外郭の通り」とは言ったものの、未開発なのだろうか。通りと呼ぶには心許ないほどの土道と、板張りの小屋がまばらに並んでいるだけだった。
この程度なら、何かが現れても不思議ではない。ただ意外だったのは、魔の森までの距離がかなりあるという点だ。
それに加え、森を塞ぐように積み上げられた石積みのせいで、移動はより困難に見えた。
一体どんな姿の魔獣であれば、この距離から一気に魔の森まで行けるというのか。
(鳥? それとも犬かしら。馬だとしたら少し無理があるような……)
記憶の中にある馬の姿を思い浮かべ、首を傾げていたのも束の間。当然ながら痕跡一つ残っていない通りを眺めていたプリシラが口を開いた。
「もしかしてと思ったけれど、やっぱり通りには手がかり一つないわね」
「おかしなことだ。魔力を宿す存在は、いかなる者であれ、微かに魔力の残香が残るものだ。特に魔獣は強力な魔法を操るため、より残香が濃く残るはず。これほど何一つ痕跡がないはずがないのだが」
リュエンが不可解そうに眉をひそめたが、プリシラはこの状況よりも、彼の放った言葉の方が気になった。
魔獣に対する知識が深すぎはしないだろうか。まるで……。
「リュエン。魔獣を見たことがあるの?」
「……以前に、何度か」
プリシラの質問に、彼は珍しく視線を逸らして答えた。
(質問を間違えたわね)
「見たことがあるか」ではなく、「魔獣を使って何かをしたことがあるか」と聞くべきだった。そうすればプリシラの疑問は解決しただろう。
しかし、プリシラはその好奇心を頭の中から消し去った。
リュエンの暗い表情は見たくなかったからだ。
「手がかりがないなら仕方ないわ。私たちの役目は魔獣を見つけることじゃなくて、魔獣が民家に下りてきて害をなすかどうかを確かめることなんだし」
「……そうだな」
偶然道に迷って下りてきただけかもしれない。魔の森の付近を探索してみて特に問題がなければ、当分の間、付近に守護障壁を立てておくだけで十分だろう。
(お昼……いくらなんでも、そんなに早く探索を終えるわけにはいかないわよね。近くに実っている木の実で適当にお腹を満たして……せっかく外に出たんだし、外食でもしてみようかしら)
リュエンが作ってくれる料理が世界で一番美味しいけれど、今日のリュエンは機嫌が良くない。彼の気分転換も兼ねて、一緒に外食をするのもいいかもしれない。
そう決めたプリシラは、最大限に素早く、かつ効率的に動くため、せっせと歩みを進めた。
順調に魔の森へと足を踏み入れたプリシラは、魔獣の移動経路と予想される周囲を念入りに調べた。
プリシラの目には大きな問題となる場所は見当たらず、リュエンもまた、魔力障害や問題となる魔法の痕跡はないようだと答えた。
「やっぱり、道を間違えただけかしら?」
「その仮説よりは、人間の生態に興味を抱いて下りてきた、という方が現実味がありそうだな」
「確かに。魔獣は知能が高いものね」
魔の森にはガエルの魔力が濃く溶け込んでいる。塔の襲撃の際、何か異変が起きたのかもしれない。
それが一段落し、周辺の偵察を兼ねて自治区の近くまで来たのだとしたら、かなり説得力のある仮説になる。
何にせよ、大きな問題に発展していないのなら、それでいい。
頷きながら自らの仮説に結論を出したプリシラは、森の付近に広範な守護結界を展開した。
「外郭に結界を張ったから、並大抵のものは入ってこられないはずよ。結界が破られれば反応が来るだろうし、今日は帰りましょう」
「広域結界か。疲れてはいないか?」
「このくらい、なんてことないわ。一週間ほど経過を見守ればいいだけなんだから、何の問題もないわよ」
「そなたが大丈夫だと言うのなら信じるが、万が一にもどこか具合が悪いのであれば……」
リュエンがいつものように過保護な発言を口にした。それに対し、プリシラが笑って答えようとした、その瞬間だった。
「……っ?!」
「リュエン?!」
視界の端に白いものがちらりと映ったかと思うと、白く巨大な何かがリュエンに飛びかかった。リュエンが反射的に防御術式を展開したが、それはあまりにもあっさりと彼の魔法を打ち砕いた。
凄まじい力で弾き飛ばされたリュエンが、木々をなぎ倒しながら森の奥へと転がっていった。
プリシラの守護結界のおかげで大きな怪我はなかったのか、彼は即座にその場に立ち上がった。
リュエンが無事であることに安堵したプリシラは、一呼吸遅れて、彼を突き飛ばした「それ」へと視線を向けた。
リュエンが立っていた場所に、代わりに佇んでいたのは真っ白な馬だった。
日光をたっぷりと含んだかのような毛並みは艶やかに輝き、黒い瞳は星屑を散りばめたように煌めいている。その目は、見覚えがあった。この馬は……。
遠い記憶の中にある馬の姿にプリシラが目を見開いた、その時だった。
「えっ? ええっ?!」
「プリシラ!!!」
プリシラに歩み寄った馬が、彼女の襟元をがしっと咥えたかと思うと、そのまま自分の背の上へと放り投げた。
(えっ?! なに、どうやって……)
今、プリシラの体には守護障壁が展開されている。この障壁は、リュエンはもちろん、フェンベルクでさえ容易には壊せない代物だ。
いくら魔獣が凄まじいとはいえ、単身で都市を壊滅させられる魔導兵たちですら手こずる障壁ではないか?!
一体、どうやって?
障壁が破られたことと、馬の背に乗せられたという事実に極度に動揺したプリシラが、反射的に馬のたてがみを掴むと、馬は待ってましたと言わんばかりにプリシラを背負ったまま走り出した。




