学校祭
「ねぇ、柴山聞いてー」
「なんだよ」
校舎裏の非常階段に座っていた柴山に、恵理は話しかけた。
ここにいつもいるから、恵理に話しかけられるのはいつものことになっていた。
柴山も、もうあきらめて恵理の話につきあっている。
特に何をしたくているわけじゃないから、柴山としても話をしない理由がなかった。
いつしか、恵理との会話を楽しく感じるようにもなっているのを、否定はできなかった。
「私、今度の学祭のクラス演劇でジュリエットすることになったんだよー」
「は?!」
柴山は大きな声をあげる。
恵理は、突然の大声に顔をしかめた。
「いや、何その天変地異でも起きたみたいな驚き方」
恵理は、不満そうに眉をひそめた。
「いやいや、どういうことだよ。お前のどこがジュリエットのキャラなんだよ」
思わず立ち上がってしまった柴山は、ゆっくりと座りながら答えた。
「私もそう思ったんだけど、前に柴山と私がごっこ遊びしてたのを見てた人がいたらしくて、推薦されちゃったんだよねー」
「断ればよかったじゃねぇか」
「いやぁ、みんなに褒められると頑張っちゃおうかな、ってなるじゃん?」
「それはちょっとわからねぇな……」
「えー……」
恵理はむぅと口をとがらせて黙った。
「その話を俺にして、何だって言うんだよ」
「……練習つきあってくれない……?」
「いや、一緒に劇するやつとやれよ……」
恵理がぼそっと言ったのに対して、柴山は呆れながら返した。
「……なんか調子でないっていうか、照れるっていうか……」
「いや、それじゃダメだろ」
「……そうだけど……」
恵理は、はぁとため息をついた。
「じゃあさ、本番見に来てよ」
「はぁ? 学祭なんかめんどくせぇから来ねぇよ」
「えー、何のために高校生してんの?」
「別に学祭に参加するだけが高校生じゃねぇだろうが」
「いやいや、青春の象徴でしょうが!」
恵理の声に熱がこもる。
「お前はそうかもしれねぇが、俺はそうじゃないって言ってんだ!」
「…………」
恵理は、むぅと口をとがらせて黙った。
何だか柴山も悪いことを言ったような気分になり、彼も黙り込んだ。
「……わーったよ。とりあえず、お前の劇だけ見に行くわ」
恵理は、すぐに笑顔になった。
「うんうん、いい心がけだ」
「どこ目線だよ……」
柴山は、呆れながらも口の端が少しだけ持ち上がっていた。
そして、学校祭当日。
「お前が学校祭来るなんて珍しいこともあるもんだ。雨降らすんじゃねぇぞー」
菊池が柴山に向かって、にやにやと笑いながら言う。
柴山は苦虫を噛み潰したような顔をして、菊池を睨んだ。
「うるせぇな。俺は佐藤の演劇見たらすぐ帰るからな」
「はいはい。わかってますよ」
そう言いながら、教室にいても学校祭の雰囲気で手持ち無沙汰になり、柴山は菊池とともにクラスの出し物の片付けなどの雑用をやり始めた。
皆、柴山のことは遠巻きに見守りながら、菊池が間に入って、柴山に仕事を割り振っていた。
「強いこと言いながら、俺がいないと佐藤さんの演劇も見に行けないんだから、お前はかわいいやつだよな」
「うるせー」
その通りではあるので、柴山はこれには強く言い返せなかった。
「演劇の時間には離れられるようにしてるから、大丈夫だよ」
「別に気にしてねぇよ。時間になったらさっさと離れるぞ」
菊池は、笑みを崩さずに柴山の隣にいた。
いよいよ、恵理のクラスの演劇が始まる時間が近づいてきた。
菊池はクラスメイトに告げて、柴山と二人で教室を離れた。
演劇が行われる体育館に向かうと、多くの人がいた。
朝から演劇が続いているから、それを見ている人たちもいることだろう。
「こんな大勢の奴らが見てるんだな……」
柴山は、体育館を見回してぼそりと呟いた。
「いつもそうだよ。生徒の親御さんとか他の学校の子たちとか結構来てるんだよ」
隣にいた菊池が言う。
柴山はそれに、ふーん、と興味なさそうに返した。
すると、ブーっとブザー音が鳴った。
「おっ、始まるみたいだな」
辺りが暗くなるのを見て、菊池が言った。
その口調は、期待しているように聞こえた。
柴山も、菊池のその口調に感化され、妙な体の強張りを感じた。
これが緊張というやつだろうか、などと考えていた。
劇が始まり、さっそく恵理が出てくると、柴山はさらに緊張した。
一瞬息が詰まったが、すぐに我に返る。
恵理は淀みなく台詞を言い、世界観に入り込んでいた。
柴山に言われた後、恵理はクラスの練習にかかりきりになったのか、姿を見なくなった。
その成果があれだと言うのなら、練習した甲斐があっただろう。
柴山は、舞台上の恵理に見入っていた。
柴山とふざけてやっていたお芝居とはわけが違う。
きちんと解釈して、自分の中に落とし込んだのだろう。
演劇のことはさっぱりだったが、同じ舞台にあがっている他のクラスメイトと比べても、恵理は抜きんでていた。
そうして見入っているうちに、劇はどんどん進んでいく。
ついに一番有名なシーンにきた。
ロミオとジュリエットが、バルコニーでお互いに愛を確かめ合うシーン。
「おぉ、ロミオ、なぜあなたはロミオなの?」
そのセリフを聞いた時、何だか柴山の心がざわついた。
ロミオ役の生徒が、何か喋っているが、声が耳に入ってこない。
その代わり、目は舞台の動きをしっかり捉えられていた。
二人が見つめあって語り合う姿を見ていると、ますます胸がむかつきだした。
息苦しすぎて、見ていられなかった。
「出る」
それだけ言うと、柴山は体育館から出た。
「おい、柴山」
菊池は突然の柴山の行動に慌てて、彼を追いかけて出た。
「どうした、柴山」
廊下をどんどん進んでいく柴山の肩を、菊池は強くつかんで引き寄せた。
「うるせぇ!」
柴山は怒鳴って、菊池の手を振り払う。
菊池は一瞬驚いた顔をしたが、柴山を黙って見た。
その表情に怒りも悲しみも、何もなかった。
柴山ははっと気づき、菊池を見る。
柴山の方が、怒りと戸惑いに揺れる表情をしていた。
「……わりぃ……」
柴山は両手で自分の顔を覆い、近くにあった壁にもたれかかった。
菊池は、その柴山の隣に立つ。
「……とりあえず、ここから離れるか? 劇が終わったら、また人が流れてくるだろうし」
「………………あぁ」
長い沈黙の後、柴山はその返事だけした。
顔に当てていた両手を下ろし、菊池の方を力ない表情で見る。
「……ひどい顔してるぞ」
菊池は、ふっと淡く笑って柴山の肩を抱いた。
そのまま、柴山押し出すように歩き出した。
柴山も、菊池と並んで歩き出した。
彼の表情は、不機嫌そのものだった。
菊池とは、そのまま出店の飲み物と食べ物を買い、学校の裏の非常階段の所に座り込んだ。
「どうしたんだよ。そろそろ聞かせてくれるか?」
「……なんか、自分でもわかんねぇ……」
食べ物を口に含みながら、菊池は話す。
柴山は、手に持ちつつもそれには口をつけず、顔を歪めていた。
「とりあえず、何があったのかを話してくれるか? そのまま言ってくれればいい」
「…………」
柴山はまた黙る。
菊池は、柴山が口を開くのを、食べ物を口に入れながらただ待った。
「……佐藤の演技は、すごいって思ったんだ。ずっと見ていたいとも思った。だけど、さっきの佐藤とロミオ役が絡んでるところ見たら、なんかこう……息苦しくなって、腹ん中がぐわぁってねじれるような感じになって、熱くなってきて、平気で立っていられなくなった。叫び出しそうで、とにかくどこか人のいないところに行きたくなったんだ……」
「そうか……」
柴山の言葉に、菊池はただそれだけ簡単に返した。
「……ただそれは、佐藤さんにはちゃんと話しておいた方がいいんじゃないかな、と思うぞ」
「……」
菊池の言葉に、柴山はまた黙る。
「……そうだな」
少しの沈黙の後、そう柴山は言った。
菊池は、その柴山の返答を聞いて堪えきれないようにハハっと吐き出すように笑い出した。
「お前なんだかんだ素直だよな。育ちの良さがにじみ出てるっていうか」
「うるせー」
柴山は、苦虫を噛み潰した顔で言う。
「一応褒めてんだよ」
菊池は、優しい口調になった。
「…………」
柴山は、それには何も返さなかった。
「とりあえず、今日は食べ回るかー」
「そうだな」
菊池が言うと、柴山はすぐに立ち上がった。
菊池は、始終ずっと顔には笑みが刻まれていた。
学校祭が終わって、またいつもの日常が始まった。
柴山は、いつものように学校裏の非常階段でぼんやりとしていた。
「柴山!」
すると、声が聞こえた。
学校祭が終わって、すぐに声をかけられるだろうことは予想していたが、できればそうであってほしくないとも思っていた。
見つからないように、いつもと違う場所にいることもできた。
何ならすぐ帰ればよかった。
だが、ここにいてしまった。
菊池に、ちゃんと話せよと言われたのを守っていた。
柴山も、それは大事なことのような気がしていたから。
呼ばれた方を振り返ると、恵理が険しい顔をしていた。
「どうして劇の途中でいなくなったの?」
「なんだ。バレてたか」
柴山は、悪びれることない調子で言った。
そこでやっと、恵理の方を振り返る。
恵理の表情は険しかった。
「柴山がやってみろって言うから、頑張ったのに」
「そんなこと言ってないが?」
柴山は、怪訝そうに顔を歪めた。
彼には身に覚えがなかったからだ。
「柴山が、練習はクラスメイトとした方が良いって言ったじゃん」
「は? 拡大解釈しすぎだろ」
柴山の表情も険しくなる。
「…………」
「…………」
二人は、黙り込んで睨み合った。
そして、同時に息をついた。
「ごめん、変なこと言った」
「俺もきつく言って悪かった」
二人はまた一瞬黙って、お互いを見る。
「でも、やっぱり途中でいなくなったのは悲しかった」
「それは、悪かった」
「何でどこか行っちゃったの?」
「あぁー……」
恵理の問いに、柴山は言葉が詰まる。
恵理は、じっと柴山を見つめた。
これは、きちんと説明するまで解放してはもらえなさそうだ。
柴山は少し考えて、観念したようにその重い口を開いた。
「……なんか、息苦しくなった」
考えた結果、彼が言える限界がこれだった。
恵理は柴山の返答を受けて、考えるように首をかしげた。
「……具合が悪くなったってこと……?」
「……そうだな……」
柴山は、恵理を見つめられずにわずかに視線をそらす。
「なんだぁー! そうだったのかぁー」
恵理の顔が、ぱっと明るくなった。
柴山は、その反応に虚を突かれる。
「それじゃあ、しょうがないねー。大丈夫だったの?」
「あぁ、すぐに治った」
何となく罪悪感があって、恵理の顔には相変わらず視線を柴山は合わせない。
「もうその後は、気分変えるのに、菊池のやつと学祭回っちまってたんだ。悪かったな。見れなくて」
とりあえず、罪悪感ついでに、謝罪の言葉だけ柴山は口にした。
これは、ちゃんと言っておきたかった言葉だった。
これで柴山は、やっと恵理の顔が見れた。
視線を合わせて見た恵理の表情は、とても明るいものだった。
「今度は、柴山も一緒に演劇やってくれたら許してあげる」
「ぜってー、やらねぇよ」
柴山も、淡く笑い返して言った。
「そういえば、演劇部に誘われちゃったんだよ。学校祭の演劇がよかった、って。私、未来の大女優かも」
ははは、と恵理は笑いながら言う。
冗談で言っているのか、本当の話なのか、わからないような口調だった。
「いいんじゃねぇか」
柴山は、それにただそう返した。
その言い方は、どことなく優しかった。
恵理は、笑いを止めた。
きょとんとして目を見開いた状態で、柴山を見つめる。
「え、それって褒めてくれてるの? そんな風に言うの、珍しいね」
あ?、と柴山は途端にしかめっ面になって恵理を睨んだ。
「俺は褒める時はちゃんと褒めてただろうが!」
しかし、その柴山の反論を聞いているのかいないのか、恵理はんー、と考え込む仕草をする。
「私はさぁ、加奈子や柴山、菊池君たちと遊んでる方が楽しいから、部活とかはやっぱりいいかなぁ、って思うんだよねー」
「…………ふーん……」
柴山は、大きく間をあけて、それだけ返した。
視線は、恵理から離れて遠くを見ていた。
「何?」
「いや、別に。お前がそうしたいんなら、いいんじゃねぇか」
やはり、視線は合わせない。
口調も、どこか気が抜けたようだった。
恵理は、少しの間柴山を見ていたが、特に気にした風もなく口を開いた。
「あぁ、そういえばさー」
そして、また別の話題をし始める。
その後の二人は、またいつものように他愛ない会話をし続けていた。
だが、二人はそれからごっこ遊びはしなくなっていた。




