第三話:俺には使えない?
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第3話です。
よくよく調べると、呪文だけでなくシシリィさんや常連さんが普段話している日常会話の中にも、高音域の発声が含まれていた。
ではなぜ、高音域を発声できない俺の言葉がシシリィさん達に通じたのか。
それは現世でも経験がある。例えば英語における「L」と「R」の発音だ。これは帰国子女やネイティブでなければ、なかなか完璧な発音はできない。
しかし、ネイティブでなくともコミュニケーション自体は可能である。
なぜかと言えば、聞く側がレベルを落として歩み寄るからコミュニケーションが成り立つからだ。
しかし、呪文は違う。恐らく違う。
魔法とは「呪文というコード」を媒介にして超常現象を引き起こすプログラム――そのように整理すると、非常に理解しやすい。そのコードには当然「高音域」も含まれており、それが欠けていれば正しいコードとして成立しないのだ。
正しいコードが発声できなければ、当然、魔法も発動しない。
時間をかけて高音域の発声を猛練習すれば、いつか発動できる可能性はゼロではないかもしれない。だが、一体どれだけの年月がかかるのか……。
ランディであれば「高音域が存在する」という事実までは解析できる。しかし、それを俺の喉でどう発声すれば良いかまでは教えてくれない。
(……詰んだ。)
俺の心の中、どんよりとした澱のように、この言葉が溜まり、少しの間、異世界ライフを楽しむモチベーションを保てなくなってしまった。
いつもなら好奇心に満ちた目で、タバコに火をつける常連客の手元や、火付けをするシシリィさんを観察していたが、この時ばかりは皆が当然のように灯す種火を直視できなかった。
しかし――男、大澤拓郎(当時37歳)。
これでも現場で油にまみれ、トラブルに立ち向かってきたエンジニアだ。限りなく困難なだけであって、不可能という訳ではない。
呪文の発声練習は地道に続けつつ、まずは異世界ライフを楽しもうと割り切り、さらに1年が経った時――思わぬ所から解決の糸口を掴むこととなった。
ある時、俺の5Sの評判を聞きつけた街の「教会」からお声がかかったのだ。
教会と言っても、現世のようにキリスト教を信仰している訳ではない。シシリィさんに聞いたところ、この世界には複数の神様がいて、俺が住んでいる地域では「シン」という神様が信仰されているらしい。「シン」は主に祝福や回復といった権能を持った神様とのことだった。
「回復」という言葉を聞いて、現世のRPGのような効果があるのか、と一瞬期待したが、実際は違った。部位欠損を治すような大魔法は存在せず、せいぜいが切り傷の治癒や止血といった効果らしい。
とは言え、現世のように医療技術が発達していないこの世界において、切り傷を治せる魔法は極めて重要だ。「シン」を祀る教会は、現世における病院のような役割も果しているようだった。
ただし、祝福や回復などの魔法は一般人は扱うことができず、教会にいる司教や巫女にしか扱えない「高等魔法」として位置づけられているとのことだった。
新しい魔法のデータを得られるチャンスを逃す手はない。
俺は教会からの依頼に二つ返事でOKを出し、いざ現地へ向かったのだが――そこは想像を超える難敵だった。
(……この世界の人たちは、そもそも整理整頓という概念を知らないのか?)
教会と言えば、清廉潔白で埃一つない聖域というイメージが俺にはあった。しかし……
教会の隅に、埃を被って積み上げられた本の束。教会内を案内してくれている巫女さんに尋ねてみる。
「あれは、今後も使用するのですか?」
「えぇ〜っと、どうだろう。私がここに来る前からあったから、分からないなぁ」
(ほうっ)
最近使用されたであろう治療台、その上に丸めて置かれたガーゼと包帯。
「司祭さん、治療後のガーゼや包帯はどうやって処理していますか?」
「下働きの子供たちが、気付けば持ち帰り、当て布などに利用しておるよ。物を大切に使うのは、非常に良いことだと思わんかね?」
丸めたガーゼには、所々真新しい血痕が見えている。
(ほう、ほう……ヤバいな)
想像の上をいく危険な状況を認識。シシリィさんに「教会の対応に少し時間がかかる」と伝え、腕を捲り上げて獲物を狙う目になる。
(さて、どこから手を付けてやろうか?)
「ここの手すり、このままだと危なくないですか?」
「この棚、いらない物を整理して、こっちに移動してもいいですか?」
丸々二日、教会の司教や巫女の皆さんに声をかけ協力を仰ぎ、徹底的に5Sを成し遂げた。
夕日をバックに、劇的に綺麗になった教会を皆で見上げた時は、少しだけ涙が出そうになった。
俺の渾身の成果を見て教会の司教も大満足した様子で、「金銭は渡せないが、出来る範囲で希望を叶えよう」と言ってくれた。
そこで「魔法を使った治療の現場を見せてほしい」と依頼したところ、快く了解してくれた。結果、俺は回復と祝福の呪文音声をバッチリ録音することに成功したのだ。
余談だが、回復や祝福の呪文は種火の呪文よりさらに長く、倍くらいの小節の呪文を唱えることで発動していた。
さらに、これこそが最高の僥倖だった。
教会の清掃をしている最中、炊き出しの調理をしているのに、誰もあの「種火の呪文」を使っている様子がなかったのだ。
理由を司教に尋ねてみると、「種火の魔法は下賤で野蛮な呪文であり、『シン』を祀る聖なる教会で口にすることは固く禁じられている」とのことだった。
ではどうやって火を点けているのか尋ねると、司教はリレーのバトンほどの円筒形の棒を見せてくれた。そこには複雑な文字が刻み込まれ、うっすらと白い線が浮かんでいた。
(……もしかして……!)
はやる心を抑えながらその棒について尋ねると、司教は少し悪戯っぽい笑みを浮かべ、二本の指を棒に刻まれた文字に沿わせて滑らせていった。
指が触れた文字がうっすらと光を帯び、全ての文字をなぞり終えた後、司教が軽く棒を振るう。
――すると、棒の先端にいつもの種火が「ポッ」と灯ったのだ。
『呪文を発声しなくても、文字で魔法は発動する』
その棒は、まさに俺が探し求めていたものだった。
普段はこちらで「大人しい子供」を演じていた俺だったが、この時ばかりは心の底からの驚きと大喝采をあげてしまった。
それを見た司教が気を良くしたのか、「お前も試してみるかね?」とばかりにその棒を俺に手渡してくれた。
はやる心と震える手で、司教と同じように二本の指で棒の文字をなぞっていく。
なぞった文字がうっすらと光を放ち、最後の文字をなぞり終えた後――「灯れ!」と心の中で強く祈りながら棒を振るった。
――小さな種火が、棒の先に現れた。
俺にも、魔法が使えた。
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